2017/12/01 - 2017/12/01
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ハイペリオンさん
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1970~80年代に青春時代を過ごした人たちにとって「清里」
というと、特別な響きがあるのではないだろうか。
あの頃、清里は多くの若者を集めた土地だった。「anan」が
取り上げたからか「non-no」が推したか分からないが、20代
の女性たちがたくさんこの高原の小さな場所にやって来た。
女が集まればそれを目当てに男も来るというわけで、清里は
一気に男女が集う一大アミューズメントスポットと化した。
若者が集まりだしたのは1978年ごろというから、バブル時代
が来る少し前の頃である。
空気のきれいな高原に白いワンピースにバスケットを下げた、
堀北真希みたいな少女がチューリップなんかを歌いながらやっ
て来たのだ。
おそらく、ペンションが建ち始めた時代で、こういうとこ
ろに宿泊できるような経済的に余裕がある若い層が誕生し
てきたということなのだろう。
1978年というと、海の向こうのイギリスではロンドンパン
クの全盛期。80年代以降の日本のインディーズ系ロックバ
ンドに最も影響を与えたと言っていいクラッシュが「ロン
ドンコーリング」を発売した年である。
「ロンドンから遠い街へ 宣戦は布告された 戦いがやっくる
ロンドンから地下世界へ おまえらガキども 中から出て来いよ」
( 「London Calling」/The Clash)
こんな曲が歌われているときに日本では、
「我ーがままはァ 男の罪ィ そーれを許さないのは 女の罪ィ♪」
(「虹とスニーカーの頃」/チューリップ)である。
恥ずかしいぜ、ニューミュージック。ついでに、40にもなっ
て「恋、弾けました 止まらないんです 寝ても覚めても君が
溢れ出した」と歌っているゆずとかいう人たちもかなり恥ずか
しいぞ。
清里に若者が集まっていると知ると、バブル期にはタレントた
ちが自分の店を出した。それにつられるようにメディアもやっ
て来た。
若い男女が集まり、メディアが取り上げ、タレントの店が開店
し・・・絵に描いたような観光地成功譚の中で、ラブホテルと
紙一重のメルヘンチックな建物が雨後の毒キノコのように続々
と立ち始めた。
女の子たちはクレープ屋に行列を作り、ファンシーグッズだと
か何とかを買いあさった。そして、毒キノコペンションに泊ま
って本当にうまいのかどうかわからないようなフランス料理に
舌鼓を打った。
しかし、栄華は長く続かない。バブル経済の完全崩壊とともに
清里からもカネが流れて行った。「anan」も「non-no」も取
り上げなくなり、ビートたけしも山田邦子も手を引いた。
次の世代の女の子たちはギャルと呼ばれ、都会に巣くい、高原
の上のペンションなどには見向きもしなかった。
そして、凋落のスピードに解体が追い付かず、カネと人が手を
引いた天空の街には、たくさんの廃屋が残された。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 1.0
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
-
清里への始まりは、武蔵野線新小平駅。
男たちが背中を丸めて電車を待っていた。
しっかり働けよ、労働者ども。
情けない話ながら、今の今まで、清里は長野県にあると
思っていた。が、実際は山梨県だった。
高原の街、白亜のペンション、高原を散歩する白いワン
ピースの少女・・・どう考えても信州のイメージだよなあ。
新小平駅から府中本町まで行き、そこから京王線に乗り
換え、高尾まで。西国分寺から中央本線に乗り換えた方
が早いのだろうが、なぜか京王線で高尾山口まで行った
方が少し安くなる。
高尾で再びJRに乗り換えるという時間的には無駄なこ
とをして、中央本線大月行きに乗り、大月で甲府行きに
乗り換え。
甲府までの丘陵地帯に広がる田園風景は美しかった。
甲府に着いて腹が減ったが、駅そばもどこも開いていない。
コンビニの肉まんも「準備中」だった。
甲府から松本行きの電車で小淵沢へ。 -
小淵沢に着いたのが、9時。
駅舎は新しく建てられたもののようで、建築デザイナーが
設計したようなしゃれた建物だった。
清里へ行くにはここから小海線に乗り換えるのだが、10時
まで次の電車がない。
駅の中には何もないから、外に出ることにした。
駅舎には待合室や土産物屋があり、ド田舎の駅の割には、
施設は揃っていた。 -
駅そばがあったので、420円也の山賊焼き入りのそばを
食った。
山賊焼きとは信州の郷土料理で、鶏もも肉をニンニクと
玉ねぎをすり下ろしたしょう油ダレに漬け込み、片栗粉
をまぶして揚げたものである。「焼き」となっているの
に揚げているのだ。
最近、近所のスーパーの惣菜コーナーでもよく見るよう
になった。
遠出すると駅そばばっかり食っているが、地方によって
そばが少し違うのがわかる。
ここのは、少し太めで濃い色をしていて、コシはなかった。
山賊焼きが大きく、これで腹がいっぱいになった。 -
時間があるので、駅の外に出た。
商店街のようなものは全くなく、通りには全く人がいな
かった。
東京から外れると、小さな町は本当に人を見かけず、静
かである。
土蔵のある立派な造りの家屋がいくつもあった。 -
当然だが、とても寒い。とにかく風が冷たい。
東京より確実に2~3度低いようだ。
人を見かけないのが余計に冷たく感じさせる。 -
どこにでもあるキリスト教のお言葉がここにも。
誰に永遠の命を与えるのだろう。目的語を書いてくれ
ないと。
ネットで調べたところ、この看板を設置しているのは
宮城にあるキリスト教団体、聖書配布協力会というと
ころだとわかった。全国に設置した看板の数はなんと
50万枚。
当然持ち主の許可を得て設置しているが、料金は払っ
ていないそうだ。治安の悪いようなところだと、もっ
と恐ろしい文言にして欲しいなどと言われるとか。
ぼくの住んでいるところなら「死後さばきにあう」と
か「審判の日はきた」みたいな看板が設置されそうだ。
西麻布あたりだと「汝、姦淫をするなかれ」だろうか。
新聞記者や芸能リポーターの家の前には「罪なき者の
み石を持て」がいい。 -
車窓からもやたら柿の木を見かけたが、北関東の正しい
風景という感じで、ここにもあった。 -
そして、干し柿も山梨の風物詩のようで、車窓
からもやたらと見えた。 -
小海線の小諸行きの発車が近づいたので、ホーム
へ降りると、電車はもう着いていた。
車両は、ずっと昔に使われていたようなベージュ
色に赤線が入ったディーゼル車両かと期待してい
たが、実際にはパンタグラフをつければそのまま
山手線で走っていても違和感のない新しいものだ
った。 -
列車は2両編成で、ワンマンタイプ。先頭車両に
料金箱が設置されている。
小諸まで標高1000メートルを超えるところを走る
ので、眺めはいい。
八ヶ岳を見ながら、時おり反対側に富士山も見え、
高山列車の雰囲気たっぷりであった。
特に甲斐大泉から清里まで川のように大きく蛇行し
て走るコースは10両編成くらいあるとなかなかかっ
こいい写真が撮れそうだった。
清里までは別荘地帯が続き、人気のない家屋がぽつ
んぽつんとあって、最初見た時は全部廃墟なのかと
思ってしまった。
中には明らかに廃墟となってしまった建物もあり、
おそらく、持ち主の事業が左前になり、放棄してし
まったことをうかがわせた。 -
20分程度で清里に到着。
列車から降りたとたん、体がブルッと来るような冷たさ
を感じた。小淵沢よりもまだ寒い。 -
ホームのところどころには雪が残っていた。
-
駅前には蒸気機関車が据えられていた。
清里で乗客の大半が降りたが、彼らは三々五々散って
行き、そうすると駅周辺には誰もいなくなった。
駅周辺の写真を撮っているぼくだけがぽつんと取り残
されたようになってしまった。
全盛期の1970年代後半はこの辺は若者だらけだったの
だろうが、30年後は誰もいない駅になってしまってい
るのだ。 -
清里を開拓したのはこの人、アメリカ人宣教師、ポ
ール・ラッシュ。
1897年、アメリカのインディアナ州に生まれた彼は、
1925年に関東大震災で倒壊したYMCAを再建する
ために来日した。
1927年には大御所芸能人&政財界要人御用達の聖路
加病院を建設、アメリカンフットボールを日本に伝
えた人でもある。
来日前、アメリカには婚約者がいたようなのだが、
彼女を残してやって来た。そして、取り残された
婚約者はなんとポール・ラッシュの弟と結婚して
しまう。辺境の国でそれを知ったラッシュ氏の心
痛はいかばかりか。
いやいや案外アメリカにいたころから彼女と弟はす
でにズブズブの関係で、それに気づいたポール・ラ
ッシュは「けっ、あんな淫売こっちの方からお断り
だ」と日本行きの飛行機に乗ったのかもしれない。
YMCAを再興した後、キリスト教教育の訓練施設
の必要性を感じた彼は、ここ清里に清泉寮を建て、
この地の開拓に乗り出した。彼がなぜこのやせた高
地に目をつけたのかはわからない。
「清泉寮」というのはどういう由来で付けたのだろ
うか。今夏、台湾に行ったとき、新竹の山奥に行っ
たが、そこにある教会も「清泉天主堂」という名前
だった。そういえば、ぼくが住んでいるところの近
くの清瀬市にはキリスト教系の病院がいくつもある。
キリスト教徒は「清」の文字にこだわりでもあるだ
ろうか。
ポール・ラッシュは、日米開戦で一度強制帰国させ
られた。このとき、ひょっとして淫売の元カノと実
の弟夫妻と会ったのだろうか。少し気になる。
そして、戦後GHQの一員として再来日し、戦後の
食糧不足を目の当たりにし、清泉寮を中心に寒冷地
実験農場を造った。
開拓事業はアメリカ人の得意とするところである。
やがて清里は八ヶ岳周辺では農業地開拓のモデル
ケースとなった。
彼が死去したのは1979年。清里が若者であふれ
かえっていたころ、聖路加病院で息を引き取った。
彼は当時のこの地の狂躁状態を知っていたのだろ
うか。自分が開拓した地に若い男女が群れ集い、
メディアや芸能人までもが押し寄せる状況は、彼
の目にはどう映っていただろうか。 -
駅を出て表通りに出たところに時計台がある。こ
の時計台には仕掛けがしてあって、昼前後の毎時
正時になると、格子窓の中からからくり人形風の
ポール・ラッシュが出て来るのである。
出て来たからくりポールは彼が残したとされる格
言を言うらしい。
それは「Do your best and it must be first class」
というものである。日本語では「ベストを尽くし
なさい、そしてそれは一流でなければなりません」
と訳されている。なんだかわかったようなわから
ないような日本語訳である。
ぼくの受験時代の知識を引っ張り出すと、命令形
で始まって「and」でつなげた場合「~しなさい、
そうすれば~でしょう」と訳すと教えられた気がす
る。つまり「求めよ、さらば与えられん(求めなさ
い、そうすれば与えられるでしょう)」である。
それから「must be」は、「~でなければならな
い」ではなく、「~に違いない」と訳すのではない
だろうか。つまり、受験英語で訳すと「ベストを尽
くしなさい、そうすればそれは一流のものに違いあ
りません」ということになるのではないか。
要は「がんばったんだからいいじゃない」
ということだ。なんかこっちの方がしっくり来る
と思うけどな。ま、ポール・ラッシュさんもそん
なに厳しい人ではなかったようである。
なお、この言葉の冒頭には「キリストの名におい
て」という言葉が付くらしい。英語にすると
「In the name of Christ, do your best and it
must be first class」となる。こっちの方が、格
言らしくていいような気がする。
しかし、11時になったが、からくりポールは出て
こなかった。
ポール・ラッシュの略歴が書かれたパネルの下に
はからくりポールが出て来る時間が書かれてある
が、その部分にはテープが張られ、隠されていた。
確かに、この誰もいない通りの時計台から、変な
おっさんが出てきて英語で何かわめきたてても空
しいだけではある。中止にして正解であろう。 -
表通りはみやげ物屋が連なっているが開店してい
るのは一軒だけで、あとはこのようにすべて閉店
していた。土日は営業しているのか、あるいは夏
場だけのものなのか。 -
店の前には乳牛のオブジェが。
なんとも言えないゆるキャラ感というか素人感が
出ている。
モーやだあ! -
清里を象徴するような毒キノコを前面に出した店、
「SUZURAN」と看板が出ている。清里で生まれ
清里で滅んだファンシーグッズを扱うお店。要は
雑貨屋か。
左のキャラクターは見覚えがある。ディズニーか
なんかだった。 -
ここにもパステル調のお城みたいな店が。やっぱり
ここも閉店している。
パステル色は昭和の時代、やたら使われた色だった。
わたせせいぞうの漫画の主人公のカップルが出てき
そうだ。
そして・・・ -
でたああああーっ!
伝説の喫茶店、ミルクポット。
清里全盛期にはここで写真を撮るために行列ができて
いたくらいだった。
しかし、喫茶店はすでに閉店、ポットはそのまま残さ
れ、風雨にさらされて、しみが目立つ無残な姿になった。 -
メルヘンチックなミルクポットの隣は、外観は
共通のイメージだが、北関東の生活感丸出しの
うどんとほうとうを食わせる店。 -
現在は山梨県の病院が所有しているらしい。
-
こちらもうどんとほうとうの店。
-
ぬいぐるみ屋「星の王子さま」。
右側に「おみやげはぬいぐるみが一番ヨ!」と
書かれている。
語尾のカタカナの「ヨ」がどうしようもなく昭
和の匂いがする。「8時だヨ! 全員集合」と
同じセンスだ。
たぶん店長かオーナーは普通のおっさんだった
んだろう。そんな人が必死に若者にすり寄ろう
としている悲哀を感じる。
こんなんじゃ、なうなフィ~リングのヤングか
らバカにされるヨ! -
清里が全盛期だったころ、ぼくはオフロードバイク
を駆って、このあたりの林道を走り回っていた。
一度だけ何を間違ったか清里に出て来たのを覚えて
いる。その時から、信州の山間部にある町は、いか
にも集落という感じで、高齢者が中心の田舎そのも
のだった。しかし、ここ清里だけはやけに人が多く、
なぜこんなに人がたくさんいるんだろうと驚いたも
のだ。 -
そのころは宿泊と言えばユースホステル専門で、旅
館やビジネスホテルにも泊まったことがなかった。
清里に大量にあるペンションというものがどういう
形態の宿かさっぱりわからなかった。
しかし、そこには若い女の子が大挙して泊まりに来
ていると聞き、スケベ心が芽生えたぼくは、一丁そ
こに泊まってペンション女子をナンパしてみようか
などと考えたりした。
「えっ、バイクで来られてるんですか、かっこい
いわあ」
「いやいやそんなことありませんよ」
「バイクで高原を走ったら気持ちいいでしょうね」
「まあそうですね」
「私も乗ってみた~い」
「じゃあどうです、後ろに乗りませんか?」
と言葉巧みにバイクに乗せ、山の中の誰も来ない
ところまで行けば、あんなこともこんなこともで
きちゃうんじゃないかと妄想したりした。
しかし、ペンションというところに泊まるには1万
円近くかかることを知り、さっさとあきらめた。
洋風民宿に泊まるのになぜ1万円近くかかるのかさ
っぱりわからないが、ユースホステルを3千円程度
で利用していたぼくにはあり得ない金額だった。
だいたい、今でも1泊5千円以上の宿には泊まる気
がしない、物価の高い欧米なら仕方ないが、アジア
では絶対に泊まらないだろう。 -
ペンション女子ナンパ作戦をバイク仲間に話したら、
「なのな、ペンションっていうとこは一人旅の男が
泊るところじゃないんだよ」たしなめられた。
ああいうところは、女のグループやカップルが行く
ところで、独り者が行っても空き部屋があれば泊め
てくれるかもしれないが、あまりいい顔はされない
らしいのだ。つまり、一人旅の男など、招かざる客
というわけだ。
バイク仲間がいうには、普通の旅館でも、予約なし
でいきなり一人で行くとやんわり断られることが多
いという。野宿とユースホステルしか知らない当時
のぼくには、なぜ泊めてくれないのかさっぱり理解
できなかった。たしかにJTBのツアーパンフレッ
トを見ても1名だけの料金は2名1室利用より割高
になっている。
まあそんなわけで、下心丸出しのペンション宿泊作
戦はあえなく消滅し、ぼくはその後もユースホステ
ルを利用して林道を走っていた。 -
ペンションというのは、上にも書いたけれど、単に
民宿であり、建物がニューイングランドやスイスの
ロッジ風に作られているだけのことである。
まあ、空気の澄んだ高原によく映える建物であるこ
とは確かだ。和風の畳部屋だと、白いワンピースの
堀北真希は寛げないだろう。 -
ペンションのイメージというと、昭和40年代のヒ
ット曲、小坂明子の「あなた」じゃないが、「部
屋には古い暖炉があるのよ 真っ赤なバラと白い
パンジー 子犬の横には・・・」の世界である。
ペンションのオーナーになるような人はニューイン
グランド風の家に住み、夜ごとホームパーティのご
とく人が集まり、スポーツ評論家のタマキみたいな
おっさんが頭にバンダナを巻いて、暖炉のそばで弾
き語りでスコット・マッケンジーの「花のサンフラ
ンシスコ」なんかを歌っちゃう姿にあこがれていた
のかもしれない。川口や東村山でそんなことをして
いても痛いだけだが、高原の清里ならそんな幻想も
成立した時代だったのだろう。 -
しかし、幻想は長くは続かない。
清里の興隆を見て、軽井沢あたりにも似たような
ペンションが造られるようになり、やがて各地に
波及し、清里の独自性は失われてった。 -
80年代後半にあたりから清里の繁栄に陰りが見え
るようになる。
日本経済が虚栄の繁栄を謳歌するようになり、清
里を訪れるような人たちはもっと豊かになり、海
外へ飛び立っていった。ぼくがバイクを放り出し
て海外へ行くようになったのもこのころだった。
そして、決定的なバブル経済の崩壊。清里へ来る
人たちが首都圏から地方に取って代わりつつあっ
ただけに、都会以上に経済が落ち込んだ地方から
は人が来なくなった。こうして、清里は坂道をこ
ろがるように衰退し、廃墟銀座となっていった。 -
今もこうして、開店休業中ながら開いている店も
あるのだが・・・、 -
韓国人が経営していたらしいカラオケ屋は閉店し、
-
解体途中で放り出された建物もあった。
急速な資金不足に陥ったのか、足場組もそのまま
に解体業者が引き揚げたようだ。 -
階段は朽ち果てているのに、マットレスは今も使
えそうなのが不気味だ。 -
この界隈で唯一といっていいホテルもあった。
-
しかし、人が出入りしている気配はなく、玄関はかなり
荒れ果てていた。
上階に電気がついた一室があったので、管理人のような
人が常駐しているようだ。
復活させるつもりなのだろうか、それとも解体するつも
りなのだろうか。 -
ふと視線を移すといかにもな高原の風景が広がる
のだが・・・、 -
すぐ隣にはこんな廃墟がごろんとあったりする。
-
「エメラルド」という文字が見える。
パチンコ屋かと思ったが、ビリヤード屋らしい。
ビリヤード屋は当時プールバーと呼ばれていた。
今はもうプールバーなんてのはないね。ダーツバ
ーってのはあるけれど。 -
ここはいくつかの飲食店が入った施設だったようだ。
ガラス張りだったのか、ガラスは外され、枠組みだ
けが残っている。
2階のところに看板が見える。 -
近づいて見ると「北野印度会社」とある。
ここがビート北野が経営していたカレー屋だったのか。
それにしてもなぜわざわざ見えるように置いてあるの
だろう。 -
一瞬、営業中かと思ったが、近づくと「売物件」の文字が。
-
そして、清里廃墟銀座のハイライト、ワンハッピープラザ。
サビが浮いた階段は朽ち、 -
土産物屋やクレープ店が入ったモール街だった
ようだが、店の看板もそのままに放棄されている。 -
プレハブのような簡素な建物だったようだが、下の
角材は何なのだろう。
上にはシートで覆うためのフレームが残っていたか
ら、下も床のようになっていたのかもしれない。 -
階段部分は夏場は草に覆われているのだろうか。
-
時計だけはなぜか正確に時を刻んでいる。
それがよけいに侘しい。 -
せっかくだからポール・ラッシュの清泉寮に行っ
てみようか。
ここが清泉寮へのゲート。 -
一応ここからが清泉寮らしいのだが、それらしい
建物はない。
冬枯れの時期なので、全体的に茶色に支配されて
いるが、新緑の季節は緑の大地できれいなところ
なのだろう。
こういうところを白いワンピースを着た堀北真希
みたいな少女と薄いピンクのシャツに白のデニム
をはいた川越達也みたいな男がキャーキャーいい
ながら走り回っていたのだろうか。けっ。 -
おそらくこの先に清泉寮があるのだろうが、結構遠そうだ。
-
遠くから園児のはしゃぐ声が聞こえる。
この近くに保育園があるが、こんな人気のない地に保育
園があるのがとても不思議だ。 -
駅周辺の廃墟群を見るとほとんどゴーストタウンだが、
リゾートマンション風の建物があったり、営業中のラ
ーメン屋もあった。(ものすごく高そうで食う気にな
らないが)
しかし、観光地としての清里はこれからも苦しいよう
な気がする。都心からは日帰りで来れるから、宿泊施
設がそんなに必要か、疑問に感じる。
だったら、日帰り温泉施設があるような温泉地に行っ
てしまうのではないだろうか。
おまけにペンションは個人経営だから、いったん客足
が遠のくと、インフラやら設備を更新していくのはか
なり難しいだろう。やっぱり今どき共同便所で用を足
すようなことはしたくないし、風呂だって貸し切りと
はいかなくても、余裕のある大きなものがいい。
軽井沢や伊豆あたりに行けば、レストランと宿が一体
になったオーベルジュというのがあるが、企業資本が
からできることで、個人経営ではそんな展開はできや
しない。 -
たとえば、清里に泊まりで来たとして、夜は何をやるん
だろうという疑問も出て来る。
ひと昔の苗場なら、プリンスホテルに車で乗り付けて、
ディスコ(!)でナンパしてやることやっていたのだろ
うが、清里では夜はどうしているのだろう。外に出ても
飲み屋や風俗はないし、オーナーのスコット・マッケン
ジーを聞かされるのもたまらない。二人で部屋に戻って
セッ〇スするには周りが気になって落ち着いてできない。
こういう何もないところが好きな人もいるのだろうが、
この何もなさ加減はちょっとぼくには辛い。
清里が衰退していった過程や理由はわかるけれども、再興
策となると専門家でもないぼくに思いつくはずもない。
ただ、このどんづまりまで来てしまった清里のそのどん詰
まりのその先を見たいという気はある。
数年後、そして10年後、ここがどうなっているのか、もう
一度確認しに来たいものである。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- yasakiさん 2018/01/11 12:31:57
- 駅前は無残な感じですよね
- ハイペリオンさん こんにちは。
本年もよろしくお願い申し上げます。
夏は高原で涼しく、清泉寮のソフトクリームが美味しいので
清里は好きです。前はよく日帰りドライブで行ってました。
(清泉寮とまきば公園ぐらいですが)
最近はご無沙汰ですが、最後に行った時に通った時よりも
駅前の寂れ具合が進んでるかも。崩れそうで怖いですね。
そのまま放置されているのが無残ですよねぇ。
清泉寮は今もそれなりにお客がいますし、小海線も夏場は
ウォーキングするシニアでにぎわってますよ。
同じような感じの軽井沢は新幹線も止まりますし、
駅前にアウトレットもあってこんなに寂れていませんね。
清里は再び盛り上がることはないでしょうね…。
これからはハイペリオンさんのような廃墟好きが集まるのみかも。
(^^;
yasaki
- ハイペリオンさん からの返信 2018/01/11 23:00:49
- RE: 駅前は無残な感じですよね
- 行った時期が時期なだけにホントに人がいませんでした。
聞くところによると夏場はそこそこ人がいるようですね。
ただ、ペンションが特定の場所に集まっている感じで、
そのほとんどが廃墟だったり、補修されていなくてボロボロ
なんですよ。ああいうところだから、解体や補修業者を
呼ぶのにもお金がかかるのでそこまで余裕がないのかな
という感じがしました。
車で日帰りできるところだから、あんなに宿はいらない
ですよね。山岳リゾートのような切り替えができればい
いのでしょうが、個人経営のペンションでは無理でしょ
うし。
10年後15年後がどうなっているのか、確認して見たい気
がします。
では。
2月3日、来るんですか? 総帥も来ることですし、私
は一応、行く予定にしています。
- yasakiさん からの返信 2018/01/11 23:27:01
- 行きますよ〜
- 2/3行きますのでよろしくお願いいたします。
円卓を回せるのが楽しみです。
まあちゃんがいらっしゃるだなんてすごいですよね!
風邪ひいてドタキャンなどしないよう気をつけます。
(;^ω^)
yasaki
- ハイペリオンさん からの返信 2018/01/12 12:15:16
- RE: 行きますよ〜
- そうですか。では、当日よろしくお願いします。
-
- someさん 2018/01/01 22:21:12
- クラッシュも好きですがストラングラーズも好きです。
- ハイペリオンさん こんばんはsomeです。
清里の栄枯盛衰 すっごくリアルに怖さを感じました。
なにせ勿体無い時代から消費市場主義をリアルタイムで過ごして来た世代
の私なので 感慨深いものがあります。
おまけにクラッシュですって?
恐ろしや音楽ってその曲を思い出すと一気にその時代に戻ってしまいます。
クラッシュはもちろん好きでしたがついついストラングラーズの葉隠が出て来てしまいました。あー恐ろしい正月からパンクに浸りそうです。
責任取ってくださいね 笑
冗談はさておき 今年もよろしくお願い申し上げます。
- ハイペリオンさん からの返信 2018/01/03 12:47:51
- これはまた意外な・・・
- あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
> 清里の栄枯盛衰 すっごくリアルに怖さを感じました。
> なにせ勿体無い時代から消費市場主義をリアルタイムで過ごして来た世代
> の私なので 感慨深いものがあります。
どうもありがとうございます。
確かにsomeさん世代なら、あの状況を客観的に見れて
冷静な判断を下せるかもしれませんね。
私くらいだとその中に巻き込まれていて、よくわから
なかったというのが正直なところです。
> おまけにクラッシュですって?
> 恐ろしや音楽ってその曲を思い出すと一気にその時代に戻ってしまいます。
> クラッシュはもちろん好きでしたがついついストラングラーズの葉隠が出て来てしまいました。あー恐ろしい正月からパンクに浸りそうです。
まさかsomeさんがパンクロック好きとは・・・。意外
過ぎます。
確かにストラングラーズも日本では人気がありましたよね。
当時は、ブログレッシヴロックを追体験中で、パンクロック
が出て来た時は、何だこれ?って感じでした。
ただ、プログレの仰々しいサウンドに飽きたころに聴くとシ
ンプルでカッコいいなあと感じました。
当時のロック聴き込んだ身としては、最近の音を聴いてもま
ったく反応しなくなってしまっています。
おかげでアデルだとかサム・スミスとかを聴いても良さがさ
っぱりわからなくて・・・。
正月のパンク漬けから1日も早く切り替えができるようお祈
りしています。
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