2014/06/02 - 2014/06/04
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Dwind_999さん
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かつて奉天と呼ばれていた、遼寧省の省都・瀋陽。
日露戦争の時には、日露両軍合わせて60万(日本帝国陸軍24万人、ロシア帝国軍36万人)の兵士が激突した「奉天会戦」として、日露戦争最大の激戦地の一つとなった奉天。
1931年(昭和6年)9月18日、関東軍の謀略によって瀋陽市近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破され、満州事変の発端となった所でもあります。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6月2日(月)、朝7時にホテルを出て歩いて15分、丹東駅に来ました。
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中国の主要な鉄道駅では、入り口で身分証明書(外国人はパスポート)と切符を提示してから入り、スキャンするベルトに荷物を乗せてセキュリティチェックを受け、さらにそのあと簡単なボディチェックを受けるというように、空港ほどの厳しさではではないですが一応の保安検査があります。
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8:02発の列車ナンバー[K190次](上海行き)に乗る。
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「新空調硬座」というたいそうな名前のついた車両で、運賃は41.5元(\706)。
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丹東から北へ約250kmに位置する瀋陽へ向けて走る列車。
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30分遅れの所要約4時間半、12時半過ぎに瀋陽北駅に到着。
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高層ビルが立ち並び大都会の様相を見せる瀋陽北駅の南口。
総人口800万を擁する遼寧省の省都・瀋陽。 -
南口の広場から見た瀋陽北駅のビル。
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瀋陽北駅から友好街を南へ歩いて約1.5km、左向こうに予約していたホテルの看板が見えてきました。
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瀋陽北駅から歩いて約20分、ホテルに到着。
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3階建ての小ぢんまりしたホテルで、スタンダードキングルームの2階の部屋は狭いけど、小ざっぱりとしていて寝るだけなら特に問題なし。
1泊175元(\2975)で3泊します。
デポジット(ヤージン)を含め700元支払いました。 -
ホテルを出て街歩き。
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令聞街から市府大路に出て左へ歩き、スーパーTesco(イギリスに本拠を置くスーパーチェーン)が入っているビルの前に来ました。
街中でもゴミのたまり場をときどき見かけます。 -
中国にも百数十店舗あるTesco(テスコ)、今回の旅でも水やパンなどの食料品を買ったりするのによく利用しました。
中国のスーパーやショッピングモールなどの入口には、厚手のビニールが床までのれんのように垂れ下がっているところがよくあり、これをかき分けて入るのはけっこう煩わしい。
ドアの開け閉めによる空調の変化を防ぐための対策らしい。
冬には厳しい寒さになる中国東北部、見た目の悪さよりも防寒対策を優先しているようです。 -
テスコ広宜店の店内。
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市府大路を挟んでテスコの斜め向かいにある、復元された角楼。
瀋陽はその昔、城壁と城門に囲まれた城郭都市だった。 -
宿の前の通り「友好街」を東に歩いて「令聞街」から「市府大路」の方へ行くと市場があり、朝夕はかなりの賑わいをみせる。
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庶民の台所として、日々の暮らしに欠かせない猥雑なローカル市場は、今の日本ではあまり見られない光景だけに、ちょっとしたカルチャーショックを味わうのにもってこいです。
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宿泊しているホテル入り口横にはなぜかプレスリーらしき人形が。
ホテルの中にもレトロな置物やグッズ、写真・イラストなどが飾られていて、小ぢんまりとした安いホテルなりに、おしゃれっぽさを演出しています。 -
小雨のぱらつく、夜の瀋陽北駅前(南口)。
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瀋陽北駅の中にある「吉野家」で食事。
店内は日本の吉野家とは違い、マクドナルドやKFCなどのようなファストフード店の雰囲気。
ここではセットメニューが一般的のようでしたが、「牛肉飯」だけを注文。
17.5元(\298)と以外に高く、汁もほとんどなくて今ひとつの味わいでした。
それに水もお茶もなし。 -
翌朝9時半、「瀋陽故宮博物院」そばの瀋陽路の交差点付近。
西方向のずっと先の城壁があったところに、復元した「懷遠門(大西門)」が見えます。 -
瀋陽故宮博物院の方へ歩いて行きます。
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入場料60元(\1020)のチケットを買って、瀋陽故宮前の牌樓門をくぐって進んでいきます。
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カード式のチケットを駅の改札のように入れて、瀋陽故宮博物院に入ります。
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「瀋陽故宮」は1625年、女真族国家の後金が遼陽から瀋陽に遷都した際に創建され、清朝の初代皇帝の太祖ヌルハチと第2代皇帝、太宗ホンタイジにより建立された皇城で1636年に完成。
敷地面積の規模としては北京の故宮(紫禁城)の12分の1だそうです。
まず、皇帝が政務をとる場所「崇政殿」に来ました。瀋陽故宮博物院 博物館・美術館・ギャラリー
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崇政殿の玉座。
両側の柱には皇帝の象徴である五本指の金色の龍が巻きついています。 -
皇帝、皇后の居住区である後宮内から見た、入り口の門、鳳凰楼。
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大政殿へと続く広場左右には、十王亭・八旗亭が並ぶ。
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大政殿は皇帝が式典などを行う場所で、八角形の建物であることから「八角殿」とも呼ばれ、遊牧・騎馬民族の名残りとして移動式テント・ゲルを模しているそうです。
正面の2つの柱には、やはり皇帝の象徴を示す金の龍が絡み付いている。 -
故宮博物院の中。
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瀋陽故宮博物院を出て瀋陽路を東へ進むと、復元された撫近門(大東門)がデンと構え、道路をまたいでいます。
城郭都市だった瀋陽は、かつては周囲7kmの内城と周囲16kmの外城の二重構造の城壁に守られており、内城外城の城壁それぞれに8門の城門があったそうですが、現在は復元された3つの城門が見られるのみ。 -
大東門のすぐ手前に市場があって肉や海鮮類の店が並び、出口にはカゴに入った鶏などがいっぱい。
鳥インフルエンザが多く発生している中国だけに、足早に通り過ぎました。 -
瀋陽故宮博物院の近くには、中国東北部で力を誇示した軍閥の張作霖とその長男張学良の邸宅跡があり、観光名所にもなっています。
邸宅前に建つ、張学良の銅像。
1928年(昭和3年)6月4日、奉天近郊で列車に乗っていて爆殺された、馬賊から軍閥となって「満洲の覇者」として君臨していた張作霖。
その長男の張学良は張作霖の後継者となってのちに西安事件を起こし、蒋介石を拘束して第二次国共合作を認めさせ、日中戦争へと発展していきます。
戦後は蒋介石の国民政府と共に台湾に移って長い間を軟禁状態に置かれたのち、1991年にハワイ・ホノルルに移住し、2001年に100歳で生涯を終えたそうです。 -
瀋陽故宮がある瀋陽路の1本北側の通りが中街路で、瀋陽一番の繁華街。
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中街路の一部は約1500mに及ぶ歩行者天国となっていて、若者たちを中心にいつも賑わっています。
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中街にある、中華バロック様式(欧風建築と中華が融合)で建てられた「第二百貨商店」。
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中街からちょっと脇の路地に入った、猥雑さをみせる一角。
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中街のショッピングモール「PALACE66皇城恒隆広場」の地下1Fにあるフードコートで食事。
おかず3品(いくつかの惣菜から選ぶ)とご飯で16元(\272)、それにビールが6元(\102)。
まずまずの味で野菜も摂取でき、手軽に食べられていい。
ビールの冷え方が足りないのは残念ですが。 -
洗練されたショッピングモールの階段にずらりと並べられたクマのぬいぐるみ。
ディスプレイのつもりなんでしょうが、このためらいのない無造作ぶりが中国らしい。 -
中街路にはヤマダ電機瀋陽店がありました。
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地下鉄2号線の[市府広場]から5つ目の駅[北陵公園]まで地下鉄で移動。
運賃は8駅以内だったので2元(\34)。市府広場駅 駅
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昼過ぎの時間帯だけど、車両内はけっこう込み合っていた。
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10分ほどで北陵公園に着く。
北陵公園駅 駅
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広大な北陵公園の中にある昭陵(しょうりょう)に、セット料金の入場料50元(\850)を払って入ります。
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昭陵は清の初代皇帝である太宗ホンタイジ(愛新覚羅皇太極 在位:1626年〜1643年)とその妻・孝文端皇后の陵墓。
広大な北陵公園を通って、昭陵までかなりの距離を歩くことになります。 -
ようやく「石碑坊」という北陵の入り口に来ました。
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北陵の正門にあたる「正紅門」をくぐっていきます。
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「正紅門」を抜けると、両側に石獣が並ぶ神道が正殿の方へ続きます。
神道の両側には墓守りの役目をする馬や獅子、象、ラクダなどの石像が並ぶ。 -
石碑を納めた大碑楼を通っていく。
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五鳳楼と呼ばれる三層の楼閣が載った、方城(四角い城郭)の隆恩門。
高さ約7mの城壁が四角に取り囲んで方城を形成している。昭陵 史跡・遺跡
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隆恩門から見る、昭陵の主殿、龍恩殿。
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城郭の上は幅広の通路になっているので、周囲を眺めながら方城をぐるりと回ることができます。
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城壁の上から正面に隆恩殿を見る。
方城(四角い城郭)の四隅には角楼があります。 -
城壁の上から見た南側の大碑楼。
ずっと向こうに北陵公園入口。 -
城壁の上を回ってきて、入り口の隆恩門を見たところ。
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一通りの見学を終え、北陵公園の中にある池のそばを通って戻っていきます。
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昭陵(北陵公園)見学で歩き疲れたあと、地下鉄「北陵公園」駅からホテル近くの「金融中心」駅まで移動。
自動販売機で切符を買い、自動改札口の手前でセキュリティチェックを受けて中に入ります。 -
地下鉄「北陵公園」駅から乗った地下鉄の車両内。
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地下鉄「金融中心」駅で降りて恵工広場のロータリーの方へ歩いていくと、銭(コイン)の形をしたユニークなコインビルディングが目にしました。
「方圓大厦」というオフィスビルで、中国の古代貨幣をモチーフにしたデザインのこの建物、2012年に「世界で最も醜い10大建造物」の第9位に選ばれたそうです。
ちなみに第1位は北朝鮮の柳京(リュギョン)ホテル。 -
宿近くの友好街から令聞街へと歩いていくと、夕方の活気を見せ始めたこの一帯では、路上のあちこちで肉を焼く煙が立ち上り、串焼きを食べながらぬるいビールを飲む人たちの姿を多く目にします。
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市府大路と奉天街が交わる近くに、回族が商う「清真美食街」がある。
回族は中国におけるムスリム(イスラム教徒)民族集団で、この辺りには回族の学校もありイスラム教徒が住む地域となっています。
「清真」とは“汚れがない”という意味で、中国に居住するムスリムの料理を「清真料理」というそうです。清真美食街 散歩・街歩き
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立ちのぼる煙と匂いにつられて、「清真美食街」の一角にある店で食べた羊の串焼き(1本3元)。
パー(中国語で8)と言って指でも8の表示をして8本たのんだつもりが、出てきたのは20本の串焼き。
「さよなら」と一つ覚えの日本語をつぶやき愛想よくしていた40才前後のオヤジに抗議すると、態度が急変して「20本注文したはずだ」みたいなことを言ってまったく受けあってくれません。
いくらなんでも一人でそんなに食べるわけないだろう。
おまけにその奥さんらしき女性が一番高いビールを出してきたようで、支払い時に値段を聞くと「純生」だから15元(\255)するという。
普通4元〜6元のビールを飲んでいるのにいくら純生だからといっても15元は高すぎるよ。
何もわからない旅行者をカモにするそのあさましさ、「清真」のかけらもないセコイ夫婦にしてやられました。
おかげで好物の羊の串焼きの味は半減、6本を残して憮然として立ち去りました。 -
市府大路沿いの公園そばでは、歩道にずらりとテーブルが並び、トランプやマージャンを楽しむ人たちが大勢いて、夜のひと時を楽しんでいました。
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令聞街の路上レストランは、今夜も盛り上がっています。
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ホテル近くの令聞街、朝食に何か食べようと歩いていて見かけた小さな店。
油を引いた鉄板でパンを焼いていたので入ってみました。 -
他の人が食べているのを指さして同じものを注文。
絹ごし豆腐のようなやわらかい大きな豆腐のかたまりが入っているとろみのある
スープ。これは意外と薄味で、あまり特徴のない味でした。1.5元(\26)。
油を多めに引いた鉄板で焼いた渦巻き状のパンも1つ1.5元で2ついただきました。 -
宿近くの恵工広場南バス停から328路のバスに乗り、「九・一八歴史博物館」へ向かいます。
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約20分で「九・一八歴史博物館」に到着。
満州事変の発端となった柳条湖線路爆破事件の現場近くに建設された博物館。
弾痕と髑髏(されこうべ/しゃれこうべ)のデザインが入った、事変の期日が記されたカレンダー型の巨大な建造物が目を引きます。九一八事変博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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この近くにある爆破地点の線路わきに関東軍が建てていた「九・一八事変柳条湖爆破地点碑(炸弾碑)」は、その後中国によって引き倒され、この博物館前に横倒しにして展示されています。
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暗雲を表すレリーフを飾った九・一八歴史博物館の新館に入ります。
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1931年9月18日、関東軍による南満州鉄道の柳条湖付近の線路爆破が発端となり、関東軍の中国東北部侵略が展開されていった過程、それに対する抗日戦争などの歴史を多くの写真やジオラマとともに中国側からの視点で展示している。
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「日本帝国主義による中国への侵略戦争の始まりであり・・・」と書かれた「まえがき」。
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日清戦争・日露戦争に始まる日本の満州侵略の歴史から、展示が進んでいきます。
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柳条湖線路爆破事件をきっかけに関東軍と張学良の中国軍との戦いが始まり満州事変となる。
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満州事変はやがて泥沼の日中戦争へと発展していく。
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中国の愛国教育の一環でもあるこの歴史博物館、日本軍の残虐行為を宣伝する文言や写真などが多く展示され、日本人としてはいささか気の滅入るところです。
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抗日戦争の戦いを再現したジオラマなどをふんだんに使い、満州事変が起きた地だけにこの博物館は愛国教育の拠点の1つになっています。
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2時間弱の見学で博物館をあとにして、253路のバスに乗ってホテルの方へ戻りました。
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ホテル近くの歩道脇で商う自転車修理屋さん。
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ホテル前の友好街を東へ進んだところに中学校があり、昼休みなのか通りには学生たちが多く出て、屋台も繁盛していました。
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また中街の「PALACE66皇城恒隆広場」にあるフードコートに来て、おかず3品とごはん、そしてビール。
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中街路から西へ歩き、瀋陽駅(奉天駅)へと続くかつての目抜き通り中山路(旧浪速通り)を進んでいきます。
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中山広場の少し手前の中山路の歩道には、いくつもの銅像のオブジェが置かれ、目を楽しませてくれます。
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瀋陽駅近くの中山広場に立つ毛沢東の像。
毛沢東の像って、いったいどれだけあるのだろうか。
「ワイルド・スワン」や「マオ-誰も知らなかった毛沢東」、「上海の長い夜」などを以前に読んで、階級闘争理論を軸に自身の権力維持に執念を燃やし、「数千万人の自国民を死に追いやった」といわれる毛沢東の無慈悲さを知っているだけに、中国建国の父とはいっても、中国各地にたくさんの毛沢東像が建てられ今なお崇拝の対象とされていることに違和感を覚えてしまいます。 -
かつての奉天警察署、現在は瀋陽市公安局。
中山広場は大連の中山広場と同じく、広場周りには旧満州時代の建物が多く残っており、円形のロータリーからは放射状に7本の道路が延びています。
かつて奉天大広場と呼ばれていた中山広場を中心に、日本人の手による欧風の都市建設がなされていきました。 -
1929年(昭和4年)に竣工した奉天ヤマトホテルは、現在はホテル・遼寧賓館として営業。
1933年(昭和8年)、13才の李香蘭が初めてステージに立ったのがこの奉天ヤマトホテルだそうです。
1907年から敗戦の1945年まで満鉄線沿線の主要都市にホテル網を展開していた満鉄直営のヤマトホテル。
いくつものヤマトホテルがあったそうですが、主要なものでも大連、旅順、奉天、長春、哈爾賓などに存在し、現在でも名前を変えて営業している所が多く、当時としては高級ブランドホテルとして名を馳せていたそれらのホテルを渡り歩く、「ヤマトホテル巡り」を楽しむ旅行者もいるようです。
1泊数千円とそんなに高いわけでもないので、私も少し奮発して泊まってみればよかったな。 -
かつての「藤田洋行ビル」。
現在はデパート「秋林公司。 -
1915年頃に竣工したかつての奉天郵便局。
現在も大原街郵政局として使われている。 -
1910年竣工の瀋陽駅(旧奉天駅)。
建物は一部拡張されているそうですが、現在もそのままの形で使われている。
赤レンガに白い柱のコントラストが特徴の駅舎は、辰野式と呼ばれる建築様式で同じ様式で建てられた東京駅の雰囲気に似ている。 -
レトロな雰囲気の瀋陽駅構内。
旧満州時代に日本が作った建物の多くが、今も引き続き同じような利用目的で使われており、憎しみで破壊するよりも実利をとった賢い選択といえます。
おかげで後世に生きる私たちは、一つの歴史遺産としてそれらを目にすることができ、往時の情景に思いを馳せながら旅の一興に供することができます。 -
瀋陽駅から地下鉄1号線に乗って中街に来ました。
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瀋陽の街では路上の自転車修理のおじさんをちょくちょく見かける。
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瀋陽の街でよく見かける牛肉麺の店。
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気になっていたので牛肉面(中国語では麺を面と書く)を食べてみました。
捏ねた麺生地を、両手でビヨ〜ンと延ばしてどんどん細くしていく、例のパフォーマンスを見せていましたが、その割にはこの牛肉面、スープも麺たいしたことはない平凡な味でした。
12元(\204)。 -
牛肉面を食べた店の近くに「招待所」が集まる一角がありました。
ある人のブログによると、中国の宿は、[招待所]→[旅館(旅社)]→[賓館]→[酒店]と順にランクが上がるそうで、招待所は安宿になりますが外国人を受け入れない所もあるとのこと。
今回の旅では旅順以外は[賓館]、[酒店]クラスの中から比較的安い、1泊2500円から3000円くらいの宿を選んで予約しました。 -
宿近くの令聞街に戻ってきました。
ちょっと気になっている「手工餃子」という看板の店。
手作り餃子という意味合いなんでしょうが、後日瀋陽に戻ってきたときに一度この店に入りました。
さあ明日はさらに旧満州を北上して、長春を目指します。
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