2018/01/07 - 2018/01/07
110位(同エリア243件中)
アリヤンさん
今回は新田宿の小路を歩き、途切れた初瀬路の奥を探索した。
ゴルフ場に阻まれ、引き返して南側を通る初瀬路を歩くことにした。
初瀬路古道の一部はゴルフ場開発でその文化遺産は失われていたのです。
ま、迂回したことでこのあたりの歴史遺産にであったりして、かなり興味深い体験をしました。
「伊賀天正の乱」の出城や「旧伊賀鉄道跡」の発見まで、、、
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
初瀬路古道、新田宿の小路。
もう古道とは言えない整備された道となっています。 -
イチオシ
所どころに今も残る旧家の連子格子。
-
真性寺。
本尊は馬頭観音。藤堂高虎の指示で開発された新田の祈願所として承応年間(1652-1655)に創建。
*承応年間は近松門左衛門が生まれたころ。
*天台宗系の天台盛宗のお寺で、馬頭観音は中国から伝わった密教の観音様で顔が馬になっている。ひいてはインドのヒンズー教のビシュヌ神の化身が始まりだろう。
日本の仏教は様々な派があり、中国の仏教も同様、インドのヒンズーの神様に至っては数えきれないほどだ。今となってはいちいち説明しきれない。 -
で、境内には相当古い無縁仏の墓石軍が祀られている。
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新田宿の小路はまるで「うなぎの寝床」のような細長いのですが、その昔大火があり、その後るい焼を最小限に食い止められるようにと、「うなぎの寝床」状態に村がなった、とのこと。
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古い家の表に、木の臼、郵便受け用にかけられた竹かご。
なかなかシャレています。 -
ここにも「初瀬街道 新田宿 ○○」ののれん。
ここが江戸時代には旅籠であったようです。
かように江戸時代までは初瀬路は結構にぎやかなところだったようです。 -
イチオシ
愛宕神社。
通りの最後の方に鬱蒼とした杉の大木があり、その足元に旅の安全を祈っての愛宕神社。
ここの杉の大木は「初瀬路名残りの杉大木」であるらしい。 -
そのそばにお地蔵様。
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今では壊れたお地蔵様も。
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土手の上にひっそりと「道しるべ」
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イチオシ
天保3年(1832年)のものです。
* 江戸で、盗賊の鼠小僧が処刑(獄門)された年です。
「ひだりいせ道」と刻まれているようだ。
つまり、初瀬路古道は左へ続いている、ということだ。 -
道しるべは新田用水路のある土手の上にある。
宿場町は土手の下だ。 -
「初瀬街道」の標識と常夜灯。
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慶応2年(1866年)の建立だ。
*時は幕末;薩長同盟がなされた年。 -
道しるべ通りに左の坂を下ると、さらに大きな常夜灯がある。
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さきほどの道しるべと同様に天保3年(1832年)の建立だ。
鼠小僧もこの初瀬路古道を歩いたカモ? -
さて、初瀬路はさっきの大きな常夜灯から右に続くことになっている。
小さな小川になんとも風流な石橋が渡っている。
まわりはたんぼや畑ばかりで、江戸時代にはこのあたりが旅籠や茶店でにぎわい、「荷馬が列をなしていた」とは全く想像しがたい。 -
イチオシ
と、その先、小さなトンネルが見える。
この辺りは大正、昭和中期にかけて古い伊賀鉄道が通っていたところだ。
それで、この小さなトンネルの上を小さなミニトレインが走っていた、と思われる。
近所のお年寄りの話でその知識を得ていたので、何度かこのあたりを探索はしたことがあったので、はじめてこのミニトンネルを見てピンときた。 -
さっそくミニトンネルをくぐって、その上を観察。
昭和20年代まで走っていたといわれるミニトレインの線路とか枕木などの遺物はさっぱり見つからない。
でもソコにミニトレインが走っていた線路軌道の跡地か!?っとも思われる小道を発見。
ここは現代の車などの騒音や人の気配も全くない不思議なくうかんだった。
関係者以外のものが立ち入られないようにミニトンネルの出口には一応イノシシ除けの金網戸があった。
その金網はだれでも開閉できるようになっており、開門の際には必ずちゃんと閉めるように、との注意書きがあった。
この不思議な小道の片側(民家が散在する常夜灯の側)にはず~っとイノシシ除け金網がほどこされている。 -
進めばすすむほど「ココは旧伊賀鉄道の線路跡ダ!」との確信を得た。
ちょうどミニトレインが通るくらいの巾がず~っとつづいているのです。
人間がほとんど踏み込まないせいか、一面落ち葉におおわれた無音の空間です。
こんな空間は大日越えの熊野古道でもなかった。
なんとも不思議な空間だ。
所どころにイノシシを捕まえる大きなトラップがみられた。
ドンドン奥に進んだが最後は金網門で遮断された。
両側の山肌にも金網は巡らされていて、出口はどこにもなくなってしまった。 -
不思議な空間小道を引き返し、ミニトンネルまで帰って来た。
ミニトレインへの興味から立ち直って、初瀬路古道の探索を再開。
地図では古道のあったハズの東に進めばゴルフ場に入って行くことになっている。
幸い田んぼ道のような小道が東方面に続いていたので分け入った。
道なき道を5分もすすんで、ゴルフ場の柵に阻まれ、ワレワレの初瀬路古道探索は中断、引き返した。 -
さて、最初の常夜灯まで帰ってきました。
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南方面に続くさくら並木のわきを進む。
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はるか右手に「こんもり」発見。
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「滝川氏 城跡 コッチ」の標識。
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標識に従い進むと「こんもり」とした高台があった。
「滝川氏城」の解説板。
天正9年(1581年)の信長の伊賀攻め。
「天正伊賀の乱」の現場のひとつだ。 -
なぜ」南方面にすすんだか?
実は名張の開立峠入り口付近から分かれたもう一つの初瀬路古道があることを事前のお勉強でしっていたからだ。
国道165号線に行き当たる手前からそのもうひとつの初瀬路古道に踏み入った。
国道165号線を横切って下小波多(しもおばた)地区に入れば能芸能の発祥地「観阿弥」創座といわれる地があり、観阿弥創座の地公園となっています。
観阿弥の出自については諸説あり、本当かどうかはワタクシには分かりません。
いずれにせよ能芸能のもとだった猿楽、田楽は14世紀ころの話ですから足利尊氏や義満の時代です。金閣寺建立時代の話です。 -
さて、もうひとつの初瀬路古道に戻ります。
のどかな田舎道です。 -
ため池。
どこかから飛来してきたカモが10羽くらい泳いでいました。
(さざ波が立っているところ)
ワレワレは東に進んでいます。 -
ゴルフ場(伊賀GC)に向かっていますが、途中で伊賀市に入ります。
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ゴルフ場よこのため池。
ここはゴルフ場の除草剤が流れ込むせいか?住む魚が少ないのか?
飛来するカモの数が極端に少なかった。 -
そばはゴルフ場です。
ワレワレはゴルフ場に沿って南下。 -
ゴルフ場横の生き残った初瀬路古道。
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もともとはゴルフ場も山だったのだろう。
ヨコの道も林に囲まれてきた。 -
ゴルフ場横のため少し荒れた(疲れた?)林。
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眼下に国道165号線。
伊勢方面を見る。
今日は「初瀬路古道」をたどる探索行はここで終わりです。
ここから歩いて桔梗が丘近くの開立峠下あたりまで戻らねばなりません。
初瀬路古道はこの先165号線を横切って伊賀市青山町に入って行きます。 -
初瀬古道5の足跡です。
青い点線がワレワレが歩いたあとです。
国道165号線と交わるところで今回はおしまいです。
その先の青い点線は次回・初瀬路古道6で歩いたあとです。
次回は初瀬路古道探索からでたミニトレインのお話です。
今回のマップの拡大版;
http://www.geocities.jp/ariyan9912/SindenHaneMap.jpg
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