2017/12/02 - 2017/12/02
17位(同エリア474件中)
かっちんさん
北陸本線の長浜~敦賀間は、明治15年(1882)長浜~柳ヶ瀬(やながせ)、洞道口(柳ヶ瀬トンネル西口)~金ヶ崎(敦賀港)が開通。その後、柳ヶ瀬トンネルの完成により、明治17年(1884)全線開業しました。
昭和32年(1957)北陸本線は新線(木之本~近江塩津~新疋田)に移行し、旧線が柳ヶ瀬線に名称変更されました。
昭和39年(1964)柳ヶ瀬線がついに廃止。道路化され、国鉄バスが走った時代もありました。
今回の「鉄道遺産と今庄宿を巡る旅」ツアーは、柳ヶ瀬線が走っていたルートをたどり、鉄道遺産の小刀根(ことね)・柳ヶ瀬トンネル、中之郷駅跡を訪ねます。
コースには、つるが鉄道フェスティバル、敦賀赤レンガ倉庫、杉津パーキングエリア、今庄宿、長浜鉄道スクエアも含まれ、旧北陸本線の歴史を勉強されている増田さんがガイドとなり説明してくれます。
今庄は今も昔風の家屋が軒を連ね、その長さや道の形や短冊形の屋敷割がほとんど変わっていないこともあって、当時の宿場の面影をとどめています。
なお、旅行記は、敦賀観光案内所の「つるが鉄道と港の夜明け物語」、増田正樹氏の「鉄道遺産等」、今庄観光協会の「今庄宿散策マップ」「鉄道遺産」、今庄宿プロジェクト協議会の「旧斎藤家」、福井県の文化財、笑人堂の「通な市場」、JR西日本の「Blue Signal 2017 小刀根トンネル」、福井県建設技術協会の「柳ヶ瀬トンネルの紹介」、長浜鉄道スクエア、asahi-netの「吹田操車場跡地で出土した汽車土瓶と刻印煉瓦」などを参考にしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
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鉄道の歴史ツアー
長浜市・敦賀市・南越前町が連携した「鉄道の歴史」を訪ねる旅です。
2017年12月2日に開催され、募集人員が20名、料金が昼食付4,980円です。 -
旧北陸本線ルート
紫色で示した鉄道路線(木之本~柳ヶ瀬~疋田~敦賀~杉津~今庄)が旧北陸本線です。
敦賀~杉津~今庄間のルートは2014年8月に参加した近代化遺産ツアーの方が詳しく、その旅行記もご覧ください。
「近代化遺産 旧北陸本線を巡る貴重な体験(福井)」
http://4travel.jp/travelogue/10922788
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SLバス
D51南越前町のSLバスに乗り、ツアー開始です。 -
つるが鉄道フェスティバル
最初に訪れるスポットです。
2017年は12月2・3日(土日)に「きらめきみなと館」で開催されています。
では、会場に入ります。 -
行先板の販売(会場)
常磐線の「平 行」は珍しい。今の駅名は「平」ではなく「いわき」。 -
愛称板の販売(会場)
懐かしい急行、特急の愛称名があります。 -
イチオシ
何をやっているの??(会場)
SLの投炭練習機です。
石炭を罐(かま)の中にくべる練習ができます。 -
思い出の遥か杉津越え(すいづごえ)の写真(会場)
北陸本線の北陸トンネルができる前のルートが杉津越え。
「鉄道友の会」福井支部の鉄ちゃんたちの写真です。 -
杉津駅に停車するDD50の写真(会場)
昭和28年(1953)、当時最新鋭のディーゼル機関車DD50が敦賀に配置され、敦賀~今庄間で活躍しました。 -
恐竜焼き(会場)
敦賀市銘菓処「笑福堂」が作り、たい焼きと同じ風味です。 -
青空に映えるキハ28(会場)
昭和43年(1968)に富士重工で製造された国鉄の急行形気動車です。
平成12年(2000)に廃車となり、イベントの展示などを経て、アチハ株式会社が自社負担で買い取り、大阪市住之江区の本社に移設して保管しています。
アチハは鉄道車両の輸送などを手掛けている会社です。 -
次は赤レンガ倉庫(敦賀)
明治38年(1905)にニューヨークスタンダード石油会社が建設した石油倉庫です。
当時の石油容器はドラム缶ではなく、木製の樽でした。
赤レンガ倉庫は国の登録有形文化財に登録されています。
現在は鉄道と港のジオラマ館とレストランが入った商業施設になっています。 -
石油会社の文字(赤レンガ倉庫の壁)
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敦賀の町並みを再現したジオラマ(赤レンガ倉庫)
敦賀駅構内、煙突のある東洋紡工場、港、左にループ線など、敦賀の町並みです。 -
夜の敦賀駅(ジオラマ)
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イチオシ
鳩原ループ線を上るディーゼル機関車(ジオラマ)
昭和58年(1983)まで北海道を除く日本全国で走っていたDF50形です。 -
杉津・山中越え
次は杉津駅跡の杉津PAへ向かいます。
当初は旧北陸本線(現在は道路)を通る予定でしたが、土砂崩れにより北陸自動車道を通ります。 -
杉津PAに到着
北陸自動車道下り(新潟・高山方面)の杉津PAにいます。
高台にある「ぷらっとパーク」から、大比田・横浜海水浴場、日本海が眺められます。 -
杉津駅跡(杉津PA)
真下にある「上り杉津PA」は杉津駅跡だったところです。
蛇行している道が旧北陸本線です。 -
旧北陸本線(杉津PA)
杉津駅から山中峠へ向かう線路跡(今は道路)です。 -
杉津駅の写真
当時はSLが牽引しています。 -
今庄宿に到着
古くから幾重にも重なる南条山地は北陸道の難所で、山中峠、木ノ芽峠、栃ノ木峠、湯尾峠のいずれかの山越えの道を選んで今庄に至り、京・江戸へ行き来する人々が最初に宿泊したのが、今庄宿です。
今庄は江戸時代を通じて、宿場として越前で最も繁栄したところです。
ここは南越前町今庄です。 -
旧斎藤家
製糸業を営んでいた斎藤繁治郎により、旧西尾家が務めた御札場(おふだば)の跡地に大正11年に建てられました。
木造、桟瓦葺き、切妻平入の2階建て。
正面は登り梁で深い軒を支え、袖卯建を持ち、下屋庇は銅板葺きで二重の腕木で支えられています。
地元住民有志により、大正時代の古民家を改修し、2017年11月11日にレストラン「しげじろう」としてオープンしました。 -
しげじろう御膳(旧斎藤家)
昼食は地元の食材の小鉢に茶飯、今庄そば。 -
今庄そば(旧斎藤家)
歯応えのある太い蕎麦を、大根おろしと冷たいだしでいただきます。 -
大きなかまど(旧斎藤家)
斎藤家を見学しています。 -
イチオシ
大黒様がニッコリ(旧斎藤家)
かまどの焚口です。 -
イチオシ
美しい銅板葺き庇の町家(今庄)
昼食後、町並みを案内してもらいます。 -
格子と袖卯建の町家(今庄)
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京藤甚五郎家(きょうとうじんごろうけ、今庄)
天保年間(1830~44)の頃の建物で当時は造り酒屋でした。
間口は20m余りあり、標準的な町家と比べると2倍の大きさ。
木造2階建、切妻造で、屋根には越前特有の赤瓦が葺かれています。
両妻面の壁を屋根面より高く持ち上げた本格的な卯建を上げ、壁面を土壁で塗り込めるなど、防火を意識した表構えが特徴です。 -
囲炉裏(京藤甚五郎家)
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厳かな神棚(京藤甚五郎家)
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重厚な箪笥(京藤甚五郎家)
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彫物の欄間(京藤甚五郎家)
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堀口酒造(今庄)
1619年創業の造り酒屋です。 -
旅籠屋の若狭屋(今庄)
今庄宿には天保年間(1830~1844)に55軒の旅籠屋があったと記録され、中でも若狭屋は大きい宿です。
正面中央に玄関を設け、その両脇は平格子としています。
2階部も全面を太い格子を構え、両脇には袖卯建を設け、国の登録有形文化財に認定されています。 -
イチオシ
レンガ造りの給水塔跡(今庄駅構内)
北陸本線今庄駅に来ると、SLが走っていた当時の給水塔が残されています。 -
昔の今庄駅を再現したジオラマ(今庄駅内の展示室)
今庄駅では全列車が停車し、北陸本線の難所といわれた山中峠越えの急勾配を上っていくため、最後尾にもう1両機関車(SLの補機)を連結しました。 -
今庄産の「つるし柿」(今庄駅売店)
400年の歴史を持つ今庄産「つるし柿」は、長良の渋柿の皮をむき、いろりの上へ縄で吊るし、薪を焚きながら丁寧に乾燥させます。
煙でいぶしているので、色は黒褐色で、ほのかにいぶした味がします。 -
次は旧柳ヶ瀬線
今庄を後にして一旦敦賀へ戻り、旧柳ヶ瀬線へ向かいます。
旧柳ヶ瀬線は紫色の鉄道路線で、敦賀から南下し、疋田(ひきた)で東に向きを変えて柳ヶ瀬越えし、中之郷、木之本へ至ります。 -
小刀根トンネル
刀根(とね)トンネルを抜けると、旧柳ヶ瀬線の小刀根(ことね)トンネルが見えてきます。
小刀根トンネルは外側に新しい車道が設置されているので、ゆっくりトンネル見学ができます。 -
小刀根トンネル
バスを降り、トンネル内を歩きます。
敦賀市にある小刀根トンネルは明治14年(1881)に落成し、日本人技術者が手掛けた鉄道トンネルでは二番目に古い歴史を持ちます。
改修されず当時の佇まいを残す鉄道トンネルとしては日本最古のものです。 -
明治十四年の刻印(小刀根トンネル)
要石に刻印されています。 -
イチオシ
黒いススの残る天井(小刀根トンネル)
馬蹄形のトンネルは総延長56mと小規模ながら、内部は岩盤とレンガ積みの2段構造で、重厚な石積み造りからかつての建築技術がうかがえます。
SLのD51はこのトンネルサイズに合わせて造られたそうです。 -
鉄道遺産のトンネル(小刀根トンネル)
JR西日本の登録鉄道文化財に指定されるほか、土木遺産、敦賀市有形文化財(建造物)に指定される貴重な鉄道遺産です。 -
いよいよ柳ヶ瀬トンネル
旧柳ヶ瀬線の柳ヶ瀬トンネルは、現在道路トンネルとして活躍しています。
幅員が車1台分ほどしかなく、トンネル入口に信号機が設置され、交互通行になっています。 -
柳ヶ瀬トンネルの通行
明治17年(1884)完成当時日本最長(1,352m)で黎明期の技術進歩に大きく貢献し、土木遺産、近代化遺産に認定されています。
バスは25/1000の急勾配を上りはじめ、車内からの見学です。 -
排煙装置(柳ヶ瀬トンネル)
バス車内で見せてもらったDVD画面の排煙装置です。
柳ヶ瀬トンネルは昭和3年(1928)、SL貨物列車が25/1000急勾配のためトンネル内で停車し、追い風による煙が纏わり、乗務員の窒息事故が発生しました。
その後、昭和8年(1933)に柳ヶ瀬側トンネル出口部分に垂幕式排煙設備が設置されました。
列車がトンネル内に入ると幕を下ろして空気の流れ込みを防ぎ、煙がトンネル内にそのまま残るようにします。
列車がトンネルを抜けると幕を上げ、空気の自然の流れでトンネル内の煙を排出させます。 -
中之郷駅跡
敦賀側から上り勾配の柳ヶ瀬トンネルを抜けると、下り勾配となり滋賀県の柳ヶ瀬駅(現存せず)、次に中之郷駅となります。
中之郷駅は木之本側から見ると柳ヶ瀬越えを控え、列車を後押しする補機の付け替えをしたところです。
今はホームの面影だけ残されています。 -
雪の積もる伊吹山
旧柳ヶ瀬線の木之本を過ぎると、バスは琵琶湖沿いの車道に入り、長浜へ向かいます。 -
長浜鉄道スクエアに到着
ここで、スクエア内にある旧長浜駅舎、長浜鉄道文化館、北陸線電化記念館などを見学します。
旧長浜駅舎は敦賀線(北陸本線)の起点駅として、また長浜~大津間の鉄道連絡船の駅として、明治15年(1882)鉄道開通と同時に完成しました。
明治36年(1903)には現在の長浜駅の位置に新しい駅舎が完成して、旧駅舎は20年間にわたる長浜の鉄道の玄関としての、また日本の鉄道交通の要としての役割を終えました。
現在は日本最古の駅舎として「鉄道記念物」に指定され保存されています。 -
トンネルの石額(長浜鉄道スクエア)
旧柳ヶ瀬線の柳ヶ瀬トンネル東口にあった石額です。
伊藤博文が書いた「万世永頼(ばんせいえいらい)」は、万世(ばんせい)永(なが)く頼(たの)むと読みます。
この鉄道が世のために働いてくれることをいつまでも長く頼りにするという意味。
明治政府にとって鉄道の建設は、国をあげての一大事業だっため、政府の要人がトンネルの石額を書いています。 -
ED70形電気機関車(北陸線電化記念館)
北陸本線田村~敦賀間の交流電化にあたって昭和32年(1957)に製作された60ヘルツ用の機関車です。
最初の量産機だけに水銀整流器の故障と保守に悩まされたといいます。
現在は半導体を使った整流器(交流を直流に変換する装置)です。 -
懐かしい汽車土瓶(北陸線電化記念館)
昭和30年代頃まで駅弁と同時に売っていた汽車土瓶です。
後日、asahi-netの資料「吹田操車場で出土した汽車土瓶と刻印煉瓦」を読んでみると、製造窯は愛知の瀬戸焼、福島の会津本郷焼、福岡の笹栗陶器、滋賀の信楽焼など。
昭和59年(1984)に吹田操車場の遺跡発掘調査で、使い終わった汽車土瓶が大量に発見されてわかったものです。 -
琵琶湖に沈む夕陽
ツアーを予定通り終え、北陸本線の電車から夕陽を眺めました。
旧北陸本線・柳ヶ瀬線の鉄道遺産をめぐるツアーは、敦賀観光協会が最近始めたものです。
歴史的背景や当時のトンネル技術などを織り込んだ説明を受けると、より理解が深まります。
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