2016/06/04 - 2016/06/04
17位(同エリア133件中)
ベームさん
6月4日、11日目。
今日は午前中モンタニョーラにヘルマン・ヘッセの終の棲家、博物館、お墓を訪ね、午後ルガーノの街を歩きました。
モンタニョーラはルガーノから南にバスで15分ほど、ルガーノ湖に突き出た半島のようなところの中央にある風光明媚な小さな町です。
若い時から南国イタリアを旅しその明るい風土を愛していたヘッセはイタリアに近くスイスで最も温暖な地ルガーノの近郊にその居を定めました。第1次世界大戦終了後の1919年、ヘッセ42歳の時で85歳の死まで実に43年間もここで過ごしたことになります。
もっともいつもモンタニョーラで過ごしていたわけではなく、季節、体調に応じチューリヒ、バーゼル、バーデン、ベルン、ルツェルン、ジルス・マリアなどで執筆活動を続けました。でも仕事が一段落すると帰るのはいつもモンタニョーラでした。
今までドイツ旅行や今回のスイス旅行でヘッセゆかりの地を幾つか尋ねてきましたがついにその終焉の地にやって来たのです。
写真はサン・アボンディオ教会の墓地にあるヘッセの墓。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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地図下。⑭。
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ルガーノからルガーノ湖に半島のように突き出た所の中ほどにモンタニョーラはあります。
MONTAGNOLAと綴ります。 -
モンタニョーラへはバス、ルート436に乗ります。
ルガーノ駅の裏側、バス停スタチオーネ・ヴィア・ソレンゴ。 -
8時10分のに乗りました。
今日は土曜日。時刻表は真ん中の列、1時間に1本しかありません。 -
しばらく走ると左手に教会が見えました。
ヘッセの墓のあるサン・アボンディオ教会です、あとで寄ります。 -
道はコリーナ・ドーロ/金の丘と云う名前です。
モンタニョーラは半島の高みにあり道はずっと登って行きます。 -
バス停モンタニョーラ・ペセで下車。
15分ちょっとで着きました。 -
モンタニョーラの中心ブロッキ広場です。
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ブロッキ広場。
商店らしきものは何もありません。町の人は買い物はルガーノまで行くのでしょう。 -
町役場。
ヘルマン・ヘッセ博物館はすぐ近くですが開館が10時半なので先にヘッセが31年間住み終焉の家となったカサ・ロッサ/赤い館に行きました。 -
コリーナ・ドーロ。
金の丘の名前のように、晴れていれば素晴らしいルガーノ湖の眺めを楽しめるのですが今日はどんよりした曇りです。 -
コリーナ・ドーロから別れ左の小さな道を行きます。
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ヘルマン・ヘッセ通りです。
ヘッセが村のなか、ルガーノの街に行き来したとき歩いた道です。 -
少し下った後上りになります。
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ヘルマン・ヘッセ通り。
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眺望のよい所に出ました。
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2本の門柱が立っています。
目指すカサ・ロッサ/赤い家です。 -
ヘッセが1931年から1962年の死の時までニノン夫人と住んだ家です。
もっともヘッセが自分で建てた家ではなく、チューリヒの富豪でヘッセの後援者であるボードマーが建ててヘッセの終世の使用に供したものです。
従ってヘッセの死後ボードマーに返されさらに人手に渡り、今は個人の所有で中は見られません。 -
門から玄関までだいぶ歩く、とヘッセが書いていますからヘッセもここを訪れたトーマス・マンもカロッサもブレヒトもアンドレ・ジッドもホイス大統領もみんなこの門から赤い小道を登って行ったのでしょう。日本のドイツ文学者高橋健二氏も訪れています。
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ノーベル賞受賞後はあまりにも訪問者が増えたので「どうぞ訪問しないでください」という張り紙をしたそうです。
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何とか中の様子を。
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横の道からも高い生垣に囲まれていて全く中を窺うことは出来ません。
右の垣。 -
反対側から、左の垣。
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垣に添ってさらに行くと直ぐ森に入ってしまいました。
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森から振り返るとカサ・ロッサの家がちらっと見えます。家を見ることは諦めていたのであっと驚きました。
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拡大してようやくこれだけです。
ヘッセが住んでいた当時の建物と同じか知るすべもありません。ヘッセの当時は赤い家/カサ・ロッサでしたがその後の持ち主が白く塗り替えってしまったそうです。 -
カサ・ロッサの絵。1948年頃。
確かに赤い家です。 -
他人の家を覗くなんて趣味の良いことでないのは分かっていますが。これだけは見逃してください。
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ヘッセの趣味に絵と庭いじりがあります。執筆に疲れるとヘッセは絵をかき庭仕事にふけりました。
傾斜のある空地をヘッセは開墾し、土を入れ、たい肥を梳き込み、樹木、果樹を植え、ブドウを栽培し、草花を育てました。秋から冬にかけ暖房用の薪を割り、冬には春に備え種を取寄せ、農具を手入れし、堆肥を作り、壊れた垣根を修理しました。夏の大きな仕事は雑草刈と水やりです。そういう作業の合間に詩想が湧くこともありました。 -
朝な夕なにヘッセが眺めたであろう風景。
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ルガーノ湖が霞んでいます。
あまりうろうろしていると怪しまれるかもしれません、半分満たされない気持ちで引き揚げました。 -
カサ・ロッサの手前に小さな公園がありました。
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ルガーノ湖。
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片隅にヘッセの碑が建っていました。
ヘッセ生誕100年記念。1977年。 -
公園からカサ・ロッサの門。
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街に降りてきました。
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ヘルマン・ヘッセ博物館です。
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カサ・カムッチ。
1919年ヘッセがそのころ精神を病んでいた妻マリーアをベルンの精神病院に残し子供たちは友人や学校の寮に預け単身モンタニョーラに移り住んだ家です。ヘッセ自身も精神的、肉体的に疲れていました。
この城館のような家にヘッセは間借り人として1931年先ほどのカサ・ロッサに移るまで住みました。 -
第1次世界大戦時の反戦活動に疲れ果てたヘッセはこの風光明媚な地で活力を取戻し、猛然と詩に論文に小説にメルヒェンにと創作活動を始めました。趣味の水彩画を多く描きはじめたのもこの頃です。
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2階右端の4部屋がヘッセの住居だったそうです。
しかしこの時代ヘッセの私生活も忙しい物でした。
1923年、マリーア夫人と離婚。1924年、20歳年下の声楽家ルート・ヴェンガーと結婚。1927年、夫として不適格としてルートより離婚される。同年、後のヘッセ夫人となる18歳年下のニノン・ドルビンと同棲を始める。1931年ニノンと結婚。
これをどう見るか。日本人の私の感覚からはヘッセにとってあまり名誉なこととは思えませんが。ゲーテもそうですが著名人の多少の私生活上の問題は大目に見られてしまいます。 -
ヘルマン・ヘッセ博物館入口、
1997年7月2日オープン、ヘッセ生誕120年記念の日でした。 -
館内。
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写真撮影は自由でした。
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ルガーノ湖を見下ろすヘッセ。カサ・ロッサでの写真でしょう。
館内にはヘッセに関する資料が一杯です。沢山写真に撮りました。 -
フィエーゾレで、キャンティの瓶とヘッセ。
1906年、29歳。
ヘッセのイメージに合わないまるで西部劇の役者のようです。なかなかの肉体美ですがヘッセは子供のころから運動好きの活発な子で、長じてスキーや山歩きは本格的なものでした。 -
イタリア旅行中のヘッセとオトマール・シェック。1911年、34歳。
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1919.7.24、カローナへの遠足。
中央ヘッセ、右隣ルート・ヴェンガー(後のヘッセの2番目の妻)。
ヘッセ42歳。 -
左から2人目ヘッセ、右端ヘッセの親友フーゴー・バル(ドイツの作家。チューリヒのダダイズムの先駆者)。1921年、ヘッセ44歳。
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1927年、ヘッセ50歳。
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ヘッセとニノン夫人。
ニノン:ヘッセの3人目の夫人。1895年ルーマニア生まれのユダヤ人。
最初の夫風刺画家ドルビンと1927年離婚しヘッセと同棲を始める。1931年正式に結婚。以降ヘッセの終世の伴侶となる。少女時代からヘッセのフアンでずっと文通していたという。 -
カサ・ロッサでのヘッセ69歳の誕生祝。1946.7.2。
左より3人目ニノン夫人とヘッセ。 -
1962年7月1日、85歳の誕生日の前日モンタニョーラ名誉町民授与。
この年の8月にヘッセは亡くなっています。 -
ヘッセ一家の団欒を友人がスケッチしたもの。
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枯草を燃やすヘッセ。
ヘッセは庭仕事が好きでした。 -
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1946年ノーベル文学賞授与証書。
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1960年代後半から1970年代にかけてアメリカの若者、ヒッピーなどの間でヘッセの本が爆発的に読まれました。ベトナム戦争に反対する若者の主張とヘッセの平和主義がマッチし、彼らはヘッセを自分たちの行動の象徴としたのです。
一番下の新聞。1970年9月14日、ザ・ナショナルオブザーヴァー紙。
「ヘルマン・ヘッセの不思議な人気。今日の若者は過去のドイツの作家を抱きしめている」。 -
愛用の帽子。
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愛用のもの。
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愛用のタイプライター。
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眼鏡、眼鏡ケース、鉛筆。
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万年筆など。
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夫婦が使っていた電話帳。
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1924.9.2、モンタニョーラから息子ハイナーに宛てた自分で描いた絵葉書。
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ヘッセの手跡。
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博物館の窓から。
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英訳の本。
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「車輪の下」。
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「荒野のおおかみ」。
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「デーミアン」。
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「ゲルトルート/春の嵐」。1910年。
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「ロスハルデ/湖畔のアトリエ」。1914年。
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「ヴァンデルング/放浪」。1920年。
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メルヒェン「ピクトルの変身」。
ヘッセは小説、詩と共にメルヒェンも沢山書いています。これは自筆の原稿に自筆の絵を描きこんだもの。 -
モンタニョーラに住むようになってからヘッセは本格的に絵を始めました。
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カサ・ロッサの絵です。
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カサ・ロッサ。
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絵具、パステルなど。
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淡い色使いがいいですね。
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葉書にもよく絵を描いて送ったそうです。
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以下7枚はお土産に買ったヘルマン・ヘッセ・カレンダーの絵から採りました。
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4月、春らしい風景です。
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6月。
これは「ペーター・カーメンチント」の舞台フィッツナウの風景だと思います。 -
8月。
明るい夏の日差し。 -
9月。
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10月。
モンタニョーラから見た秋のルガーノ湖でしょう。 -
12月。
以上7枚カレンダーからの借用です。 -
スライドを見ました。
カサ・カムッチ。 -
スケッチするヘッセ。
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スケッチ中のヘッセ。
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ヘッセは絵、特に水彩画をよくしました。
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「絵は楽しみで文学は義務だ」とヘッセは言っていたそうです。
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画題の多くは自分の住むコリーナ・ドーロ/金の丘、ルガーノ湖の風景でした。
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イタリアに近いティチーノ州の南国風の景色が好きだったのでしょう。
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以上スライドの写真です。
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ヘッセと2番目の妻ルート・ヴェンガー。1925年、ヘッセ48歳。
ルートは声楽家でヘッセより20歳年下でした。 -
この結婚は数年で破綻しました。初老の気難しい男と若い女性ではうまく行かなかった。
ヘッセは結婚早々若い妻をバーゼルのホテルに残してモンタニョーラに帰ってしまったそうです。妻が不満を抱くのは無理もない。ついに離婚を求められてしまいました。 -
右の2人ヘッセとヴェンガー。
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カサ・ロッサで庭掃除をするヘッセ。
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ヘッセの晩年の楽しみは絵を描くことと庭仕事でした。
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最後にショップで記念に本を買いました。
「デーミアン」ズールカンプ社。13.9フラン。 -
博物館に別れを告げバスでサン・アボンディオへ。
博物館から歩いても行けます。 -
糸杉の並木の先に見えるのはサン・アボンディオ教会。
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綺麗に手入れされている糸杉の木。
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この教会の墓地にヘルマン・ヘッセは眠っています。 -
教会の横ちょっと離れてに墓地の入り口がありました。
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先に墓地に行きました。
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ギリシャの神殿を思わせる墓地の門。
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門の内側に立つ彫像。
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円柱を潜った所。
墓地は正面の建物の奥に広がっています。 -
ヘッセのお墓いずこ。
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奥に小さな2本の糸杉が立っている所。
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ここです。
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これがヘッセとニノン夫人の眠るお墓です。
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本を両開きにした形の墓石。
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ヘルマン・ヘッセ。
1877年7月2日。1962年8月9日。
ただこれだけ彫られています。 -
ヘッセの墓石の手前に草に隠れるように小さなニノン夫人のお墓石がありました。
ヘッセ亡きあと3人の息子がありましたが、いずれも義息で(ヘッセ最初の妻の子供)、ヘッセの著作や遺稿の寄贈先で意見が分かれるなど、関係はあまりしっくりとは行っていなかったようです。それと墓石の小さいのとは関係ないでしょうが。 -
ニノン・ヘッセ=アウスレンダー。
1895~1966年。
アウスレンダーは彼女の旧姓。ヘッセの死後4年、71歳でした。 -
とうとうヘッセの眠るところまで来ました。ヘッセ探訪も終わりです。
今までの旅で、故郷カルフ、神学校時代のマウルブロン、書店員時代のチュービンゲン、エスリンゲン、最初の新婚の地ボーデン湖畔のガイエンホーフェンを訪ねました。 -
今回のスイス旅行で、幼年時代並びに詩人としてのスタートをきったバーゼル、「ペーター・カーメンチント」の舞台となったチューリヒ、フィッツナウ、第1次世界大戦中反戦を訴え続けたベルン、晩年夏を過ごしたジルス・マリア、そして1919年(42歳)以来その死まで人生の後半を過ごしニノン夫人と共に眠るここモンタニョーラ。
ここまで来た甲斐がありました。大袈裟ですが感無量です。 -
ではサン・アボンディオ教会を訪ねます。
実に美しい手入れの行きとどいた糸杉の並木です。 -
1962年8月9日に亡くなったヘッセの葬儀は11日ここで行われました。
西独のホイス大統領、アデナウアー首相、スイス大統領の弔電が寄せられ、話を聞いてルガーノに来ていた観光客も大勢参列したそうです。 -
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堂内。
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祭壇。
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祭壇の上の美しいスタッコ装飾の天蓋。
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堂内のあちこちに綺麗なランの花が飾られています。
今日は特別の日なのか、いつもこうなのかは分かりません。 -
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側廊。
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ヘッセのお墓を守る管理者の心が伝わってくるような美しい教会でした。
これは私の勝手な感想です。 -
教会の後ろはるかにルガーノ湖が見えました。
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教会の方から見た糸杉の道。
突き当りの右手に墓地があります。 -
さようなら、モンタニョーラ。
バスでルガーノに帰りました。
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この旅行記へのコメント (6)
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- ハッピーねこさん 2016/08/27 00:55:45
- モンタニョーラ!!
- ベームさん、こんばんは。
残暑お見舞い申し上げます。
残暑といえど暑さ未だ厳しく、また関東以北は台風の影響も心配な今日この頃。
どうぞご自愛下さいますよう。
さて、スイス一周のご旅行記。うらやましく拝見しながらこの夏バタバタとしており
初めてお便りさせていただきます。
ヘッセ終焉の地、モンタニョーラ。
昨年ヘッセ生誕の地カルフを訪ねた折、その名の付いたカフェでひと休みしました。
以前NHKの「世界ふれあい街歩き」でルガーノの紹介がありましたが、
モンタニョーラはルガーノからすぐの場所だったのですね。
緑いっぱいのこの地でヘッセは晩年を過ごしたのだなと、全くヘッセ通でもない私までも、
ベームさんのモンタニューラ記を拝見しましたら感慨深い気持ちになりました。
ヘッセご精通のベームさんでしたら、さぞかし心に迫るものがおありになったことでしょう。
この先も楽しみに拝見させていただきます。
ハッピーねこ拝
- ベームさん からの返信 2016/08/27 11:16:53
- RE: モンタニョーラ!!
- ハッピーねこさん、
お便り有難うございます。毎年日本はどこへ行っても異常気象、安穏と暮らせなくなりつつありますね。
いつも旅行記に訪問くださりお礼申し上げます。今回の旅行でスイスにおけるヘッセゆかりの地をほぼ訪れることが出来ました。これでヘッセの生まれた地カルフからその生涯を終えたモンタニョーラまで一応その人生のあとを辿ったことになりますか。まあ浅薄な一ヘッセフアンの戯れでしたが。
ところでハッピーねこさんの北ドイツ旅行記はハンブルクで御輿を据えてしまっているようですがどうなさいましたか。続きをお待ちしています。
残暑のみぎりご自愛のほどを。 ベーム
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- frau.himmelさん 2016/08/01 11:59:40
- ヘルマンヘッセ終焉の地
- ベームさん、こんにちは。
のこのこと後から追っかけています。
ヘルマンヘッセをたどる旅も、遂に彼の終焉の地までいらっしゃったのですね。
生まれ故郷カルフに始まり、彼の足跡を訪ね訪ねて彼のお墓に立たれた時はさぞや感無量だったことでしょう。
本当にヘッセに心酔なさっているのですね。
旅行記も、ヘッセのことは些細なことも見逃せないという、意気込みが現れているようです。
ベームさんのような熱心なヘッセファンのおかげではないかと思うような出来事がありました。
実は今回の旅行で私たちもチュービンゲンのヘッセの書店に寄ったのです。そしたら係りの女性にとても歓待されました。
あそこを訪れる日本人にとても好感を持っているようでした。
ヘッセのもとを訪れる日本人はみなさん熱心で不真面目な人はいないからでしょうね。
やはりうれしいものです。
残りの旅行記も早く追いつかなければと思っています。
himmel
- ベームさん からの返信 2016/08/01 21:19:40
- RE: ヘルマンヘッセ終焉の地
- himmelさん、
今晩は。
有難うございます。この齢になっても一作家の跡を追っかけるなんてなにかミーハーみたいで恥ずかしくもあります。
実はモンタニョーラのヘッセのお墓が最後ではなかったのです。旅程からそうなってしまったのですがもう一か所ベルンのヘッセの家が残っていたのです。目下作成中です。それが済めば私のヘッセ詣でも終わりになります。
チュービンゲンのヘッケンハウアー書店に寄られたのですか、羨ましいです。私は中に入る勇気がなく外から眺めただけでしたので。ハンブルクでの大胆な行動も驚きです。3人寄れば向かうところ敵なしですね。
次はどこですか、お待ちしてます。
ベーム
>
-
- belleduneさん 2016/07/23 09:20:03
- 良いところですね...
- ベームさん、ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」や「人は成熟するにつれて若くなる」の本を80歳を過ぎた父に贈ったことがありますが、余り興味を示さなかったようです。実家には小さな庭がありますが、それ程庭仕事が好きな訳ではなく、ほんの息抜きに薔薇を3種類ほど植えていました。父が亡くなった後もその薔薇は永く咲き続けていました。家を売却時に、近所の方が薔薇を貰ってくれましたので、今も咲き続けていると思います。
年を取ってから、土いじりをすることが老人には良いということで、我がテラスにも幾つかのプランターがあり、手間の掛からない植物を植えています。この夏は茗荷を初めて植えてみました。今のところすくすくと育っていますが、どうなりますでしょうか。
ヘルマンヘッセの庭はとても広くて、草毟りをして、一周して来ると、また元のところに草が生えていて、終りのない仕事だと書いてありました。本当に雑草は逞しいですからね。
一度、行ってみたいですね。朝から楽しい旅行記をありがとうございました。またお邪魔します。
- ベームさん からの返信 2016/07/23 17:47:51
- RE: 良いところですね...
- belleduneさん、
私の旅行記に目を留めて頂き有難うございます。
お父上がもうちょっとお若い時に贈られたら良かったかもしれませんね。歳をとると庭仕事は大変です。私は若いころ(中年のころ)は園芸が大好きでしたが80にもう数年という今腰が痛くてしゃがんだりする庭仕事は出来なくなりました。
ヘッセがお好きなようで随分たくさん読んでおられますね。私はこれからもっと勉強しないといけません。
では失礼します。 ベーム
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