2017/09/08 - 2017/09/08
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tripJaponさん
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レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展(広島県立美術館)へ行ってきました。
NHKで要潤さんがこのダ・ヴィンチとミケランジェロの競演の謎に迫っているのを観て予習。さらにギャラリートークにも参加して謎を学んできました。が、頭の中は謎で混乱気味です。
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まず入口にミケランジェロのダビデ像の頭部(レプリカ)の展示があったのですが、その大きさにびっくり。 シニョーリア広場のレプリカを見たとき、高いところにあったからかミロのヴィーナスくらいに感じてましたが、全長4mくらいあるんですね。それを大理石でこんな3Dプリンタみたいに彫れるなんて。。
ダビデは不屈の精神の象徴であり、これは憤怒の表情なのだそうですが、顔を間近でよく見ると、目の中ハートなんです。 -
この頃(1500年頃)
フィレンツェはメディチ家が栄華を極め、ボッティチェリのプリマベーラ(春)のような空想に耽ったような絵(神話)がもてはやされていましたが、贅沢を極めたメディチ家が追放され、次いで修道士ジローラモ・サヴォナローラが10年に渡る厳しい政治の末処刑されました。
と同時にダ・ヴィンチが帰還。47歳。
(30~47歳 ミラノの宮廷に仕え、最後の晩餐を描く。) -
1503年 SMN修道院の一室にアンギアーリの戦いの下絵 開始
アンギアーリの戦い
1440年 ミラノVSフィレンツェ
フィレンツェ勝利で繁栄したこの戦いを市庁舎(現ヴェッキオ宮殿)の壁にダヴィンチに描かせる壮大なプロジェクト始動。
このときダヴィンチは通常のフレスコ画ではなく、新しい技法を試み、技法上の失敗、また手稿より天候の悪化などが原因で絵は完成しなかったとされている。 -
アンギアーリの戦いの軍旗争奪場面「ダヴォラドーリア」
(この絵の何か不自然に消えている部分は消してあるのではなく、未だ描いていない?!ダヴィンチに輪郭線という概念はなかったようです。)
とはいえ、この作者不詳の絵がダヴォラドーリアの下絵なのでは、と推測されるには、多くの模写が一致することや、後に壁画を塗り替えたジョルジョ・ヴァザーリの絵に小さく唯一入れられた文字が「探せ!」であることから、下にはダヴィンチの絵があることを暗示しているのでは。と謎いことになっているようですね。 -
実際ダヴィンチのダヴォラドーリアは「世界の学校」と称され当時は多くの芸術家が熱心に研究したことから、模写は数多く残っているようで、今回も多くの展示がありました。これはルーベンスのようです。
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3Dもあります。
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こちらはダヴィンチの壁画の隣か対面かに描かれたとされる「カッシナの戦い」(ミケランジェロの下絵による模写)
1364年フィレンツェ軍がピサを攻めるが、あまりの暑さに水浴びをしていたところを攻められた場面。多くの肉体美を一度に描けるからこの場面を選んだとも?最後の審判にしても全員が本当にこんな筋肉美だったのか、理想として描いたのか疑問です。 -
そのほか、工業・音楽・解剖・筋肉・ロケット弾道などを含む数多くの研究にも傾倒していたダヴィンチ。解剖などは「普通の人は見ていられないだろう。それを私はやってのけるのだ」(??)みたいなことを言うほど極め人。今回の展示の中では「自動回転肉焼き機」(熱、空気を利用)に私は特に魅かれました。この時代に肉を焼くの自動って。しかし今なら自宅に1台欲しくなるほどよくできているのです。(主にアトランティコ手稿より)
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