2018/04/03 - 2018/04/03
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kaze99さん
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静岡県三島市に行く。
江戸時代三島宿があった場所であり、歴史を追って車で行ける範囲で廻ってみた。
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国道1号(旧東海道)の錦田(にしきだ)一里塚
初音ヶ原の松並木の途中にあり、江戸から数えて28里(約112km)の地点にあるという。 -
錦田一里塚は、道の両側にきちっとその盛土が残っている。
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三島市内にあった郵便ポスト。
明治4年製作の初代に製作されたもの。
三嶋大社のPが満車で入れなかったため、広澄山圓明寺に向かう途中に発見。 -
赤橋
橋の欄干が赤く塗られていることから赤橋と呼ばれており、江戸時代には駿豆五色橋の1つに数えられていた。 -
孝行犬の像があるという、広澄山圓明寺は入り道が分からず、行けなかったので、伊豆国分寺に来た。
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伊豆国分寺の本堂の下には、奈良時代の伊豆国分寺の説明版があった。
広大な敷地に高さ60mの七重の塔もあった模様。 -
伊豆国分寺塔跡
本堂の裏手には伊豆国分寺塔跡の碑 -
郷社八幡神社の満開の桜を進む。
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参道沿いに100m程、桜並木が続く。
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鳥居の先には小さな橋が見える。
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奥に進むと、頼朝と義経の対面石というのがあった。
源氏再興の挙兵を果たした源頼朝、それを聞き、奥州平泉より駆けつけた弟の源義経と涙の対面を果たしたといわれる。 -
旧東海道に戻ると、玉井寺一里塚があった。
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ここの一里塚も両側の盛土がきちっと残っている。
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さらに三島大社へ戻る左側に、常夜灯があった。
建立は弘化三年(1846)で、火を鎮める神様の名前があり、防災の願いを込めたもの。 -
三島大社に来た。
大鳥居から入ると、満開の桜と屋台が出向かいてくれた。
(東京では桜は散っているがここでは満開) -
たたり石
この石は旧東海道の中央にあり、人の流れを整理する役目を果たしていた。
絡垜(タタリ)とは、糸のもつれを防ぐ道具で、整理をを意味する語で、後にこの石を取り除こうとする度に災いがあり、絡垜が祟りになったと言われ、霊石となっている。 -
神池のきれいな風景
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桜に映える神池
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行けには花びらが落ち、さらに美しく映える。
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2つの池の真ん中は参道になっている。
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左側の池の中州には厳島神社があった。
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総門前は桜で絵になる場所。
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総門を入り神門に向かう。
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神門手前の右側に腰掛け石がある。
1180年(治承4年)、源頼朝が源氏再興を祈るため、百日間の日参をした折、休息した石。 左の石に源頼朝が、右の石に北条政子が腰を掛けたと伝えられている。 -
神門を抜けると拝殿に向かう。
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天然記念物の金木犀。
樹齢は1200年を越えると推定される巨木で、9-10月に満開になるという。 -
手前の拝殿と奥に本殿
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拝殿と本殿は、いずれも江戸時代末期の安政元年(1854)の安政東海地震後に再建されたもので、重要文化財に指定されている。
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帰路に隣接する神鹿園というのを見付けた。
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その名の通り、鹿を飼っていた。
後で調べると、鹿は大正時代に奈良の春日大社からやって来たという。 -
新東名高速で戻るため、国道1号を箱根方面に進む。
箱根旧街道の石碑が目に留まった。
今朝見学した錦田一里塚に近くであった。
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