2017/02/09 - 2017/02/10
22位(同エリア275件中)
玄白さん
このところ、連れ合いが冬の温泉で雪見しながら露天風呂というのに、すっかりハマってしまっている。どこかに連れて行けとせがまれ、でかけたのは栃木県の秘境と言われる旧栗山村(現日光市)の山深い所にある湯西川温泉。ここは、源平の合戦で敗れた平家の落人が、源氏の追求を逃れて隠れ住んだという山里に湧き出ている温泉である。宿泊したのは、老舗温泉旅館「平家の庄」。湯西川の川沿いに6つの貸し切り露天風呂があり、ライトアップされた川沿いの雪景色を見ながら、ゆったりと温泉が楽しめたのであった。
2月になると、温泉地区をあげて「かまくら祭り」が行われる。湯西川渓谷の河原にミニかまくらを並べたり、平家の落人たちの暮らしぶりを復元した「平家の里」に大きなかまくらが作られ、夜はライトアップされるなどのイベントで盛り上がる。昨年は雪不足で祭りが延期されたりして大変だったようだが、今年はたっぷりの雪に恵まれている。あいにくミニかまくらイベントは宿泊した木曜日は定休だったのだが、平家の里のライトアップに写欲をそそられた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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自宅から国道119号(通称日光街道)、国道121号(通称会津西街道)を鬼怒川温泉方面に進む。鬼怒川温泉、川治温泉を通り抜け、しばらく行くとダムが見えてくる。五十里(いかり)ダムである。1958年に完成した治水ダムで、高さ112m、幅267mで完成当時は日本一だったそうだ。堰き止められた川は利根川水系、鬼怒川の支流である男鹿川である。
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湯西川温泉の宿のチェックインにはまだ早いので、五十里ダムと人造湖の五十里湖周辺で、しばし撮影タイムである。放水をダムの真上から見下ろす。
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ダムの管理事務所に資料館が併設されていて、自由に見ることができる。展示されている資料や、スタッフのおじさんからダムの歴史などいろいろ話を聞かせてもらった。(こんな真冬に訪れる人はいないらしくスタッフも暇を持て余しているらしい)
なかなか興味深い話だった。ざっと、以下のような説明だった。
国道121号に沿って、江戸時代には会津から日光に通じる会津西街道が通っていた。会津藩にとっては、日光経由で江戸に通じる重要な幹線道路だったが、1683年9月1日(奇しくも関東大震災と同じ日!)にマグニチュード7.3の大地震(日光大地震)による山崩れで男鹿川が堰き止められ、五十里湖ができた。幹線道路だった会津西街道は水没してしまい、会津藩はやむなく塩原に抜けるバイパス道路を建設した。
その後、1724年に大雨で五十里湖が決壊し、下流の鬼怒川沿いの村々に甚大な被害を及ぼした。一説によると、我が街宇都宮も被害を被ったという。この時のすさまじい土石流で川底に堆積していた土砂が洗い流され、龍王峡のような奇岩景勝が生まれた。
1958年の五十里ダムにより、天然の堰止湖だった五十里湖が人造湖として蘇った。なお、地名の五十里は、日本橋からちょうど五十里の距離だったことに由来している。 -
冷え込んだときには、五十里湖は全面結氷するのだが、ダム周辺は凍っていない。ダム資料館のスタッフによると、さらに上流に進んだ海尻橋付近から上流は全面結氷しているという。そこで橋を渡り、国道121号の旧道に入り、同国道のバイパスに合流したところでバイパス経由で戻り、湯西川温泉に通じる県道249号に入るミニドライブをしながら、景色の良いところで撮影を楽しんだ。
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海尻橋
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ほぼ全面結氷し、雪で真っ白となった五十里湖上流。遠くに見えている橋は、国道121号バイパスと野岩鉄道の鉄橋である。
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ところどころ凍らずに水面が現れている。
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上流部は水深が浅いらしく、木が生えている。
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独特の景観である。新緑の頃もよいかもしれない。
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大雨で流されていたらしい流木が湖岸に打ち上げられている。
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国道121号バイパスから湯西川温泉方面に向かう県道249号を300mほど行ったところにある道の駅湯西川。ここで鹿肉入りコロッケカレーでランチ。
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道の駅に隣接して野岩鉄道、湯西川温泉駅が併設されている。野岩鉄道(やがんてつどう)は、東武日光線新藤原駅と会津鉄道会津線会津滝ノ原駅を結ぶ第3セクターの鉄道である。栃木県の古い国名である下野国の”野”と福島県中通り、会津地域の国名である岩代国の”岩”にちなんで野岩鉄道という名前になった。
湯西川温泉駅のホームは駅舎から階段で降りた地下のトンネルの中にある。会津方面行の列車はトンネル駅ホームを発車すると・・・ -
イチオシ
五十里湖にかかる鉄橋に入るのである。
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上下1本ずつの列車撮影で、撮り鉄さんの真似事をしたあと、湯西川温泉に向かう。道の駅から湯西川温泉までは、さらに山間部へ13kmほど入ったところにある。
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宿のチェックインは15時から。まだ2時間ほど時間があるので、夜訪れるつもりの「湯西川かまくら祭り」のメイン会場である「平家の里」で下見を兼ねて時間つぶし。
ここは、かつて平家の落人部落だった村の生活の様子を知ることができる展示施設である。源平の合戦で平家が滅亡してから800年目を記念して1985年に古民家を移築して作られた。 入場料\500也 -
チケット売り場も茅葺古民家風。
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調度営み所という民芸品加工所。
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ブナの木を材料に木杓子を作る工程の展示。かなり古い時代から作られていたようで、貴重な現金収入だった。現代でも民芸品として作られている。
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囲炉裏の間。かつては囲炉裏は暖房と調理の設備として欠かせないものだった。
平家の落人伝説は日本各地に残っているが、湯西川ではこれを積極的に観光資源に活用しようとしている。入場券と一緒にもらったパンフレットによると、
「平家の重臣平貞能は清盛の長男重盛の妹、妙雲禅尼と重盛の2人の子、資盛、忠房を助けて宇都宮の藤原朝綱のもとに落ち延びた。だが、源氏の平家残党狩りは厳しくなる一方で、平家残党一族は高原山(矢板市の最高峰)に落ち延びた。おりしも端午の節句に一族の女性が男児を出産し、鯉のぼりを立てて祝っているところを源氏に見つかってしまった。痛手を負いながらも一族はさらに奥地の湯西川に分け入り、そこで集落を営んだが、この事件以来、外部に生活の気配を感じさせないため、鯉のぼりなんぞはあげず、鶏さえ飼わずに、ひっそりと暮らしてきた」
しかし、平貞能は、平家一門が一の谷合戦で敗れ屋島に逃れるときに一門を離脱して出家したとされる。資盛は、壇之浦合戦で源氏に敗れ入水自殺しているのである。したがって、パンフレットに書いてある平家落人伝説は、源義経が平泉で兄・頼朝の軍に攻め滅ぼされることなく、さらに奥州奥地、蝦夷地まで逃れて生き延びたという伝説と同じ類の伝承にすぎない。
史実かどうかなどと詮索せず、歴史のロマンとして楽しめればよいので、これ以上野暮なことを書き連ねるのはやめておこう。 -
床し所という3軒の茅葺古民家が、展示館になっている。入道清盛の坐像、美少年だったと伝えられる平敦盛の立像や杉戸絵が展示されている。
敦盛については、有名な逸話がある。一の谷の合戦で、源氏方の熊谷直実が、敦盛を押さえつけ、首をとろうとしたところ、自分の息子と同じような年恰好の美少年であることに驚き、助けたいと思ったが周りに源氏方の兵士たちがいるので、見逃すわけにも行かず、泣く泣く首を取った。これ以来、武士でいることのつらさ、虚しさを感じて出家し、敦盛を悼み供養し続けたというのである。
余談だが、山野草の一種でアツモリソウというのがある。袋状の唇弁を持つ花の姿を、敦盛が身に着けていた母衣(ほろ)に見立てた命名だそうだ。また、花の形がよく似た山野草にクマガイソウというのもある。写真でみると、クマガイソウの方ががっしりした感じで、アツモリソウは優しげな姿かたちである。命名した人のセンスの良さが伺われる。 -
平家の里の奥まったところにある湯西川赤間神宮。壇之浦にほど近い下関赤間神宮の分社である。下関赤間神宮は、江戸時代までは安徳天皇御影堂として仏式で安徳天皇を弔う寺だったが、明治の廃仏毀釈で神社となった。
安徳天皇は、父、高倉天皇と母、平清盛の娘である徳子(後の建礼門院)の間に生まれた第81代天皇。壇之浦の合戦で源氏に敗れ、祖母、平時子に抱かれ、「波の下にも都が候」と言い聞かせられてわずか8歳で入水自殺したのである。
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そんな下関赤間神宮の分社を、ここに建ててしまったのであるから、湯西川の人々の平家落人伝説への思い入れは半端ではない。もしかしたら、いや、たぶん、湯西川の人々は先祖が、本当に平家の落人だったと確信しているのかもしれない。
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去年は雪が少なく、かまくら祭りを延期せざるを得なかったのだが、今年はたっぷり雪に恵まれた。その分、雪掻き作業は大変だ。
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道路を挟んで平家の里の反対側に天楽堂橋という吊り橋があるというので、行ってみた。
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吊り橋の上からの湯西川の眺め
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橋を渡り切ったところの崖には、湧き水が凍って大きな氷柱ができている。
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15:00、チェックインの時間になったので、今宵の宿「平家の庄」へ。
平家の旗印の赤旗が掲げられ、かがり火が焚かれるなど、平家の末裔という演出たっぷりである。 -
この宿「平家の庄」は創業1718年という老舗旅館である。
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京都の竜安寺のつくばいで有名な禅語「吾唯だ足るを知る」が、玄関脇に掲げられている。
己のこれまでの処し方を振り返ってみると、もっと給料が欲しい、もっと良い仕事がしたい、もっと旅行に行きたい、もっと良いカメラが欲しい・・・と、およそ、この禅語とは正反対であったな~と、苦笑いするしかない。 -
玄関を入ると、ちょっと暗めのランプ風の照明のレセプションになっている。平家落人の古民家に入り込んだような印象をもつような演出である。
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かまくら祭り目当ての訪問客で、連日満室だという。実はこの日は、かまくら祭りの最大の呼び物である夜のミニかまくらが休みの日なのである。それで、かろうじて、予約できた次第。
チェックインしても部屋に通されるまで、ロビーで待たされた。 -
ロビーには、火炎太鼓だの、獅子舞の獅子だの、巨大な虎の木彫りだの、和の世界が感じられる置物が、所狭しと置かれている。外国人客もかなりの割合でいるので、彼らにとっては、ちょっとした日本伝統博物館のように感じられるかもしれないが、日本人にとっては、統一感がなく、雑多な感じがしないでもない。
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ようやく部屋に通された。部屋は純和風で、床の間に、吊るし雛が飾られている。
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部屋の隅には、こんな打掛も飾り物として置かれている。某サイトの口コミを見てみると、この宿の評価は真っ二つに分かれている。低い評価の理由として、壁が薄く上の階のや隣りの部屋からの物音が聞こえてくるというのが散見されたが、少なくとも我々の部屋はそんなことはなかった。最近、リニューアルされたのかもしれない。
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どの部屋も湯西川に面していて、川沿いの雪景色が眺められる。
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窓際の板の間には囲炉裏が設えてある。
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夕食前に、大浴場「御所の湯」で体を洗い、さっぱりする。後で行く貸し切り露天風呂には洗い場がないのである。どの風呂も、宿の敷地内で湧き出る温泉のかけ流しで、泉質はアルカリ単純泉。いわゆる美人の湯というやつである。
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さて、お待ちかねの夕食。レストランでのビュッフェスタイルである。海鮮料理大好き人間の我が家としては新鮮なシーフードがないのは残念だが、こんな山奥でシーフードを望む方が無理というもの。黒ずんだマグロが出てきてはかなわない。
小鉢に、地元の郷土料理など豊富な種類が盛られ、選ぶのに苦労するほど。味は美味なものもあれば、さしてうまくないものまで色々だ。平均すると、可もなく不可もなくといったところかな。 -
夕食が済んだところで、再び、かまくら祭りメイン会場の平家の里へ。
昼間のチケットで、再入場できる。時折雪がちらつくが、それほど寒くはない。
冠木門も、昼間とは違った趣だ。 -
園内は青色LEDでライトアップされ、凍り付いた小川の畔にはオレンジ色のぼんぼり状の照明ライトがいたるところに設置されている。
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チケット売り場の太敷館。
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調度営み所
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床し所の茅葺屋根古民家
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かまくらは、昼間は中でバーベキューが楽しめて、ほとんどのかまくらは観光客が入っていたが、夜はバーベキューのサービスはやっていない。内部に明かりが灯っているだけだ。
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昼間ほど、観光客はいない。数組の観光客が時折来るだけだ。静寂の中で、ゆったりとライトアップされた雪の中の古民家の撮影を楽しむ。
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イチオシ
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イチオシ
雪が降ったり止んだり。雪が降ってきたときはストロボを光らせて雪も写し込む。
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人、特に女性が写っていると写真としては面白いのだが、なかなか女性観光客が現れない。
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よろず贖どころ(土産物店) の窓に、木々のイルミネーションが映り込んでいる。
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イチオシ
無料休憩所になっている古民家。
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一時間ほど、平家の里で古民家ライトアップの撮影後、ミニかまくらの会場である沢口河川敷に通じる道路のLEDライトアップ。
今日はミニかまくらは定休日なので、そちらまでは行かずに、宿に戻る。 -
「平家の庄」から50mほどのところの。やはり老舗旅館の「本家伴久」の敷地内に作られている人工の氷柱。宿泊客しか間近で見られないが、近くの橋の上からも見える。
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都落ちした平家一門の菩提寺とされてきた慈光寺
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湯西川温泉街のメインストリート。宿は宿泊客でいっぱいだが、夜出歩く人はいない。閑散としている。
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なすやという物産店。軒先には変わった雪ダルマが置かれ・・・
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軒下には平安美人の絵。
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温泉宿が軒を連ねる湯西川沿いの雪景色も青色LEDでライトアップされている。
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イチオシ
2時間ほどの夜の温泉街の撮影をして「平家の庄」に戻ってきた。入口の巨大な天狗の面が出迎えてくれる。自動ドアには桓武平氏の家紋である揚羽蝶が描かれている。
また、湯西川では天狗が温泉の守り神になっていて、館内のいたるところに天狗の面が飾られている。 -
揚羽蝶の家紋は、平家の庄のなかではいたるところに見られる。灯りや、ふすまの模様、さらには半纏の襟にも描かれている。
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宿に戻ったところで、さっそく貸し切り露天風呂へ。「平家の庄」には川沿いに6つの貸し切り露天風呂があり、\1,500の追加料金で、空いていればいつでも自由に使うことが出来る。
貸切なので、気兼ねなく自由に川沿いのライトアップされた雪景色の撮影ができる。 -
これは、龍神の湯という貸し切り露天風呂。
6つの貸し切り露天風呂は、湯船の造りがすべて異なり、外の木立の風景も微妙に異なる。別の露天風呂に移動するためには、いちいち衣服の着脱をしなければならないので面倒ではあるが、欲張って6つの露天風呂すべてを制覇!
宿の入口にあった「吾唯足るを知る」とは程遠い行いである。 -
イチオシ
これは山塊の湯だったかな?
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湯船のそばに観音像が置かれている。
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イチオシ
月光の湯。
おりしも月が雲の間から顔を出し、湯気で霞んだ月とチラチラ風に舞う雪を眺めながらの露天風呂。この世の極楽だ! -
湯気でレンズが曇らないように注意しながら、縦構図でもパチリ!
温泉に浸かりながら、カメラのシャッターを押すなど、初体験だ! -
翌朝、7時半から朝食。朝食もバイキング形式で、外の雪景色を眺めながらのんびり、ゆったりと時間をかけていただく。
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しばし、食休みしてから、またまた貸し切り露天風呂行脚だ。朝もカメラ携行しての露天風呂三昧。
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すぐ下には、ところどころ雪の綿帽子をかぶった岩が点在する湯西川の流れ。
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露天風呂を移動する途中見つけた氷柱。朝から雪が降りしきっている。
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湯口が打たせ湯にもなる花筐の湯
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ときどき、雪の降り方が激しくなる。
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1時間半も、4か所ほどの貸し切り露天風呂を楽しんでから、部屋で雪景色を眺めながらゆったり、まったりの時間。
複数の貸し切り露天風呂をつなぐ「湯屋街道」を行き交うカップルたち。 -
春を待つ木々の小枝の雪の花
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朝のうちはけっこうな降雪。街中をぶらぶらすることもなく、決められたチェックアウトの時間10時まで、部屋でのんびりしてからチェックアウト。こんなことは我が家ではめずらしい。
五十里湖まで来ると、一時晴れ間が広がった。昨日同様、五十里湖をぐるりと回って撮影したが、前日と変わり映えしない写真ばかりなので、これは省略。
連れ合いは、今回の雪見露天風呂三昧がすっかり気に入った様子。早くもまた来たいと騒いでいる。
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