2016/08/21 - 2016/08/21
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かっちんさん
平成18年(2006)に夕張市が財政破綻してから今年で10年が経ちます。
夕張市は明治以降、炭鉱の町として栄え、日本の動力近代化に貢献してきましたが、石炭から石油に転換するエネルギー政策が炭鉱の閉山に拍車をかけ、夕張の炭鉱が次第に姿を消していきました。
昭和57年(1982)に北炭夕張新炭鉱が災害を契機に閉山、昭和62年(1990)の北炭真谷地炭鉱、そして最後まで残った三菱南大夕張炭鉱も平成元年(1990)に閉山を迎え百年もの間続いた夕張の炭鉱の灯がすべて消えました。
今回の旅は、炭鉱遺産となってしまった夕張を訪れ、過去の歴史をふりかえります。
今日は石炭博物館へ向かいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩 AIR DO
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
JR北海道の運休
台風11号を追いかけ、新千歳空港に8:30頃到着。
鉄道を使って石勝線支線の夕張へ行く予定でしたが、特急・普通列車ともに運休。
新札幌から路線バスがあることがわかり、急遽ルートを変更します。 -
夕鉄バス路線
新さっぽろバスターミナルから、夕張方面に2系統あります。
青い路線の野幌・南幌・栗山・夕張ルートのバスは、かつて夕張鉄道が走っていたところです。
赤い路線の中央長沼・由仁(ゆに)・栗山町経由のバスは距離が短く急行なので、このバスに乗ります。 -
新札幌デュオのレンガ壁
バスの発車時刻まで2時間あったので、地下街をウロウロ。
連絡通路に綺麗なレンガ壁がありました。 -
原野に建つ家
バスは新さっぽろを10:40に発車。
長沼町を走っています。 -
ムカデが靴をはいて走ってる〜!
由仁町のカントリーサインです。
由仁町の夏祭りに「百足(ムカデ)競争」があります。
7名が縦に並んで足首にロープを巻き、1名が伴走者となり百足競争を先導します。
1着のチームは賞金として10万円をGetできるので、チームワークが勝敗の決め手です。 -
たまねぎ畑
夕張市手前の栗山町に入ると、たまねぎ畑が続きます。 -
夕鉄本社ターミナル
新さっぽろから1時間23分で到着します。 -
イチオシ
乗継乗車券
夕張市内のバスに乗り継ぐ場合、急行バス下車時に最終地までの料金を支払うと乗継乗車券をもらえます。
通しで支払うと220円安くなります。
ここで、次のバスを待ちます。 -
生活交通路線の運行維持
夕張と新さっぽろ駅前までのバス路線は、国・北海道から補助金を受け、生活交通路線として運行しています。
新札幌〜夕張間の運賃を鉄道と比べてみると、鉄道1,840円、バス1,560円で、乗換えの不便さがないバスが優位です。 -
夕張観光案内図
幸福の黄色いハンカチひろば、夕張鹿鳴館、石炭の歴史村(今は石炭博物館のみ)、滝の上発電所などが見どころです。
また、案内図に記載されていませんが、清水沢の炭鉱遺産、三菱大夕張鉄道の車両保存なども穴場の見どころです。 -
夕張カレーそば
味にうるさい炭鉱の男たちが育てた夕張市民のソウルフードです。
これから行く花畑牧場でも食べられるので、昼食にする予定です。 -
社光行きの路線バスに乗ります
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花畑牧場前で下車
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花畑牧場
平成21年(2009)、石炭の歴史村にある旧サイクリングターミナル「黄色いリボン」を買い取り、夕張メロンの果汁入り生キャラメルを生産していましたが、現在は工場の操業をやめ、直営ショップだけになっています。
と言うことで、夕張カレーそばの食堂はやっていません。 -
イチオシ
淋しげな夕張希望の丘
この広い敷地はかつて炭鉱住宅があったところです。
炭鉱閉山後、「郷愁の丘」ミュージアムとして一部オープンしたようですが、今はその跡形もなく「夕張希望の丘」と呼ばれているところです。 -
宿泊施設
「郷愁の丘」ミュージアムを訪れる人もなくなり、宿泊施設が廃墟になっています。 -
立坑櫓
この下に石炭博物館があります。 -
石炭博物館に到着
台風の影響で土砂降りの雨です。
では、石炭博物館を見学します。 -
メタセコイアの石炭
夕張の石炭のもとになったのは今から約5千万年前の新世代古第三紀に密生していたメタセコイアなどの樹木です。
メタセコイアは「生きている化石」とも言われています。 -
イチオシ
怪獣みたいな採炭機械
これはドイツ製「ライスハーケンS3型ホーベル」で、三菱南大夕張炭鉱に昭和55年(1980)から導入され、平成2年(1990)に閉山するまで坑内の採炭に使用されていました。 -
最盛期の夕張
昭和36年(1961)は、炭鉱、炭鉱社宅、ズリ山、学校などが集まり、最盛期でした。 -
道内の石炭分布図
石炭は、道央〜道北、釧路近辺に埋蔵されています。
現在、釧路の石炭採掘が続いています。 -
尺五ストーブ
夕張市内の小中学校で使われていたストーブです。
ストーブの右隣のスコップは十能、左隣の火掻き棒はデレッキと呼ばれています。 -
炭鉱の表札
最盛期には20を超える炭鉱があり、人口約12万人の日本の「炭都」にふさわしい夕張でした。 -
発破器
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石炭の輸送
明治・大正期の初期坑内運搬の主要用具は、炭車の通らない切羽から運搬坑道まで石炭の運搬に使われていました。
磐(搬)箱は人間が背負い、スラ(橇)箱は人力によって引かれました。
磐箱はニシン漁場でニシンを運んだ「モッコ」にそっくりです。 -
鉄製人車
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測量機
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イチオシ
採炭従業員大募集
北炭の募集案内です。
賃金は1日2円から5円位、旅費は会社持ち、仕度金・仕込金貸興、住宅は無料、福利施設完備などが待遇です。 -
エアー信号機
エアーを使って信号機の表示を変えていたのでしょうか??
詳細がわかりません。 -
コールピック
圧縮空気を使った削岩機です。 -
電気雷管(模型)
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砂鉄砲
発破充てん用と説明されています。 -
坑内支保
支保は、坑道の使用期間、地質・炭層の状況などによって、いろいろな方法で造られています。 -
救助隊の装備
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救命器の中身
酸素ボンベらしきものが・・・ -
手廻し電話機
ハンドルを廻して、相手の電話機のベルを鳴らします。 -
ストーブ品評会
左から、石炭ストーブ、コークスストーブ、タコストーブ、クロンボストーブ。
タコストーブはタコみたいな形、クロンボストーブはクロンボのマークがあったことが名前の由来です。 -
ルンペンストーブ(左から3番目)
燃焼途中で石炭や薪の燃料補給ができないストーブです。
2台を1組にして使い、一方の燃料がなくなると、用意していたもう1台を使います。
常に1台が仕事をしないでフラフラ(失業)しているので、ルンペンストーブと呼ばれたようです。 -
立坑エレベータ
このエレベータに乗ると、石炭を採掘する地下1000mの坑内まで案内してくれます。 -
エレベータ下降中
エレベータ内が暗くなり、窓から立坑を高速で下っている様子が見え、最後に減速して到着。 -
炭鉱風俗館
エレベータの扉が開くと、冷気が漂う坑内。
こんなところまで来て、再び地上に帰れるのか、やや不安・・・ -
発破穴もみ
発破穴をタガネを叩いて開けています。
大正、昭和初期の作業風景です。 -
戸番の女坑夫
坑内の空気は入気坑口から、排気坑口の地上へ出される仕組みにしてあります。
坑内で空気の量が減ったり、逆流して入気と排気が混じることを防ぐため、各所に通気戸門を設け、その戸番に女坑夫を配置して戸門を開閉しています。 -
馬引(ばひき)運搬
坑内で馬を使った運搬は、巻き上げ機械が導入される昭和の初めころまで続けられました。
そのころの坑内には馬小屋も作られ、だいたい1週間交替で地上と坑内で使用されていました。 -
イチオシ
安全灯自動充電台
安全灯の電池を充電する装置です。
昭和中期になり、電気を使った装置が増えてきます。 -
イチオシ
タコ頭
坑内で働く人が使う安全灯の充電、資材・ズリなどを運搬する架空線式電気機関車の電源は直流です。
交流を直流に変換する装置が必要となり、タコ頭のような水銀整流器で直流にしました。 -
ロードヘッダ
機械化が進んだ近年の採炭機械です。
このコーナに足を踏み入れると、地下坑内で轟音とともに自動的に動き出すので、迫力があります。 -
架空線式電気機関車
東芝製の直流600V電気機関車です。
機関車1台で20台前後の炭車を引くことができます。 -
石炭の大露頭
体験坑道は補修工事のため見学できませんでした。
出口の外に出ると、明治21年(1888)北海道庁の技師、坂市太郎の調査によって発見された24尺(7m)の層厚を持つ瀝青炭の大露頭が見えます。
この炭層発見から2年後に夕張採炭所が設置され、炭鉱開発が始まっています。 -
ナナカマド
8月下旬ですが、ナナカマドの実が赤くなってきています。
この後、夕張の町を散策し、今日の宿「ゆうばりホテルシューパロ」へ向かいます。
石炭博物館は、夕張の炭鉱の歴史、採炭技術、採炭機械などを知ることができます。
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