2017/06/12 - 2017/06/12
5位(同エリア45件中)
ベームさん
6/12(月)、19日目。
今日はスミュール・アン・ノーソワからヴェズレーにサント・マドレーヌ寺院を訪ねパリに帰ります。
ブルゴーニュ、モルヴァンの丘の麓の人口数百人の小さな村ヴェズレー、そこにかっては各地から巡礼者が押し寄せ、いまも多くの観光客を引き付けるのは丘の上にマグダラのマリア/聖マリー・マドレーヌの聖遺物があるとされたロマネスク建築の至宝サント・マドレーヌ寺院があるからです。
9世紀中頃ベネディクト会が建てた修道院教会が始まりとされ、そこに修道士の一人がプロヴァンスのサン・マクシマン教会(マグダラのマリアが亡くなった所)よりマグダラのマリアの遺骨を持ち帰ったことから巡礼者が押し寄せるようになり、サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の出発地ともなりました。
聖ベルナールがこの地で第2次十字軍の派遣を訴え、1146年十字軍はヴェズレーから出発しています。
写真はサント・マドレーヌ寺院。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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サント・マドレーヌ寺院の建物は11世紀末から12世紀初頭にかけ建てられましたが1120年の大火に見舞われ、1138年ロマネスク様式で再建されました。ところが暗転、13世紀に入りサン・マクシマン教会で新たにマグダラのマリアの遺骨が見つかり、サント・マドレーヌ寺院の遺骨との間に真贋論争が起こります。結局1295年にローマ教皇の裁定によりサン・マクシマンのものが本物となりました。それ以降ヴェズレーから巡礼者の姿は消え寺院は衰退していくことになります。
16世紀のユグノー戦争、フランス革命で損壊が進みましたが1840年歴史記念物監督官プロスペル・メリメがバジリカの歴史的価値を発見し修復が進められ1876年今の姿になりました。 -
スミュール・リベルテのバス停。
8時27分発に乗りアヴァロンまで行きます。バスはバス停に停まる、という日本の常識で待っていたが時間になっても来ない。100mくらい先で1台のバスが停まって人が乗り降りしている。ひょっとしてと近寄ってみるとはたしてアヴァロン行きとなっている。あぶないあぶない。 -
アヴァロンへの途中。
ヴェズレーはアクセスの悪い所です。
スミュール・アン・ノーソワ~バス~アヴァロン~列車~セルミゼル~バス~ヴェズレーとなります。 -
バスはアヴァロン駅前に到着。9時9分。
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アヴァロン発9時44分発のTERでセルミゼルへ。
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アヴァロンからセルミゼルへのTERの車内。綺麗です。
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セルミゼル、正式にはセルミゼル・ヴェズレー駅。9時55分着。
ここでヴェズレー行のバスに乗るのだが猫の額ほどの駅前広場にバス停らしきものが無い。駅員に聞きたいが無人駅。SNCFのホームページでバス便があることは調べてあるが不安になる。
駅とバス停が離れていることはよくあることだから。 -
駅舎の壁をぐるりと見て回ると薄汚れた時刻表のようなものが貼ってある。
間違いない。セルミゼル・ヴェズレー発11:23、ヴェズレー経由コルビニー行き。ではいったいどこにバスが来るのか。
広場の隅に4台ほど車が止まっている。バンみたいな車に人が寝転んでいたのでここいらにバス停は無いか訊いてみる。どこに行くのか、と聞くのでヴェズレーだと言うと、この車だという返事。エッ、これがバス?。なんのことは無い、駅前に駐車している車の中にバスと称する車が紛れ込んでいるのだ。 -
ガイドブックにもヴェズレーへはセルミゼルからバスで行く、と書いてあるのだから旅行客に分かりやすいようにしてほしいものだ。
ホッとしたところで今度は時間を持て余す。バスと言ってよいかミニバンは11時23分発でそれまで1時間以上ある。付近には何もない、全く何もない。バンの運ちゃんはどうしているか見ていると、寝転んだり携帯で喋っていたり辺りをうろうろしたり。何時から停まっているかは知らないがまあ日本のバス会社なら従業員ををこんなに遊ばしたりはしないでしょう。
右の建物が駅舎、前に車が数台停まっている。 -
ヴェズレーのバス停付近。
セルミゼルでバスの発車間際にこれもバンタイプの1台のバスが走りこんできて数人の客がヴェズレー行のバスに乗り込んできました。その中に一人旅だという日本人の女性がいました。話を聞くとバックパックで結構世界各地を歩いているようです。
セルミゼル・ヴェズレー間は約15分。 -
鯰のような形のヴェズレーの街。一番下がバス停。上の赤いのがサント・マドレーヌ寺院。ずっと登坂です。
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ヴェズレーの村の入り口。この道を行くといよいよサント・マドレーヌ寺院に辿りつけるのです。
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サン・テチエンヌ通り。
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通りに入るとすぐ右手にゼルヴォ美術館というのがあります。
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ここはロマン・ロランが住み終の棲家となった所です。
”ロマン・ロラン、この館に住み1944年12月30日ここで死す”。
「ジャン・クリストフ」、「魅せられたる魂」の大河小説を書き、ヘルマン・ヘッセと共に反戦活動をしたフランスの作家です。1866年ヴェズレー近郊のクラムシー生まれ。1915年ノーベル文学賞受賞。 -
「ゼルヴォ美術館。ロマン・ロランの館」。
学生の頃ロランの本を読んでロランの終焉の地がヴェズレーということは知っていましたが、有名な教会があるなんてことは当時知る由も有りません。一度行って見たいものと思っていたのが今日実現しました。 -
緩やかな登りが続きます。
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路に埋め込まれている巡礼のシンボル帆立貝。
ヴェズレーはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の出発地の一つです。 -
ステンドグラスのアトリエ。
道の両側にはブティック、アート・ギャラリー、レストランなどが並んでいました。 -
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通りが二股に分かれています。
サント・マドレーヌ寺院に行くには右ですがちょっと左に入ってみます。角にレストランがあり後でここで昼にしました。 -
ポルト・ヌーヴ通り。
この建物、ジョルジュ・バタイユが住んでいました。 -
ここにジョルジュ・バタイユが住んでいた。
作家。1897~1962年。
彼の著作を読んだことはありません。 -
さらに少し下ると、
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門がありました。
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ポルト・ヌーヴ/新門。
反対側から。 -
ポルト・ヌーヴ 14~16世紀。
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元に戻りサント・マドレーヌ寺院に続くサン・ピエール通り。
オーベルジュ・ド・ラ・コキーユ。料理屋ホタテ貝、との意味でしょうか。人気のあるレストランのようです。
ぶら下がっている看板はホタテ貝。 -
元サン・ピエール教会の鐘楼。
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バジリカはもうすぐ。
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右手に村役場。
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見えてきました。
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聖女マグダラのマリア(サント・マリー・マドレーヌ)に捧げられたバジリカ、サント・マドレーヌ寺院です。
この寺院の日本語の呼び方ですが色々あります。
サント・マドレーヌ・(バジリカ)聖堂、バジリカ聖堂サント・マドレーヌ、サント・マドレーヌ大聖堂、サント・マドレーヌ教会、サント・マドレーヌ寺院など。
フランス語で、Basilique Sainte Marie-Madeleineと綴るのでサント・マリー・マドレーヌ聖堂となるのかなと思います。私はサント・マドレーヌ寺院を使いました。なんとなく寺院というイメージなので。 -
大聖堂前の広場の隅に建つ慰霊碑。
フランスのために死んだ勇者へ。 -
ロマネスク芸術の至宝。
1979年、ヴェズレーの教会と丘、として世界遺産に認定されました。 -
ファサードは19世紀に修復されています。
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中央扉。
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中央扉の最後の審判のタンパンは19世紀に修復されたものです。
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中央柱の柱頭。
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では中へ。
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扉を開けて中に入るとそこはナルテックスになっています。
ナルテックスとは入り口と身廊の間の広間、家で言えば玄関の間のことです。 -
シーンとした空間。
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身廊に通じる中央扉。これがサント・マドレーヌ寺院一番の見ものです。
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このタンパンは1130年頃造られたもので、ロマネスク彫刻のタンパンの傑作だそうです。
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キリストと12使徒のタンパン。
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手を広げて膝を横に曲げているキリスト。この姿勢は珍しいです。その衣の襞の波打つ様はとても繊細にできています。
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周りの奇怪な生き物の彫刻。
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中央柱の柱頭。洗礼者ヨハネです。
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中央扉の左右にも側廊への入り口があります。
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中央扉の右の入り口のタンパン。
イエスの誕生とマギ(東方三博士)の礼拝です。 -
柱頭。
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柱頭。
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堂内に入ります。
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窓からの明かりで意外と明るい堂内です。
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2色の石を交互に組み合わせた横断アーチ。
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身廊。
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内陣と祭壇、光あふれる後陣。
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主祭壇。
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聖母マリア。
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身廊と側廊を仕切る柱。
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1本だけ絵が描かれた柱があります。
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林立する柱は精妙に彫刻を施された柱頭を持っています。
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振り返れば身廊の入口、中央扉方面。
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側廊。
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側廊の壁に木の十字架が並んでいます。
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第2次世界大戦が終わった翌年1946年、平和を願うヨーロッパ各国の市民が平和十字軍を組織、14本の十字架を背負いヴェズレーに集った。それがサント・マドレーヌ寺院に納められたものです。
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これはアルザス地方の平和十字軍のものですね。
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ここに特別な十字架があります。
1946年。Allemagne(アルマーニュ、ドイツ)平和十字軍、と書かれています。 -
平和十字軍のことを聞き知った近くの捕虜収容所のドイツ兵士が、贖罪のため自分たちも参加させてほしいと志願。自分たちで木の十字架を造り行列に参加した。ありあわせの板で作ったのでしょう、欠けています。
それで十字架は全部で15本あることになります、数えませんでしたが。 -
1946年:平和十字軍。
ドイツ人捕虜たちの十字架。 -
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サント・マドレーヌ寺院の柱の柱頭はその出来栄えからロマネスク柱頭の傑作と云われます。何を表しているかよく分かりませんが(聖書の物語が多いようです)、私は想像力皆無につき皆様の想像力にお任せいたします。
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なおマドレーヌ寺院の柱頭についてはwizさんの旅行記「ロマネスク芸術の至宝、サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂」に詳しく説明されています。ご覧になってみてください。
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これは有名なようで、神秘の粉挽き、というのだそうです。
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復活したキリストにすがりつくマグダラのマリア。
奥にもぬけの空になった墓が見えます。 -
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地下のクリプタ。
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マグダラのマリアの聖遺物が納められている部屋。
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聖マグダラのマリアの遺骨と云われている聖遺物。
実はこれには真贋論争がありました。マグダラのマリアはプロヴァンス地方の洞窟で亡くなり遺体は近くのサン・マキシマン教会に葬られました。あるときヴェズレーの修道士がこの遺体をヴェズレーのサント・マドレーヌ寺院に移し、以後ヴェズレーのバジリカはマグダラのマリア信仰の聖地となります。
ところがサン・マキシマン教会で新たにマグダラのマリアの遺体が発掘され、ヴェズレーの遺骨は偽物だという事になり、両者の間で互いに本物はうちだという論争が始まりました。 -
最終的に1295年ヴァチカンのローマ教皇の裁定により、サン・マキシマンのほうに凱歌が挙がりました。途端にサント・マドレーヌ寺院には巡礼が来なくなり寺院も衰退に向かったそうです。げに聖遺物の威力は恐ろしいものです。
聖遺物とされるものは幾つも有ります。キリストが架けられた十字架(の破片)、キリストの手足に打たれた釘、茨の冠、聖血(キリストの突かれた脇腹から流れ出た血)、聖骸布(キリストの遺骸にかけられた布)等々。聖母マリアの聖衣(イエス誕生の時マリアが纏っていた衣)と称するものはあちこちにあるようで、全部合わせると巨大な衣になるそうです。釘も磔刑図で見ると3本ですが世界中で聖遺物の釘と称するものは何十本もあるそうです。
なお聖人崇拝・聖遺物崇拝はカトリックだけで、プロテスタントはこれを禁止しています。 -
サント・マリー・マドレーヌの聖遺物。
まだ聖遺物伝説にしがみついています。 -
地下のクリプタ。
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大聖堂北側。
この先の方に手洗いがあります。 -
手洗いまで結構距離がありますよ。お早目に。
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南側。
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眺望が素晴らしいという大聖堂の裏手のテラスに行きました。
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日本の夏によく見かけるタチアオイだと思います。
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昔の修道院の遺跡。
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テラスに出ました。
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ブルゴーニュの平原、モルヴァン高原を一望する眺めです。
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斜面ではブドウが栽培されています。
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テラスから大聖堂。
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日が射し太陽も西に回って来たのでもう一度大聖堂に行きました。
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綺麗な写真が撮れました。
中年のおじさんたちのオートバイの一団が広場にたむろしています。騒音は立てていませんでした。 -
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ファサードの拡大。
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大聖堂前広場。
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大聖堂前広場。
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ぼちぼち帰途に就きます。
サン・ピエール通り。 -
時々横道にそれながら。
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フランスは目下総選挙中。
ポスターの掲示版、その都度作る日本と違ってもう何十年も使っているのでしょう。 -
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横道。
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横道に入るとこのような古い石造りの家が並んでいます。
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サン・テチエンヌ通りを下っています。
郵便局があったので葉書を出す。 -
麓のバス停まで降りてきました。バスまで時間があるので少し別の道を歩いてみます。
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丘の裾を廻る道です。
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花には詳しくないので、アジサイの一種かな。
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ジャン・クリストフ・センターというプレートが架かっている塀がありました。
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「パリ大学分館。ジャン・クリストフ・センター。ロマン・ロラン寄贈」。
ここもロマン・ロランの所有だったのですね。それでロランの代表作の名を冠したのでしょう。 -
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塀の隙間から中を覗く。
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道の右手にはぶどう畑が広がっていました。先ほど寺院のテラスから眺めた風景です。
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モルヴァン高原の風景。
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先の方に寺院の頭が覗いているので、この道は先ほどのテラスの下に続いているようです、が行きません。そんな元気は残っていません。
ヴェズレー詣で終わり。
16時30分のバスでセルミゼルへ。来るときと同じバンで同じ運転手でした。 -
バスでセルミゼルへ。セルミゼル発16時57分のTERでパリへ。
来るときバスで一緒になった日本人女性は帰りも一緒で途中オーセールで降りていきました。ここに宿をとってブルゴーニュ地方を巡っているとのことでした。
パリ、ベルシー駅着19時22分。地下鉄14号線で一駅ですがリヨン駅からホテルへ。
2泊3日のブルゴーニュの旅の終わりです。天気に恵まれた旅でした。
明日はまたまたシスレーの街、モレ・シュル・ロワンへ出かけます。
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この旅行記へのコメント (5)
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- wiz さん 2017/08/31 19:25:33
- バス-列車-バス
- ベームさん、Bonsoir!
ベームさん、スミュール・アン・ノーソワからヴェズレーへの移動、私はアヴァロンまでバスで行ってそこからタクシーなのかな、と想像していたのですが・・ アヴァロンからセルミゼル・ヴェズレー駅まで列車に乗り、それから1時間後のバスに乗るとは、ちょっと大変でしたね~。
私も、セルミゼル・ヴェズレー駅かとヴェズレー間のバスは、往復とも、ベームさんと同じような時間のバスに乗ったのですが、今回、駅からのバスが分かりづらかったのですね・・。 私の時は、パリからの日帰りをしたので、パリからの列車が到着する時間に合わせて、ちょうど駅前にバスが来てくれる感じだったので、何も迷うことがなかったのですが・・。 旅行記やクチコミにも写真を載せたのですが、こんな感じでバスは止まってくれました。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/27/32/55/src_27325501.jpg?1382619036
それにしても、ベームさんの今回の旅のお写真は、ほとんど青空で撮られていて羨ましいです。 屋外の写真は、やはり青空が一番ですね~。
今編は、ヴェズレーのナルテックスのお写真が雰囲気がよく出ていて素敵でした。
ベームさんの次編、こちらも私も訪問したことのあるモレなので楽しみです。
wiz
- ベームさん からの返信 2017/08/31 21:42:12
- RE: バス-列車-バス
- wizさん、
セルミゼルのバスの写真拝見しました。フランス国鉄のバスですね、あれなら本物のバスですね。私の乗ったバスはwizさんの写真の真ん中、黒いバンが写っていますがあんなタイプの白い車でした。
今度のフランス旅行記でwizさんのそれを参考にさせて頂いているのですが、あまりにも訪問先が同じなのでなにかwizさんの後をずっと追っかけているような気がしていました。そしてさらにびっくりしました。
今モレ・シュル・ロワンの旅行記を作りかけていて、先ほどwizさんの旅行記を拝見した所ロワンのあとマルモッタン・モネ美術館に行っておられるではありませんか。私もそうだったのです。なんたる類似性、まさにビックリです。近々アップしますのでよかったら覗いてみてください。
ベーム
- wiz さん からの返信 2017/08/31 22:07:35
- RE: RE: モレ-マルモッタン
- ベームさん、
お返事ありがとうございます。
あの写真の黒いバンのようなタイプの白い車だったんですね! ベームさんが、バスが分かりいにくく、バンと書かれていたので、今は小さい車が走っているのかなぁ?と想像しながら読んでいました。
そうそう、それから、ベームさんの旅行記を読んでいると、後でマルモッタン美術館でピサロをたくさん見た(いいなぁ!)と書かれていたけれど、現在のところ、マルモッタン美の旅行記が出ていないので、もしかしたら、モレの後にマルモッタン?、だとしたら私と同じコースだなぁ・・とこれも心の中で思いながら読み進めていたんですよ~。 やはり、そうだったんですね!
私も、今回のベームさんの旅の行先が、自分が過去に行った場所とけっこう重なっていたので(はじめに旅程を拝見した時に)とても興味深く思っていたのです!
wiz
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- mistralさん 2017/08/31 18:18:05
- ヴェズレー
- ベームさん
こんにちは。
最後となるか?、、、とのタイトルのフランス旅
拝読させていただいております。
しばらく時が経ちますと
きっと旅立ちへの想いで再びウズウズされるのでは
ないでしょうか?
ベームさんの旅行記を待ち望んでおりますファンが
おりますこともお忘れになりませんよう。
さて、ヴェズレーの地への旅行記
じっくり拝読させていただきました。
行き方などの詳細な説明も、いざ旅立つ折には
大変参考になりそうです。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道
最後の100キロを歩いたこともあり、
スタートの地でもありますヴェズレーには
いつの日にか立ってみたいと想っております。
その折にはきっとベームさんの旅行記、
再び参考にさせていただきます。
mistral
- ベームさん からの返信 2017/08/31 22:07:06
- RE: ヴェズレー
- mistralさん、
今晩は。メッセージ有難うございます。おまけに励ましていただき恐縮です。
あんなタイトル付けなければよかったのにと後悔しています。
皆様の旅行記を拝見しているといつ又その気が起こらないとも限りません、が目下のところはタイトルの心境のままです。
サンチャゴ・デ・コンポステラへ行かれたのですか、しかも最後103キロを歩かれて。素晴らしいことです。足腰の弱い私には夢の様な話しです。
フランスからの巡礼の道は幾つかあるようですが、いつの日か是非ヴェズレーの地を訪れてみてください。
ベーム
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