1985/10/05 - 1985/10/06
2位(同エリア14件中)
ころたさん
30年前以上のアメリカ在住時の俺の旅って、なんだってこんなにトラブル続きなんだ?
吹雪のデスバレーで遭難しかけるは(https://4travel.jp/travelogue/11265884)、
カナダからUSへ再入国を拒否されるは(https://4travel.jp/travelogue/11283142)、
今度はマイホーム、LA近郊のハンティントンビーチからバイクでサンフランシスコに向かう途中でまたまたトラブルに遭遇だ。しかも今度はリアルに命からがら帰って来たのだった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
-
(写真はHuntington BeachのPiaで)
バイクを買った。32年前のアメリカ駐在中のことだ。と言うか、バイクの免許を取った。当時のカリフォルニア州の運転免許は4輪なら学科を日本語で受けられる(たぶん今も)。しかし2輪は英語のみ。でもご安心、日本の免許試験と違って「牽引車の長さは」何て調べりゃ分かることは問題に出さない。運転する上での基本法制と安全のために知っているべき事項を質問される。なかなか合理的だ。
例えば「2輪で山道を走行する際、右カーブと左カーブではどちらがよりゆっくり走るべきか?」。うむって思った。2輪乗りなら体感として理解していると思うが、アメリカでは左カーブが正解。日本なら右カーブになる。つまり山道のカマボコ型カーブでは右側通行のアメリカの左カーブは、2輪にとって逆バンクになるのだ。なんと合理的な問題か。この辺の合理主義には感心する。この学科試験に合格すれば仮免許が発行されて、一人で路上で練習できる。
で肝心の実地試験だが、4輪も2輪も自分で車両を試験場に持ち込んで試験を受ける。2輪なら何でもいい。原チャリ(アメリカにはないが)で受験に行って、実地試験に合格すればOK。これが簡単な試験で、俺の時は直線50mくらいを加速してUターンして戻り、試験官が停まれと言った所で停車するだけ。原チャリでこれができれば、堂々と1000ccのモンスターに乗れる。
車がなければ生きていけないアメリカならではのシステムだ。ハンティントン ビーチ ピア 観光名所
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我が人生最初の2輪がこれ、YAMAHA SECA400。
「えっあんた、最初のって言った?」
はい、そうです。日本でも原チャリにさえ乗った事がなかった。これを仮免取った次の日にバイク屋に行って買っちゃった。仮免見せれば普通に売ってくれるのだが、俺の不安げな様子が気になったのか、バイク屋のオーナーが
「お前、バイクは初めてか?」
なかなか鋭い。
「おいおい、駐車場でちゃんと練習してから帰れよ。」
ありがたいお言葉。で、駐車場でバイクにまたがり発進しようとしたら・・・立ちゴケした。400と言えども侮れない。その後、1時間くらい練習してからゆ~くりと我が家に帰ったのであった。 -
(現地オフィスに遊びに来た後輩女子たちと)
旅行記がなかなか進まない。で、2か月ほどたった2月の週末、President's Day の3連休を利用してツーリングに出かけようと思い立った。それまでは近間のサンディエゴやエンジェル フォレストには走りに行って、だいぶ自信もついた。よしサンフランシスコに行こう。それもフリーウェーは使わずに海沿いのPacific Corst Hiwayを走って。Hiwayって言うと高速道路みたいに思うだろうが、普通の下道です。 -
(写真はその後に4輪で行った時のシスコの町)
わがアパートのあるHuntington BeachからSan FranciscoまではPCH、即ち州道1号をひた走って500Ml、下道だと途中1泊だな。よし、270Ml先のSan Luis Obispoで一泊だ。 -
土曜の朝に出発! 南カリフォルニアと言えども1月は肌寒い。ましてシスコに行こうと言うのだから、それなりの恰好で行った。
まずは我がアパート前を走る405でサンタモニカまで走り、そこからは下道のPCHだ。平日の大渋滞が嘘のような土曜の早朝のフリーウェー。快適だ。サンタモニカビーチ ビーチ
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サンタモニカでPCHに下りてからも、しばらくは3車線の広い道路が続く。60MPHで走っても何ら問題ない(ポリスには捕まるけど)。それがマリブで2車線になり、マリブから20kmも走ったPoint muguあたりで1車線に減る。いよいよ海沿いの緩やかなカーブが続くPCHらしい風景の中を走れる。
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あちこちで休憩を取りながら、San Luis Obispoまで6時間ほどだったか。無事、第1目的地に到着した。どこにでもあるBest Westanに宿を取って、San Luis Obispoの街を歩く。感じのいい街だ。メキシコ風と言うか開拓時代風と言うか。
Best Weatanから街の中心街までは4~500mほど。ランドマークのMission San Luis Obispo de Tolosaはすぐに見つかった。メキシカンなかわいい教会だ。
そしてそのすぐ脇にあるBubblegum Alleyは、なんとも奇妙な路地。狭いレンガ塀に挟まれた路地の壁一面に、風船ガムが張り付けてある。もう何十年も前から積み重ねられているようだ。最初は高校生のいたずらだったみたい。
小さな街だけど4Travelにも当然取り上げられている。今は温泉で有名みたいだ。
http://4travel.jp/os_travelogue_list-city-san_luis_obispo.html?lid=area_travelogue_top_from_travelogue
(その街の写真が1枚も見つからないので、翌日のMorro Bayあたりで撮った写真) -
明けて日曜日、今日も天気がいい。ここからCarmelまでは、まさに海岸にへばり付くように道が走る。気を引き締めて行こう。そしてなんとこのCarmelは、数か月後にクリント イーストウッドが市長に就任するのだ。びっくりしたなぁ!
いや、イーストウッドの事でびっくりしてなんかいられないのだ。San Luis Obispoから快適なシーサイドを飛ばしていった。なだらかなカーブが連なる道は、海に落ちる崖の縁をなぞっていく。50Mlほどはそんな感じだった。ちょっと調子に乗ってしまった。
道はSalmon Creek と呼ばれる地点から急に山道になる。その対応が遅れた。スピードオーバー。己が初心者だという事を忘れていた。速度は40MPHくらいだっただろうか。きつめに曲がる左カーブに砂が浮いていた。あっという間にコントロールを失う。俺のバイクは右に流れ、路端の溝にハンドルを取られて俺は宙に投げ出される。ああいう時の人間って意外に冷静なのだ。右肩から転がって受け身を取らなければ、なんて思っていた。スローモーションのように地面が近づいてくる。
(Morro Bayから20Ml北の海岸。ゾウアザラシが見えるはずなんだが、道路からは見えなかった)ハーバー ハウス イン モロ ベイ ホテル
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(間違いない。地図上のこのカーブだ!)
もんどりうって倒れたが、受け身がうまくいったのか大怪我はしなかった。うめきながら立ち上がってバイクを見ると、フォークがひん曲がっている。こりゃもう走れない。
するとすぐ後ろを走っていてたピックアップトラックから50歳くらいの白人男性が走り寄って来た。
「大丈夫か!」
「ありがとう、怪我はしていないみたいだ。」
あとから奥さんも下りてきた。
「あの、もしよろしければ最寄りのグレイハウンドが停まる町まで乗せて頂けますか?」
「バイクはどうするんだ?」
「来週にでも友人と取りに来ます。」
「こんな所に置いておいたら盗まれるぞ。」
と言われ、どう見ても新車のピックアップに引き上げて運んでくれた。それもトラックと言うよりバンだから、室内の荷台にだ。400のバイクは男二人でもおいそれとは持ち上がらない。新車の荷台にキズがつくのも構わず、彼は引っ張り上げる。
「San Luis Obispoならグレイハウンドは停まるし、DMV(交通運輸局)もある。」
彼は50Mlも来た道を戻ると言うのだ。結局、1時間以上もドライブしてSan Luis Obispoまで戻り、俺とバイクを下してくれた。
「ありがとうございます。後でお礼を差し上げたいので連絡先をお聞きできますか。」
「いいんだよ。おれはDavidだ。」
それだけ言うと彼は立ち去った。
2日連続で泊まることになったBest Westanのベッドで俺は涙した。それは、少しづつ痛みを増した右肩のせいじゃない。Davidの優しさがうれしかったのだ。 -
翌日、一番のグレイハウンドでLA DownTownに行き、バスを乗り継いで我がHuntington Beach に戻って来た。ボロボロにすり切れた革ジャンと、傷だらけのヘルメットを手に。冬の恰好でよかった。夏のTシャツ姿だったら、俺の右手は使い物にならなかったかも。いや、メットがなければ俺は確実に死んでいただろう。当時のアメリカはヘルメットの着用義務なんかなかったから、実際に近場に行くときにはメットなんてしてなかったし。
さて連休明けのオフィスに出ると、バイクを取りに行く算段をしなければならない。目を付けたのはこのフィリピーノ2人。毎日ポンコツトラックでオフィスに来ていたので、San Luis Obispoまでバイクを取りに行くことを$100でOKさせた。プラス飯代おごり。 -
その日から俺の名前は、Mr VancooverからMr. San Luis Obispoに格上げされた。いや、格下げだろって?。とんでもない、聖人の名が由来なんだから、格上げです。
なっ、みんな。 -
(その時に撮ったGolden Gate Bridge)
結局、サンフランシスコ行きが実現したのは、それから3か月後。車でヨセミテ~サンフランシスコと回った時だった。
バイクでシスコまでは行けなかったけど、それ以上の思い出ができた旅だった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- olive kenjiさん 2017/10/03 04:59:53
- Davidさんって いい人だな~
- ころたさん おはようございます。
いい旅行記だな~
写真は色あせ、ヤマハも古いし、ファッションも一昔前だけど、いい味出していますね。
表紙写真もスピード感ありgoodです。片手撮りしてたんでしょうね。バイク乗ってる嬉しさが写真からにじみ出ています。
Davidさんって、いい人だな~ 黙って立ち去る。これって西部劇のワンシーンじゃないですか。今頃どうしているんだろう。私も気になる涙・涙の人情旅行記でした。
合わせてスキーの災難記も。大変でしたね。でも過ぎ去ったことなので笑って読ませて頂きました。
写真もいろいろな所から寄り集めて作っていて苦労が偲ばれます。あの頃のスキー板ってなんであんなに長かったのでしょうね。
ほんとに楽しい、ほろ苦い素敵な旅行記でした。
私も、こんな旅行記を作ってもいいなと思う今日でした。
olive kenji
- ころたさん からの返信 2017/10/03 21:24:31
- RE: Davidさんって いい人だな?
- olive kenjiさん、お久しぶりです。
まだ青春に足の爪先だけ引っ掛かっていた頃の思い出達です。笑ってやってください。
ホントにムチャやってましたね。世の中的にもそれが許された時代でしたよ。あの頃のアメリカは今よりかなり危なっかしい国で、私も何発か銃声を聞いているし、実際にピストルを向けられたこともあります。一方で困っている異国人に手を差し伸べてくれる優しさに溢れていた。大好きでした。
今はどうなんだろうな。いや、他人ごとじゃないか。日本だってあの頃のおおらかさを失っているみたいですしね。なんて言う様じゃ歳をとった証拠ですね。
写真はたくさん撮ったはずなんですが、根がズボラなもんでほとんどどっかに行っちゃった。昔話を聞かせているだけで4Traの主旨に合うような情報は何一つ含まれていないんですが、またボチボチと書かせてもらっています。
olive kenjiさんの旅行記にもまたお邪魔しますんで、よろしく!
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