
2016/07/01 - 2016/09/01
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Weiwojingさん
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熱帯の国フィリピンには灼熱の堪えがたさを癒し、快適に過ごすことが出来る避暑地がある。それはマニラから北へ300kmほど離れたバギオである。まるで日本の軽井沢のような避暑地で、フィリピン人も訪れる人が多い。バギオは夏(3月~5月)の臨時首都と言われ、フィリピン政府が移ってくるほどである。これまでここには1カ月に1回の割で出掛けている。
バギオはもともとアメリカ人が避暑用に開発したところであるが、19世紀末には道路建設のために何万人もの日本人が雇用され、完成後はこの地に残る人々がたくさんいた。彼らは農業や建設業、商業等に携わり、フィリピン女性と結婚し、第二次世界大戦前バギオは日系人が多く住む都市となった。
しかし、太平洋戦争の終結により、日本人男性は本国送還となり、妻や子供が残された。残された家族は悲惨な生活を余儀なくされ、日系人だと名乗ることは出来ず、そのような状態が1970年頃まで続いた。こうした日系人の歴史は忘れることなく今も受け継がれ、今では北ルソン日系人協会が出来、組織的な活動をしている。
* カバーの写真は、夏の間、バギオが首都となるために用いられる大統領官邸で、イギリス・ロンドンのバッキンガム宮殿を模したと言われている。
- 旅行の満足度
- 4.5
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ベンゲットロードをバギオに向かって行くと、大きなラィオンの顔を刻んだ岩が見えてくる。これが見えてくるとバギオに近づいたしるしで、何となくほっつとする地点である。
このベンゲットロードと言うのは、フィリピンがアメリカの統治下にあった19世紀末にマニラからバギオに行く道路建設のためアジア各地から労働者が集められた。日本からも多くの労働者がやって来た。その数は数千人と言われる。 -
道路建設が完了した後、多くの日本人労働者はフイリピンにとどまった。彼らはバギオを中心に住み、農業、商業、建築業に携わった。彼らの仕事ぶりは素晴らしいものであった。しかし、第二次世界大戦の終了と共に彼らは日本に送還され、残された家族以外に日本人はいなくなった。
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バギオは高原の町で、周囲を山々に囲まれた盆地である。最近はどんどん開発が進み、このように山の上まで住宅建設が行われている。
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バギオの街の中心部から見た風景。住宅地がどんどん広がり、それに伴い人口も増えている。
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こちらも街の中心部から見た風景であるが、バギオは緑が多く、気候が涼しく、大変生活しやすいところである。小生の好きなころである。
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バギオの街の中心部を走る Session Road (セッション・ロード)は、街の建設と共にいち早く造られたところであった。
戦前、この通リには日本人が経営する商店が何軒もあった。その一つを次の写真でご紹介したい。 -
1930年代の日本人が経営していた JAPNESE BAZAAR という商店の写真がある。かなり大きく、成功しているようである。
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セッション・ロードの右上にバギオ大聖堂の一部が見える。2本の塔のようなものが見えるが、そこが大聖堂である。
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バギオ大聖堂は、1990年7月16日のバギオ大地震で大きく損傷を受けたが、その後いち早く回復し、元の姿に戻った。
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バギオの街を歩いていると、時折このようなプレートを見かける。歴史的な出来事が行われた場所を示すものである。
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ごく普通の家の前に掲げられている。ここで歴史的な出来事があったなどとは想像がつかない。
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この記念碑のあるところは今ではごく普通の食堂である。
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SM Mallはマニラを始めフィリピンの大きな街には必ずあるショッピング・モールで、ここバギオにも巨大なモールがある。
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SM Mall はとにかく大きく、スーパーから映画館、大小さまざまな商店、レストラン、電器店、本屋等、一つの街がここで出来上がるほどである。
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モールの中には巨大なスーパーマーケットがあり、しばしば買い物に来ることがある。ここでは野菜でも肉でも魚でも、ほとんどが量り売りで、自分が必要うな分だけ買うことが出来る。
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このような練りものといったものも多い。
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何種類もの野菜がすでにきれいにカットされて販売されている。すぐ使えるようになっている。
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市内外れにあるボタニカル・ガーデン( 植物園 )を訪ずれた。
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こちらには、KARUIZAWA, JAPAN と書かれた立札がある。
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園内を歩いていると、突然日本風な太鼓橋が見えてきた。
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周辺も灯篭やアジサイが植えられていて、日本風な雰囲気を醸し出している。
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日本でもよく見られるトランぺット・フラワーという名の花で、フィリピンでも涼しいところでよく目にする。
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奥の方に進んでいくと、再び日本風な風景が現れた。道路の両側にお地蔵さんのような像がたくさん並び、上の方にある鳥居まで続いている。
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別なところにはまた鳥居や太鼓橋が見える。
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ある時、セッション・ロードの道沿いにたくさんの露店が出ていた。何かのお祭りでもあるのかもしれない。しばらく見ながら歩いていると、NINJA HOUSE なる露店が出ていて、日本風な食べ物を売っていた。
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こんな帽子が展示されている。部屋の飾りにほしいと思った。
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帽子を専門に売る店もあり、一つ取ると上から崩れてきそうだ。
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ある店先に美しい女性がいた。思わず、写真を撮らせていただいた。
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ストリート・ミュージシャンも出ていて、なかなか賑やかである。
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高原野菜を使ったサラダ。
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CASA VALLEJO というホテルであるが、何度か泊まったことがある。創業1939年で、バギオでかなり古いホテルである。
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ホテルの地下には映画館と本屋がある。
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ホテルの南側。
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mt. cloud (マウント・クラウド)という小さな本屋がある。バギオに来ると、必ず一度は立ち寄る本屋だ。
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歩き疲れたので、あるカフェに入った。
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Macha Latte (抹茶ラテ)と言うのがあったので、注文してみたが、例えられないほどのまずさであった。
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ここはどこだと思いますか。実はトイレの中である。
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バギオには Country Club という会員制のクラブがあり、何度か知人に連れられてきたことがある。ここのレストランでは日本食が出て、このような握りずしを食べることが出来る。
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ビュッフェ形式なので、好きなものを少しづつ食べた。
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バギオ市役所は白亜の美しい建物で、小高いところに建っている。どこからでもよく見え、バギオのシンボル的な建物である。
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市役所の夜のライト・アップされた様子。
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公園の一角で山岳民族の衣装を身に着けた子供たちがいた。何かイベントがあるのかもしれれない。
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フイリピンでは中国系(華僑)の人々が多く、どこに行ってもこのような中国寺院がある。ことにバギオは、他の地域の寺院に比べると、けた違いに大きく、驚かされる。
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英語で Bell Church と表示されているが、寺院なのに Church と言うのには少々違和感を覚えた。
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もう一つ Baguio Buddha Temple という名前の仏教寺院もある。
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バギオの街を歩いていると、かなり古そうな建物があちこちに見られる。この建物は司教館である。
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木造のかなり古そうである。
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ある古玩具店をのぞいたら日本の人形が売られている。
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Maryknoll Sanctuary Gaeden でバギオの古い写真を集めた展覧会の案内をいただいた。この日は初日と言うことでオープニング・パーティがあった。
セレモニーの行われた部屋では暖炉に火がともされ、大変快適であった。バギオでは夜になるとかなり冷え、日本の11月位の気候である。 -
地元の音楽家による演奏が行われた。
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展覧会会場の様子。珍しい、昔のバギオの写真がたくさん展示されていて、大いに興味を覚えた。
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ある建物の壁一面に描かれた、たくさんの人物がいる。見た顔の人物もあり、多分フィリピンの著名人たちなのかもしれない。
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フィリピンではよく見かける光景である。少学5、6年生くらいの女の子が幼い弟を背負い、これから物乞いに出かけるのだろうか。
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