2017/06/10 - 2017/06/10
19位(同エリア375件中)
ベームさん
6/10(土)、17日目。
今日から2泊3日のブルゴーニュの旅です。1日目はブルゴーニュの奥深くクリュニーの修道院を訪ね、マコンに1泊します。
クリュニー修道院は11世紀に起こった修道院改革運動の中心でした。
910年頃アキテーヌ公ギヨームによりベネディクト会の修道院として設立され、ローマ教皇の直轄、王侯の庇護の元隆盛を見ます。
10世紀末ころからキリスト教界全体が世俗化し、聖職売買、聖職者の腐敗、世俗権力の介入が進みます。クリュニー修道院は世俗権力からの独立、ローマ教皇に直結する修道院組織の確立、厳格な戒律遵守を掲げ修道院改革運動をすすめその中心となりました。
その動きは高位聖職者叙任権闘争へと繋がっていきます。司教、大修道院長の叙任権がローマ教皇にありや、或いは王侯領主にありやという争いです。
1077年の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世のカノッサの屈辱などの出来事がありましたがこれは別の話になります。
12世紀中頃までがクリュニー修道院の最盛期で、管轄下に置く修道院の数は1500ともいわれていました。しかし巨大化、権威化、修道士の生活の華美化などが他の修道院派、特にシトー派修道院から非難を浴び、クリュニー修道院は徐々に衰退に向かいました。
12世紀ロマネスク建築の最高峰といわれた建物は16世紀のユグノー戦争で荒廃し、フランス革命で大部分が破壊されてしまいました。石材はほかの建物の資材として持ち出されてしまい今残っている部分は往時の10分の1ほどだそうです。
中世ヨーロッパに絶大な権勢を誇ったベネディクト派の大修道院、今その廃墟を見て、つわものどもが夢の跡、の感に堪えませんでした。
なおパリの中世美術館はクリュニー修道院長のパリ別邸として建てられたものです。
写真はクリュニー修道院の遺構。左聖水の鐘楼と右時の塔。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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パリから2泊3日でブルゴーニュ地方、クリュニー、マコン、スミュール・アン・ノーソワ、ヴェズレーの旅です。
振り返ってみると、ブルターニュ、サントゥル、ブルゴーニュとパリを拠点によくもまあ動き回った物でした。 -
朝のリヨン駅。
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7時45分発TGV6605で出発します。
行先はマコン・ロシュ・TGV駅。 -
TGVはブルゴーニュの穀倉地帯ををひた走ります。
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マコン・ロシュ・TGV駅、9時33分着。
ここでクリュニー行のバスに乗り換えです。 -
バスの行先表示。
バス停は駅を出てすぐ右、数人が固まっていたので見当が付きました。でも乗る時は必ず目的地に行くかどうか運転手に確かめます。
表示に次の停車はクリュニー・ガールとなっていますが、降りるところはクリュニー・ガールではなく、その一つ先のクリュニー・ヴィルです。2ユーロ。 -
途中のどかな風景。
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クリュニー・ヴィルのバス停は修道院の裏側にあるので、修道院の塀に沿って表側まで歩きます。見えているのは聖水の鐘楼と時の塔。
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道しるべも見当たらないので前の人についていきました。
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薬局。
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修道院の入り口側に来ました。
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8月11日広場です。
フランスにとってこの日は1914年第1次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国に宣戦布告した日です。
もし日本が太平洋戦争に勝っていたら全国いたるところに、昭和16年12月8日通りとか広場が出来ていたでしょう。ドイツにビスマルクの像が一杯あるように日本にも東条英機像があちこちに建ったことでしょう。負けてよかった。 -
賑やかに市が立っています。
ふとこんなことを思いました。キリストはエルサレムに入って、聖なる神殿を商人や両替商たちが占拠しているのを見て追い出します。ここをなんと心得ているのか、と大剣幕です。 -
ここでは修道院の門前で現代の商人たちが商いをし庶民が楽しんでいます。
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私も浮かれて帽子を買ってしまいました。23ユーロ。ホテルに帰って鏡で見ると滑稽なので被るのやめました。
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広場に建つこの建物は11世紀に遡るクリュニー最初のホテルです。
訪れる修道士たちの宿泊施設だったそうです。 -
クリュニー修道院の入り口。
催事のテントなどが取り付けられていて分かりにくかったです。
入館料は後で昇るチーズの塔との共通券で11ユーロ。 -
入り口から続く回廊。
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なにか催しがあるらしく赤い毛氈が敷かれていました。
奥に見える出口を出ると、 -
大きな庭というか広っぱに出ました。
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建物の右下の扉が回廊の出口です。
回廊のある建物は後世に建てられたもので、後ろの2本の塔が昔の修道院の遺構です。 -
これらの建物は元からあった修道院ではなく、後に建てられたものです。
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広っぱの先まで行って振り返った所です。
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広場の片隅に丸い塔が見えます。
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その名もロンド(丸い)塔。
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もう一方の隅にビュットヴォー塔。
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クリュニー修道院の復元図で、今残っているのは白い塔のある部分、南側の翼廊だけです。黒い部分が失われた部分。全長190m、高さ40mの巨大なものだったそうです。手前の四角い区画は回廊も含めのちに建てられた部分です。
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残っている遺構に入ります。南側の翼廊です。
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フランスのロマネスク教会の絵図。
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真中に描かれているのがクリュニー修道院、上がヴェズレーのサント・マドレーヌ教会、左がラ・シャリテ・シュル・ロワールのノートルダム教会、下がモワサックのサン・ピエール教会。
いずれもロマネスク建築の傑作です。 -
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かの隆盛を誇ったクリュニー修道院、栄光の夢の跡です。
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左聖水の鐘楼、右時の塔。
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左、聖水の鐘楼、62m。
右、時の塔。
この二つは12世紀の原型をほぼ保っています。 -
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破壊が激しく、残っている部分だけではどうしてもかっての全体像が掴めません。
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聖水の鐘楼。
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ジャン・ド・ブルボンの礼拝堂。
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柱頭部分。
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壁に取り付けられた奇怪な人物。
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巨大な柱。
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柱の基礎部分。石材の殆どはフランス革命の際持ち出されてしまいました。
これで修道院を後にしました。あまりにも破壊が激しく、残っている部分が少なく、在りし日の姿を想像することが出来ませんでした。
むしろクリュニー修道院は残った建物の遺跡よりも、修道院改革運動により中世キリスト教界に果たした役割に思いをはせるべきでしょう。 -
フロマージュ(チーズ)の塔。
観光案内所が入っています。 -
フロマージュ(チーズ)の塔に上りました。階段数は120。
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クリュニー修道院。
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クリュニー修道院、聖水の鐘楼と露店の出ていた8月11日広場。
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クリュニーの街。
美しい高原の中にある村です。 -
今から900~1000年前、ブルゴーニュの奥深く周りに何もないこの地にあった修道院が西ヨーロッパのキリスト教界に強大な影響力を振るっていたのです。神聖ローマ帝国(今のドイツの母体)でもシュヴァルツヴァルト縁辺のヒルサウ修道院が中心となり修道院改革運動が広がりました。2009年でしたか、ヒルサウを訪れましたがやはり廃墟でした。
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ノートルダム教会。
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120段の階段と展望室。
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修道院の模型。
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昼はシーザーサラダとビール。
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修道院の近くのノートルダム教会に寄りました。
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ノートルダム教会。
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第1次世界大戦の犠牲者。
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クリュニーの街並み。
バス停の方に戻ります。 -
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今の修道院の一部に音楽と踊りの学校が入っていて今日はその学生たちの催しごとがあるようで、変なはっぴを着た若者たちが歩き回っていました。
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もうちょっと壮大な遺構を期待していたのでいささか物足りない気持ちで今日の宿マコンに向かいました。
バスは途中今朝降り立ったマコン・ロシュ・TGV駅を経由しマコンに向かいます。 -
マコン駅裏にバスは到着。
マコンはブルゴーニュの最南端に位置し、リヨンまでもうすぐです。ソーヌ川沿いにありソーヌ・エ・ロワール県の県庁所在地、人口3万強。
ブルゴーニュワインの生産地の一つマコネー地区の中心です。どちらかというと大衆ワインで、マコネーの辛口白ワインは気軽に飲めると人気のようです。 -
ヴィクトール・ユーゴー通りを10分弱歩きました。
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途中、郵便局。
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今日の宿オテル・ド・ブルゴーニュ。1泊7200円。
ここで今回の旅行で初めてバスタブ付きの部屋に出くわしました。 -
ホテルの前のバール広場。
ブドウ栽培家とブドウ摘み人に捧げる像。 -
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ソーヌ川に向かってバール通りを下ります。
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街で一番賑やかな地区です。
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ソーヌ川に出ました。ヴォージュ山地を源にします。
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ソーヌ川に架かるサン・ローラン橋。
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最初の架橋は11世紀。
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両岸には美しい風景が広がっていました。
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右岸。
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右岸の街並み。
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左岸の風景。
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川上方面。
川にコースを作りボート競技をしています。 -
川下方面。
南に流れてやがてリヨン付近でアルプスから流れ出たローヌ川に合流します。 -
ラマルティーヌ河岸からのサン・ローラン橋。
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何かの遺跡のようです。
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ラマルティーヌ河岸のレストラン。
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ラマルティーヌ像。
アルフォンス・ド・ラマルティーヌ:1790~1869年。
マコン生まれの詩人、作家、政治家。フランス・ロマン派の代表的詩人とされる。「瞑想詩集」ほか。
人生の後半は政治家として活動。1848年国王ルイ・フィリップ失脚後の大統領選挙に出馬しナポレオン3世に敗れています。 -
暑い日差しのなか物憂い風景。
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目下フランスは総選挙中。
今まで選挙運動の風景には全くお目にかかっていなく、ポスターの掲出の仕方も日本のそれとは違いますね。 -
マコン市庁舎。
18世紀。 -
サン・ピエール教会。
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サン・ピエール教会。
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身廊と太い円柱で仕切られた側廊をもつ大きな教会です。
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内陣。
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祭壇。
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ホテルに戻りました。
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ホテルで日本か中華料理の店を訊ねたが無く、ここが美味しいと教えてくれたタイ料理の店に行きました。なるべく量が少なく油っこくないものと一生懸命伝えたつもりで、出てきた訳の分からない料理を食べています。マコンワインを試しました。私にはワインの味はわからない、ボルドーでもアルザスでもマコンでも、どこのを飲んでも同じです。ワインを飲む時は水を頼みます。水道水はただです。
初めてのバスタブにゆっくり手足を伸ばし、明日はスミュール・アン・ノーソワへ行きます。
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