2016/11/13 - 2016/11/13
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ガッサンさん
この小さな旅は、小江戸川越の原点とも言うべき、国指定史跡「河越館跡」「河越氏」を巡る歴史紀行です。河越氏を辿れば、歴史は古く平安時代です。
河越氏は桓武平氏秩父氏の流れを汲む、武蔵国で最も勢力を誇った武士です。秩父氏の庶子が平安時代の終わり頃現在の上戸に館を構え、河越氏を名乗りました。時は巡り、徳川家康が政権を奪取、江戸に幕府を開いたとき、徳川氏に気を遣い、河越の「河」の字を「川」へ改め、「川越」として現在に至っています。
治承4年(1180年)、源頼朝が伊豆で挙兵すると、河越氏は初め敵対しましたが、後に御家人となって平氏討伐軍に参戦します。この頃の河越氏の勢力は、重頼の娘が源頼朝の弟義経の妻に選ばれたことからも推し量ることができます。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「霞ヶ関駅」は東武東上線にある駅で、池袋駅から来ると川越駅、川越市駅を通り、入間川を越えた岸辺にあります。川を越えて入った、つまり「河越」です。
「霞ヶ関駅」のある場所は「的場」です。では何故「霞ヶ関」の名が付いたのか。この近くに[2020年 東京オリンピック]のゴルフ会場 霞ヶ関カントリー倶楽部があります。1929年に創立した名門ゴルフ倶楽部で、厳格な規定が世界中に波紋を起こしたことで有名にもなりました。この名門ゴルフ場の名前から「霞ヶ関駅」と名付けたそうです。ゴルフ場の名前から採った駅名で、珍しい名前の付け方です。霞ケ関駅 駅
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霞ヶ関駅北口に「周辺文化財案内」があります。河越館跡(かわごえやかたあと)・常楽寺・上戸日枝神社・鯨井の万作 など写真と案内がありました。
「霞ヶ関駅北口周辺文化財案内」の前で川越市の観光ガイドさん(有料)と待合せをしました。先ず、この案内を使用して、「上戸日枝神社」「河越館跡」「常楽寺」など、コースを案内して頂きました。霞ケ関駅 駅
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「周辺文化財案内」の隣に「霞ヶ関駅周辺案内図」があります。この近くを東山道武蔵道と鎌倉街道が通り、入間川岸辺にあり水運を利用でき、交通の要衝の地で開けたそうです。
霞ケ関駅 駅
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正面の建物は、東武東上線「霞ヶ関駅 北口」です。以前は南口しかなく、河越館跡に行くには踏切まで行き、それを渡り大部遠回りをしました。
霞ケ関駅 駅
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霞ヶ関駅がある地名は「的場」です。従って、この辺りは河越館に近く、武士達の弓を練習する場所だったのであろう。
平安時代・鎌倉時代の川越城(河越城)は小江戸川越と言われた川越城の場所とは掛け離れた場所にあった。霞ケ関駅 駅
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[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
上戸の日枝神社は関東でも古い日枝神社の一つです。河越氏の所領が、後白川上皇の創建した京都の新日吉社の荘園となった折に、上戸の地に勧請されたことが始まりとされます。本社には室町時代頃の懸仏(かけぼとけ)(市指定文化財)が伝わっています。鳥居の影が長く伸びて写っています。
東武東上線霞ヶ関駅から徒歩約10分 -
[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
日枝神社(新日吉山王宮)の由来が記してあります。 -
[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
小高いところに構える社殿(拝殿)。本殿は覆屋内にあります。 -
[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
境内には摂末社が合計10ヶ祀られています。(疱瘡神社、八幡神社、八坂神社、大地主神社、御嶽神社、白山神社 愛宕神社、戸衛神社、神明社、八坂神社)
ご利益の種類も豊富と言えます。
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[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
拝殿の正面です。
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[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
愛宕神社を記す石碑です。石碑の形状は富士山に似ています。 -
[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
境内には摂末社が合計10ヶ祀られています。 -
[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
拝殿から本殿への接続、階段部分です。猿が何かを携えています。 -
[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
拝殿から本殿への接続部に日枝神社の化身、猿か? -
[上戸日枝神社(うわどひえじんじゃ)](市指定史跡)
〇〇大神の石碑がありました。
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[河越館跡史跡公園]
河越館跡史跡公園は東武東上線 霞ヶ関駅北口下車、徒歩約15分。
入口には「国指定史跡 河越館跡」の石碑が立っています。奥に見える、木が茂る小高い土手は土塁の跡です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
河越館廻りには土塁が築かれていました。その跡は今でも残っています。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
河越氏は桓武平氏・秩父氏の流れをくみ、平安時代末から南北朝時代にかけて武蔵国でも有数の勢力を誇った武士です。このことは、河越重頼の娘が源義経の正妻になったこと、そしてこの広大な史跡公園からも窺いしれます。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
館跡を取り囲むように土塁が築かれていました。
室町時代、応安元年(1368年)平一揆が河越館にたてこもって、鎌倉府に反旗を翻しました。この乱を「武蔵平一揆の乱」と言います。この土塁でどんな攻防があったのだろうか。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
入口に戻り「国指定史跡 河越館跡」の石碑をアップで撮影してみました。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
河越館跡史跡公園の面積は4,850,918㎡、広大な面積です。やや奥にロープを張った通路があります。つい1週間前、流鏑馬を行ったそうです。鎌倉時代の面影が現代に甦ったに違いない。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
河越館跡史跡公園は河越氏時代の遺構を中心に復元した広場です。こんな広大な広場が、鎌倉時代から現在まで、開発もされず、よく残ったものだと驚嘆する。廻りは住宅街です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
鎌倉府と河越直重を中心とする平一揆との関係が悪化、応安元年(1368年)、平一揆が河越館にたてこもって鎌倉府に反旗を翻しますが、敗北します(武蔵平一揆の乱)。これ以降、河越氏は、歴史の表舞台から姿を消してしまうこととなる。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
史跡整備事業は3期に分けて実施する予定です。第1期史跡整備事業は平成19年度から21年度までの3ヵ年にわたり、整備面積は約13,300㎡を対象。まだ柵に囲まれた土地もあります。奥に見える建物は川越市立上戸小学校です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
窪みに砂利が敷き詰められて場所は、河越氏の屋敷地のまわりを囲んでいた堀です。幅約4m深さ約2mで南北約75m東西約100mの方形に巡っていました。河越館はこのような堀による方形の区画がいくつか並んで構成されていたようです。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
堀の向うに見えるのは塚状遺構です。河越氏の屋敷地内の霊廟あるいは納骨堂だったと考えられる遺構です。盛土の表面に石を葺き、周囲は溝で囲まれていました。
館跡を取り囲むように土塁が築かれていました。室町時代となった貞治6年(1367年)に鎌倉公方足利基氏が死亡すると関東を統治するために設置された政庁である鎌倉府と河越直重を中心とする平一揆との関係が悪化、応安元年(1368年)、平一揆が河越館にたてこもって鎌倉府に反旗を翻しますが、敗北してしまいます(武蔵平一揆の乱)。これ以降、河越氏は、歴史の表舞台から姿を消してしまうこととなります。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
根石の礫を持つ掘立柱建物跡の解説がありました。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
掘立柱建物跡です。河越氏の屋敷地内にあった建物の一部を平面的に表示しました。この建物は柱で屋根と床を支える構造をしており、柱穴の基礎の部分に根石が入っていました。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
中央に見えるのは「井戸跡」です。河越氏の屋敷地内にあった井戸です。同時代の絵画資料をもとに井戸枠を再現しました。内部の板材を方形に組み上げた井戸側(水を汲み上げる部分)は1.2m四方でした。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
「河越氏と茶」の解説がありました。中世の銘茶「河越茶」。そして、このお茶と深い関係があったと考えられる河越氏です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
「国指定史跡 河越館跡史跡公園」の立札です。前に見えるのはお茶の木です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
扇状に茶ノ木が植えられています。その前面には「茶太郎広場」が広がっています。様々な種類のお茶の木についてもお楽しみ頂く「お茶の薫る」広場でもあります。
「国指定史跡 河越館跡史跡公園」の立札です。前に見えるのはお茶の木です。
館跡を取り囲むように土塁が築かれていました。室町時代となった貞治6年(1367年)に鎌倉公方足利基氏が死亡すると関東を統治するために設置された政庁である鎌倉府と河越直重を中心とする平一揆との関係が悪化、応安元年(1368年)、平一揆が河越館にたてこもって鎌倉府に反旗を翻しますが、敗北してしまいます(武蔵平一揆の乱)。これ以降、河越氏は、歴史の表舞台から姿を消してしまうこととなります。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
「茶太郎広場」に隣接する「上戸小学校」の一室では、河越館跡の発掘調査で発見された出土品の展示をしています。
尚、日曜日(10:00~15:00)のみの開室になります。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
平安時代末の屋敷を区画する溝です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
河越館跡出土で「お守りに使った青磁の破片」が展示されていました。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
左側が「室町時代の集石墓と出土風炉」の写真です。右側が「14世紀頃の堀跡(上幅約4m)」の写真です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
上部の土器類は「山内上杉氏のかわらけ」です。赤い布の上に置かれている物は「銅製笄(どうせいこうがい)」です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
左側の写真は「沢山の柱穴や井戸跡」です。右側の写真は「中世の竪穴式の建物跡」です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
「東方上空から見た河越館跡」です。手前の土色の部分は入間川の河川敷グランドです。次の緑色のベルト地帯は入間川の土手です。従って、縦に走る道路は入間川の橋です。土手に隣接する校舎は上戸小学校です。校庭の水色の部分がプールです。プールの奥の茂みが「常楽寺」です。次に伺います。
河越館は入間川岸辺にあり、入間川の水運を利用できる地にあった。
常楽寺、上戸小学校の奥が「河越館跡」です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
「板碑と上戸陣」の説明がありました。また、井戸に捨てられた板碑の写真と展示もあります。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
「須恵器長頸壺(湖西産)」と壺の前に説明書きがありました。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園 資料展示室]
「河越氏の屋敷地を区画した堀」の説明が展示されていました。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
窪んで道路みたい所は、河越氏時代の堀区画です。河越氏の屋敷地のまわりを囲んでいた堀で、幅約4m深さ約2mで南北約75m東西約100mの方形に巡っていました。河越館はこのような堀による方形の区画がいくつか並んで構成されていたようです。
河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
区画外周の道路跡です。やや奥にロープを張った通路があります。つい1週間前、流鏑馬を行ったそうです。その奥の林は河越氏時代の土塁です。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[河越館跡史跡公園]
ロープを張った直線の通路は、流鏑馬を行うコースです。河越館跡史跡公園 名所・史跡
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[常楽寺]
平安時代末期から南北朝時代にかけて、武蔵国で最大勢力の豪族であった河越氏が拠点としていた河越館の跡地の一角にあります。常楽寺は河越氏の持仏堂が基となって発展したものとされます。
写真は鐘楼門です。門内左右には仁王像が置かれ別名「仁王門」とも呼ばれています。大晦日にはこの鐘楼門2階にある鐘をつく事ができます。 -
[常楽寺]
応安元年(1368年)の武蔵平一揆で河越氏が滅んだあと、長享の乱の際には扇谷上杉家の河越城を攻略するため、山内上杉家の上杉顕定がここに上戸陣を置いた。
写真は山門です。鐘楼門(仁王門)から撮影しました。 -
[常楽寺]
鐘楼門の裏に大きな釜が置いてありました。 -
[常楽寺]
鐘楼門の裏にポンプが置いてありました。 -
[常楽寺]
常楽寺の本堂です。本堂の右側に一遍上人の像があります。石灯篭は、かつて東京芝の増上寺の徳川家の墓所にあったものです。 -
[常楽寺]
写真は、河越重頼・京姫(郷御前)・源義経の供養塔です。京姫は義経の正室で、義経と4歳の娘と共に平泉・衣川館で最期を遂げ、重頼もそのため源頼朝に誅殺されました。 -
[常楽寺]
河越重頼・京姫(郷御前)・源義経の供養塔 建立の碑があります。 -
[常楽寺]
後北条氏が川越を支配すると重臣の大道寺政繁が領主となったが、豊臣秀吉の小田原征伐に屈し、秀吉の命で大道寺政繁はこの地で自害した。大道寺政繁供養搭がありました。 -
[常楽寺]
写真は大道寺政繁供養搭です。 -
[常楽寺]
山門をくぐり、参道を進んでいくと龍の意匠があしらわれた鐘楼門があります。門内左右には仁王像が置かれ別名「仁王門」とも呼ばれています。 -
[常楽寺]
鐘楼門(仁王門)の仁王様です。 -
[常楽寺]
鐘楼門(仁王門)の仁王様です。 -
[常楽寺]
境内には六地蔵があります。 -
イチオシ
[常楽寺]
常楽寺の山門です。通常ここから入ります。今回は河越館跡を見学後、常楽寺に来たので、鐘楼門(仁王門)辺りから入りました。 -
長屋門のある、風格あるお茶屋さんです。狭山茶の発祥の地は川越と言う。初めて聞きました。河越館跡に来て、中世の銘茶「河越茶」。そして、このお茶と深い関係があったと考えられる河越氏。まんざらでもない話である。
赤いブレザー姿の人は川越市の観光ガイドさんです。(有料) -
一面に広がる茶畑。こんな所にこんな広大な茶畑が。驚きました。
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ここは川越市。東武東上線霞ヶ関駅近くに広がる茶畑です。
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川越市にこんな広大な茶畑があるとは、全く気付かず知りませんでした。
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東武東上線霞ヶ関駅を目指して、茶畑の中を歩いています。
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まだまだ茶畑が残っています。
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茶畑の中へ住宅も建ち始めました。
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茶畑ともお別れです。
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住宅街の中に中国・兵馬俑にあるような像が二体飾ってありました。
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[川越市の蔵造りの町並]
伝 河越太郎重頼公の墓を見るため、東武東上線霞ヶ関駅から上り電車に乗車し、次の駅「川越市駅」で下車しました。
川越市駅から徒歩で曹洞宗の寺院「養寿院(ようじゅいん)」へ向いました。途中、蔵造りの町並を通ります。
川越蔵造りの町並みは南北430m、約70軒の商店が並びます。小江戸川越の代表的な景観です。 -
[川越市の蔵造りの町並]
訪れた11月13日(日)は幸運にも「蔵造りの町並」を歩行者天国にし、復活!唐人揃い─朝鮮通信使─ 多文化共生・国際交流パレード「唐人揃いパレード」が行われていました。
アイヌの皆さんが民族衣装を着て唄っている所です。 -
[川越市の蔵造りの町並]
養寿院(ようじゅいん)へ向いたいが人混みで中々前に進みません。 -
[川越市の蔵造りの町並]
アイヌの唄に合せ踊っています。 -
[川越市の蔵造りの町並]
弓矢を使用した踊りでした。狩りに行くときの神様へ祈りを捧げる踊りでしょうか。
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[川越市の蔵造りの町並]
アイヌの皆さんが手拍子で調子を取っていました。 -
[川越市の蔵造りの町並]
唄い手と踊り手が一体になっていました。 -
イチオシ
[川越市の蔵造りの町並]
朝鮮通信使の服装です。祭りの目的の一つに「朝鮮通信使を世界遺産に!」とありました。 -
[川越市の蔵造りの町並]
多文化共生・国際交流パレードです。衣装から朝鮮通信使一行のような気がします。 -
[川越市の蔵造りの町並]
ルーマニア中央部ムスチェル地方の民族衣装です。プラカードを持っての登場でどの国の衣装か、分かり易い。 -
イチオシ
[川越市の蔵造りの町並]
蔵造りの町並みを急ぎます。 -
[川越市の蔵造りの町並]
蔵造りの町並みを急ぎます。 -
[川越市の蔵造りの町並]
民族衣装から東南アジアからパレードに参加した人達だと思います。 -
イチオシ
[川越市の蔵造りの町並]
写真をお願いしたら気軽に応じてくれました。 -
[養寿院(ようじゅいん)]
養寿院は寛元(1244年)河越氏の当主・河越経重が開基となり、大阿闍梨円慶法師が開いた寺です。密教の古道場であったが、天文4年(1535年)に天台宗から曹洞宗に改められた。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
墓地内には河越太郎重頼公の墓があり、寺には岩手県雲際寺にある源義経と重頼の娘である正室の位牌の写しが安置されている。
立札の案内には「伝 河越太郎重頼の墓」となっていることから、信憑性が今一ハッキリしないのかもしれません。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
河越太郎重頼公の墓です。本堂の左側にありました。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
河越太郎重頼公の墓です。娘は源義経の正妻だった。婿殿と孫は共に平泉・衣川館で最期を遂げ、重頼もそのため源頼朝に誅殺された。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
河越太郎重頼公の墓の廻りには石碑が立っていました。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
石碑を見に行く人。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
「伝 河越太郎重頼の墓」を再度読み、帰りました。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
河越太郎重頼公の墓近くに古い灯篭がありました。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
徳川家康の関東入国の際に、家康から御朱印十石を賜った。家康は鷹狩りで立ち寄っています。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
本堂前の右に庭があり、石碑が立っていました。養寿院 寺・神社・教会
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[養寿院(ようじゅいん)]
立派な養寿院門です。蔵造りの町並みからちょっと入った所にあり、表は人通りが結構あります。養寿院 寺・神社・教会
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イチオシ
[蓮馨寺(れんけいじ)]
河越夜戦後の天文18年(1549年)、武蔵国河越城主大道寺政繁の母・蓮馨によって開基、開山は大道寺政繁の甥にあたる感誉存貞上人。従って、この蓮馨寺は河越と縁が深い。河越城主大道寺政繁は河越館近く常楽寺で自害している。蓮馨寺 寺・神社・教会
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[蓮馨寺(れんけいじ)]
蓮馨寺は、川越市にある浄土宗の寺院です。東武東上線川越市駅及び西武新宿線本川越駅から近く、蔵造りの町並みからも近いので多くの観光客で賑わっています。蓮馨寺 寺・神社・教会
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