2016/09/30 - 2016/09/30
153位(同エリア1397件中)
愛吉さん
銀座歴史散歩(前編)から2ケ月が経過しました。
その間2度計画されたのですが、台風や豪雨と重なり延期されて来ました。
ようやく9月29日に実行されたのですが、今回は小生の都合が取れず欠席です。
そこで9月30日、連れ合いを誘い、予定のコースを歩いて見ました。
後期高齢者の二人連、地図を頼りにブラブラ歩きなので、予定のコースを回り切る事は出来ませんでした。
それは後日の楽しみにとって置きます。
それでは今回歩いた銀座歴史散歩後編のスタートです。
表紙の写真は聖路加国際病院トイスラー記念館。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄
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後編のスタートは、前編の終着点新橋駅より始まります。
時間は10時45分、ゆりかもめの連絡口です。 -
駅前の広場に、鉄道唱歌の碑と機関車の動輪が置かれます。
汽笛一声新橋を、で始まる唱歌で第1集東海道から始まり、全国6集374番迄あります。
作詞は大和田建樹、作曲は多梅稚。
碑の文字は作詞者、大和田建樹のもの。 -
歩いて5分程で、旧新橋停車場に到着。
この建物は、明治5年10月14日に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎を、同じ場所に忠実に再現したものです。 -
プラットホームや軌道も再現されています。
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始点を示す0哩標識もあります。
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プラットホーム。
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銀座金春通りにやって来ました。
江戸時代能楽金春流家元の屋敷があった処です。
中央通りから1本西寄りの通りで、銀座最後の砦と云われます。
古風な小さなビルに小さなバーが縦に軒を連ね、懐かしさが残ります。 -
金春通りの一画に、煉瓦街遺構の碑があります。
明治5年から10年に掛けて建設された銀座煉瓦街の遺構がここから出て来た為、記念に作られました。 -
銀座6丁目交詢社通りに建つ交詢社ビル。
明治13年に福沢諭吉の提唱で設立された、日本最初の実業家社交クラブ。
慶応義塾同窓会メンバーが主流。
2003年に建て替えましたが、ファサードは残しました。 -
並木通りにある石川啄木歌碑。
京橋の 滝山町の新聞社 灯ともる頃の いそがしさかな。 -
歌碑の説明です。
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並木通りの案内。
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歌舞伎座を通過します。
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10月公演が2日から始まるので、今日はお休み。
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築地本願寺。
関東大震災後の昭和9年に再建されました。
国の重文です。 -
ご本尊阿弥陀如来。
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境内にある間新六供養塔。
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同じく酒井抱一墓。
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九条武子句碑
おおいなる もののちからに ひかれゆく
わがあしあとの おぼつかなしや -
波除稲荷、築地市場に隣接します。
築地は名前の如く埋立地ですが、この地の埋立が一番難航。
そこでこの地に稲荷を祀ると、波が収まり工事が順調に進んだ事から波除稲荷と呼ばれ、その後厄除けの稲荷となります。 -
拝殿
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社頭には、大きな獅子頭。獅子の一声を象徴します。
左には鼻の赤い獅子頭。 -
右には鼻の黒い獅子頭。
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境内には、築地市場に隣接する為、それらしき塚が建ちます。
これは、すし塚 -
玉子塚
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海老塚
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鮟鱇塚
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活魚塚
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隅田川の畔に来ました。
かちときのわたし碑です。
これは明治38年日露戦争、旅順開城を祝して地元住民が対岸の月島との渡船を開設、市に寄付した折に建てられた渡船場の目印です。 -
昭和15年に勝鬨橋が掛かります。
両岸の部分は山形の橋桁ですが、中央部分は平らで、その部分が時間になると中央からハの字に持ち上がり、1000トンクラスの船が通行しました。
昭和45年11月が最後でした。
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橋の袂には橋を稼働する動力室が、橋の資料館として残されています。
これは動力機。 国の重文です。 -
隅田川に沿って歩くとあかつき公園があり、そこにシーボルトの胸像です。
傍に立つ案内板には、シーボルトは日本蘭学発展の功労者である為、外国人居留地であったこの場所に胸像を建てて功績を称えるとあります。 -
少し歩くと、慶應義塾発祥の碑が有ります。
福沢諭吉が安政5年(1858)当時豊前中津藩中屋敷があったこの地で、蘭学の塾を開いたのが、今日の慶應義塾大学のはじまりです。
台上の開かれた本には”天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず”と書かれています。 -
街角の町名表示によると、ここは明石町。
明治から昭和に掛けて活躍した画家鏑木清方の名作に”築地明石町”があります。
小さな柵に朝顔が絡まり、その脇に黒の羽織を着た瀟洒な婦人が佇む人物画です。
遠くには海に浮かぶ船も見えます。
私の好きな絵の1枚ですが、当初は築地明石町という題名が理解出来ませんでした。 何処かのお屋敷街位に考えていましたが、外国人居留地だったのです。
公使館や領事館が並ぶ、東京で一番文化度の高い洒落た街だったのでしょう。 -
こんな案内板も設置されています。
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ガス街灯。
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外国人居留地時代の煉瓦塀の遺構とガス灯の柱。
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明石町の大きな一画を占めるのが聖路加国際病院です。
明治35年に米国聖公会の宣教師ルドルフ・トイスラー博士により開設。
聖路加の名は、医者であった聖人ルカにちなんだもの。
尚開設に当たり、皇室から多額な寄付を受けております。
この建物は、トイスラー記念館といい、昭和8年に病院の創立者トイスラー博士の住居として建てられたものです。 -
正面から眺めて見ましょう。
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旧病院棟、昭和8年竣工。東京都選定歴史建造物。
現在は病院事務室や聖路加大学の校舎として利用されています。
中に礼拝堂が有る為、鐘楼が有り、十字架も立ちます。
鐘楼は現在も一日3回鳴らされています。
尚この病院があった為、米軍は爆撃から築地を除外したと云われますが、真偽の程は判りません。
新病院棟は隣接して大きく立派になっています、又築地のランドマーク聖路加タワー(49Fと38Fのツインタワー)も隣に聳えます。 -
聖路加病院の脇には、芥川龍之介生誕の地の案内板が建っています。
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少し離れてこんな碑も建ちます。
忠臣蔵で鉄砲洲の上屋敷と呼ばれる処。
尚バックの建物は聖路加病院です。 -
カトリック築地教会。
明治7年に東京最初のカトリック教会として誕生。
現在の建物は昭和2年に完成、ギリシャ神殿風ですが木造モルタル仕上げ。
東京都選定歴史建造物。
時間はまだ3時ですが、やはり疲れました、今日は此処までとして帰路に付きます。 終
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