2017/09/10 - 2017/09/14
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chiaki-kさん
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今から39年前の1985年8月12日、羽田発伊丹行の日本航空123便(ボーイング747SR-100、機体記号JA8119)が、群馬県上野村高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落し、乗員乗客合わせて520名が死亡した航空機事故があったことを皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか。
事故のあった上野村は自宅から車で1時間30分ほどの所にあり、村内にある「慰霊の園」には、かなり以前にお参り済みですが、事故現場となった御巣鷹の尾根だけは、考えただけで気が重くなり、どうしても足が向きませんでした。
ところが最近、ひょんなことで永 六輔さん(1933-2016)の残された言葉の中に「人は2度死ぬ」という名言を知りました。「人の死は一度だけではありません。最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたときでも、死者を覚えている人がいる限りその人の心の中で生き続けています。最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。そう僕は思っています。」自分の記憶から消え去る前に、そして足腰の立つ内に一度はお参りをしておかなければ亡くなった方々が浮かばれないのではと、一念発起で2017年9月14日、慰霊登山に行ってきました。
表紙の写真は上野村にある奥神流湖(上野ダム・ダム湖)ですが、一番遠くに見える三角形の山が高天原山、そして手前右側が御巣鷹山と思われます。なお、墜落場所は正しくは高天原山の尾根にあたるのですが、マスコミ等の報道で御巣鷹山という名が一般的になってしまったこともあり、当時の上野村村長・黒澤丈夫さんの判断で「御巣鷹の尾根」とされたそうです。
2024/03/07 一部修正
- 交通手段
- 自家用車
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2017年9月14日、長野県・北相木村からぶどう峠を越え、上野村に降りる。浜平で右折し、上野ダムの工事で出来た立派なトンネルをいくつか通過するが、輪切りのようなオレンジの燈火や、殆ど車の通らないトンネルがまるで”タイムトンネル”(1966年秋からアメリカで、1967年にはNHKで放送されたSF・TVドラマ)のよう。そう、車は時間を飛び越えて、今から39年前に向かうのだと考えると、なにやら背筋に冷たいものが・・・。
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神流川発電所を過ぎると村道はやや狭くなるが、ぶどう峠の狭小な道と比べればはるかにまし。
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車の窓ガラスに日が反射して見づらいのだが、御巣鷹の尾根はここを直進。ちなみに右へ行くと東京電力が管理する御巣鷹山トンネル(関係者以外通行止め)に行く。
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ここも直進。標識は要所要所に設置されているので迷うことは無い。
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途中にこんな広場があるが、1987年3月から2006年6月まで車はここまでしか入れず、ここから沢沿いを延々と歩いて参拝するしかなかった。しかし、遺族の高齢化が進んでいることから、事故から21年後の2006年7月より、墜落現場付近を通る国土交通省の砂防ダム工事用道路が、上野村の村道兼林道として一般開放され、墜落現場まで歩く距離が約2.2kmから約800mに短縮された。ちなみに建物の右側にある橋を渡るとその道になる。
なお、本日の取材車は農道のポルシェと呼ばれるサンバートラック。狭い道や悪路などものともしないタフな車だ。 -
サンバーの先には観音様と通行止めの旧参道。右側には御影石の石碑がある。
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碑文の全文を紹介します。
この地は 上野村大字楢原字本谷と呼ばれ 険阻な山に囲まれた交通不便の別天地なるも 四季の移ろい美しい山紫水明の秘境なり
しかるに 昭和六十年八月十二日午後六時五十七分 突如として 至近の御巣鷹之尾根標高一千五百五十米の地に
日航ジャンボ機の墜落事故が発生し五百二十四名が遭難せられ 救出収容に 次いで参拝に人々の往来誠に盛んとなれり
救出収容に際しては 道無く関係者の労苦一方ならず 昇天された五百二十名の御霊を慰めんとして登山される御遺族等の難渋また著しく
よって上野村は 日本航空群馬県等多くの方々の援助を得て 参拝道をしてこの道を開設することとし 地勢を克服難工事を続け一年を経て竣工す
願わくば 安全に往来されて 霊を慰められると共に この事故の戒めを末代に伝えられる人の多からんことを祈る
昭和六十二年三月吉日 願主 上野村村長黒澤丈夫
元帝国海軍少佐であり、上野村村長を10期つとめた黒澤 丈夫さん(1913-2011)の事故発生後の指揮ぶりは、迅速適切で見事なものであったという。当時身元確認班長となった、群馬県警察の飯塚 訓さんは、黒沢村長の有事に際しての落ち着いた対応や、日本航空側と遺族側の双方に信頼される名村長ぶりについて言及し、遺族に対する優しい心遣いには、零戦で外地の露と消えた部下や戦友を、どこか日本航空機の被害者にだぶらせているのではないかと感じた、と記している。(Wikipedia参照) -
左上のガードレールが新しい道。終点から慰霊碑まで800mなんて楽勝だとこのときは思っていた。
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村道終点にある駐車場。ここは普通車が8台程度しか駐車できないが、一段下にはマイクロバスが4台程度駐められるスペースあり。また、ここまで来る途中に車を駐められるスペースと思われる空き地が何カ所かあったので8月12日など混雑する時はそちらにも駐車可と思われる。
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前方に見えるのがその駐車場。上の駐車場の一番奥に白い軽トラックが駐まっているが、多分管理人さんの車かと思われる。それにしても急な坂道だった。
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登山道入り口。右側に無料の杖が置いてある。
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登山案内図。まだこの時点では、楽勝を信じていた。
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訪れた人の数を記録するためのカウンターが設置してある。
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60番目だった。
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熊よけの鐘が3カ所ほど置いてあった。
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原生林や苔に覆われた沢が綺麗。
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まあ、取っつきはこんな感じの易しい山道だと思わせたが・・・
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何だこれは。
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おいおい。
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息が切れてきた。
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この辺でやっと半分。ベンチで息を整える。
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一番きつい階段がこれ。なお、左上に見える小屋はただの無人山小屋。
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山小屋の前に無料のトイレがあるが、所謂ポットントイレなので慣れていない方は使わない方が良いかも。
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途中で2回休憩。
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周りにはこのような標識があちらこちらに立てられているが、座席や遺体の一部を発見した場所かと思われる。
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こんな場所にも水飲み場が拵えてあった。
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ラストスパートの階段。
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ついに明るい空が見えてきた。
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そして昇魂之碑のある広場に到着。ちなみにここまで歩き始めて40分を要した。若い人でも30分は見た方が良い。
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線香とライターを持参。念のためライターは2つ。
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昇魂之碑。揮毫は黒澤 丈夫 元 上野村村長。この日も数人の慰霊客が訪れていた。
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広場の東側には急な尾根が続いており、危険防止のため進入禁止となっている。
2016年7月23日、遺族の慰霊登山に向けて、JALの社員7人と登山道の整備などをしていた、日本航空安全推進本部ご被災者相談室所属の59歳男性が斜面を滑落し、死亡した事故が発生している為だろうか。 -
向かいの尾根にV字型に樹木がカットされた跡が見える。
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UPするとこんな感じ。
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垂直尾翼を失い、コントロール不能となったJAL123はピッチング・ヨーイング・急上昇・急降下を繰り返しながらもう一つ向こうの尾根に接触する。
接触後、水切りのように一旦上昇したものの、機体は大きく機首を下げ右に70度傾いた。同26秒には右主翼の先端が稜線に激突し、衝撃で右主翼の先端と垂直・水平尾翼、第1・第2・第3エンジンが脱落、さらに同28秒には機体後部が分離した。
機体は機首を下げながら前のめりに反転してゆき、18時56分30秒にこの場所にほぼ裏返しの状態で激突した。その時の速度は640km/hだったという。(Wikipedia参照) -
墜落時の衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほど破壊され、離断した両主翼とともに炎上した。一方、分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落していった。
客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。
これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた女性4名は奇跡的に生還できた。だが、その他の者は即死もしくはそれに近い状況であった。(Wikipedia参照)
写真の犠牲者氏名を刻んだ石碑は「御巣鷹茜観音」と命名された観音像の脇に立てられていたもの。この後、写真や記事中に亡くなった方々のお名前が登場しますが、伏せ字やモザイクでは故人に失礼なので実名で記載させていただきます。(生存者の方のお名前は伏せさせていただきます) -
大島 九(おおしまひさし:芸名 坂本 九)さんの名も。
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川上 英治さん、川上 和子さんは奇跡的に助かった娘さんの両親と思われる。
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下の方には海外の方の名も。ちなみにアメリカの方が6名、英領香港の方が4名、インドの方が3名、韓国の方が3名、その他の国が5名、合計21名。
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記帳所兼悪天候時の待避所と思われる小屋。
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中には焼香台や遺族から持ち寄られたと思われる写真、メッセージ、オモチャや縫いぐるみなどが所狭しと並べられている。
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激しく揺れる機内でこんなメッセージを残して逝った方もいる。
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今六時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は
幸せな人生だった
と感謝している -
白樺などが植樹されているがまだ若いので広範囲な事故現場だったことが見て解る。それにしても急峻な現場だ。
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焼け焦げた樹木の一部が事故の凄惨さを物語っている。
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石碑は警察関係者が建てた慰霊碑。岩に描かれた×印は、捜索地点を示す目印として書かれたものらしい。
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数々の慰霊碑が林立している場所の一番上に3つの石碑が並んでいる。
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コントロール不能に陥ったJAL123を、エンジン出力の調整だけで30分以上持たせた高濱 雅巳 機長、佐々木 祐 副操縦士、福田 博 航空機関士の慰霊碑だ。
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尾根の裏側にも慰霊碑が林立している。その中に・・・
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坂本 九さんの慰霊碑もあった。
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V字型が残る尾根の向こう側にもう一つの尾根が見えた。JAL123は最初、あの尾根に接触したと思われる。現在もそうだが、御巣鷹山の上空は米軍・横田エリア(*)で民間機はもちろん自衛隊機であっても断りなしでこのエリアに入ることは出来なかった。
*2024年現在、上空一部に限って民間機使用が認められている。
墜落から約20分後の19時15分頃、米空軍のC-130輸送機が、群馬・長野県境付近の山中に、大きな火災を発見、正確な場所を航空自衛隊中央救難調整所に通報。19時21分ごろ、航空自衛隊の百里基地を緊急発進したF-4戦闘機の2機も、墜落現場の火災を発見して、事故現場の位置を通報した。
墜落から約1時間後の19時54分に、救難・救助のため見切り発進した百里基地救難隊のKV-107ヘリコプターは、46分後の20時42分に現場上空に到着した。20時33分になって、救難調整本部(東京空港事務所長)から航空自衛隊へ航空救難の要請(災害派遣要請)が行われた。
しかし、当時のKV-107救難ヘリは、両側面のバブルウィンドウ横に救難用ライト4灯を装備して夜間の救難作業は可能だったが、赤外線暗視装置などの本格的な夜間救難装備の無いことなどを理由に、事故当夜の救難員が降下しての救助活動は行われなかった。(Wikipedia参照)
これは憶測なのだが、燃えさかる墜落現場を見て、まさか生存者がいるとは思わなかったのではないだろうか。 -
しかし、在日米軍・航空自衛隊が把握した、墜落現場の位置報告は正しい情報であったにも関わらず、その情報が活かされることは結局無かった。
事故機の遭難から約1時間40分後と、遅れて出された航空自衛隊への災害派遣要請の背景には、運輸省航空局東京空港事務所の幹部判断である「位置が確認できないことには、正式な出動要請はできん」などや、運輸省よりの「レーダーから消えた地点を特定せよ」と何度も東京ACC(東京航空交通管制部)には電話が入るなど、所管行政当局である運輸省・航空局隷下組織の地上での位置・地点特定に固執した混乱や錯綜が窺われる。
陸上からは、群馬県警察・埼玉県警察・長野県警察が墜落現場の捜索にあたった。20時21分には、長野県警臼田署のパトカーが「埼玉県と群馬県境あたりに黒煙が見える」と通報。21時39分には埼玉・長野両県警のパトカーが三国峠の西北西に赤い煙を発見した。12日深夜までに、長野県警は墜落現場は群馬県側の山中であると発表した。
しかし、氏名不詳の110番通報によりもたらされた「長野県北相木村のぶどう峠付近に墜落した」との情報や、日本航空による22時の広報では「御座山北斜面」、運輸省は事故現場の緯度経度(北緯36度02分、東経138度41分)の他に「長野県南佐久郡御座山北斜面」、朝日新聞では防衛庁からとして「現場は長野県の御座山北斜面」などの誤報が繰り返され、これらの情報で地上からの捜索は混乱した。
墜落からおよそ14時間が過ぎた、8月13日午前8時半に、長野県警機動隊員2名がヘリコプターから現場付近にラペリング降下し、その後陸上自衛隊第1空挺団員が現場に降下して救難活動を開始。陸路からは、上野村消防団、群馬県警機動隊、警視庁機動隊、陸上自衛隊、多野藤岡広域消防本部藤岡消防署の救助隊が現場に到着し、ようやく本格的な救難活動が開始された。
8月13日午前11時前後に、4名の生存者が長野県警機動隊、上野村消防団などによって相次いで発見された。4人とも重傷を負っており、陸上自衛隊のヘリコプターで上野村臨時ヘリポートまで搬送され、4人のうち2人は東京消防庁のヘリに移し換えられて藤岡市内の病院に運ばれた。(Wikipedia参照)
事故後、心ない人たちから事故は自衛隊機が誤って訓練用空対空ミサイルを当ててしまい、その秘密を隠匿するため、わざと救助を遅らせたとか、救助に当たった自衛隊員が現場に毒ガスを蒔いたとか、果てはアーミーナイフを使って生存者を殺していったなどの悪質なデマが流されたようだが、私はそういった流言飛語を垂れ流す人たちの人間性を疑ってやまない。 -
山はすでに秋の気配を感じる。ん、あの根だけ残った樹に何か生えている。
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32年という歳月を感じる。しかし、亡くなった人を思う方が生きている限り、ここで天に昇った520人の魂は、その方の心の中に生き続けているのだと思います。
合掌 -
気分を変えて、今回のルートと双子のダムを紹介します。私は長野県に住んでいますので、まずはR141・佐久甲州街道を南下し、小海町の写真に映っている交差点を左折。なお、南相木ダム関連の取材は9月10日です。
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左折するとすぐに千曲川に架かる小海大橋を渡る。
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R141交差点から4.4km地点にある右ト交差点を右折。
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道なりに12.3kmほど進むとこの右ト交差点であるが、ここは直進して三川・奥三川渓谷方面へ。
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約20km地点でこんなH型をした珍しい交差点に遭遇。どちらに進んでも南相木ダムに行くのだが、左前方はダム上部へ、右前方へ進むとダム下部へ到着する。ここはまず右へ。
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500mほど先にある奥三川トンネルをくぐる。ちなみにこの日の取材車はスズキ・セルボSR。2009年、製造中止になる一ヶ月前に購入した貴重品。
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トンネルを抜けると前方に巨大なロックフィルダムが見えてきた。
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通常ダムの上には展望所を兼ねた広場があるのだが、このダムには下にも広場が造られている。
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ウズマク広場という名前がついている。
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ロックフィルダムの所以である大きな石が積み上げてある。
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立ち入り禁止の標識や柵などは無いので、登ってみた。
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これらの大きな石はダム工事中に出てきた石灰石で、写真では青っぽく映っているが実際はもっと白っぽい。
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大きさはこんなもんです。
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ウズマク広場を後にH交差点をUターンしてこんどはダム上部へ移動。途中に封鎖されたトンネルを発見。
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トンネルの名前を見てビックリ。あの日航機墜落事故(*)で有名になった御巣鷹山を貫くトンネルだった。
*事故現場は高天原山の尾根が正しい -
ダム上部にある天空の石広場にあった南相木ダムの碑。
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この日は好天だったこともありダム湖は綺麗な青い水を湛えていた。
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奥三河湖とも呼ばれている。
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南相木ダムは、2005年に長野県南相木村の南相木川の最上流に東京電力により建設された高さ136メートルのロックフィルダム。同じ2005年には県境を越えた群馬県上野村の神流川上流に上野ダムを建設、そして、この二つのダムの中間に揚水式水力発電所・神流川発電所を造り、将来的には最大282万キロワットの電力を発電するという壮大な計画に基づいて建設された。
上池である南相木ダムのダム湖の名は奥三川湖とつけられ、下池は奥神流湖と名付けられた。そして、奥三川湖に溜まっている水は下の奥神流湖から揚げられた水で、南相木川の水では無いそうだ。なお、先ほど見た御巣鷹山トンネルはこの2つのダムを結ぶ東京電力専用トンネルで、中間の地下に神流川発電所が造られている。
今、気がついたが案内図の左上にN(北)を示すマークがあるが、あの辺が日航機が墜落した高天原の尾根にあたる。 -
ダムの堰堤を歩いてみた。ロックフィルの下にはウズマク広場が、遙か彼方には八ヶ岳連峰が見えた。なお、南相木ダムは数ある日本のダムの中では最も標高の高い、標高1532メートルに堤体が位置している。よって冬期間は通行止め。
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ダム湖側はこんな感じ。ん、もしかして、あの山は・・・
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位置関係からして高天原山かと考えられるが、確信は無い。
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日付は再び9月14日に戻るが、今日は群馬県との境であるぶどう峠を超えて上野村を目指す。この快適な道路は北相木村の県道だが右前方に見えてきた山が墜落地点報道で誤報された御座山。
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峠の手前はこんな感じのワインディングロードが2kmほど続く。
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ぶどう峠に到着。見えている山は長野県側の山。
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群馬県側はこんな感じで、樹木に覆われなにも見えない。なお、舗装の状態は悪くないが、ところどころ狭小な部分があるので中型車以上の車は通行困難。
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県道124号線 上野・小海線という。交通量は少なく取材日は平日だったこともありすれ違った車は峠にいた1台だけだった。
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これが上野村方面へ下るワインディングロード。バイク屋さんが喜びそうな道だ。
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谷は結構深い。
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峠から14kmほど降りてくると橋を渡って右トの交差点あり。ここを右折すると御巣鷹の尾根方面。
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右折してすぐの所に浜平温泉しおじの湯あり。今回は時間が無いので残念ながら通過。
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しばらく行くと道は大型車が余裕ですれ違い出来る広い道となり、トンネルが連続するようになる。
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虎王トンネルと長岩トンネルの間に上野ダムの観光広場があるのだが、何故か案内標識・看板のようなものが見当たらない。3・11以来、東電はPR活動を自粛しているようだ。
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上野ダム/奥神流湖 の案内図がポツンとあっただけ。
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開放時間はこの通り。
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南相木ダムのところで説明した通り上野ダムも2005年に建設された。
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南相木ダムと違い、こちらは重力式コンクリートダム。
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上野ダムは数ある利根川水系のダムの中で6番目に高い堤高120mのダムであり、発電専用ダムに限れば利根川水系最大の高さである。有効貯水容量は12,670,000トンであるが、これは南相木ダムの有効貯水容量と全く同じである。
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1993年に調査が開始され、1995年の電源開発調整審議会において神流川発電所の建設を決定。1997年に本体工事が開始された。この二つのダムの周囲に人家は無く大きな反対運動も無かったことから工事は順調に進捗し2005年に神流川発電所1号機が運転を開始し、2012年には2号機が運転を開始している。6号機まで計画された神流川発電所が2020年にフル稼働すれば日本最大の揚水式発電所となるはずだが、これまた3・11の影響なのか工事は進んでいないように思える。
*東京電力のHPによると2024年3月現在、1・2号機が運転しているそうです。 -
偶然なのか必然なのか解らないが、この発電所の建設により御巣鷹の尾根まで続く道路は格段と良くなり、大型バスまでかなり上まで登れるようになった。発電所工事が終了の暁には御巣鷹山トンネルも解放され上野村から南相木村へ抜ける道路が開通するかも知れない。ダム湖の向こうには御巣鷹山、高天原山と思われる山々が見えるが、あの山で散った520名の御霊が、この奥神流湖を見下ろしているかも知れない。
事故の後、航空機の改良は当然として、縦割り行政の弊害により混乱した初期対応の反省から各省庁間意思疎通の改善、夜間でも救助活動が可能なヘリの導入、そして当事者となった日本航空の安全対策の徹底等により、JALではその後死者を伴う大きな航空機事故は発生していない。また、日本国内で発生した大きな航空旅客機事故も1994年に名古屋空港で発生した中華航空機事故以外は無いはず。
私は過去100回以上旅客機に搭乗しているが、幸い生命に不安を感じるような事態は一度も体験していない。大型旅客機墜落のような大きな航空機事故は滅多に起きないものだが、この世に100%は無い。せめて99.99999999%以上となるよう不断の努力を怠らないことが、過去の航空機事故で無念の死をとげた人々に報いる唯一の道であると私は思う。 最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
2024/03/07 一部修正
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この旅行記へのコメント (6)
-
- エヌエヌさん 2020/08/10 16:59:52
- 間もなく35年目ですね。
- 日航123便の事故についてはドラマ、映画などの知識はありますが、
現場をここまで見たのは初めてです。
坂本九さんは全日空派なのですが、突如の応援演説を頼まれたなんかでJALしか空席が無かった。
逸見正孝さんは新幹線に変更したか何かで難を逃れた。
とか思い出しました。
chiaki-kさまのおかげでこの大事故を後世に伝えていかねばと再認識しました。
- chiaki-kさん からの返信 2020/08/11 08:42:52
- RE: 間もなく35年目ですね。
- ・
エヌエヌさん、おはようございます。
島根&群馬旅行記に”いいね”をありがとうございます。
>間もなく35年目ですね
事故後に生まれた方が4000万人を超え、風化が始まっているよう
ですが、絶対に忘れてはいけない事故だと思っています。
本編のプロローグにも記載した通り、私も100回以上飛行機に搭乗
していますが、今まで一度も危険な目に逢ったことはありません。
単に運が良かっただけかも知れませんが、JL123便のような大きな
事故で犠牲になった方々のおかげ、とも言えるでしょう。
> chiaki-kさまのおかげでこの大事故を後世に伝えていかねばと
再認識しました。
いつかコロナ禍が収まり、安心して飛行機に乗れる日が来ると思い
ますが、事故で亡くなった人々のことを忘れず、安全に安全を重ね
て運航して頂きたいと思っています。
では、また。
chiaki-k
-
- くわさん 2017/10/04 20:42:48
- 沈まぬ太陽を思い出しました
- chiaki-kさん、初めまして。
イギリスの旅行記にいいねをありがとうございました。
日航機の墜落事故、墜落場所がまだわからなかったころ、テレビが「ぶどう峠へ行ったパトカーからは・・・」というような放送があり、ぶどう峠の位置を地図で見ながらニュースを見ていました。
先日、山崎豊子氏の沈まぬ太陽を読みました。御巣鷹山編はあまりにリアルな描写で心が揺さぶられました。
この旅行記の写真の山の斜面の切込み、これもすごいリアルですね。30年以上たってもまだ痕跡が残っているとは。
墜落直後はこんな山道も整備されてなかったでしょうし。関係者の方に頭が下がります。
↓沈まぬ太陽感想文
http://kuwa72.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-ae69.html
- chiaki-kさん からの返信 2017/10/05 09:22:16
- はじめまして
- ・
くわさん、はじめまして。
アメリカ旅行記に”いいね”をありがとうございます。
山崎豊子さんが「沈まぬ太陽」を週刊新潮に連載したのが1995-1999年
映画化されたのが2009年、TVドラマ化されたのが2016年ですね。
残念ながら原作及び映画・TV共見ていませんが、筋書きはおおむね
理解しているつもりです。
日本を代表する航空会社の組合委員長と副委員長との対照的な生き様
に日航123便の事故や、会社内部の不正や政界との癒着などを絡ませ
最後はかつて、左遷されたアフリカへ再び旅だってしまう正義感の
強い男を描いた長編小説ですね。
> この旅行記の写真の山の斜面の切込み、これもすごいリアルですね。
30年以上たってもまだ痕跡が残っているとは。
詳細は旅行記中に記載しましたが、本当に驚きです。
> 墜落直後はこんな山道も整備されてなかったでしょうし。関係者の方に
頭が下がります。
一番の功労者は黒澤丈夫・元村長ですが、上野村では末代までこの現場を
保存・管理することを決定し、専属の管理人を置き、事故現場となった
御巣鷹の尾根の清掃や慰霊碑等の管理を毎日やっています。
取材当日も管理人さんはいらっしゃいましたので、挨拶をしたあと、
坂本九さんの慰霊碑の場所などを教わりました。
ところで、くわさんの書かれた「イギリス2017・バッキンガム宮殿
内部見学」拝見しました。
バッキンガム宮殿は2013年にツアーバスで一周しましたが、ロイヤル
ミューズの塀、覚えています。
https://4travel.jp/travelogue/10780130
内部撮影が出来ないのは残念でしたが、きっと素晴らしいお宝を沢山
見学されたと思います。ちょっと羨ましいです。
なお、皇居の公開はわかりませんが、この10月から12月にかけて
赤坂迎賓館の一般公開を、使用日を除いてやっているようです。
http://www8.cao.go.jp/geihinkan/koukai.html
抽選ということなので、地方在住者は申し込みに二の足を踏んで
しまいますが、機会があれば見学してみたいですね。
では、また。
chiaki-k
-
- Charlielongさん 2017/09/17 13:41:14
- 合掌
- いつもありがとうございます。
私の高校時代の恩師もこの事故で亡くなりました。
慰霊碑にお名前が有るのを見て、先生を偲びました。
charlielong
- chiaki-kさん からの返信 2017/09/18 09:25:58
- RE: 合掌
- ・
charlielongさん、こんにちは。いつもありがとうございます。
この事故があった1985年8月12日はお盆の前日にあたり、祭壇に飾り
付ける花を販売する夜市が開かれていました。
ちょうど19時頃、花を買いに町に出かけていましたが何やらTVの前に
人だかりがしていて、事故を知りました。
旅行記中にも載せましたが、北相木村に落ちたのではというガセネタ
も報道され、もし本当ならこれはえらいことになるぞと思ったものです。
(私は事故現場から直線距離で30kmほどの長野県側に住んでいます)
翌日の朝のニュースで落ちたのは群馬県側だと知り、不謹慎ですが
ホッとしたことを覚えています。
その後、お盆で遊びに来ていた姪達をつれて隣町の市民プールへ
遊びにいったのですが、お昼近くに場内放送で生存者が救出された
との放送があり、拍手がわき上がりました。
> 慰霊碑にお名前が有るのを見て、先生を偲びました。
旅行記中にも記述しましたが、こうして故人を偲ぶ方が一人でも
いれば、まだその方は心の中に生きているのですね。
他の519名の皆様と併せて、ご冥福をお祈りします。
chiaki-k
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