2017/04/26 - 2017/04/26
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kaze99さん
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鎌倉の朝比奈切通しと、その先の三浦半島の浦賀をドライブ。
朝比奈切通し-永福寺跡-観音埼灯台-東叶神社-浦賀奉行所跡-浦賀の渡し船-廻船問屋跡-浦賀燈明堂-ペリー記念館
- 旅行の満足度
- 3.5
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鎌倉の十二所神社
鎌倉時代初期には存在していたのは確かだそうだ。 -
県道204号金沢鎌倉線から、脇道へ入る。
鎌倉市歴史的風土保存地区だ。 -
林道ぽい道に太刀洗川が流れる。
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太刀洗水の説明文
後で調べると梶原太刀洗水というのだそうだ。
源頼朝は、関東最大勢力の上総介広常に挙兵を助けられたが、その後御家人の梶原景時に命じて寿永2年(1183年)に謀殺させ、このとき広常を討った刀をこの湧き水で洗ったと伝えられている。 -
しばらく進むと、朝比奈切通しの入口があった。
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車止めの先には、小さな三郎の滝があった。
朝夷奈切通を一夜にして切り開いたという伝承が残る「朝比奈三郎義秀」に因んで名付けられた。 -
道は登坂で、所々階段状になっている。
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鎌倉と金沢(六浦)を結ぶ切通し。
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石の地蔵さん
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最も高いところに到達すると、大切通の磨崖仏があった。
案内板は無く、向こうから来た場合、振り向かないとこの磨崖仏に気付かれない。 -
磨崖仏から少し下ると、植林されたような林に出た。
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その道角に標識があった。
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熊野神社入口。
この先神社は見えなかったので、進むのをやめて、今回はここで引き返すことにした。 -
戻り道で、最も道幅が狭い所。
この先に先ほどの磨崖仏がある。 -
南無阿弥陀仏
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所により、道に流れる水でぬかるんでいる。
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三郎の滝まで戻って来た。この路地を逆に行くと十二所果樹園がある。
次は、鎌倉の未知の史跡に向かう。 -
永福寺跡の阿弥陀堂
先週のNHKの歴史番組で、この史跡の存在を知った。 -
発掘により、本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂とその前に大きな池を配した浄土式庭園を持つ壮大な寺院。
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発掘をもとにしたCG。
遠い将来これらが当時のように再現され、鎌倉の名所になるだろう。 -
奥州合戦で亡くなった義経や藤原泰衡ら数万の霊を供養するために建てられた大寺院だそうだ。
ようやく公園の1部に立ち入りができる。 -
三浦半島を南下し、観音埼灯台に来た。
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観音崎海水浴場沖には軍艦?
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浦賀に入る。
(東)叶神社に来た。 -
この蘇鉄は、源頼朝公、源氏再興の折、伊豆より移植奉納されたものと説明がある。
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裏山の長い登り階段を上がりきると、勝海舟断食の跡があった。
咸臨丸でのアメリカ行きを前に断食修行をしたといわれる。 -
浦賀奉行所跡
浦賀湾を西へ廻る。アパート敷地の中に石碑があった。 -
浦賀湾の東西を結ぶ渡し船。
運賃は200円。
向こう岸の赤い船がそれだ。 -
廻船問屋跡
浦賀の渡し船近くの家の角に説明看板がある。
TV番組で、この看板のある現在の家には、ペリー来航時の鍋が残っており、それを見られるか期待したが、外見からは望めなかった。 -
浦賀燈明堂
浦賀港入り口にあたる燈明崎の先端に、江戸時代に築造された和式灯台がある。 -
江戸の元禄の頃から、明治5年に廃止されるまでの約220、航路の安全を守ってきたという。
昭和63年(1988)に、残った石垣の上に現在の建物が、当時の外観に復元された。 -
グラスビーチ
浦賀燈明堂の右海岸に広がるきれいなグラスビーチ。 -
湾に突き出た道を進む。
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復元された燈明堂
高さ1.8mの石垣の上に木造で建てられた。 -
燈明堂から見る浦賀湾の遠景。
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久里浜港のペリー公園に来た。
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ペリーの上陸を記念する公園で、その中心にペリー上陸記念碑がある。
碑文「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」は伊藤博文の揮毫(きごう)によるもの。 -
ペリー記念館
公園内にペリー来航に関する歴史的資料やジオラマを展示している。 -
建物の内外にペリーの銅像がある。
うーんよく見るペリーの写真とは印象が違う。
今回はここまで。
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