2015/04/01 - 2015/04/01
17位(同エリア37件中)
pinokoさん
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春の旅の最終日は、宿泊したぺニャ・カバジェーラ村の周辺を廻った後、カセレス県にある幻の村を訪ねます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まずは、少しカセレス県に入って、標高1100m余りのラ・ガルガンタ村からさらに上った所にある雪の貯蔵庫を見学。
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18世紀前半に作られた貯蔵庫は直径7m、深さ9mで、2千メートル級の山から下ろされた雪を圧縮して詰め、その上に藁を敷き、また雪とサンドイッチ状にして保管したそうです。
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貯蔵庫脇から見たラ・ガルガンタ村。
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さらに少し進むと、今度はオオカミの捕獲穴がありました。
使用されなくなった後、大部分が土に埋もれていたものを数年前に掘り起こし、村の文化遺跡として残すことにしたそうです。 -
峠の反対側に下りると、サラマンカ県の美しい村カンデラリオに着きます。
村の入口にあるウミジャデーロ教会。別名、サント・クリスト・デル・レフヒオ教会。 -
村の他の家とは雰囲気が違う中央奥の家。
アルフォンソ12世の姉イサベルが村を訪れた際の宿舎になったとか。 -
歩いていると、民家の玄関のドアが二重になっているのが目につきます。
外側に付いている下半分の扉は「バティプエルタ」と呼ばれ、積もった雪から家を守るため、動物が中に入らないようにするため、「マタンサ」で豚を家の前で屠殺する際に身を守るためなどの目的があったとのこと。
今は主に装飾目的で残しているようで、実用的という点では雨や雪避けだけでしょうね。 -
クルスの泉。
村には沢山の泉があり、山からの雪解け水が流れています。 -
こちらは、ぺラーレスの泉。
雪解け水は、写真左に写っている「レガデーラ」と呼ばれる水路にも。中心街の道のほとんどにあり、散策している間、流水の心地よい音が常に聞こえてきます。
昔訪れた時には、女性たちが屠殺した豚の腸を家の前の水路で洗っていた光景がとても印象的でした。 -
'91年にカンデラリオを訪れた時に小さな博物館内で撮った写真です。
村特有の格好をした人形たちが囲んでいるのは、「アルテサ」と呼ばれる木製の桶。チョリソなどを作る際、豚肉と塩やパプリカをここで混ぜていました。
この村にとって、腸詰食品を作ることは一種の文化だったのでしょうね。
スペインには「ロンガニサ(チョリソと同じような物)で犬をつなぐ」という言い回しがありますが、それはこの村に由来するそうです。
写真の博物館はもうありませんでしたが、今は「カサ・チャシネーラ」という博物館があり、展示物の他、劇などを通して、カンデラリオの腸詰食品作りが全盛期だった頃の様子を見学できます。
村の店でロンガニサをお土産に買って、次の目的地へ。 -
10分足らずでベハルに着きました。
数世紀に渡り羊毛繊維工業で栄えた街で、クエルポ・デ・オンブレ川(直訳すると人体川!!!)沿いに点在する工場を廻るウォーキングコースがありますが今回はパス。 -
サン・ヒルの塔(写真中央)。
昔は、写真右側の建物(現在は美術館)がある場所に、塔と繋がった教会・病院があったそうです。 -
カシーノ・オブレーロ。
カシーノ(カジノ)と言っても賭博場ではなく、130年以上前に、繊維工場で働く労働者や一般市民のために作られた会員制の娯楽施設。
文化的、社交的な役割を果たしていたそうです。
今も開いてはいますが、会員数減少のため存続の危機に瀕しているとのこと。 -
マヨール広場に面したエル・サルバドール教会。
この広場にあるレストラン「カサ・パボン」で昼食を済ませ、再びカセレス県へ。 -
・・・とその前に、丁度通りかかったので旧ベハル駅に停車。
廃駅というのはやはり物悲しい感がします。
19世紀末に所謂「銀の道」の鉄道版が開通し、全盛期にはさぞ活気があっただろうと思うと尚更。
プラセンシア以北が廃線になったのは、1985年です。 -
40分程で、幻の村グラナディージャ到着しました。
入口にある城。塔が集まったような形が印象的です。 -
村の歴史はアラブ人が支配していた9世紀まで遡り、当時は「グラナダ」と呼ばれていたそうです。
城壁はムワッヒド朝時代のもの。
村を完璧に囲んだ形がそのまま残っており、その点ではアビラやルーゴに次ぐとも言われています。(グーグルアースで見ると一目瞭然!)
今ある城は、アルカサーバがあった場所に15世紀に建てられたそうです。 -
城の塔からの眺め。
北東を眺めると、べハル山脈が見えます。 -
西を見ると、城壁内の古い町並み。そしてダム湖と山々。美しい景色です。
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城壁内の東側には、古い家の先に遺跡のようなものが見えます。
これはローマ遺跡でも中世の遺跡でもなく、5~60年程前まで人々が普通に暮らしていた家の跡なのです。
ダム湖建設により村のほぼ全体が水の下に沈む可能性ありとされ、20世紀中盤に立ち退き処分に。人々は、泣く泣く他の地に移住し今に至っています。 -
城壁に上って歩いてみました。
16世紀に建てられた教会。 -
これは、メインストリートだった通りでしょうか。
城壁の上からだけでなく、村の通りを散策することもできます。 -
木々が多く、春と言うこともありますが草が生え茂り、肥沃な土地だとわかります。
その土地を利用し、立ち退き前は辺り一帯で農業や牧畜が盛んだったそうです。
慎ましくも不自由ないのどかな生活がダムによって一変。
そういう村はスペインのあちこちにありますが、この村が特異なのは結局ダム湖に沈まなかったということ!沈むどころか、満水時でも村が水に触れることすらなかったそうです。要するに技師たちの測量ミスですね。
その点では、水没した村の住民とはまた違った理不尽さや憤りを感じたのではないでしょうか。 -
'80年に歴史的保護地区に認定されてから、城、城壁、教会の修復が行われました。
さらに'84年には、学習を目的とした廃村復興プログラムが適応され、以降、学生たちが家などの修復を進めている他、各種の体験学習にも盛んに利用されているそうです。 -
見学は無料ですが、時間が制限され特に昼時には閉まってしまうので予め確認が必要です。
また、村への細い道路は保存状態が悪く凸凹な箇所もあるので要注意。私達は、行きに危うく穴にはまりそうになりました。
こうして、今回の旅は終了。色々な思いを抱いて帰路につきました。
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