2017/05/31 - 2017/05/31
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tono202さん
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昨年、回った端四国八十八ヶ所。半田町の後半がまだお参りできていませんでした。お堂を巡りながらソラの集落を訪ねます。今回は88番の赤目庵をスタートして半田川左岸のお堂を原付で「逆打ち」します。
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やってきたのは半田町の小野浜港。
半田に港があるんかい?と聞かれると「かつてはあったんですよ」と答えるしかないのですが・・・。
半田川が吉野川に合流する手前に港はありました。
この常夜灯は、川港の燈台の役割を果たしていたそうです。 -
鉄道が池田ー徳島間に建設される以前は、吉野川の水運が大きな役割を果たしていました。この港から半田の特産物が積み出され、川港として賑わいを見せていたようです。ここに陸揚げされたものは、影などを経て落合峠を越えて祖谷方面にも運ばれていったようです。
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さて、スタートは88番赤目堂。
JR池田線沿いの旧街道沿いを探すのですが、なかなか見つかりません。
人を見つけて聞いてみると「これじゃがで・・」とこの建物を指さします。 -
赤目地区の集会場ともなっているようで、私のお堂のイメージとはまったくちがっていました。
88番赤目堂から逆打ち巡礼の開始です。 -
そのとなりの赤目踏切のむこうに見つけた気になる建物・・・。
洋館のような建物です。 -
玄関アプローチがあり作りもおしゃれです。
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だれもいない無人の建物。
かつての個人病院だったそうです。 -
となりの日本建築の本宅と渡り廊下でつながっています。
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本宅を正面から見ると・・・・
ロボットのような・・威厳があります。 -
87番石花庵を探して半田小学校周辺の小高い丘を見回しながら原付で行ったり来たりすると・・・
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それらしき屋根が見えてきました。87番石花堂です。
半田町の市街地周辺のお堂は、壁がつけられ集会場としても使用されているものが多いようです。 -
次は86番 田井井黒堂をめざします。現在の道路から離れていてしかも幹線町道沿いにありません。なかなか手こずりましたが保育所の裏側にありました。
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町指定の槇と銀杏の木陰の下にありました。
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ここにも立派な庚申碑が建てられています。
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次は85番西地庵です。
ここは半田川がおおきく屈曲する大地の上に鎮座する八坂神社に隣接しています。 -
ここも集会所として利用されていました。
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青面金剛でしょうか。
「一身四手で、左の上手には三股、下手には棒を、右の上手の掌には宝輪、下手には羂索をもつ。身体は青色で口を大きく開き、目は血のように赤く三眼である。髪はほのおのように聳立しどくろをいただいている。両足の下には二鬼をふんでいる。本尊の左右には香炉をもった青衣の童子が一人づつ待立し、また右側にはほこ、刀、索をもつ赤黄の二薬叉(やしや)が立っている」の記述通りです。
「伝尸」(でんし)と言う悪い病気を封じ込める神で「三尸の虫」を封じる神として、端四国八十八ヶ所のお堂周辺に建てられています。 -
となりの八坂神社の境内には、狛犬と並んでこんな随身さん(?)も本殿をお守りしていました。
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本日の五番目は84番西山庵です。83番の於安御前に登っていく途中にあります。
道沿いにありますが、旧貞光町のお堂に比べるとお堂らしくない印象です。
集会場としての機能が強くなって来るとこうなってくるのかな。 -
ここにも大きな庚申石版があります。
当時の人々はこんな風に信じていました。
人の体内に3匹の虫がおり、60日サイクルでやってくる庚申の夜は悪さをする。
1つは頭の中に居て彭■(ほうきょ)と言い、首から上の病気をおこす。
2つめは彭質(ほうしつ)と言い、腹の中にいて五臓を病気にする。
3つめは足にいて彭矯(ほうきょう)と言い、人を淫乱にする。
これを三尸(さんし)の虫と言い、庚申の夜に人が眠ると人体から抜け出て天にのぼり、その人の犯した罪過を天帝に報告して、その人の生命を縮める。庚申の夜に身を慎み徹夜すると虫が人体から抜け出すことができない。」と
そのため虫から身を守るため一晩眠らずに夜を過ごす。これを「守庚申」(まもりこうしん」と呼んだそうです。
一般民衆が庚申塔を建て、庚申講をつくり、庚申待を行う様になるのは江戸時代のはじめ、寛文(1657)頃からです。徳島県で一番古い庚申塔は市場町上喜来に明暦3年(1657)のものがあるそうです。 -
県道から離れて、平良石集落への道を登ります。
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眼下に半田の街並みと吉野川の向こうに阿讃の山脈が連なります。
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平良石集落は愛宕柿の名産地。山一面が柿畑でよく手入れされています。
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柿畑の中の道を上へ上へとたどると道路のすみに隠れるように道標がありました。
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集会所らしき建物が現れました。
農作業をしていた人に確認するとこれが78番平良石堂です。 -
ここには児童公園も整備されその奥には庚申石版が建ちます。
ソラの集落には、各部落に氏堂(うじどう)があって、その周辺に庚申塔がある。
氏堂は部落の「聖地」で念仏踊りなども氏堂を中心に行なわれてきました。
ここでも氏堂の庚申塔のそばにもっと年代の古いと感じられるお顔もさだかではない石地蔵か丸形の石を祀る祠がいくつも並んでいます。
江戸時代以前の人々はこの祠を中心にして信仰をつづけてきたのでしょう。それが庚申信仰も受けいれて来たのではないかと思いました。
そして、その信仰の中心にいたのは修験者(山伏)でした。 -
振り返ると茶畑の向こうに柿畑が続き、かなたに半田の街並み、その向こうの阿讃の山脈がだんだん遠くなって行きます。
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柿畑の中を縫うように続く急勾配の道を原付バイクはあえぎあえぎのぼります。
貯水塔からは新鮮な水があふれ出しています。
マイカップを出して一杯頂きます。
冷たくて美味しい。元気回復。
79番大床堂を目指します。 -
柿畑の中に囲まれるようにある家。ここで道を聞きました。
90歳になるお婆ちゃんが現役で柿畑の世話をしていました。
今後に供えて築百年以上経った家をバリアフリーに改造中でした。
「住めば都。ここで私はまだまだ頑張るで・・」
お婆ちゃんからも元気をもらいました。 -
お婆ちゃんに教えられなかったらたどり着くことは出来なかっただろう79番大床堂。
中では、お茶畑の手入れに孫連れでやって来たお婆ちゃんが、休息中でした。
「10年前に新しくお堂を建て直したんで・・。その時の主だった人も今はもうおらんようになった。お盆の時に帰省した若い人たちがここに集まって酒盛りしたり、いろんな人が使ってくれよるんで・・」 -
庵の横にはお婆ちゃんが手入れした茶畑が広がっています。
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般若心経を唱えておにぎりを食べて、ついでに昼寝までさせていただき庵を後にしました。
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そして、前後しますが80番影の観音堂。
大きなカゴノキに守られるように佇んでいました。
お堂の横を通る道は、今日のスタート地である半田の川港に続く街道です。
そして落合峠を経て祖谷にも続きます。
祖谷の人々が重い荷物を瀬に往来した街道でもあったようです。
お堂は茶屋として簡易宿泊所としても使われたのかもしれません。 -
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そしてここにもおおきな庚申板が建っています。
天保年間のもので今から約200年昔のものになります。
街道を行く人たちは、驚きを持って見上げたことでしょう。
そして影の人たちにとっては誇りのモニュメントであったのかもしれません。 -
ここからは半田町がかなたに見えました。
以下はまた次回に・・・
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