2016/04/22 - 2016/04/22
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lion3さん
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フランツ・カフカはプラハの街に生まれて、
人生のほとんどをプラハで過ごしています。
プラハの街にはカフカに関したものがいくつかあります。
街歩きしていて写真に撮ったものを並べています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
-
旧市街広場です。
フランツ・カフカは1883年に
ユダヤ商人の長男として生まれます。
その後、中高学校、大学とすべて
プラハで過ごし、会社員時代もプラハで生活しています。
1924年に40歳で亡くなりますが、
結核の治療でプラハを離れた時期をのぞき
人生のほとんどをプラハで過ごしています。 -
旧市街広場の聖ミクラーシュ教会の
左隣にあるカフカの生家の建物です。
建物の裏はユダヤ人街です。 -
建物の1階は
現在カフカ・カフェになっています。 -
20世紀に入るころに
ユダヤ人街はきれいに区画整理されて
現在の街並みと同じになっています。
青年期以降は
カフカの見た街並みと同じです。 -
100年ほど前の重厚な建物が並んでいます。
ユダヤ人集会所の建物で
ヘブライ語の文字が見えます。 -
旧市街広場の旧市庁舎(天文時計)のすぐ近くにある
七部の家です。
ルネサンス時代に流行した
スグラフィット(漆喰)装飾が美しい建物ですが、
カフカは6歳から12歳にかけての7年間この家に住んでいます。
カフカは少年、青年時代に旧市街、ユダヤ人街などを
数回の転居をしています。 -
通った中、高等学校は
旧市街広場にあるプラハのエリート学校でした。
旧市街広場に面した
現在のゴルツ・キンスキー宮殿と呼ばれる
美しいバロイック様式の建物です。
「ドイツ語教育による
王立プラハ・ギムナジウム」という名前の学校でした。
当時のエリート教育はドイツ語でおこなわれていました。
もちろん、カフカもドイツ語を学んでいます。
カフカの小説の作品もドイツ語で書かれています。 -
プラハ大学の現存するもっとも古い建物です。
1901年の高校卒業後は
プラハ大学で法律を学んでいます。 -
共和国広場にある市民会館です。
大学卒業後は
共和国広場に近い
王立労働災害保険局に勤務していました。
仕事先は現在ホテルになっています。
仕事は馴染めなかったようで、
仕事後に小説を書いていました。
しかし、生前には1冊も出版などはされていません。
目的のない作家活動です。 -
プラハ城内の聖ヴイート大聖堂です。
-
プラハ城内の黄金の小道で
カフカが会社員生活を送りながら
小説を書くために借りた家です。 -
水色の家で22番の番号の家です。
-
カレル橋です。
小説を書くために、
旧市街の自宅、仕事先から
このカレル橋を渡ったということです。 -
バーツラフ広場の北側から100mほど
モルダウ川へと歩いたっ場所にカフカのオブジェがあります。 -
カフカの顔をデザインしたものだそうです。
-
銀色に輝くオブジェが横断面で動いていきます。
-
ユダヤ人街の東にある
スペインシナゴーグです。
スペインシナゴーグのすぐ横の広場に
カフカのオブジェがあります。 -
顔のない背広姿の人の上に乗る人物像です。
-
モルダウ川沿いのプラハ城下にある
フランツ・カフカ博物館です。
カレル橋の近くにあります。 -
博物館の入口には
Kという文字が強調されています。
カフカは1917年に肺結核となり、
1924年に亡くなりますが、
知人のマックス・ブロートの働きで
戦後に出版が行われて、
広く知られるようになります。
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