2017/01/10 - 2017/01/10
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ペコちゃんさん
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埼玉県には17カ所の七福神めぐりがあり、一番有名なのが川越です。
トレッキング仲間との新春初歩きは山登りでなく七福神めぐりということで、選んだのは「越生七福神めぐり」。
バスを利用しても3時間以上かかるコースなので、山歩きの代わりにちょうど良い新春イベントでした。
越生は梅林が有名ですが、江戸城を築城したことで有名な室町時代後期の武将・太田道灌(1432~1486)が生まれた所としても知られています。
里山の新春を楽しみながらの七福神めぐりで、この一年の山登りの安全祈願もしっかり出来ました。
写真は、龍穏寺に建つ太田道灌の像。
- 旅行の満足度
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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今回の「越生七福神巡り」は、越生駅からバスで黒山三滝の近くまで行き、全洞院 ⇒ 龍穏寺 ⇒ 円通寺 ⇒ 最勝寺 ⇒ 弘法山観世音 ⇒ 正法寺 ⇒ 法恩寺 と7つの寺社を回ります。
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8名の仲間と共に7時38分に越生駅に到着し、8時1分のバスで黒山三滝の手前の「神社前」でバスを降り、橋を渡って最初の「全洞院」へ・・・越生駅からは4.8kmの距離です。
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布袋尊の全洞院は、曹洞宗の寺院。
2番目に行く龍穏寺の末寺で、龍穏寺・六世の善欣和尚が開山したと言われています。 -
全洞院には渋沢平九郎の墓があります。
渋沢平九郎は「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一(1840~1931)と養子縁組をしていましたが、1868年の飯能戦争に敗れ、22歳の若さで、この近くで自刃しました。 -
本堂の前には松野自得(1890~1975)の句碑・・・「白梅の ある夜飛びゆき 星となる」
現在の群馬県館林市で生まれた松野自得(本名:貞安)は子供の頃、母が前橋市にある最善寺住職と再婚した関係で仏教系中学校に行き、その後、全洞院に入ります。
僧籍に身を置く一方で、山水画や俳句にも造詣を深め、高浜虚子に師事。
後に俳誌「さいかち」を創刊・主催し、「自得俳句集」などを刊行しました。
昭和20年に全洞院へ疎開し、ここで終戦を迎えた関係で、12月に故郷に戻って最善寺の住職になってからも全洞院も兼務しました。
貞安和尚が亡くなった後は後継者がいないため、全洞院は無住となっています。 -
全洞院からゆるい坂を登り、約30分ほど歩くと、2つ目の「龍穏寺」に着きます。
その途中は殆ど民家もなく、道の周りには、霜が降りる時期なのに、まだ多くのユズが木に残っていました。 -
龍穏寺の参道にある「六臂観音塔」・・・この塔は、1849年に龍穏寺の檀家が建立した石塔で、塔身には「万人造之」の文字が彫られ、上の観音菩薩像には手が6本あります。
上の手は右に利剣、左に錫杖を持ち、中の手は右に珠玉、左に宝珠を持ち、下の手は胸の前で観音印を結んでいます。
塔の後ろに見えるのは「冠木門」。 -
龍穏寺の「総門」(表門)・・・その手前に「禁葷酒(きんくんしゅ)」と刻まれた石碑が建っています。
「葷」とは、匂いの強い食べ物のことで、ニンニク・ニラ・ネギや、生ぐさい肉・魚とお酒は、心を静め清めるための修行の妨げになるので、寺の中に持ち込んではならない、ということです。 -
総門には「龍穏寺」の扁額が掲げられています。
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総門をくぐって石畳を歩いていくと、1842年に再建された荘厳な「山門」があります。
大正2年の火災で本堂などは焼失しましたが、この山門と梵鐘、経蔵は難を免れました。 -
山門には山号「長昌山」の扁額が掲げられ、四隅には、仏法を守護する四天王の増長天・持国天・広目天・多聞天(毘沙門天)が祀られています。
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山門の柱飾りも見事な彫刻です。
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右側には鬼を踏んずけている持国天。
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その裏側にある多聞天(毘沙門天)。
細かい金網で守られているので、なかなか写真がうまく撮れません。 -
山門を入った右側にある、大正11年に建てられた「電燈記念碑」・・・片田舎のこの地に電気を引くのは大変なことでしたが、篤志家たちの寄付によって丸太の電柱が設置でき、この記念碑を建てました。
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左側の観音菩薩像を見ながら、石段を登って境内へ。
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本堂の前にある太田道灌の銅像。
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1457年に江戸城を築いた偉業を称えて、道灌の500年忌(昭和60年)に建立されました。
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これは、越生駅の近くにあった太田道灌の案内板。
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龍穏寺の本堂。
龍穏寺は807年に修験者達の寺として創建され、信仰を集めました。
室町時代に足利将軍の命により、曹洞宗の寺院となります。
1472年に太田道真・道灌父子の尽力によって中興され、堂宇が建てられます。
江戸時代には徳川家康から下総・総寧寺、下野・大中寺と共に「関三刹」(かんさんさつ:関東三大寺)に任命され、大寺院に発展しました。
その格式により、いかなる大名でも参道の「下馬門」で馬や駕籠を降り、参拝しなければならなかったそうです。 -
1752年に火災で堂塔を焼失し1842年に再建しますが、大正2年の火災によって、山門、経蔵、熊野社を残して全焼し、現在ある本堂は戦後再建されたものです。
ここは龍ヶ谷(たつがや)という地名で、かつて悪龍が住んでいたという伝説があり、高僧の力を借りて改心させたことから、龍穏寺と名付けられたということです。 -
本堂に鎮座する毘沙門天像。
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本堂の左手の石段を上ると太田道真、道灌のお墓があります。
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道真・道灌親子の墓。
1432年に、大田道真の嫡男として生まれた道灌は、24歳で家督を継ぎ、1457年に築城した江戸城、河越城、岩槻城を拠点に各地で転戦して勝利し、関東の安定に尽くしました。
しかし、その戦功と高潔な人柄は主君・上杉定正の不興を買い、1486年に伊勢原で謀殺され、道灌の亡骸は父・道真によってこの龍穏寺に分骨・埋葬されました。
道真は1492年に81歳で病没し、道灌と並んでここで眠ります。 -
道灌のお墓は龍穏寺のほか、神奈川県伊勢原市の大慈寺・洞昌院、太田家の子孫が鎌倉に開基した英勝寺にもあります。
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鐘楼と銅鐘・・・1672年鋳造の銅鍾は、昭和63年の強風で鐘楼が倒壊したために引退し、現在は平成3年に新鋳された鐘が撞かれています。
銅鐘の高さ:166.7㎝、口径:78㎝。 -
この銅鐘の特徴は、鐘を懸けるこの竜頭・・・一般的な和鐘の場合は、背中合わせに2頭の竜を置くのに対して、1頭の竜に旗挿(はたおし)という筒を配する朝鮮鐘の特徴を備えています。
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鐘楼の反対側にある「経蔵」・・・1841年に建立された建物で、4つの壁面には色々な彫り物が施されています。
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南北の外壁には、道元禅師が宋の国から帰国する時の情景が彫られています。
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経蔵の南側壁面。
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龍に乗った道元。
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説明版にあった内部の写真・・・一切経を納める輪蔵と輪蔵の創始者といわれる傅大士(ふだいし)の像があります。
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龍穏寺には、境内社の「龍ヶ谷熊野神社」があります。
この神社は龍穏寺の守護として、1492年に熊野本宮大社から分霊して寺鎮守としたのが起源とされています。
現在の社殿は1844年に再建されたもので、本殿と拝殿を「石の間」と呼ばれる幣殿がつなぐ荘厳な権現造りです。 -
向拝虹梁上には、牛若丸が彫られています。
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壁面には、厚さ10センチほどの樫木に彫られた見事な龍の彫刻があります。
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後ろの胴羽目には、古事記に描かれた天照大神が天岩戸から出た瞬間と、その隣には龍が天から降りてくる様子などが彫られ、立体感に溢れています。
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脇障子の彫刻も見事なものです。
越生にこんな素晴らしい寺社があるとは知りませんでした。 -
龍穏寺から3番目の「円通寺」へは、約1時間・・・越生七福神の中で、1番の長丁場です。
これは、途中にあるギャラリーカフェの「山猫軒」・・・25年目を迎えた隠れ家的ギャラリーで、いろんな動物のオブジェがあちこちに飾られており、入口ドアにも猫のオブジェが。 -
目を引いたのは、この煙突おじさん・・・見るだけでも楽しいですね。
但し、カフェの営業は金曜・土曜・日曜・祝日のみ。 -
山道を下りて歩いていくと、 ” 動物と暮らすシングル女性の為の集合住宅コレクティブハウス「トロット」 ” なるものがありました。
昨年11月に完成したトロットは乗馬施設に併設されているので、愛馬を持っている女性は、馬と共に暮らすことも出来るのだって!
勿論、ワンちゃんもOK・・・でも、こんな家が売れるのかしら? -
麦原川に架かる七福橋。
可愛い七福神が、 ” 頑張ってね~ ” と声をかけてくれます。 -
龍穏寺の末寺「円通寺」に到着。
寛文年間(1661~1673年)に、龍穏寺第22世の鉄心御州禅師が開山したと伝えられています。 -
円通寺の堂宇は、大正13年に焼失しましたが、昭和11年に檀信徒の協力を得て、本堂庫裏、薬師堂を復元して現在に至っています。
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曹洞宗の円通寺は、寿老人を祀っています。
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ご本尊は、釈迦如来。
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円通寺から越生梅林の近くを通り、4番目の「最勝寺」へ。
真言宗智山派の最勝寺は、福禄寿を祀っています。 -
山門の所にある「源頼朝祈願所」の石碑・・・最勝寺は、1193年に源頼朝がときがわ町の慈光寺に叔父を訪ねる途中、乗っている馬がひずめを鳴らして止まったので、則使大名であった家来の児玉雲大夫(うんだゆう)に命じて稲荷さまを見つけ、稲荷さまのお告げを感じて戦勝祈念の寺として創建したと伝えられています。
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その後、何度か戦火や火災にあい、大正12年に再興され、現在に至っています。
これは、本堂。 -
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本堂内陣に安置された本尊は十一面観音で、修羅道(争い事)を済度する仏さまで鎮護国家の安泰を願ったと伝わっています。
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鐘楼。
梵鐘は昭和51年の鋳造で、「どこ当山の最勝寺は」で始まる近隣の地名を織り込んだ童歌が刻みこまれているそうです。 -
「田代三喜 記念碑」・・・越生に生まれた田代三喜(1465~1537)は父の業を継ぐため医術を志し、1487年、医学研修のため23歳で明国に渡り、12年後に帰国。
関東各地で名医との評判がたち、武家から民間まで医療を尽くし、医学の聖人とまで慕われました。 -
最勝寺から越生梅林を見ながら進みます。
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越生に来たら、佐藤酒造に寄らないわけにはいきません。
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いつものように、日本酒と酒粕をゲット。
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5番目は、弁財天の「弘法山観世音」。
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この地には、建久年間(1190~98)創建の高房山妙見寺がありましたが、明治の初めに廃寺となり、観音堂だけが残り現在に至っていいます。
安産子育て祈願の観音様として、地域の人たちに親しまれてきました。 -
もとは高房山(こうぼうやま)と言われていましたが、観世音が弘法大師の作と伝えられていることから、弘法山とも呼ばれるようになりました。
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観音堂の中は、人形やお菓子がビッシリ供えられて、ちょっとビックリ!
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弘法山は、麓に見正寺、中腹に観音堂、山頂に諏訪神社と上から下まで信仰の山として知られています。
観音堂の裏にある弘法山を50mほど登ると山頂に辿り着きますが、展望はないとのこと。
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12時半になり、予約していた越生町役場前の岩井屋へ。
昼食兼新年会で、御馳走を楽しみました。 -
七福神もあと2つ。
6番目は、大黒天の「正法寺」・・・鎌倉時代に創建され、南北朝時代の貞和時代(1345~1349)に足利尊氏が中興したと伝えられています。
室町時代に焼失、再建され、江戸時代から寺子屋が開かれて、明治初年には「正法寺の学校」と呼ばれていました。
鎌倉・建長寺の末寺で、高僧の隠居寺になっていたのですが、その高僧は活仏となるため、自ら土中に埋まり入定したといわれています。 -
この山門は明治17年の大火の際に、唯一残った伽藍です。
山門には、山岡鉄舟揮毫の扁額が架かっています。 -
山岡鉄舟は1836年に江戸で生まれました。
1868年、江戸城引き渡しの際に、駿府で西郷隆盛と談判し、無血開城に尽くしたことで知られています。
小川町に父の所領があった縁で越生にも来遊し、当寺に参禅したそうです。 -
山門をくぐって本堂へ。
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境内の大黒天。
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正法寺の宗旨は臨済宗建長寺派。
明治17年に本堂を焼失しましたが、その後、再建。 -
扁額には、山号の「大慈山」。
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本堂の内部。
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本堂脇の閻魔像堂は、龍穏寺の座禅堂を移築したものです。
ここに鎮座する大黒様にも鏡餅が供えられています。 -
大黒様の奥には、閻魔大王。
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正法寺から少し歩くと「越生神社」があります。
越生神社は、児玉党・越生氏の氏神・琴平神と近在の小社を合祀し、明治42年に造営されました。 -
神社の前には、昭和3年に建立された 流れ尾形狛犬が向かい合っています。
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7月下旬に行われる「越生まつり」では、夕方になると六基の山車の提灯に明かりが灯って引回しが始まり、最高潮に達するそうです。
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7番目は、恵比寿様の「法恩寺」・・・中門から入ります。
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真言宗智山派の法恩寺は、行基(668~749年)の開山により創建されたと伝えられ、鎌倉時代に越生氏により再興され、天台宗の寺院となりました。
室町時代中期に真言宗に改められ、江戸時代には真言宗の学問所でした。
法恩寺の門前で、一際目を引くのが、この巨大な「馬頭観世音」碑・・・動物の供養塔でしょうか? -
山門は1711年に再建されました。
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鐘楼は1721年の造営と伝わっています。
山門と共に、越生で一番古い建造物。 -
明治34年の火災で、鐘楼・山門以外は消失しましたが、本堂は大正12年に再建されます。
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右側には弘法大師像。
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本堂の右手にある松渓殿。
その大玄関の左手、屋根が少し張り出している部分に、恵比寿様が祀られています。 -
無事、七福神めぐりも終わりました。
今年一年も安全な山行が出来ますように、皆さん、しっかりお願いしました。
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