2017/03/05 - 2017/03/05
1位(同エリア783件中)
noelさん
増上寺には毎年初詣に行っています。
今年は喪中でしたので行きませんでした。
3月に入ってぽかぽか陽気の日、ちょっと立ち寄ったところ
ラッキーなことに徳川将軍家の墓所を公開していました。
- 旅行の満足度
- 4.5
-
この日はぽかぽか陽気。
時折風が吹くと風車がクルクル可愛らしく回ります。
千体子育て地蔵菩薩です。
子どもや孫の無事を祈って、こちらのひまわり講の方中心となって、それぞれのお施主様が御建てになりました。 -
奥にうっすら見えるのは東京タワーです。
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戦前、旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)とも呼ばれ、増上寺大段の南北(左右)に建ち並んでいました。
墓所・本段・拝段を中心とした多くの施設からなり、当時の再考の技術が駆使された厳粛かつ壮麗な霊廟は、いずれも国宝に指定され格調ある佇まいでした。
正面の門は旧国宝で「鋳抜門」(いぬきもん)と言われ、文昭院段霊廟(徳川家六大将軍家宣公)の宝塔前(中門)であったものを移築しました。 -
増上寺 鋳抜門
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合祀塔
入ってすぐの左手前にあります。
こちらから時計回りにご覧ください。
この宝塔には、家光公の第3子で家宣公の実父である徳川綱重をはじめ、家光公側室で五代綱吉公の生母の桂昌院、11代家斉公の正室廣大院、家宣公側室月光院ら南北の御霊屋に祀られていた歴代将軍の婦人や子女の多数が埋葬されています。
なお宝塔は月光院輝子の墳墓に祀られた宝塔です。 -
十四代将軍御正室
静寛院宮
皇女和宮
この宝塔は青銅です。
お隣の宝塔の14代家茂公の正室です。
将軍よりも立派な宝塔です。
兄の孝明天皇即位の年、仁孝天皇第8皇女として弘化3年(1846年)お生まれになっています。
嘉永4年6歳で、有栖川宮と婚約されましたが、婚儀が間近になって公武合体策によって徳川家に降嫁に。
江戸城の無血開城、徳川家存続、夫君追善に力を尽くすも31歳という若さで亡くなりました。
ご遺体は京都へ戻すよう沙汰があったようですが、本人の遺言によって増上寺はこれを拒絶しました。
そしてご覧のように、右に家茂公の宝塔があります。 -
十四代家茂公
和宮様の宝塔は青銅でしたが、こちらは石塔です。
やはりしかたありません。 -
文昭院殿
六代 家宣公
家光公の三男の綱重を父として寛文2年(1662年)に出生しました。
将軍の職を継いで荒井白石を重用し、政治の刷新をはかりました。
こちらも青銅の宝塔です。 -
台徳院殿
二代秀忠公
家康の第3子として天正7年(1579年)に出生しました。
幼名長松・竹千代、のちに豊臣秀吉より一字をもらって「秀忠」と。
祟源院殿
お江の方
天正元年(1573年)に出生しました。
浅井長政の三女で、母は織田信秀の娘・お市の方(織田信長の妹)です。
長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室です。
3度目の婚姻が秀忠公でした。
二人一緒です。 -
有章院殿
七代家継公 -
惇信院殿
九代家重公
正徳元年8代吉宗公の長男として出生しました。
生まれつき多病で、将軍になってからも政務は重臣に任せました。
歴代将軍の中でもっとも美男子のようです。 -
慎徳院殿
十二代家慶公
徳川将軍の内6名の墓所はこちら増上寺です。
ちなみに日本のラストエンペラー慶喜公の墓所は谷中霊園です。
慶喜公の墓所は、こちらの旅行記にちょっとだけあります。
↓
http://4travel.jp/travelogue/11006185
ついでに初代徳川家康公は日光東照宮
三代家光公は日光の輪王寺
残りの6名の方々は上野の寛永寺です。 -
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東京プリンスホテルは1964年に、徳川家霊廟跡の芝公園にオープンしました。
ピンクは現在のプリンスホテルの位置です。 -
四菩薩像
普賢菩薩
地蔵菩薩
虚空菩薩
文殊菩薩 -
結婚式のようです。
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増上寺と東京タワー
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増上寺から参道を通って、大門方向へ向かう途中にありました。
Vashon
エッグベネディクトとカフェラテ
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