2017/11/26 - 2017/11/26
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しゅいぐーさん
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月曜日から宮城出張予定でしたが、まえのりして仙台に一泊します。昼から仙台に来ましたので、仙台の街を見にいきます。まずは、仙台総鎮守の国宝大崎八幡宮でお参りをして、ちょっとマニアックに三居沢電気百年館と三居澤大聖不動堂と三居澤交通公園へ最後に瑞鳳殿に行ってきました。瑞鳳殿は、坂や階段で疲れてしまい早々にホテルに引き揚げてきました。紅葉もたくさん楽しめました。
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国宝 大崎八幡宮へ行きました。ちょうど紅葉が見ごろで綺麗でした。
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あいにく、工事中でした。
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大崎八幡宮の御社殿は、仙台藩祖・伊達政宗公の命により慶長九年より十二年にかけ、豊臣家召抱えの梅村日向守家次・梅村三十郎頼次・刑部左衛門国次・鍛冶雅楽助吉家といった当世随一の巨匠を招き造営されました。
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その様式は入母屋造りの本殿と拝殿とを相の間で繋いだ石の間造りであり、後に権現造りと言われる建築様式は、外観は長押上に鮮やかな胡粉極彩色の組物(斗きょう)や彫刻物を施し、下は総黒漆塗りと落ち着いた風格を現し、拝殿正面には大きな千鳥破風、向拝には軒唐破風を付け、屋根は柿葺と意匠が凝らされております。
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拝殿内部には狩野派の絵師佐久間左京の筆に成る唐獅子の障壁画や大虹梁の青龍、石の間の格天井には五十三種の草花が描かれており、俗に左甚五郎の作と伝わる花鳥動植物や説話風の人物など多彩な彫刻が組み込まれ、全体的に美しい調和をなし、安土桃山時代の文化を今に伝える我国最古の建造物であり、その貴重さから明治三十六年特別保護建造物に、また昭和二十七年には国宝に指定されました。
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平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。その後、室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。
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大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。
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大崎八幡宮 ご朱印
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東北で初めて電気の明かりが灯った場所です。
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三居沢電気百年館では、こうした電気の歴史や発電所を支えてきた広瀬川の豊かな自然を紹介しています。
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電気の歴史など展示しています。
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二階からベランダに出ると、昔の発電所も見られます。
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今でも、水力発電所として毎日発電を続けているそうです。
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三居澤電気百年館の横に三居澤大聖不動堂が有り、その裏には、滝が有ります。
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境内の奥に大滝があります。江戸時代以前から信仰があり、修験者が滝にうたれながら修行していました。現存する石碑建立の由来として次のような言われがあります。
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「昔ある時、その大滝に不動明王を拝したという、干ばつ・洪水・疫病などの悩みを祈願すると、その願いがかなえられ霊験あらたかであったので、近郷近在の人々は不動明王を崇拝し、石碑を建立した。」
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三居澤大聖不動堂の迎えに怪しい公園を発見。
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交通安全の為に作られた公園のようです。
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子連れがたくさん遊んで、交通ルールを勉強させていました。
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瑞鳳寺
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かなり急な上り坂です。
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階段も高さがばらばらなので、非常に登りにくいです。
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入口の紅葉が非常に綺麗でした。
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涅槃門
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「涅槃」とは「煩悩を取り払った悟りの境地となる状態」
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瑞鳳殿の涅槃門は、樹齢数百年の青森檜葉を用いて焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。
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唐門
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瑞鳳殿は、さすがに綺麗でした。
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伊達政宗公が眠っています。
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瑞鳳殿は1636(寛永13)年、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、
その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。
瑞鳳殿は、本殿、拝殿、御供所、涅槃門 -
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現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、1979(昭和54)年に再建されたものです。
平成13年(2001)に、仙台開府四百年を記念して大改修工事が実施され、
柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿が甦りました。 -
瑞鳳殿の隣に資料館が有ります。
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次は、感仙殿と善応殿へ行きます。
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感仙殿は二代藩主伊達忠宗公(1599~1658)の霊屋であり、瑞鳳殿と同等の華麗なものでしたが、明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も昭和20年の戦災で焼失しました。
現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年に完成したものです。 -
感仙殿北側には九代藩主周宗公、十一代藩主斉義公夫妻の墓所である妙雲界廟があります。
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善応殿は三代藩主伊達綱宗公の霊屋で、感仙殿と同様に造営されましたが、昭和20年の戦災で焼失し、昭和60年感仙殿とともに再建されました。
善応殿には焼失以前の資料が乏しかったため、種々の検討の結果、綱宗公が好んで描かれた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用しました。
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