2017/09/21 - 2017/09/21
47位(同エリア394件中)
ベームさん
夏もようやく過ぎ、今日は秋晴れの一日。約半年ぶりの東京、前回の雑司ヶ谷霊園に続き今日は青山霊園に先人の墓の苔を払ってこようと思います。
天気予報では気温が29度まで上がるそうで、もう少し涼しくなるまで待てばよいものを、丁度彼岸に入ったこともあり勇躍出かけました。
青山霊園は谷中、雑司ヶ谷、染井と共に明治7年都営の霊園として開設されました。多くの政財界人、軍人、文化人が葬られています。私は政治家、軍人の類は嫌いですが、名のある人を省くと不公平になるので載せました。
まだまだ訪ねたい墓が残っているうちに夕方になり、脚も痛くなったのでひとまず打ち切り日を改めて訪問することにしました。それで、その1、2とします。
写真は国立新美術館。
-
スタートは地下鉄千代田線乃木坂駅です。11時。
途中東海道線で先行する列車の窓ガラスが破れる事故があり時間をロスしました。 -
地下鉄の出口1番を出ると乃木神社があります。
-
まず寄っていきます。
-
大正元年9月、明治天皇の大葬の日に殉死した乃木希典、夫人静子を祀って大正12年設立、東京空襲で焼失し昭和37年再建。
-
乃木希典については後で行く青山霊園にある墓の所で触れます。
-
綺麗な境内です。
-
コメントを全角3,000文字程度まで入力できます
-
絵馬が沢山納められています。
-
どんな願い事かと見てみると殆どは乃木坂46のコンサートの切符が欲しいというものでした。
謹厳な乃木さん苦笑していることでしょう。 -
境内には正松神社と云う摂社が有ります。
乃木希典が学んだ幕末長州の学者で松下村塾開設者玉木文之進と、玉木の甥吉田松陰を祀っています。 -
コメントを全角3,000文字程度まで入力できます
-
正松神社。
-
境内にお稲荷さんもあります。
-
赤坂王子稲荷神社。
北区の王子稲荷を勧請。乃木夫妻は王子の稲荷神社の崇敬篤かったそうです。 -
赤坂王子稲荷神社。
-
隣接する乃木邸に裏門から入りました。
-
庭園。
-
菜園があった所。
-
見上げると六本木の高層ビルが覗いています。
-
旧乃木邸。
-
大正元年9月13日、明治天皇葬儀の日、この邸内で乃木希典と夫人は自刃した。
こういう時代錯誤もいいところの忠君愛国一辺倒の人物が学習院の院長をして、若者を教育していたと思うとぞっとします。 -
コメントを全角3,000文字程度まで入力できます
-
コメントを全角3,000文字程度まで入力できます
-
コメントを全角3,000文字程度まで入力できます
-
馬小屋。
-
乃木将軍と辻占い売りの少年。
-
コメントを全角3,000文字程度まで入力できます
-
こちらが正門です。
-
隣接する乃木公園。
-
地図下の乃木神社から乃木坂トンネルの横を歩いて青山霊園に向かいました。
-
乃木坂トンネルの横を歩き日本学術会議前の交差点に出ました。
この一帯は1936年(昭和11年)2月26日に起こった2・26事件で、反乱軍の中心となった麻布歩兵第3連隊があった所です。 -
ここに巨大で斬新なデザインの建物が聳えていました。
国立新美術館です。黒川紀章設計で2007年開館。 -
正門。
外観を見て回ります。 -
美術館と名が付いていますが、独自のコレクションは持っていません。
-
色んな企画展の会場みたいなものです。
-
展示物搬入口。
-
今やっている企画展。
-
青山霊園に向かいます。
その前に隣接する青山葬儀場。 -
有名人の葬儀に築地本願寺と共によく使われます。
-
都心にあるのと規模が大きいのがその理由でしょう。
勿論一般市井人でも利用できるのですよ。しかし我々下級国民がここで葬儀を行い参会者が数十人では笑われます。 -
大正5年12月12日、夏目漱石の葬儀もここで行われています。
-
昼は向かいにあるデニーズでスパゲッティを食べました。
-
ようやく青山霊園管理事務所。
青山葬儀場の前を通り200mほど行った先を左に曲がります。
ここで霊園の地図と著名人の墓のリストを貰いました。しかしとても分かりにくい。尋ねたい墓をピックアップして地図上に見当をつけるのに苦労しました。 -
では管理事務所の近くから。
中江一族の墓。真ん中の黒いのが中江兆民。
中江兆民:思想家、ジャーナリスト、政治家。1847~1901年。高知出。
フランスの啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソーを日本に紹介し、日本の自由民権運動の理論的指導者。 -
若くしてフランス語を学び、明治4年岩倉具視使節団に随行、明治7年までフランスに留学。帰国後フランス語塾を開く。明治15年、ルソーの「社会契約論」の和訳「民約訳解」を著す。各種新聞紙上で自由民権運動を鼓舞、明治23年には第1回衆議院議員選挙に当選。
後に大逆事件で非業の死を遂げる幸徳秋水は兆民の弟子で、幸徳がフランス語を学ぼうとすると、兆民は「これからは英語の時代になる」と英語を学ばせたという。
著に「三酔人経綸問答」、「一年有半」など。 -
網野菊。閨秀作家、翻訳家。1900(明治33)~1978(昭和53)年。東京出。
日本女子大卒、志賀直哉に師事。
「さくらの花」、「一期一会」、「汽車の中で」、「金の棺」ほか。
何時の頃から傾いているのでしょう。 -
池田勇人。1899(明治32)~1965(昭和40)年。広島、竹原出。
京大卒後大蔵官僚。3期にわたり総理大臣を務める。佐藤栄作と共に吉田学校の優等生。所得倍増計画を推進。
失言多く、大蔵大臣時代の、所得の多い人は米を食い少ない人は麦を食うのが経済の自然である、すなはち「貧乏人は麦を食え」発言は有名。 -
藤島武二。1867(慶應3)~1943(昭和18)年。洋画家。鹿児島出。
明治から昭和にかけ日本洋画界の重鎮。東京美術学校(今の東京芸大)教授。 -
コメントを全角3,000文字程度まで入力できます
-
黒扇。
明治42年作。 -
岡田三郎助と妻岡田八千代。
岡田三郎助:洋画家、佐賀出。1869(明治2)~1939(昭和14)年。
東京美術学校教授。藤島武二と共に第1回文化勲章受章。 -
あやめの衣。
1927(昭和2)年作。 -
岡田八千代:作家、劇評家。1883(明治16)~1962(昭和37)年。広島出。
岡田三郎助夫人。小山内薫の妹。兄に倣い作家生活に入る。平塚雷鳥の青鞜社に参加。美人で、小山内薫の妹という事で若い文壇人の中で人気があった。
40歳過ぎの頃夫三郎助と不和になり夫の死まで別居生活が続いた、にもかかわらず同じ墓に入っています。
「新緑」、「黄楊の櫛」ほか。 -
森有礼。
-
森有礼(もりありのり)。外交官、政治家。初代文部大臣。1847~1889(明治22)年。薩摩藩士。
現一橋大学の前身商法講習所設立。明六社発起人。近代日本の教育制度確立に尽力した。明治22年(1889年)2月11日、日本最初の憲法、大日本帝国憲法発布の日に国粋主義者により暗殺される。動機は森の伊勢神宮での行為が天皇家に対する不敬にあったとされる。げに狂信は恐ろしい。 -
六世中村歌右衛門。
-
六世中村歌右衛門。1917(大正6)~2001(平成13)年。本名河村藤雄。
戦後の歌舞伎界における女形の最高峰。 -
御木本幸吉。真珠王。1858~1954(昭和29)年。鳥羽出。
うどん屋の息子に生まれる。青物商、米穀商、海産物商と仕事を変え、世界中で天然真珠の人気が高いことに目を附けアコヤ貝を使っての真珠養殖に成功した。 -
伊原敏郎。伊原青々園の名で知られる。
劇作家、演劇評論家、小説家。1870(明治3)~1941(昭和16)年。松江出。
坪内逍遥、三木竹二(森鴎外の弟)に親しみ劇作、都新聞紙上での演劇評論を行う。
著に「日本演劇史」、「近世日本演劇史」、「明治演劇史」など。 -
志賀直哉。小説家。1883(明治16)~1971(昭和46)年。石巻生まれの東京育ち。
明治に実業界で名を成した父直温の次男(兄の夭折で実質長男)に生まれるが、長じて18歳の頃から祖父の足尾銅山事件、女中との問題、勘解由小路康子(かでのこうじさだこ、武者小路実篤の従姉妹)との結婚問題等で父との不和が進み31歳の時除籍される。34歳の時父と和解し小説「和解」を発表。
学習院初等、中等、高等を経て東大文学部、後中退。その頃7年間内村鑑三に私淑しキリスト者となるも肉欲との葛藤に悩み離れていく。
墓碑銘は直哉の友人東大寺管長上司海雲の字。 -
志賀家墓域。右端志賀直哉。20mほどの短形の墓域には祖父直道、父直温らの墓が8基ならんでいるが、鉄柵で中には入れません。
学習院時代に知り合った友に武者小路実篤、有島生馬、里見弴(有島の弟)、木下利玄、柳宗悦、正親町公和。後明治43年その仲間が中心になって雑誌「白樺」を創刊、白樺派と云われるようになる。
直哉に師事した作家に滝井孝作、尾崎一雄、広津和郎、網野菊、阿川弘之。
小説の神様と云われ代表作に「暗夜行路」(唯一の長編)、「城の崎にて」、「網走まで」、「小僧の神様」、「万暦赤絵」など。 -
斎藤家の墓。左端斉藤茂吉。
斉藤茂吉:歌人、随筆家、精神科医/青山脳病院院長。1882(明治15)~1953(昭和28)年。山形、上山出。
23歳のとき同郷で東京の精神科医斎藤紀一の養子になる。後紀一の娘輝子の婿養子になる。中学時代から歌に興味を持ち創作を始める。東大医学部で医学を学ぶ傍ら歌の道を進み伊藤左千夫門下となり、古泉千樫、堀文明、与謝野鉄幹、北原白秋、石川啄木、上田敏、佐々木信綱らと知り合う。島木赤彦と歌誌「アララギ」を主宰。
斎藤茂太、北杜夫は息子。 -
茂吉の墓。
歌集「赤光」:みちのくの 母のいのちを一目見ん 一目見んとぞただにいそげる
歌集「あらたま」:あかあかと 一本の道とほりたり たまきはる我が命なりけり
随筆、評論:ドナウ源流行、リギ山上の一夜、童馬山房夜話、柿本人麿。
墓碑は生前から用意した茂吉自筆。 -
大久保利通。
-
大久保利通。薩摩藩士から明治維新時の政治家。1830~1878(明治11)年。
西郷隆盛、木戸孝允と共に明治維新の三傑といわれる。
明治11年、自宅近くの紀尾井坂で皇居に参内途上島田一郎ら不平分子により暗殺される。 -
コメントを全角3,000文字程度まで入力できます
-
乃木希典墓域。
-
乃木希典(のぎまれすけ)。軍人、教育者。長州、長府藩士の子として江戸に生まれる。1849~1912(大正元年)。
西南戦争、日清・日露戦争に従軍。西南戦争では連隊旗を薩摩軍に奪われ自殺を志すも果たせず。日露戦争では兵士の厖大な損失のあげく旅順要塞を陥落させた。無謀な人海戦術の挙句の勝利で指揮者として無能との批判もある。
日清戦争後台湾総督。日露戦争後明治40年学習院長就任。 -
妻静子の墓。
学習院長時代は、学生と起居を共にするなど慕われる反面、軍国主義、時代遅れの武士道精神に基ずく忠君愛国教育方針に反発も買った。
明治45年7月明治天皇崩御。同年(大正元年)9月13日、大葬の日に夫人と共に殉死。希典64歳、夫人58歳。
理由は、西南戦争で軍旗を奪われたこと、日露戦争で多くの兵士の命を失ったこと、いずれの時も明治天皇は叱責せず恩沢を賜ったことにたいする報恩、が考えられ、天皇の死によりようやく死に時を得たと云うことでしょう。なんとも忠君愛国精神はやりきれないものです。教育勅語にも評価するところはある、なんて言われ始めている今の時代に将来の不安を感じます。 -
右乃木希典。左静子。
国民的英雄の殉死は無知な多くの国民の賛美を受けたが、時代錯誤とした冷静な批判もあった。
志賀直哉「馬鹿な奴だ」、武者小路実篤「かれの死には人類的なものが無い」。白樺派の多くは学習院に学んでおり、乃木の時代遅れの武士道精神、軍国主義的教育方針に反発していた。
一方軍人でもあった森鴎外は「興津弥五右衛門の遺書」を表し殉死を美化した。 -
墓域には日露戦争で戦死した長男勝典、次男保典の墓も建っていました。
-
尾崎紅葉。作家。1868(明治元年)~1903(明治36)年。東京、芝の生まれ。俳号十千万堂。父は幇間、牙彫(げぼり)・根付け師の尾崎谷斎(こくさい)。
明治文壇の大御所。20年代には幸田露伴とならび紅露時代と呼ばれる。
東大予備門時代の明治18年、山田美妙、石橋思案らと硯友社を設立。明治21年東大に入学(中退)、在学中に読売新聞社入社。以降紅葉の作品の大部分は読売新聞に発表された。 -
紅葉/尾崎徳太郎。
硯友社にはその後川上眉山、広津柳郎、江見水蔭、巌谷小波などが加わり、硯友社同人にあらざれば作家に非ずとまで言われ明治文壇を席巻した。
硯友社の棟梁尾崎紅葉の門下生を希望する作家の卵も多く、泉鏡花、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声は紅葉門下の四天王と呼ばれた。
江戸っ子気質で弟子には厳しかったが反面面倒見もよく慕われた。泉鏡花が神楽坂の芸者と同棲し、これを厳しく叱責した話は有名。
満35歳で胃がんで死去。
代表作:二人比丘尼色懺悔、伽羅枕、夏小袖、三人妻、多情多恨、金色夜叉。 -
紅葉の父尾崎谷斎供養塔。牙彫で得意の煙管筒を模している。
谷斎は幇間(ほうかん、太鼓持ち、男芸者などと呼ばれる)で、紅葉はそれを恥じ友人にも内緒にしていた。 -
霊園の一角に警視庁墓地というのがあり、明治の軍人、政治家など私の嫌いな種族の墓が並んでいます。
加藤友三郎。海軍大将、内閣総理大臣。1861~1923(大正12)年。広島出。 -
犬養毅(つよし)。政治家、内閣総理大臣。1855~1932(昭和7)年。岡山出。
昭和7年5月15日、いわゆる五・十五事件で統帥権独立を主張する軍部の一部青年将校たちの襲撃で死亡。その時将校たちにはいた言葉が「話せば分る」。
息子に犬養健、孫に先日亡くなった犬養道子、曾孫に緒方貞子。 -
小村寿太郎。外交官、外務大臣。1855~1911(明治44)年。宮崎出。
明治38年、日露戦争終結の講和会議ポーツマス会議の全権。ポーツマス条約で日本は樺太の半分、南満州の鉄道の租借権を獲得したが賠償金は取れなかった。獲物の少なさに日本国民は屈辱外交と政府を非難し、日比谷焼打ち事件など全国で暴動がおこった。
小国日本が大国ロシアを相手にこれ以上戦を続けるのは不可能で講和は已むおえなかったが、奢った国民は納得しなかった。 -
頭山満(とうやまみつる)。大アジア主義者、国家主義者、玄洋社総師。今に繋がる右翼の巨頭。1855~1944(昭和19)年。福岡出。
若いころは板垣退助の自由民権運動に加わっていたが、のち国家主義に転向。
対外強硬路線と日本をアジアの盟主にするべく大陸進出を唱えて、政界裏面で隠然たる影響力を発揮。
一方孫文、ボースらアジアの独立派、革命派の日本亡命を援け庇護している。 -
牧野伸顕(のぶあき、しんけん)。外交官、政治家。宮内大臣、内大臣、外務大臣。1861~1949(昭和24)年。鹿児島出。大久保利通の息子。
5・15事件、2・26事件に襲撃の対象となるも無事だった。
妻は三島通庸の娘。吉田茂は女婿。 -
麻生大賀吉。政治家、実業家。1911(明治44)~1980(昭和55)年。福岡出。
九州の炭鉱王麻生太郎の長男。吉田茂の女婿。現自民党の麻生太郎は息子。 -
井上準之助。政治家、財政家。1869(明治2)~1932(昭和7)年。大分、日田出。
大蔵大臣、日銀総裁。
昭和7年、血盟団の一員により暗殺される。蔵相時代の金融政策に対する不満であった。血盟団事件は昭和7年に起こった右翼による連続テロ事件で、三井財閥の総師団琢磨も犠牲になっている。 -
濱口雄幸。大蔵官僚、政治家。大蔵大臣、首相。1870(明治3)~1931(昭和6)年。高知出。
東大卒後大蔵省入省、のち立憲民政党の代議士。
その風貌からライオン宰相と呼ばれ、謹厳実直さで国民に愛された。
昭和5年11月、ロンドン海軍軍縮条約調印が統帥権干犯とする右翼愛国主義者により東京駅で狙撃される。一命は取り留めたが翌年首相を辞任、8月病気で死去。
ここまで警視庁墓地です。 -
岸清一。法学博士、弁護士。1867(慶應3)~1933(昭和8)年。松江出。
松江藩士の子。日本の体育、スポーツ界発展に尽力。近代スポーツの父と云われる。代々木の岸記念体育会館にその名を残している。国際オリンピック委員会委員。
私の父が松江出身で、貧乏学生時代岸育英会の奨学金を得ていました。父の恩人です。 -
三宅雪嶺、夫人三宅花圃。
三宅雪嶺:思想家、評論家、ジャーナリスト。1860~1945(昭和20)年。金沢出。
陸羯南、徳富蘇峰とともに明治中期の代表的言論人。自由民権運動家から日本主義、国粋主義に移り雑誌「日本人」を発刊、軽薄な欧化主義と薩長藩閥政治を批判、主に新聞紙上で論陣を張った。 -
三宅花圃(かほ):小説家、歌人。旧姓田辺花圃。1869(明治2)~1943(昭和18)年。東京出。三宅雪嶺夫人。父田辺太一は旧幕臣、明治政府の高官。
東京高等女学校(現お茶の水大学)卒。在学中に書いた女書生の風俗を描いた「藪の鶯」がヒットし、明治以降の女性による初の近代小説といわれる。歌を中島歌子の「萩の舎」で学び、樋口一葉の兄弟子。一葉に小説を書くきっかけを与えた。 -
西周(にしあまね)。哲学者、啓蒙思想家、官僚、旧幕臣。1829~1897(明治30)年。津和野出。
津和野藩典医の家柄に生まれる。幕末オランダに留学、法学、哲学を学び将軍の近辺に仕えた。明治新政府に招聘され官僚となる。森有礼らと共に明六社設立。
独協学園創立者、初代校長。
同郷の森鴎外は西の遠縁にあたり、鴎外上京後の少年時代には随分西の世話になっている。 -
最初に西周の名前。
-
津田仙。農学者、キリスト者。1837~1908(明治41)年。佐倉藩士の子。
日本西洋農学の先駆者。農学校「学農社」設立。
津田梅子の父としてのほうが有名です。 -
津田梅子。教育者。1864~1929(昭和4)年。津田仙の娘。
明治4年、6歳の時他の4人の少女(山川捨松/後大山巌と結婚、永井繁子ほか)と共に岩倉使節団に随行してアメリカに渡り明治15年まで留学生活を送る。英語、フランス語、自然科学、心理学を学び、帰国後は女学校で教える。
明治22~25年再度渡米、生物学を学ぶ。
女子教育に尽力し、明治33年津田塾大学の前身女子英学塾設立。
墓は小平市の津田塾大にある。 -
中條(ちゅうじょう)精一郎、中條百合子/宮本百合子。
中條精一郎。建築家。1868(明治元年)~1936(昭和11)年。米沢出。
東大建築科卒、ケンブリッジ大に留学。曽禰達蔵と曽禰・中條建築事務所を開き、丸の内の東京海上ビル、郵船ビル、慶応大学図書館など多くのオフィスビルを手掛けた。
宮本百合子は娘。 -
宮本百合子/旧姓中條。作家、評論家、左翼運動家。1899(明治32)~1951(昭和26)年。東京出。
日本女子大在学中に「貧しき人々の群れ」を書き天才少女といわれる。ロシア文学者湯浅芳子と交わるうち共産主義に傾倒、プロレタリア文学運動に参加。1931年日本共産党に入党、党員であった宮本顕治(戦後書記長)と結婚。共産党弾圧により入獄中の夫を援け自らも検挙、執筆停止処分を度々受けた。
戦後もその死まで宮本と共に共産党活動、作家活動を続けた。
代表作に伸子、播州平野、風知草、道標など。 -
岡本綺堂。
-
岡本綺堂。小説家、劇作家。1872(明治5)~1939(昭和14)年。東京出。
府立一中卒後24年間新聞記者生活のあと作家活動に専念する。
歌舞伎座のための生涯180篇もの戯曲のほか探偵物、怪奇・怪談物、捕り物小説を執筆した。
戯曲「修善寺物語」、「紫宸殿」、「俳諧師」、半七捕り物帖など。 -
都心にある青山霊園。
-
六本木のタワー。
-
大木喬任。
こういった大きな墓所はまず明治の政治家、高級官僚、軍人です。本人の意思でないとすると身分と富と権力を誇示したい遺族とか取り巻き連中の心底が見えます。 -
大木喬任(おおきたかとう)。官僚、政治家。1832~1899(明治32)年。佐賀出。
薩長藩閥の支配する明治政府の中で佐賀藩士副島種臣とともに重用された。
文部卿、参議、元老院議長等歴任。 -
後藤新平。官僚、政治家。1857~1929(昭和4)年。岩手出。
地方の医学校出で医師としてスタート。のち医務官僚となる。事務能力に優れ、陸軍次官・軍務局長児玉源太郎に認められ出世街道を走る。
台湾総督、満鉄総裁、鉄道院総裁、内・外務大臣、東京市長。
大正12年の関東大震災時は内務大臣・帝都復興院総裁として震災復興計画を策定した。 -
緒方竹虎。ジャーナリスト、政治家。1888(明治21)~1956(昭和31)年。山形出。
早稲田卒後大阪朝日新聞社入社、最終的には朝日新聞主筆、副社長。内紛により退社後太平洋戦争終結前後の小磯、東久邇内閣の国務大臣になる。戦後A級戦犯、公職追放となるが後解除。解除後政界に復帰、吉田内閣で大臣、自由党副総理。昭和29年吉田内閣総辞職、退陣で自由党総裁になる。
昭和30年、鳩山日本民主党と緒方自由党が一本化(保守合同)、自由民主党結成。鳩山一郎とともに総裁代行になるも翌31年1月心臓発作で急逝。 -
吉井勇。歌人、劇作家。1886(明治19)~1960(昭和35)年。東京出。吉井伯爵家の御曹司。
耽美派の代表的歌人。中学生時代から歌に親しみ「明星」などに投稿。早稲田中退後歌作に専念する。明治38年与謝野鉄幹の新詩社、明治41年北原白秋、木下杢太郎、石井伯亭らと共に「パンの会」を結成、耽美派の拠点となる。翌明治42年森鴎外の関係する「スバル」を石川啄木、平野万里と主宰。次々と歌集、戯曲を発表し歌人、劇作家の地位を確立。
その頃の歌人、作家は皆貧乏だったが伯爵の吉井は金があり、啄木などは随分世話になった。
かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕の下を水のながるる
墓碑は自筆。 -
長与善郎。作家、劇作家。1888(明治21)~1961(昭和36)年。東京出。
学習院から東大中退。武者小路実篤らの白樺派に参加。
癌研究の世界的権威で東大総長を務め、夏目漱石の遺体解剖を行った長与又郎は実兄。
代表作:盲目の川、項羽と劉邦、青銅の基督、竹沢先生という人他。 -
島田三郎。政治家、ジャーナリスト。1852~1923(大正12)年。東京出。
東大の前身大学南校から横濱毎日新聞入社、自由民権論を主張。一時官界に入るも大隈重信にかかる政変で下野、東京毎日新聞の社長になる。帝国議会開設により衆議院議員になり死ぬまで連続14回当選、衆議院議長も務めた。
キリスト教徒で、廃娼運動、足尾鉱毒被害者救済、シーメンス事件糾弾に注力、労働組合運動に理解を示した。 -
島田三郎。
-
上山草人、妻山川浦路。
上山草人(かみやまそうじん):新劇俳優、映画俳優。1884(明治17)~1954(昭和29)年。仙台出。
早稲田中退。川上音二郎に共感し新派の世界に入る。山川浦路と知り合い結婚。
明治42年坪内逍遥の文芸協会に妻、松井須磨子らとともに第1期生として入会。
明治44年配役のトラブルから退会し、妻、伊庭孝らと近代劇協会設立、新劇運動に注力。運動の行き詰まりから大正8年妻と渡米、劇の公演を続け、ハリウッドで映画出演のチャンスを掴む。47本の映画に出演し、昭和4年一人で帰国。以降松竹、大映などで映画俳優を続け、昭和29年稲垣浩監督の「宮本武蔵」が最後、同年死去。
出演はハリウッドで「バグダッドの盗賊」、「スエズの東」。日本で「赤西蠣太」、「忠臣蔵」など。 -
山川浦路:新劇女優。1885(明治18)~1947(昭和22)年。東京出。
華族女学校(後の女子学習院)在学中に上山草人と知り合いのち結婚。上山と共に文芸協会、近代劇協会で女優。近代劇協会では「ファウスト」、「マクベス」、「人形の家」の主役を演じた。夫と女優衣川孔雀、山川の三角関係に悩むも夫を支え続けた。大正8年渡米。昭和4年上山が一人帰国するも山川はアメリカに残る。上山が帰国後愛人を作ったため事実上の離婚。化粧品店を経営、太平洋戦争で日本人強制収容所に入れられる。昭和22年アメリカで死去。 -
そのような人生を送った2人ですが、今は同じ墓に入っています。
-
宮崎湖処子(こしょし)。作家、詩人、宗教家。1864~1922(大正11)年。福岡出。
東京専門学校(現早稲田大学)卒後徳富蘇峰の民友社に入りその国民新聞に小説、詩を発表。その後民友社を離れキリスト教の伝道に従事。
島崎藤村に先立つ抒情詩人、国木田独歩に先立つ田園文学の作家として名声を博した。
「帰省」、「空家」、「湖処子詩集」ほか。 -
右端に湖処子の名。
-
三島通庸(みちつね)。内務官僚。1835~1888(明治21)年。薩摩藩士。
福島県令(知事、今の知事よりはるかに権力があった)、栃木県令、警視総監。
県令時代に過酷な土木工事を推進し農民らの怨嗟を買い鬼県令と呼ばれた。また自由民権運動を弾圧した。
福島事件:明治15年。人民に過酷な租税、労働を強いる三島県令に反発する自由民権家、農民を弾圧した事件。県会議長河野広中らが投獄された。
加波山(かばさん)事件:明治17年。三島の栃木県令時自由民権家に対する弾圧に抗した三島暗殺計画が発覚、同志が茨城県の加波山にたて籠った。7名死刑。うち数人の墓が谷中墓地にあります。
警視総監時代:保安条例を強力に発動。
こんな男でも明治政府から見ればよくやったで、正三位勲2等子爵になっている。厚顔にも大きな墓を建てたものです。 -
三島弥太郎。銀行家。1867(慶應3)~1919(大正9)年。鹿児島出。
横浜正金銀行頭取、第8代日銀総裁。三島通庸の長男。
徳富蘆花の「不如帰」の川島武夫のモデル。弥太郎の最初の妻は元帥大山巌の娘信子で、「不如帰」の武夫の妻浪子のモデル。 -
福本日南。ジャーナリスト、史論家、政治家。1857~1921(大正10)年。福岡藩士の子。
南進論を唱え、日本人の無節操な西欧追随を批判した国粋主義的知識人。陸羯南らと日本新聞を創刊、同紙上で政治評論を執筆。のち九州日報の主筆、社長。
著「元禄快挙録」は現在の忠臣蔵のスタイル、評価を確立した。 -
山路愛山。ジャーナリスト、評論家、歴史家。1865~1917(大正6)年。東京出。
東洋英和学校で神学を修めキリスト教の伝道師となる。のち徳富蘇峰の民友社に入りその国民新聞紙上で評論活動、さらに信濃毎日新聞の主筆になり国家社会主義的評論、史伝を発表。以降死ぬまで各種新聞雑誌上で言論活動を続けた。
「荻生徂徠」、「新井白石」、「足利尊氏」、「孔子論」、「基督教評論」、「現代金権史」など。 -
愛山山路弥吉。
-
芝木好子。作家。1914(大正3)~1991(平成3)年。東京出。大島家は嫁ぎ先。
東京府立第一高女(現都立白鴎高校)卒。経済学者大島清と結婚。
「青果の市」で芥川賞。日本芸術院会員。
「湯葉」、「隅田川暮色」、「洲崎パラダイス」、「葛飾の女」など。 -
芝木好子。
-
秋山好古(よしふる)。陸軍軍人。1859~1930(昭和5)年。松山出。
陸軍大将。陸軍士官学校、陸軍大学卒。日露戦争で武勲をあげる。海軍軍人秋山真之(さねゆき)の兄。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公。 -
北里柴三郎。医学者、細菌学者。1853~1931(昭和6)年。熊本、小国町出。
日本細菌学の父と云われ、ペスト菌、破傷風の治療法発見。東京医学校(現東大医学部)卒。
伝染病研究所、北里大学北里研究所、慶応大学医学部創立者。日本医師会創立者。
ベルリン大学留学中に森鴎外と交流があり、共に細菌学者コッホに師事している。
日も低くなり足の痛みも増し今日はこれで終わりにしました。後日再訪します。
その2に続く。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- jh2fxvさん 2018/01/07 12:07:49
- ベームさん はじめまして
- 新年あけましておめでとうございます。
当方の東京散策記に訪問ありがとうございます。
青山霊園掃苔記、乃木坂から表参道までを拝見させていただきました。
著名人の墓碑と作品の解説分かりやすかったです。
今後歩く場所の参考にもなりました。
それとコメントをいれていない画像に『コメントを全角3,000文字程度まで入力できます』が残ってます(^_^;)
これってウインドウズ10ではないかと思いますが、当方の旅行記も何もコメント入れないままアップするともともとのコメントがそのままアップされてしまいます。
管理者ページに改善を申し入れしていますが変わってません。
ベームさんのを見ておかしいのは自分のだけでは無いということを発見できました。
最近、フォートラ画面ってこの手の不具合が続いて困ってますが、改善されないんでしょうかね?
話がそれましたが、今後ともよろしくお願いします。
jh2fxv
- ベームさん からの返信 2018/01/07 20:03:19
- Re: ベームさん はじめまして
- jh2fxvさん、
明けましておめでとうございます。
メッセージ有難うございます。
東京散策71回とは、ずいぶん都内を歩かれていますね。これからぼつぼつ見させていただきます。多分東京都内にお住まいなのでしょうね。私は横浜なので、出かけるだけでも体力と懐が痛みます。
私のパソコンはウインドウズ7ですが、いつのころからか「コメントを・・・・」がでてくるようになりました。どうでも良いようなものですがでないほうがすっきりしますね。
こちらこそよろしくお願い申し上げます。
ベーム
- jh2fxvさん からの返信 2018/01/08 06:14:46
- Re: ベームさん はじめまして
- おはようございます。
こちらこそよろしくお願いします
当方は千葉県在住ですので京成線で1時間かけて毎回都内にやってきます。
東京都内や横浜に住めればいいですが、そんな貯蓄がな~いです(^_^;)
ウインドウズ7でもこうなるんですね。
まったくもって困ったもんですが、無料で提供いただいているページなんで致し方無い面もあるのかと…
岡本太郎記念館も行ってみたくなりました。
これからも訪問させていただきます。
jh2fxv
- ベームさん からの返信 2018/01/08 15:57:03
- Re: ベームさん はじめまして
- jh2fxvさん、こんにちは。
千葉にお住まいですか、失礼しました。でもまだ現役でお元気ですから結構です。私はすでに後期高齢者、電車での行き帰り、長時間の歩行に難儀を感じます。まあ好奇心の続くあいだは体に相談しながら文学散歩続けようと思っています。
ベーム
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
青山(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
117