2017/10/16 - 2017/10/16
211位(同エリア283件中)
しゅいぐーさん
- しゅいぐーさんTOP
- 旅行記1210冊
- クチコミ27件
- Q&A回答78件
- 829,645アクセス
- フォロワー20人
今回は、あまり知られていない長野県中野市内を散策してみました。
高梨氏館跡→日本土人形資料館→中野陣屋・県庁記念館と回ってきました。
-
高梨氏館跡へ行きました。
-
高梨氏館跡は、鎌倉時代から戦国時代にかけて活躍した、北信地方の有力武士団高梨氏により築造されたと推測される中世の方形館跡で、東西約130m、南北約100mの規模をもつ北信最大級の館跡です。
-
館跡は、四方に堀及び土塁が良好に残されており、昭和61年から平成4年にかけて実施された公園整備のための発掘調査では、長野県内では唯一の事例である中世の庭園跡や、土塁が三段階以上の構築過程を経ていることなどが確認されました。
-
これらのことから、高梨氏館跡は、中部地方の武士団の文化的レベルや方形館の発展過程を示すものとして高く評価され、平成19年2月、国の史跡に指定されました。
-
高梨氏は、第56代清和天皇の御孫尊王・源経基より6世の孫・盛光が祖となり高梨を名乗ったといわれています。
-
北信地方で高梨氏の勢力が拡大したのは鎌倉時代から室町時代にかけてで、戦国時代中頃までには中野地方を完全に支配下においたと考えられています。
-
戦国時代後半、甲斐武田氏と越後上杉氏の激しい抗争の中、高梨氏は世に名高い永録4(1561)年の川中島の戦いで上杉軍の先陣を務めるなど活躍しましたが、武田氏の勢力が北信地方に及ぶと高梨館からの退去と入居を繰り返しました。
-
武田氏滅亡後、北信地方が上杉氏の所領となると、高梨氏も一旦本領の一部を回復し高梨館に入居しましたが、慶長3(1598)年に上杉氏が会津へ移封されると、高梨氏も共に会津へ移りました。
-
-
今度は、日本土人形資料館へ行ってきました。
-
中では、絵付けもできます。
-
こんなかわいい、人形がお出迎えです。
-
最後に町に戻り、中野陣屋・県庁記念館へ行きました。
-
江戸時代には「中野陣屋」が、明治初年には「中野県庁」が置かれていました。
-
現在は記念館として当時の歴史資料や収蔵美術品が展示されています。
-
昔のハンコ?
-
二階では、特別展示で、馬についてのいろいろなものが展示してありました。
-
-
昼食は、食房べに屋にて食べました。とにかく安くて量が多いです。
-
味噌チキンかつ定食 580円、ご飯+味噌汁 お代わり自由です。
他のものも全部ボリューム満天で価格破壊しています。味もおいしいです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
中野・小布施(長野) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
32