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今年は桜も早く咲いてしまいました。4月も1週間を過ぎると東京の桜も終わり。<br />暑い日もあり、まだまだ寒い日もありの4月ですが、春の塩原温泉郷に出かけました。<br />土日の旅行でしたが、春休みも終わった頃だったので、思ったほど人は多くありませんでした。<br />温泉でゆっくりと過ごす旅です。<br /><br />春の塩原②☆おやど小梅や、七つ岩吊橋、那須千本松牧場さくら祭り☆2018/04/07はこちら<br />https://4travel.jp/travelogue/11347957<br />

春の塩原①☆回顧の吊橋、源三窟、湯っ歩の里☆2018/04/07

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2018/04/07 - 2018/04/08

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

今年は桜も早く咲いてしまいました。4月も1週間を過ぎると東京の桜も終わり。
暑い日もあり、まだまだ寒い日もありの4月ですが、春の塩原温泉郷に出かけました。
土日の旅行でしたが、春休みも終わった頃だったので、思ったほど人は多くありませんでした。
温泉でゆっくりと過ごす旅です。

春の塩原②☆おやど小梅や、七つ岩吊橋、那須千本松牧場さくら祭り☆2018/04/07はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11347957

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車

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  • 朝9時半ごろに家を出て、東北道を走って塩原へ。<br />2時間ほどで到着。<br />蟇石園地駐車場です。ここに車を停めて、回顧の吊橋に行きます。

    朝9時半ごろに家を出て、東北道を走って塩原へ。
    2時間ほどで到着。
    蟇石園地駐車場です。ここに車を停めて、回顧の吊橋に行きます。

  • 今日は、上着がないとちょっと寒いです。

    今日は、上着がないとちょっと寒いです。

  • 蟇石園地は昔、塩原軌道駅舎でした。<br /><br />塩原軌道は、明治45年(1912)7月8日に西那須野駅~関谷間が開通し、大正4年(1915)10月14日、新塩原駅(現在の入勝橋付近)まで延長された。<br />大正10年(1921)、塩那電気(株)から供給を受けて、西那須野~新塩原間が電化され会社名も「塩原軌道株式会社」から「塩原電気軌道株式会社」と改称された。翌大正11年4月には塩原口(現在の「がま石園地」)まで延長、花電車が運行され開通を祝った。<br />線路は西那須野駅から関谷までは、一部を除いて塩原街道の路面が利用された。しかし、関谷駅から新塩原駅までは道路から大きく南にそれて、箒川に沿って迂回するルートがとられていた。<br />電化後は運行本数を増やし、多い時には1日8往復を数えた。しかし、昭和2年(1927)の金融恐慌、そして世界恐慌等による全国的な大不況のあおりを受け、利用者は減少し、さらに、大正15年(1926)から営業を開始した乗合自動車の普及も重なり、昭和7年(1932)に営業休止を申請、同8年(1933)12月に廃止が許可され、ここに塩原軌道は23年の幕を閉じた。<br />

    蟇石園地は昔、塩原軌道駅舎でした。

    塩原軌道は、明治45年(1912)7月8日に西那須野駅~関谷間が開通し、大正4年(1915)10月14日、新塩原駅(現在の入勝橋付近)まで延長された。
    大正10年(1921)、塩那電気(株)から供給を受けて、西那須野~新塩原間が電化され会社名も「塩原軌道株式会社」から「塩原電気軌道株式会社」と改称された。翌大正11年4月には塩原口(現在の「がま石園地」)まで延長、花電車が運行され開通を祝った。
    線路は西那須野駅から関谷までは、一部を除いて塩原街道の路面が利用された。しかし、関谷駅から新塩原駅までは道路から大きく南にそれて、箒川に沿って迂回するルートがとられていた。
    電化後は運行本数を増やし、多い時には1日8往復を数えた。しかし、昭和2年(1927)の金融恐慌、そして世界恐慌等による全国的な大不況のあおりを受け、利用者は減少し、さらに、大正15年(1926)から営業を開始した乗合自動車の普及も重なり、昭和7年(1932)に営業休止を申請、同8年(1933)12月に廃止が許可され、ここに塩原軌道は23年の幕を閉じた。

  • 尾崎紅葉の碑。

    尾崎紅葉の碑。

  • 駐車場から道を下ると、回顧(かえりみ)の吊橋です。<br />

    駐車場から道を下ると、回顧(かえりみ)の吊橋です。

  • 回顧の吊橋は1987年完成の全長100m、高さ30mの吊橋です。

    回顧の吊橋は1987年完成の全長100m、高さ30mの吊橋です。

  • 振り返ってまた見たくなる美しさだそうです。

    振り返ってまた見たくなる美しさだそうです。

  • 高さと揺れは塩原一とか。

    高さと揺れは塩原一とか。

  • 深く切れ込んだ箒川の渓谷美を楽しめます。

    深く切れ込んだ箒川の渓谷美を楽しめます。

  • 吊橋を渡り、少し登ると回顧の滝が見えます。

    吊橋を渡り、少し登ると回顧の滝が見えます。

  • きれいに咲いています。

    きれいに咲いています。

  • 回顧の吊橋に行くには2つの道があります。<br />こちらは急坂の道です。それほどでもありませんでした。

    回顧の吊橋に行くには2つの道があります。
    こちらは急坂の道です。それほどでもありませんでした。

  • 花と景色を眺めながら。

    花と景色を眺めながら。

  • 早めのお昼。<br />スープ入り焼きそばをいただくために、こばや食堂に来ました。

    早めのお昼。
    スープ入り焼きそばをいただくために、こばや食堂に来ました。

  • 店の中には色紙がいろいろ飾ってあります。

    店の中には色紙がいろいろ飾ってあります。

  • スープ入り焼きそば。<br />今日はちょっと寒いくらいなので、温かいものがいいです。<br />甘めの味のラーメンと言った感じです。<br />なかなかの味です、ちょっとくせになるかも。<br />昼を過ぎると客が次々に来ました。ほとんどの人がスープ入り焼きそばを注文していました。

    スープ入り焼きそば。
    今日はちょっと寒いくらいなので、温かいものがいいです。
    甘めの味のラーメンと言った感じです。
    なかなかの味です、ちょっとくせになるかも。
    昼を過ぎると客が次々に来ました。ほとんどの人がスープ入り焼きそばを注文していました。

  • 塩原もの語り館に来ました。<br />雛人形の展示。<br />4月から6月までの3か月間、デスティネーションキャンペーンの一環で、 普段は有料の資料展示室が特別無料開放です。

    塩原もの語り館に来ました。
    雛人形の展示。
    4月から6月までの3か月間、デスティネーションキャンペーンの一環で、 普段は有料の資料展示室が特別無料開放です。

  • 斎藤茂吉の企画展を開催していました。斎藤茂吉と昆虫のものがたり。<br />

    斎藤茂吉の企画展を開催していました。斎藤茂吉と昆虫のものがたり。

  • 塩原を訪れた文人たちの展示。

    塩原を訪れた文人たちの展示。

  • 紅の吊橋。<br />川沿いのモミジが、赤く燃え上がるように染まることからこの名がつけられたそうです。

    紅の吊橋。
    川沿いのモミジが、赤く燃え上がるように染まることからこの名がつけられたそうです。

  • 吊橋を渡ると、公共露天風呂「もみじの湯」があります。

    吊橋を渡ると、公共露天風呂「もみじの湯」があります。

  • 吊橋の近くに見えるのが、塩原もの語り館です。

    吊橋の近くに見えるのが、塩原もの語り館です。

  • 次に来たのは、源三窟です。<br />火山活動で出来た洞窟内には滝水が流れ、頼朝に追われた源氏の落人が、隠れ住んでいた「源氏の隠れ岩屋 史跡鍾乳洞」です。

    次に来たのは、源三窟です。
    火山活動で出来た洞窟内には滝水が流れ、頼朝に追われた源氏の落人が、隠れ住んでいた「源氏の隠れ岩屋 史跡鍾乳洞」です。

  • この洞窟に隠れ住んでいた源有綱は源平最後の合戦壇ノ浦の戦い(1185年)で、源義経とともに戦った義経腹心の家来であったため、 壇ノ浦の戦いの後、源頼朝軍に義経一族として追われ、大和国(奈良県)方面より塩原へ逃げこんできたと伝えられています。<br />塩原地内をさまよっていたところを地元の城主であった塩原八郎家忠に捕えられましたが義経一族とわかり、 命だけは助けられこの洞窟内で落人の生活に入りました。<br />再起を計ろうとしましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、そのとぎ汁が洞窟の外へ流れ出たことにより 頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたと伝えられています。<br /><br />洞窟に入る前に、このような内容の紙芝居を見ます。<br /><br />米洗いの滝です。

    この洞窟に隠れ住んでいた源有綱は源平最後の合戦壇ノ浦の戦い(1185年)で、源義経とともに戦った義経腹心の家来であったため、 壇ノ浦の戦いの後、源頼朝軍に義経一族として追われ、大和国(奈良県)方面より塩原へ逃げこんできたと伝えられています。
    塩原地内をさまよっていたところを地元の城主であった塩原八郎家忠に捕えられましたが義経一族とわかり、 命だけは助けられこの洞窟内で落人の生活に入りました。
    再起を計ろうとしましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、そのとぎ汁が洞窟の外へ流れ出たことにより 頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたと伝えられています。

    洞窟に入る前に、このような内容の紙芝居を見ます。

    米洗いの滝です。

  • 落人の生活ぶり

    落人の生活ぶり

  • 石灰岩の神秘な世界

    石灰岩の神秘な世界

  • 再起を計り、いざ出陣

    再起を計り、いざ出陣

  • 賽の河原

    賽の河原

  • 洞窟を出ると資料館です。

    洞窟を出ると資料館です。

  • 長生きの水

    長生きの水

  • 湯っ歩の里に来ました。<br />源泉をかけ流しする全長60mの足湯回廊を中心とした足湯施設です。

    湯っ歩の里に来ました。
    源泉をかけ流しする全長60mの足湯回廊を中心とした足湯施設です。

  • ベンチに腰掛けて、足湯を楽しめます。

    ベンチに腰掛けて、足湯を楽しめます。

  • 入館料200円。

    入館料200円。

  • 足湯で体も温まりました。<br />私の足で失礼しました。<br />この後、旅館に向かいます。

    足湯で体も温まりました。
    私の足で失礼しました。
    この後、旅館に向かいます。

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