2017/04/23 - 2017/04/25
136位(同エリア231件中)
Giorgio Bianchiさん
- Giorgio BianchiさんTOP
- 旅行記79冊
- クチコミ44件
- Q&A回答0件
- 118,703アクセス
- フォロワー15人
二度目のサンマリノ共和国旅行です。今回はサンマリノ市内に泊まってじっくり楽しみます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
出発はリミニから。
リミニ駅前の通りにサンマリノ行きのプルマンが止まっています。
サンマリノへの入国はリミニからバスで北部国境から入国する方法と、ウルビーノからバスで南部国境から入国する方法があります。
今回は前回同様リミニからの入国で。
サンマリノ市までならリミニから片道5?。 -
バスの道中からのティターノ山遠景。
山頂の町が共和国の首都サンマリノ市。 -
サンマリノ市に到着。初日は天気がイマイチ。
サンフランチェスコ絵画館 博物館・美術館・ギャラリー
-
-
サンマリノ市の入り口、サン・フランチェスコ門。
-
サンマリノ市に入っていきます。道幅が狭いので観光客が多いと大変。
-
サンマリノはやたらサバゲショップが多いです。
なんでも規制がイタリアより緩いんだとか。 -
サンマリノ市での宿泊先、"Hotel Titano(四つ星)"。
100年以上の伝統を誇るホテルです。
サンマリノ市内に泊まるのは今回が初めて。市の中心部にあり立地も最高です。Hotel Titano ホテル
-
内装も綺麗。フロントのサービスがよく、クーポンなどを沢山くれました。
-
エレベーターにはジュリアーノ・ゴジ(アルベローニ枢機卿のサンマリノ占領に抵抗した人物)のセリフが。
-
客室からの景色。
-
バスタブありました!これだけでもめっちゃテンション上がりますね(これ以降イタリアで湯船があったホテルに泊まったのは、コゼンツァとタオルミーナだけです)
-
まずは名所のプブリコ宮とリベルタ広場。
一年ぶりです。てっきり春も衛兵交代やってると思ったら、夏季だけなんですね...なんてこった。プッブリコ宮 城・宮殿
-
やっぱサバゲショップ多いですねぇ。
-
バルトロメオ・ボルゲーシ像。
サンマリノに移住したイタリア人貨幣収集家です。彼のコレクションと思われる貨幣は国立博物館に展示されています。 -
観光案内所。ここで観光ビザの発行をしています。
サンマリノ旅行の際は是非記念にどうぞ。思い出になります。 -
ロープウェイ駅。ここから麓のボルゴ・マッジョーレまで行けます。
フニビア その他の交通機関
-
ガリバルディ広場。ローマ共和国陥落後、追われる身となったガリバルディをサンマリノが保護した事に由来します。
なお、それが原因で後に教皇に命令でトスカーナ軍の侵攻を受ける事に... -
国立博物館。今回は行きません。
国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
サンマリノ人義勇兵の記念碑、"Ara dei Volontari"。
1927年のジュリアーノ・ゴジ外相の命により、ジーノ・ザーニが設計・完成させた。サンマリノ・ファシスト建築物の代表例。
リソルジメントと両大戦に参加した義勇兵の名前が刻まれているが、現在は修復中か見れませんでした。残念。 -
サンマリノ共和国は中立を貫いた国家ですが、歴史上、多くの義勇兵派兵を行っています。リソルジメント期にはサルデーニャ王国軍に義勇軍を派遣して統一に貢献した事により、その後も独立を認められました。
第一次世界大戦ではイタリア軍に義勇軍を派遣しましたが、その事により二重帝国からは国交断絶を通告されました。また、正式な参戦でなかったが為にイタリアからも疑いの目で見られ、スパイを匿っているとして電話線を切るという嫌がらせを受けています。
戦間期においてイタリア同様にファシスト政権が誕生したサンマリノでは、エチオピア戦争においてイタリア軍に義勇軍を派遣しました。第二次世界大戦においても義勇軍を派遣していますが、ファシスト政権崩壊後はこの辺の歴史は抹消されています。 -
若干晴れてきました。
-
噴水。
-
城壁外にひっそりとあるこのモニュメント。
何だかわかる人いますか?
もちろんガイドブックには載っていません。 -
-
これ、実は1944年7月26日の英空軍によるサンマリノへの「誤爆」のモニュメントです。
第二次世界大戦時、サンマリノはファシスト政権でありながら中立を維持していましたが、英空軍は「サンマリノは中立に違反して、ナチやRSIを匿っている」という誤った情報に基づいて、4回の連続爆撃をサンマリノ市に行い、243発の爆弾を投下しました。
その結果、60人以上の市民が死亡し、多くの建造物が破壊されました。子の爆撃で、国内唯一の鉄道も破壊されています。
これは立派な中立国への爆撃ですが、「誤爆」として処理され、戦後にイギリスがサンマリノに謝罪と賠償をする事で和解しました。
そんなエピソードが詰まったモニュメントですが、現在は忘れられた存在になっています。 -
その爆撃で破壊されたサンマリノ史上唯一の鉄道「リミニ=サンマリノ鉄道」。
元々は1932年にイタリアのムッソリーニ政権の負担で作られた、サンマリノ市とリミニを繋ぐ鉄道。
1944年の爆撃により破壊された後廃線になり、鉄道の残骸も長い間放置されていましたが、最近観光用として修復されて展示されるようになりました。前回の時はうっかり道に迷って見損ねたので見れて嬉しいです。
サンマリノ政府は観光列車として鉄道の復活を考えているとかなんとか。 -
-
昼食。
旧駅近くのカフェでピアディーナを。
ピアディーナはサンマリノやエミリア=ロマーニャの一般的な軽食で、薄いパンにチーズやトマトを挟んで食べます。
ちなみにイタリアのケバブ屋はこれに挟むのが主流。 -
食後のジェラート。
-
イタリア国内じゃ売ってないようなビールも売っています。
ムッソリーニビール買いました(味は普通に飲みやすい)。
ネタ的なお土産には最適。 -
-
ティターノ劇場。
1750年に建設された劇場ですが、1936年にファシスト政権の公共事業で、ジーノ・ザーニのプロジェクトのもとで大規模な改修が開始。1941年に改修が完了しました。
門には現在もファスケスの意匠が残り、数少ないサンマリノ・ファシスト政権期の名残となっています。 -
聖アガタ広場のジローラモ・ゴジ像。
ファシスト政権期に作られたもの。
ジローラモ・ゴジは、サンマリノを占領したアルベローニ枢機卿の軍勢に抵抗した国家的英雄で、サンマリノファシスト党指導者であるジュリアーノ・ゴジの親類に当たる存在。 -
サンマリノ・ファシスト建築の代表例である病院。
-
その前の通りは、ファシスト政権期の建築の多くを担った建築家ジーノ・ザーニの名を冠した通り。
-
サン・マリーノ大聖堂。
-
聖堂内部。
-
グアイタ要塞へ。
グアイタ塔 史跡・遺跡
-
-
-
第一の塔、グアイタ要塞。サンマリノの国章を構成する三つの塔の内の一つで、12世紀頃に建造されたもの。
1463年のマラテスタ軍との戦いではサンマリノ防衛に重要な役割を果たした。1754年には衛兵本部が置かれた他、1975年までは刑務所として使われていました。
内部は展望台になっています。 -
要塞内には現在の兵器も。サンマリノ軍が現役で使用しているもの?オート・メラーラMod56 105mm榴弾砲ですかね。
-
-
-
チェスタ要塞へ。この辺はルパン三世でも舞台になりましたね。
サンマリノ歴史地区とティターノ山 史跡・遺跡
-
-
-
第二の塔、チェスタ要塞。サンマリノの国章を構成する三つの塔の内の一つで、13世紀頃に建造されました。
チェスタの塔 建造物
-
-
-
-
現在、内部は軍事博物館に改装されており、中世~近代頃に掛けてサンマリノが保有した数々の武器・防具が2000ほど展示されています。
-
モンターレ要塞へ。
この辺の道はサイクリングしてる人もたまにいます。 -
-
第三の塔、モンターレ要塞。サンマリノの国章を構成する三つの塔の内の一つで、13世紀頃に建造されました。
かつては岩壁の中に掘られた塹壕を上から見下ろす役目を担っていた他、グアイタ要塞同様刑務所として使われました。三つの塔の内、この塔だけは内部の一般公開がされていません。ロッカ モンターレ 建造物
-
要塞の観光を終えて市街地に戻ります。この辺りはショッピングも最適。サンマリノは税金がイタリアより安いのでショッピングも楽しめます。
-
蝋人形館へ。
古めかしい感じの蝋人形が見れます。 -
英国首相ウィンストン・チャーチル。
-
ウルビーノ公、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ。
-
ジュゼッペ・ガリバルディと妻アニータ。
-
ダンテ・アリギエーリとベアトリーチェ。
-
例のちょび髭と、ムッソリーニ。
-
「義賊」ステファノ・ペローニ。
-
大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ。
-
ヨハネ23世。
-
カール大帝とゆかいな仲間たち。
-
グリエルモ・マルコーニ。
-
ガリレオ・ガリレイ。
-
左からジュゼッペ・マッツィーニ、ニーノ・ビクシオ、ジュゼッペ・ガリバルディ、カミッロ・ベンソ・カヴール、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世。
-
ナポレオン・ボナパルトと、アントニオ・オノーフリ。
オノーフリはサンマリノの外交官であり、ナポレオン率いるフランス帝国に対して巧みな外交を展開、独立を維持しました。ナポレオンの衛星国家と友好条約を締結するフランス寄りの外交をする一方で、戦後を見越してナポレオンによる領土拡大提案を拒否、故にウィーン条約でも独立を認められました。 -
エイブラハム・リンカーンと妻メアリー。
そして、背後には暗殺犯であるジョン・ウィルクス・ブースが忍び寄る。 -
サンマリノのバリスタ兵。
-
ジュリオ・アルベローニ枢機卿。1739年に軍勢を率いてサンマリノに侵攻し、一時的に占領下に置いた人物。
-
カリオストロ伯爵こと、アレッサンドロ・ディ・カリオストロ。
-
-
共和国の建国者である聖マリーノと、聖レオ。
-
レオナルド・ダ・ヴィンチ。
-
ジュゼッペ・ヴェルディ。
-
クリストフォロ・コロンボ(クリストファー・コロンブス)。
-
-
2人のサンマリノ執政。
-
執政警護隊。
-
サンマリノ警察の制服。
-
-
-
-
サンマリノ軍の制服色々。
-
スーパーで買い物をしたらサンマリノの€硬貨をくれました!
-
夕食はホテル併設のリストランテ、"Ristorante Terrazza Titano"で。
アンティパストはカジキのカルパッチョ!
サッパリと美味しい!ティターノ テラス レストラン イタリアン
-
プリモはプロシュット・ディ・パルマとトリュフの自家製タリアテッレ。
-
セコンドはシーバスのグリル。
何故山の上でまで海鮮料理を食べたのか、今となっては謎。 -
食後、夜のリベルタ広場をぶらり。
リベルタ広場 広場・公園
-
翌朝。ホテルの朝食。
Hotel Titano ホテル
-
ロープウェイでボルゴ・マッジョーレやサンマリノ神社に行きます。この時の旅行記は別の方に書きましたのでどうぞ。
フニビア その他の交通機関
-
昼のリベルタ広場。この日は天気が非常に良いです。
いざプブリコ宮へ。リベルタ広場 広場・公園
-
サンマリノ共和国の政治の中心「プブリコ宮」のエントランス。
プッブリコ宮 城・宮殿
-
-
ジョズエ・カルドゥッチ像。
-
プブリコ宮内部のサンマリノ議会場。
-
エイブラハム・リンカーン像。
南北戦争時にサンマリノは真っ先にリンカーン政権を承認、支持した事で知られています。 -
夕暮れのリベルタ広場。
リベルタ広場 広場・公園
-
夕食を食べに来ました。
リベルタ広場の"Osteria Righino"へ。
夕陽を見ながらサンマリノ特産のワインを。リギ ラ タヴェルナ その他の料理
-
アンティパストはモッツァレラとプロシュットのピアーダ。
-
プリモ、自家製タリアテッレのラグーソース。
-
セコンド、ラム肉の甘辛揚げ。
-
う~ん、Buono!
雰囲気と景色も良く最高です!
ですが、春とはいえ、山の上なので風が強く寒かったですね。 -
翌朝。良い天気です。
サンマリノを出発して、リミニ経由で帰ります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Giorgio Bianchiさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
-
Hotel Titano
3.29
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
サンマリノ(サンマリノ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
サンマリノ(サンマリノ) の人気ホテル
サンマリノで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
サンマリノ最安
308円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
108