2018/04/16 - 2018/04/17
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junさん
5日目は、インパール・コヒマ道を北上して、コヒマに宿泊します。
そして、翌日は牟田口中将が目指したディマプールまで向かいます。
それにしても、インパール・コヒマ道も、想像以上に悪路でした。
州間の主要道路なのに、4WD車でないと移動できないとは。
表紙写真は、激戦の三差路高地で、損傷して遺棄されたM3グラント戦車です。場所は、日本軍呼称サル陣地(英軍呼称クキ哨所)の東山麓です。
弾痕が無い事から、戦闘末期に崖から落ちて行動不能になり遺棄された?のかもしれません。
インパール作戦には、M3リー戦車(アメリカ砲塔仕様)の参加が多いと言う情報がありましたが、これはM3グラント(イギリス砲塔仕様)です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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インパール作戦の北方最後の戦場、マラム(MARAM)です。
コヒマを攻略した日本軍の第31師団長佐藤中将が、日本軍始まって以来の独断撤退を始めた後も、配下の宮崎少将はインパール・コヒマ道遮断し続けました。
第15師団に配属された宮崎支隊は、南下しながら抵抗を続けましたが、ついにこの地マラムで、6/20に英印軍の機甲部隊に突破されました。
宮崎支隊は、インパール・コヒマ道を3か月間遮断し続けました。 -
マニプール州(州都インパール)とナガランド州(州都コヒマ)の州境に近いマオ(MAO)で、昼食です。
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OKAYレストランです。
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コヒマ南部です。
6/7の日付からすると、第31師団の宮崎支隊がコヒマから撤退したことの記念碑です。 -
ついに、最終目的地、コヒマ三差路の英国副弁務官舎跡地に来ました。
コヒマ・戦争墓地とあります。 -
この墓地は、激しい戦闘があった英国官舎跡に作られています。
左に行くと、英印軍の補給都市ディマプール、右に行くとインパール。
正面に行くと旧コヒマ村。三差路の要地です。 -
写真中央の教会の地も、激しい戦いがあったアラズラ高地とのことです。
教会は、戦後、帰国した第31師団の将兵の寄贈も受けて、建てられているとのことです。
今回行けなかったので、次回、是非行きたいところです。 -
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英国官舎のテニスコートです。
こちらから日本兵が、向こう(山側)から英兵(コヒマは珍しく英国本土兵が多かった)が、テニスボールではなく、手榴弾を投げ合って戦っていました。 -
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テニスコートに続く高地の、日本軍呼称イヌ陣地(英軍呼称ガリソン高地)です。
日本軍は結局、この陣地のみ落とすことができませんでした。
この高地の周辺で、日本兵、英印兵が多く亡くなっています。 -
勝利した英印軍兵士の立派な墓地です。
もちろん、日本軍兵士の墓地はインパール、コヒマにはありません。
まだ、山には多くの日本兵の遺骨が埋まっているとのことです。 -
先の大戦時は、ナガ族の村がある程度でしたが、現在はナガランドの州都のためか狭い山間に多くの家屋が建てられています。
車も多く、狭い道路が渋滞しています。 -
インパール・コヒマ道から、三差路高地の日本軍呼称サル陣地に向かう道があります。
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M3グラントと記念碑があります。
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コヒマ市内の州立博物館です。
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博物館前の、英軍航空機の残骸と、M3スチュアート軽戦車の砲塔です。
砲塔はひっくり返ったまま、特に案内も無く、無造作に置かれています。
この軽戦車ならともかく、表紙写真のM3グラント中戦車には、日本の数少ない速射砲は、歯が立ちませんでした。 -
コヒマの宿泊は、ラズ・ブルと言うホテルです。
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建物は戦前からあり、玄関前の柱には弾痕がありました。
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素敵なロビーです。
コヒマやインパールの住民は、一部は日本軍、一部は英印軍に利用され、村人は分かれて苦労されたとのことでした。
爆撃などにより犠牲者も多かったとのことです。
合掌。 -
宿泊は新たに増築した部屋です。
村で買った米酒は、部屋飲みはOKです。 -
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家のグルカ人の女性ご主人が、食事中、どういうわけか横に立っているサポートしてくれます。
英語が通じるので、酔いも手伝って、いろいろ話しましたが、英会話に集中して食事どころではありませんでした。 -
朝食です。
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翌朝、ディマプールへ向かいます。
三差路ともお別れです。
コヒマには、インパールと異なり、日本軍の慰霊碑は一つもありません。
是非、なんとか、小さくても慰霊碑を作ってほしいと思います。 -
ズブサの標識です。
ディマプールまで59KMとあります。 -
ズブサの古い橋です。
コヒマ戦時は、第138連隊第6中隊(高田中隊)がこのあたりを占領、遮断しました。
ディマプール・コヒマ道上では、一番ディマプールに近い箇所です。
概ねこの辺りが、先の大戦時の日本陸軍の最西端地と思います。
奈良から来た兵士(第138連隊は奈良で結成)は、はるか最西端のインドの地で、なにを思って戦ったでしょうか。
ちなみに、宮崎少将の指揮下で戦った第58連隊は高田、第124連隊は福岡です。 -
コヒマの子供たち、制服をきて通学のようです。
ナガ族は、日本人にも似ていて、親近感があります。 -
ディマプール空港に到着です。
ガイドのアランバムさんともお別れです。
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