2016/05/02 - 2016/05/08
11位(同エリア83件中)
尖椒土豆絲さん
- 尖椒土豆絲さんTOP
- 旅行記27冊
- クチコミ0件
- Q&A回答6件
- 63,896アクセス
- フォロワー18人
張家口堡古里・鶏鳴宿散策でハマった古堡古鎮巡り、そして南京明孝陵・明十三陵・清東陵散策でハマった明清時代の陵墓巡り・・・ん?懐かしいなぁ?
そんな思い出でに浸りながら、古堡と陵墓という二つの魅力ある史跡を、一網打尽できる中国史跡巡りプランが組めないものか・・・
百度地図を眺めていると、北京を中心にして、程よい距離に保定市易県と張家口市蔚県が有るではあ?りませんか!!!
これらの史跡群に行こうと決めた時から中国モード全開です。
様々な人達の旅行記等を参考にし、古城・史跡巡りを断行、何とか旅行を終えて無事に帰国しました。
という訳で・・・魅力たっぷりな史跡群、私たちと一緒に旅をしましょう。
毎度々、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発だぁ!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今年も我家恒例のゴールデンウイークの中国旅行の始まりです。
日本航空の北京往復チケットを握り締め、東京羽田空港から北京首都空港に向かって出発です。
毎度々、待ちこがれた機内食では、大好きなプレミアムモルツです。
爆買い中国人や日本人ビジネスマン達で満席のJL021便は、定刻前に離陸、様々な人達と一緒に海の向こうの中華大陸に乗り込みます!
Let's go 中国!!!! -
真っ青な空を眺めていると・・・
キャビンアテンダントからの機内アナウンスが流れ・・・
「北京の天気は雨、気温は13℃」・・・
何と“雨”!! しかも寒い・・・(@_@;) まいったなぁ〜
さてさて、今年も晴れ男と晴れ女の本領発揮となるのでしょうか??? -
北京首都空港第3旅客ターミナルに到着後、まずは旅行資金の調達です。
到着フロアーで中国銀行のATMを発見、クレジットカードで中国人民元をキャッシングし、いざ中国旅行開始です。
因みに5月2日のレートでは、1元 = 16.5円でした。 -
さあ、今日中に三国史跡豕州(本当の字はサンズイ偏+豕)市まで移動です。
空港の外は激しい雨で悪天候、傘の意味が無さそうなくらいです。
ここは雨に濡れずに且つ乗換回数が少ない移動手段を選ばなきゃ!!。
豕州行きが発着する長途汽車站は沢山有るのですが、傘をさしながら長途汽車站に辿り着くのは避けたいし・・・
そこで、空港発リムジンバスで、乗換無しで行くことが可能な六里橋長途汽車站へ向かうことに!!
これなら傘の出番が無いはずじゃん!!! -
六里橋長途汽車站まで、弐拾肆元整 + 参元整 = 27元です。
北京首都国際空港HPの移動手段を検索すると、24元となっています。
このプラス3元は何なのか? 不明のまま切符購入です。 -
机場巴士15線は、終点の六里橋主枢紐 = 六里橋長途汽車站まで88分で走ります。
へえ〜途中で北京西站にも寄るんだ〜!! -
待つこと約20分、六里橋長途汽車站行きのリムジンバスが出発です。
大雨の影響なのか?労働節最終日の影響なのか?渋滞も重なり・・・遅延です。
途中、運転手さんが“▽●×◎◆◇”と叫ぶも理解不能・・・
運行予定の北京西站方面には行かずに、そのまま三環を直進です。
どうやら、“西客站北広場に行く人はいますか?”と叫ぶも、誰も返事をしなかったので、運行予定ルートを省略した模様です。
私達は結果的に時短になり大助かりですが、中国語が理解できない中、ちょっと不安な気持ちに・・・こんなこと、有り〜???
ルートを省略しても遅延のままで、結局、乗車時間約100分かけて六里橋到着です。 -
さあ!次の移動だぁ!!!
六里橋長途汽車站售票処で、“到豕州二張”と紙に書いて渡すと・・・
“没有”・・・???・・・え━(゚C゚)━! そんな訳ないじゃん!!
更に驚いて固まっている私達に、窓口の服務員が“▽●×◎◆▽●◇”と言っているけど、いつもと同じく理解不能・・・日本語しか分かりません (~_~メ)
豕州へ行く為には、麗沢橋や永定門・天橋長途汽車站へ行くべきだったのか??
暫く考え込んだ挙句、並ぶ集票処窓口を変えて、再度“到豕州二張”・・・
今度の窓口の服務員さんは“有”・・・よっしゃ━(^-^)━! あっさり豕州行き切符(20元)が買えました。
一体何が問題だったのか? どうなっているのか? -
購入した15:30発の豕州行き切符です(20元)。
約40分、待たなければいけません。
先程までの豪雨は小雨に変わり、少々ホッとしながら待機・待機。
ところが・・・ -
一向に豕州行きバスが入線しません。
遅れること50分、改札口の服務員に呼ばれ、バスに乗ろうとすると・・・
何と石柱行きのバスが待っているでは有りませんか!!!
“石柱”って何処の街???訳も分からず乗車です。
結局のところ、六里橋長途汽車站発豕州行きのバスは存在せず、豕州を通るバスに便乗して途中降車するような形式だったのではないかと推測されます。
先程の集票処窓口の服務員2人の対応の差異は、このことだったのでは??との憶測です。 -
途中まで京港澳高速を爆走、その後、一般国道107号線を南下します。
車掌さんに“豕州汽車站”と紙に書いて見せると、頷いて笑って“▽●×◎◆◇”と言われ・・・まあ、翻訳すると“了解しました〜”ってな感じかな ( ^)o(^ )!!多分・おそらく・きっと・・・
やがて、乗車時間約90分で豕州汽車站前の路上で停車〜。
降車したのは私達2人だけ。
そもそも豕州行きの切符を持っていたのは私達だけだったのかもしれません。
先程までの雨は上がり、傘は不要です。
ふ〜助かった〜((´∀`)) -
豕州汽車站で情報収集開始〜
明日の豕州散策後に向かう易県までは、距離62km 料金19元と判明。 -
易県行き最終バスは17:40発。
私達の狙いは、易県行きバスを途中の三義広場横の国道107号線で捕まえる・・・
途中乗車に挑戦する為の目安が計れました。
豕州汽車站16:20発のバスにLock Onです。 -
豕州汽車站から徒歩20分程の天天快捷賓館(120元 朝食無し)に到着、チェックインです。
受付で服務員にパスポートを出すと“▽●×◎◆▽●◇”と言われるも理解不能。
どうやら外国人宿泊不可のようです。
日本語しか分からない私達、またまた大ピンチか〜?????
昨年のシルバーウイークの上海での宿泊バタバタ劇を思い出し、心臓爆々状態で落ち着きません・・・どうしよう (/ω\)
それにしても、日本でネット予約出来たのに・・・何故?なのだろう??
やがて、責任者の女将さんのような方が出て来て、暫く思案した後、“◎◆◇▽●×”と服務員に指示、パスポートチェック無しで泊まれてしまいました。
これってイイのかな???何にせよ一安心、溜飲が下がりました。 -
チェックイン後、近くの家常菜食堂で我家十八番の尖椒土豆絲と酸菜白肉鍋・水餃で一献 ( ^^)/▽▽\(^^ )!!乾杯!!
鋭気を養い、全7日間の旅行に備えなきゃネ!!
ホテルへ戻り、明日からの予定を確認・確認。
中国CCTVの天気予報によると、明日からは晴れ〜です (*^^)v
静かに旅行初日5月2日の夜は更けていきます(晩上好)。 -
5月3日が始まりました(早上好)。
今日から本格的な中国大陸散策です。
豕州史跡巡りから始まります。
さあ!歩くぞ〜
豕州は城壁に囲まれた街でもあったのですが、現在では古城の城壁は、北西エリアしか残存していません。
その古城の西門(西関)外の天国寺から散策開始です。 -
豕州天国寺、観覧無料です。
建立不明で栄枯盛衰を繰り返し、仏教寺院として現在に至っています。 -
寺院内左右に鼓楼・鐘楼を配し、大雄宝殿が構えています。
暢游客は私達だけ・・・独占です。 -
天国寺から国道107号線を北上、昨日の豕州汽車站を通り過ぎると、古城墻公園が見えて来ます。
古城壁ですが、煉瓦は全て持ち去られてしまったのか?、元々煉瓦は無かったのか?土塁だけが残っています。
古城壁の高さは10mは有ろうかという大きな規模です。
その古城壁に沿って北上すると、豕州古城の北西角で城壁は直角に東に折れて連なっています。 -
その北西角の古城壁の北側には、遊具が揃った華陽公園が整備されています。
労働節休暇の時は、子供達の歓声が響いていたことでしょうネ。 -
豕州古城壁は北側の華陽公園と重なる部分が少しだけ煉瓦の城壁になっているようです。
残念ながら城壁歩きは出来ません。 -
華陽公園の東端の入口は、豕州古城北門が有った北関です。
ここには華陽公園への入場門が作られています。
北城門甕城が有った場所ですが、豕州古城の城門とは全く関係有りません。 -
さて、その北関から古城内に入り、鼓楼北大街を南下します。
直ぐに双塔の北塔が見えて来ました。
正式名称は運居寺塔ですが、既に寺院は無く、塔のみが残されています。
この北塔、麓まで近づくことが出来ません。 -
南塔です。
正式名称は智度寺塔ですが、やはり寺院は残っていません。
双塔の建立は遼代の1092年です。
ここ南塔は工事中で残念ながら見学不可です。
鍵が開いていた為、こっそり工事現場に潜入し、記念写真を撮っていたら“▼▽●◎◆◇”と怒鳴られ、急いで退散です。
塔に登る階段も閉鎖され、全く登塔出来ません。
事前調査では、南塔のみ有償で散策可だったのですが・・・
残念!無念!!何でや念!!! -
南塔寺街を南下すると、北塔と南塔が並んで眺められます。
-
鼓楼北大街に戻り南下します。
やがて、土塁というか土塊が現れました。
豕州古城の鼓楼 通仙楼の跡です。
鼓楼は取り壊され、何て無残な姿なのだろう・・・ -
地方都市の良き時代を醸し出す鼓楼北大街です。
雑踏とした、また雑然とした The アジア のような光景に惹かれます。 -
鼓楼北大街から華陽西街を東へ進むと豕州博物館が見えて来ます。
售票処でパスポートを提示すると、何と無料で入館出来ます。 -
無料の入場券です。
-
館内では古代から現代までの豕州が分かりやすく展示されています。
三国志 劉備・関羽・張飛の桃園の誓いも再現されています。
そうなのです・・・三国志の英雄達三兄弟は、ここ豕州で出会い、歴史の大舞台に出て行ったのですね。
それにしても、北方謙三著の三国志を読んで、もう何年経っているのかなぁ〜?
またまた読み直しをしなきゃ!! -
豕州古城の模型が有りました。
朝一番で散策した天国寺が建つ西関、華陽公園が整備された北関など、何れも甕城構造です。
それもちょっと変わった中途半端な二重甕城構造です。
古城全体を俯瞰してみると、ここ豕州古城は少し歪な形をした城壁の街だったことが分かりますね。
模型からは現存している双塔と、取り壊された鼓楼や4箇所の城門が確認できます。 -
とても広い博物館です。
古代の石器や遺跡出土品・石坊碑等、数知れず展示されています。
これで無料なんだ〜 (#^^#) -
日軍暴行展示コーナーが有りました。
愛国教育では反日は欠かせない史実として語り継がれて行くのでしょうね。
その一角で現存していた頃の通仙楼と双塔を捉えた写真が展示されていました。
鼓楼が残ってなく残念ですが、この写真から当時の豕州古城が偲ばれますね。 -
豕州の搜狗衛星地図に散策した史跡を書き込みました。
地図では古城壁は緑色の線となって、西関から北関まで残っていることが上空からも認識出来ます。
私達は時計回りの右回りで散策中です。 -
先に進みます。
鼓楼南大街を南下、范陽西路に出る前に牌坊を潜り抜けます。
元来の豕州古城の南関に該当する場所です。
南城門の面影は皆無です。
一帯は華やかな街の中心部として賑わっています。 -
范陽西路を横切り南下を続けると南関街へと通りの名前が変わります。
途中交差する桃園路を東へ向かえば豕州汽車站に行けます。
この南関路と桃園路の交差点の桃園甓事処站では、豕州汽車站発のバスが暫く停車します。
更に南下すると、薬王廟大悲閣に到着です。
中華医薬文化展と共に無料開放されています。 -
豕州薬王廟の説明碑が有りました。
旧南関薬王廟で、1845年と1938年に改修工事が行われています。
その他は・・・???
写真の説明文を参照して下さいネ (^-^) -
薬王廟大悲閣の東隣の清行宮です。
售票処は有ったのですが、何故か閉鎖中で散策不可!!!
残念です。 -
次の目的地 張飛廟へ向かう為、先程の桃園甓事処站で豕州16路のバスを待ちます。
しかし、様々な番号のバスをやり過ごすも、一向に豕州16路バスが来ません・・・
停車中の南三店行きの豕州13路の運転手さんに“張飛廟”と書いた紙を見せると“乗れ”という仕草・・・
暫くして発車した豕州13路バスは、国道107号線の張飛廟という道標が建つ場所で運転手さんから“▼▽●◎◆◇”と促され降車(3元)です。 -
バス停近くの食堂で、毎度毎度の尖椒土豆絲・過油肉・水餃と地ビールで昼食を楽しみます ( ^^)/▽▽\(^^ )!!乾杯。
昼食後、張飛廟まで約20分の散歩です。
さあ、後半戦の散策の始まりだぁ〜 -
張飛廟に到着です。
胸が躍ります。
三国志ファンなら一度は訪れたい場所ですね。 -
門票は張桓侯廟と張飛古井見学を合わせて20元です。
-
張飛廟を仰ぎ見ます。
忠義店村の英雄は、今では道教寺院から村人を護っています。 -
張飛墓殿内に鎮座する張飛像。
道士が功徳箱にお布施するように促すも・・・
私達はとっとと退散です。 -
桃園三結義の劉備・関羽・張飛ですね。
豪快に酒を酌み交わしながら語り合っている像が有ります。
この桃園三結義は正史三国志演義に出て来ます。 -
結義亭を過ぎ、奥へ進むと・・・
張飛古井のことは知っているけれど、張飛の故居が有るなんて聞いてないよ・・・
取り敢えず、先ずは張飛古井(張飛売肉井)へ行ってみましょう。 -
張飛が出かける時は、この井戸に豚肉を隠し、大きな石の蓋をしていたそうです。
ある日、怪力自慢の張飛は、この石の蓋を動かした者は中に吊るした豚肉を自由にしてもいいと言い放ちました。
そこへ偶然通りがかった関羽が石蓋を開け、周辺の村人に豚肉を分け与えてしまいました。
怒った張飛は、関羽が売っている豆を地面に叩きつけると・・・2人は大喧嘩!!
そこへ劉備が仲裁に入り、まあ酒でも呑りながら仲直りしようということになり、桃園で義兄弟の契りを結んだというのです。 -
張飛古井の隣の建物の壁には、関羽が石蓋を“えい!”っと開けてしまう場面が描かれています。
分かりやすくてGood です (^0_0^) -
先程の道標に戻り、張飛故居へ行ってみると・・・
何と故居を建設中です (*^。^*)
新築の故居では笑えますネ。
完成した暁には、門票が値上がりしているのでしょうネ (^○^) -
さあ、徒歩で三義宮へ向かいます。
というか、三輪タクシーの待機も無く、歩くしか選択肢は有りません。
歩き出すと、辺りは一面穀倉地帯です。
何だか北海道の広大な景色に似ているなぁ〜 -
徒歩約30分、三義宮に到着です。
劉備・関羽・張飛が桃園で義兄弟の契りを結び、その記念に建てられ寺院が、 ここ劉備玄徳の生まれ故郷 楼桑廟村にある三義宮です。
重厚な山門殿から入場です。 -
門票(20元)です。
-
現在は道教寺院になっており劉備・関羽・張飛が祀られています。
院内は山門殿・馬神殿・関公殿・桓侯殿・三義殿・少三義殿・后殿・五侯殿の8個の楼閣から構成されています。 -
三義殿には、張飛・劉備・関羽が並んでいます。
黄忠・趙雲・諸葛亮達も勢揃いです。
いやはや蜀の武将大集合といったところですね。
全部で87体も有るそうです。
三国志物語の発端となった場所を訪れ、ホッとした安堵感を味わえましたね (⌒∇⌒)。 -
んん・・・説明案内表記を何気に見ていると・・・意味不明!!!
またとして知られている“商工会議所。“ホール劉、関羽、張カジュアルの真ん中に着席。家の事ガンのBei、彼の妻、マダム日ミ2の女性のためのコンパートメント
一体、どんな翻訳ソフトを使ったのだろうか?
誰かチェックする人は居なかったのだろうか?
理解できる日本人暢游客達は居るのだろうか? -
三義宮を後に、国道107号線入口の三義広場に向かいます。
桃園三結義の後、黄巾賊討伐に向かう躍動感溢れる三兄弟の乗騎姿像が建っています。
広場を後にして、いよいよ易県行きバスの途中乗車に挑みます(ドキドキ)。 -
写真は、三義広場を通る国道107号線の道路脇で、易県行きのバスに途中乗車すべく臨戦体制の我家内です。
皆さん“そのバス!止まれ〜!!”という我家内が発するオーラ、見えますか?
ちょっと易県と印刷した文字が小さかったかな。 -
待つこと約20分、狙いの易県行きバス(15元)が凄いスピードで通りかかりました〜
キタ━(゚∀゚)━! 2人で大きく手を振って・・・車掌さんが気付いた模様!!
約50mほど過ぎたところで急停車!! 途中乗車に成功だぁ〜〜〜!!!
バスは国道107号線を走行、高碑店で国道122号線を西進、ひと安心です。
ん〜豕州汽車站から易県迄なら19元だったはず。
途中乗車で乗車距離が若干短くなるとはいえ、15元という良心価格に感謝!謝々!! -
すると・・・途中の来水(本当の漢字はサンズイ編+来)県汽車站前の路上に停車!!
運転手さんが“◆◇▼▽●◎”と叫ぶと、乗客全員が一斉に降車です。
私達も慌てて降車すると、近くに停車中の別のバスに乗るよう促され・・・
乗り換えた路線バスは、高碑店発易県行きの路線バスでした。
どうやら易県行きを1台のバスに集約した様です。
(◎_◎;)・・・あ〜ビックリした〜!!!!! -
2台併せての乗車時間は約60分、目的地 易県汽車站に到着です。
さあ、時刻は既に18:00前です。
ターミナルが施錠される前に慌てて情報収集です。
明日の清西陵散策と、明後日の紫荊関長城散策の移動手段を調べなきゃ!! -
紫荊関長城へは来源(本当の漢字はサンズイ編+来)行きの路線バスに乗ればOKです。
30分毎と、わりと頻繁にバスは出ている様です。
清西陵ですが、事前調査によると9路の路線バスに乗る必要が有るようなのですが、その9路の情報が見つかりません。
そうこうしている内に、服務員さんから“▼◆◇▽●◎”と叫ばれ、ターミナルを追い出されてしまいました。
ターミナルの外では、私達が北京行き最終バスに乗り遅れた暢游客だと思われたようで、沢山のタクシー運転手から“北京?”と声を掛けられました。 -
地方都市の易県城内の路線バスは17:00頃で終了のようです。
易県汽車站から約30分歩いて、今日から2連泊する易県百益城賓館(288元朝食付き×2泊)に無事にチェックインです。
準備された部屋は、2部屋分は有ろうかという広いミニスイートルームで、なんか超セレブな気分です ヽ(^o^)丿・・・やったネ!!
さあ、夕食の時間です。
ホテル前の食堂に突撃、路上のテーブル席で現地の人達に交じって、樽生の九州地ビールで乾杯 ( ^^)/▽▽\(^^ )!! 羊串や干鍋等を舌鼓です。 -
表向きには易県城内で外国人が宿泊可能なホテルは、ここ百益城賓館(3ツ星★★★ホテル)のみになっています。
部屋でCCTVを見ていると、あらら・・・安倍首相の映像が流れています。
そっか〜今日は5月3日の憲法記念日だぁ〜!
毎年、中国では日本の再軍拡を懸念をした報道をしているようです。
バタバタだった旅行2日目の5月3日が終わろうとしています(晩上好)。 -
5月4日が始まりました(早上好)。
朝から屋台や露天店で大賑わいの陽元北大街を散策です。 -
その東隣に旭豊商貿城いわゆる市場が有ります。
中国の台所を見に行きましょう。 -
2002年、中国広東省で発生し拡大したSARS(重症急性呼吸器症候群)ですが、その発生源・感染拡大の原因として、生薬中心の清平市場のハクビシンが脚光を浴び、犯人と言われました。
あの時、清平市場が閉鎖されたことが記憶に残っています。
それからは、各都市に有る旧市場は壊され、新しい近代的なビルの中へと建て直されて行きました。
ここも、昨年12月に完成し始動したばかりのようです。
ある意味、雑踏・雑然とした The アジア のような光景は無くなっていってしまうのでしょうね。 -
市場を出て、清西陵行き9路バスが走っているであろう同興路(国道122号線)に向かいます。
すると9路では無いのですが、“西陵”という表記看板を付けたバスが通りかかり・・・どうしよう??? 一瞬の判断で乗車してみることに・・・
西陵と書いてあるのだから問題無いよね?! ちょっと心配。
乗車後、車掌さんに西陵と紙に書いて見せると、“▽●×◎◆▽●◇”と言われるも理解不能。
まあ、何とかなるでしょ!! -
約40分後、梁格庄鎮入口のバイパス沿いの清西陵の石碑前で、車掌さんから“◎◆▽●×▽●◇”と言われ、降車です(6元)。
石碑が有るということは、間違いなく清陵ということです。
ふ〜よかった〜!!飛び乗ったバスは、無事に目的地近くに着きました〜 ((´∀`))
さあ、清西陵の自助散策巡りの始まり・始まり〜です。
降車した梁格庄鎮は崇陵の入口で、主陵の泰陵のそれでは無いことが判明、まあ、どの順番で散策するかは・・・出たとこ勝負です!!! -
梁格庄鎮の街も屋台や露天店で大賑わいです。
地方都市の旅行の醍醐味は、且つて日本も経験した昔懐かしい屋台や露天店が並ぶ光景の中に有ると感じています。
この雑踏・雑然さ、たまりません!!!
さあ、梁格庄鎮を抜けると・・・ -
徒歩約20分で、清西陵最初の史跡 永福寺に到着です。
今回の清西陵観光で行きたい有償史跡は、泰陵・崇陵・昌西陵・永福寺です。
それぞれの入場料を足してみると、125元になる為、ここでは通票を購入です。 -
通票(120元)です。
慕陵に行かないとしても、5元お得です。
駐車場代15元も含まれています。
公共交通機関のみ利用の私達には全然関係無いじゃん!!! -
さあ、永福寺に行ってみましょう。
奥に向かって連なる黄色の瑠璃瓦・・・何て美しいのだろう・・・ -
清王朝が清西陵に建てた御用寺院がここ永福寺です。
ここの歴代のラマ僧は、皇帝陵の祭祀全般を専門に執り行いました。 -
普明殿内の供三方仏です。
-
大碑楼は内部が公開されています。
贔屓が石碑を背負って鎮座してます。
石碑には、漢字・蒙字・満字が3列で刻まれています。 -
何て精工な作りなのだろう・・・ただただ感嘆です。
-
永福寺前の公道で道標を確認、次の目的地の崇陵迄は1km有るようです。
いつ来るか分からない路線バスを待つより・・・え〜い歩いちゃえ!!
という訳で、歩き歩き散歩の始まりです =^_^= 。 -
崇陵まで徒歩20分程でしたが、途中で9路バスが追い越して行きました。
9路は陵墓の何処に向かうバスなのだろう??と考えてみましたが、事前調査では調べ切れていません。
まあ、何とかなるさ!! 9路バスが走っているということは、当初の予定通り、公共交通機関のみを活用した旅が出来るじゃ〜ん!! と思いながら、さあ!崇陵へ通票で入場です。 -
清西陵全景図です。
散策する順番を再確認します。 -
崇陵の五孔石拱橋を渡ると・・・
-
光緒帝が眠る崇陵と遥か彼方の山々が目に飛び込んで来ました。
ここ崇陵ですが、造成中に清王朝が崩壊した為、袁世凱の国民政府に受け継がれて整備されました。 -
木牌楼門を潜ると・・・
-
大碑楼が現れます。
残念ながら内部は非公開です。
永福寺の様に贔屓や石碑は見ることは出来ません。
よかった〜〜〜永福寺でじっくり観覧しておいて・・・ -
隆恩殿です。
内部は施工当時の記録写真が展示されています。
そっか〜写真機が発明され、記録方法も変わっていく時代だったのですね。 -
陵寝門から後寝に進みます。
-
二柱門の奥には石五供・方城・明楼が現れます。
宝頂は工事中で閉鎖されていました・・・ちょっと残念 ((+_+)) -
ここ崇陵のみ地下宮殿が観覧可能です。
地下に降りてみると、光緒帝は隆裕皇太后と一緒に並んで眠っています。
光緒帝の死因については様々な噂がありますが、最近、発掘された遺骨が分析されると・・・何と死因は砒素中毒・・・
恐ろしや〜〜〜Σ(・□・;) -
崇陵東隣りの崇陵妃園寝に行ってみましょう。
瑾妃・珍妃が眠る崇陵妃園寝は、崇陵から横に逸れて散策になります。
つまり、有償史跡の崇陵に入らないと、妃園寝にも入れないということです。 -
陵恩殿を過ぎると、宝頂が2個、仲良く (⌒∇⌒) 並んでます。
向かって右側に瑾妃、左側に珍妃が眠っています。
瑾妃は、清朝最後の入葬者で享年51歳でした。
珍妃は、光緒帝に最も愛された妃と言われています。
改革を進める光緒帝を全力で助けました・・・( ;∀;)
しかし、改革に反対する当時の清王朝最大の実権者 西太后の命令により、紫禁城で井戸に投げ込まれるという悲劇的な最後を迎えてしまいました・・・御霊に合唱!!!
さあ、次の目的地 泰陵へ移動しなくちゃ!!! -
崇陵散策を終え、入口に戻って来ると、停車中の電気カートを発見!!
何だろう? どんな仕組みなのだろう? 暢游客を乗せる為に止まっているの???
どうやら清東陵同様に観光用カートが整備されたようです。
但し、清東陵の場合は通票にカート代金が含まれていましたが、ここ清西陵のカート乗車は別途100元(と思う)が必要らしい・・・
通票以外にも、お金を取るんかい <`〜´> -
困って騒いで嘆いていたところ、丁度、崇陵観光を終えて出て来た男性暢游客と遭遇。
この方、馬さんといい、北京から日帰りで清西陵を旅行中らしいのです。
易県汽車站から料金メーター作動によるチャーター旅行をしているそうです。
私達が移動手段を探していることに気付いた馬さんとタクシードライバーの劉さんが“▼◆◇▽●◎”と言っているけど理解不能。
紙に書いてもらったところ・・・
どうやら一緒に陵墓巡りをしないか?と言っているようです・・・多分・おそらく・きっと・・・ -
清東陵同様に、電気カートシステムが導入された為なのか、三輪タクシーは排除され、全くの皆無状態。
チャーターどころか、流しのタクシーさえ居ません (/ω\)
ここは2人のご厚意に甘えることにしましょう!!
タクシーは崇陵から、工事中で閉鎖の泰陵妃園寝を通過、泰陵入口まで一気に走ります。
おおっと〜到着した泰陵の駐車場で、9路バスと遭遇です。
やはり公共交通機関での散策旅行も可能なようです。
さてさて、散策開始にあたり、劉さんが何か“▽▼◆◇▽●◎”と言っているけど理解不能。
多分、“途中でピックアップするから、神道を歩いて行って〜”とでも言っているのだろう・・・おそらく・きっと・多分・・・
雍正帝の陵墓 泰陵の五門六柱十一楼の石牌坊を正面に見て、馬さんと一緒に散策開始です。 -
石牌坊を潜り抜けると大紅門が現れます。
-
続いて大碑楼です。
崇陵同様に内部は非公開です。 -
七孔石拱橋です。
さすが主陵だけ有って立派です。 -
何て幅の広い重厚な橋なのだろう・・・
ここは歩行者専用で、車はご遠慮願っています。
大きな一枚岩が整然と並べられています。
その橋を渡って行くと・・・ -
神道の両側には石像生の象です。
-
そして、石獣生の馬です。
神道の石像を通り過ぎたところで、劉さんがタクシーを路上停車させて待っていました。
劉さんは私達3人が散策している間は、いちいち課金メーターを止めています。
動き出すと課金メーターも進みます。
ふ〜ん!劉さん馬さんのチャーター交渉のルールなのでしょうか?
事実はよく分かりません。
私達が、一体いくら支払えばいいのかも分かりません・・・まぁいいかぁ〜 -
タクシーは神道脇の車道を一気に快走、清西陵の主陵 泰陵に到着です。
壮大な清西陵の首陵である泰陵です。
全て歩いて見て廻ることは、時間的・体力的に難しいようです (一一") -
隆恩殿です。
一部で修復工事が始まっています。
かなり傷んで来ています。
風化・浸食に抗い続けた300年間の耐え忍びの姿、堂々たるものです。 -
隆恩殿・陵寝門を過ぎると、石五供と方城・明楼が見えて来ます。
崇陵同様に重厚です。
残念ながら地下宮殿は非公開です。 -
影壁を過ぎ登楼、次は宝頂を一周します。
泰陵入口の石牌坊から大紅門・大碑楼・神道・・・最奥の宝長まで、何て長いのだろう。
途中が車移動になりましたが、さすがに疲れて来ました。
エナジー補給しなきゃ <^!^>!!! -
次の陵墓 昌西陵へ向かう途中、遅めの昼食です。
左がタクシードライバーの劉さん、右が北京からの1人旅の馬さんです。
劉さんが何か“▽▼◆◇▽●◎!!”と言っています。
“自由に勝手に料理を取って食べろ!!”とでも言っているのでしょう。
チャーターのルールなのか? マナーなのか? 劉さんの昼食代は馬さんが全て支払いました。
ここで昼食を囲みながら、易県への帰路について筆談にて相談です。
清西陵で分かれるか? 易県まで一緒にタクシーに乗っていくか?
馬さんに対し“私達と一緒に荊軻塔を観光しないか?”と尋ねるも(紙に書くも)、北京に戻る時間的制約が有り、私達を易県帰路途中の荊軻塔で降ろし、そこで分かれるという行程になりました!! -
昼食後、清西陵最後の散策予定地 昌西陵に向かいます。
途中の嘉慶帝の昌陵は未公開です。
昌陵が有って昌西陵も有る?・・・2個も陵墓が有る??
実は皇帝が先に崩御した場合、墓門を直ぐに閉じる為、残された皇太后は別の場所に埋葬されます。
その例が、嘉慶帝の皇太后で、その場所が回音壁の有る昌西陵なのです。
崇陵の光緒帝と隆裕皇太后のように、一緒の陵墓には眠っていないのです。 -
隆恩殿です。
ここも、正面の額は漢字・蒙字・満字の3列で書かれています。 -
なんてこったい!!!( ;∀;)!!!ここも工事中だぁ ( ;∀;)
楽しみにしていた回音壁の反響が・・・
しかし、諦めません!! 宝頂に続く神道の石板 回音石で発声です。
確かに反響しますが、工事の雑音に遮られてしまって聞き取りにくい・・・トホホ (+o+)
回音壁ですが、北京の天壇公園にも有るそうです。
尚、この昌西陵には方城・明楼が有りません。
ちょっと変わっていますネ。 -
石五供を振り返りながら、昌西陵を後にします。
真っ直ぐ易県に向かうのかと思っていたのですが、わざわざ散策予定外の慕陵の前を遠回りします。
私達は散策しませんでしたが、ここ慕陵は公開しながら大規模修復工事中です。
劉さんの“▽▼◆◇▽●◎”という解説が有るものの私達には理解不能・・・ (/ω\)
さあ、国道122号線に出て、荊軻塔に向けて快走です。 -
荊軻塔に到着、ここで劉さん馬さんとサヨナラです。
メーターは既に320元。
途中乗車&途中降車だからなのか? 私達2人分のチャーター代として、劉さんからの要求額は170元でした。
んん〜?? これじゃあ馬さんの負担が大きいのでは??
まあ、馬さんも1人でチャーターするよりは安価になった訳だし・・・まぁいいか〜!!
楽しく愉快な清西陵巡り、劉さん馬さん、有難う!! -
さあ、劉さん馬さんと分かれた後は荊軻塔の散策です。
荊軻塔建立は燕の時代に遡ります。
初めて都を北京にした燕という国を繁栄に導いた昭王という逸材が居ました。
燕国繁栄の秘訣は、人材重視の政策でした。
“隗より始めよ”や“漁夫の利”という日本に伝わった諺は余りにも有名です。
また、始皇帝暗殺計画で、刺客の荊軻を秦に送り込む際に荊軻が歌を読んだ場所でもあるようです。
写真は、タクシードライバー劉さんの名刺です。
無事に馬さんを北京行き最終バスに間に合うよう、安全運転で易県汽車站に辿り着けたかな??? -
荊軻塔散策後、ホテル迄、徒歩45分もかかりました。
途中、三輪タクシーに何度も声をかけられましたが、やはり我家の旅行は“歩く歩く”が基本です。
ましてや今日は清西陵観光で、予想だにしなかったタクシーチャーターになってしまいました。
だからこそ、頑張って歩かなきゃ!!
頑張って〜頑張って〜ホテルに到着、休憩後、再始動です!!
昨夜ハマった路上での食事・・・今夜も同じ店で羊串を食しました〜ヽ(^o^)丿。。。
ドキドキだった旅行3日目の5月4日が終わろうとしています(晩上好)。 -
5月5日が始まりました(早上好)。
今日は紫荊関長城を経て、蔚県迄の大移動です。
まずは長途バス発着場の易県汽車站まで行かなきゃ!!
2連泊でお世話になった易県百益城賓館に“再見” !(^^)! -
ホテル近くの水厂路口站で路線をチェック。
長途汽車站或いは交通局迄の路線バスは、1路または3路に乗ればOKです・・・
私達は結局、何時来るか分からないバスを待つこと無く、易県汽車站まで歩いちゃいました〜。
そういえば、途中、硯石の専門店が多数有りました。
興味が有る方は ど・う・ぞ !! -
易県汽車站から来(本当の漢字はサンズイ編+来)源県行きのバスは流水扱いです~>゜)〜〜〜。
やがて、高碑店白溝鎮始発で易県経由来源行きのバスが入線して来ました。
9:20頃に発車したバスは、昨日観光した清西陵を過ぎたと思ったら、西陵インターから先、高速道路を走行です。
国道122号線が崖崩れで閉鎖になり、迂回路に高速道路が使われています。 -
售票処で買った紫荊関鎮站迄の切符(14元)です。
紫荊関インターで高速道路を降りたバスは、従来の街中の紫荊関交通客運站には寄らず、拒馬河に架かる橋の北岸の路上で停車です。
ここで降車したのは私達を含めて3名だけ・・・
約80分のバス移動で、時計は10:40を示しています。 -
紫荊関散策の開始です。
橋から東側を見ると紫荊関長城の端に望楼? 烽火台? が見えます。 -
反対の西側には紫荊関の北城門が見えます。
別名、河山帯礪門と呼ばれています。
“河山帯礪”という四字熟語は日本にも伝わって来ており、“国が永遠に繁栄し安泰であること”の例えを言います。 -
北城門外の万里長城の石碑前で記念撮影〜 ( ^^)
-
よーく見てみると、城門上には紫荊関と彫られています。
-
拒馬河沿いの長城です。
1449年、明皇帝の正徳帝は、侵入する北方異民族匈奴を撃つべく親征、大同近くで戦況不利と判断し退却を試みましたが、土木という所で捕虜になってしまいました(土木の変)。
そして、その捕虜の正徳帝を従えて、オイラート族長エセンハンが明の紫荊関を突破、北京を南側から侵攻・包囲したという史実が残っています。
ここを通ったんだ〜!!! -
北城門を潜り、城内から馬道を歩いて城壁に上がってみましょう!!
-
北城門付近の城壁上は自由に散策出来ます。
北方異民族側に向けて馬面が出っ張っています。 -
先程、橋の上から見えていた望楼? 烽火台?に続く長城です。
車道部分が切り崩されています。 -
ここから望楼? 烽火台?まで続く東側の長城への登攀は出来ないようになっています。
というか、急斜面で法面が階段状にもなっておらず、歩くのはかなり危険です。
登攀禁止も当然でしょう!
見て下さい、この急斜面の法面。
何故、階段を設置しないのでしょうか? -
紫荊関長城は現在、修復工事中です。
工事現場には、紫荊関一帯の修復予定地図が設置されています。
今のところ門票不要・無料で散策出来ますが、何れ有償史跡になること間違い無しです。
さてさて、この地図を眺めていて・・・
よっしゃ〜!! 長城登攀の狙いを“草場門跡”に定め、いざ出陣!!! -
ルート選択は大当たりです。
草場門跡から馬道で長城へ上がれます。
但し、先程の望楼? 烽火台?の有る北側の長城(写真奥側)は歩行禁止で閉鎖されています。
私達が立っている南側の長城(写真手前側)は自由に散策可能です。 -
長城に上がると大展望が拡がります。
眼下には紫塞金城門が確認出来ます。
高い位置から俯瞰すると、長城を歩いて金城門へ下りるルートは、金城門手前の最後の階段の一段一段の高さが、歩けない様な段差になっていることに気付きました。
先に歩いて下って行った暢游客は、この階段を歩くことを諦め、止むを得ず長城から外れて、急な山道を滑りながら下山しています。
危ないな〜〜〜まだまだ、観光地としての整備が済んでいないので、仕方ないよネ! -
その金城門から西側の真武山に延びる長城は、現在、大々的に修復中です。
崩れかかった長城修復の為、足場を組み、作業用リフトを設置し、軌道レールを敷いています。
上部は工事中で危険そうです。
散策出来るのかな??? -
長城散策が続きます。
気候・気温ともに抜群で快適です。 -
長城上から見下ろした二重門です。
二重門の先の西側の真武山に続く修復済み長城も含め、かなりの急斜面・急降下・急上昇で法面は階段状になっていません。
怖い!怖い!結構怖いです。
家内は恐怖で歩けず、お尻を法面に付けたまま、ズリ落ちるようにして二重門に辿り着きました。
おそらく雨の日は、かなり滑りやすいと想像がつきます。
無理せずに草場門跡に引き返すことをお奨めします。 -
長城下から見上げた二重門です。
先程、下りて来た恐怖の急斜面です。
階段の無い法面の長城が確認出来ます。
あ〜怖かった〜((+_+))
二重門から西側真武山側に続く長城ですが、同じような法面で、階段無しです。
登りは簡単そうですが、下りは苦労しそうです。 -
修復を終え、二重門も綺麗にお化粧直しされています。
ここ紫荊関城内南端には南城門跡が有りますが、復元・修復はされていないようです。
それでも数々の城門が残存しています。。
紫荊関の城門は、北から南に北城門・金城門・二重門・南城門と連なります。
北方異民族にとって、北京侵攻というのは大変なことだったのですね。 -
城内を散策しながら北上、金城門が見えて来ました。
L字型の城門で、2箇所から自在に通行可能です。 -
金城門には紫塞金城の文字が刻まれています。
-
城門を潜り抜けて・・・ここでも馬道を歩いて城壁に上がってみましょう!!
-
金城門の上で記念撮影です。
右後方に二重門が見えています。
左後方に一段一段が人が歩けるような高さの設計になっていない階段状の長城が見えています。
綺麗に修復されていますが、前述した通り、この階段を下りるのは危険です。 -
城門が修復されて保存が進むということは素晴らしい話です。
しかし、この修復、使用する石や煉瓦が揃っておらず、まるでパッチワークみたいです。
コンクリートで固めて修復すればイイってものじゃないような気がするのは私だけでしょうか?
中国人的には、この模様、何も感じないのでしょうかネ〜??
要らぬ助言かな・・・ -
紫荊関のGoogle衛星地図に散策した城門を赤文字で書き込みました。
衛星地図では修復箇所が東側の一部だけになっていますが、実際には二重門へ続く長城の修復は終えています。
今の修復工事個所は、もっぱら西側の黄色線を引いた長城の部分です。 -
さあ、12:00になりました。
次の目的地 来源県まで行くバスを捕まえなきゃ!!
高速道路出入り口の紫荊関インター料金所前で待つこと約10分、来源県城行きのバスが通りかかり、途中乗車に成功です )^o^(。
来源県まで一般国道122号から108号へ乗り継いで走ります(18元)。
途中、進行方向右手には、いくつもの烽火台を伴った長城が稜線上に見えていました。
但し整備はされておらず、散策には向かないようです。 -
約60分で来源県汽車站に到着です。
んん? 何か違う・・・ (@_@;)
事前に調べた来源県汽車站は、街の中心部のはず・・・
徒歩で泰山宮散策に行けるはず・・・
どうやら私達が到着した汽車站は、郊外に新しく建設された中長距離バス専用の新汽車站のようです。
蔚県へ行くバスも、ここから発車するということが判明!! -
来源県の搜狗地図です。
私達が乗って来た紫荊関からのバスは、地図右上の来源県汽車站に到着です。
当初、到着予想していた長距離バスターミナルは、地図下部の来源県汽車站です。
すぐ隣が泰山宮になります。 -
泰山宮散策前に蔚県行きのバスを確認です。
1日4便出ており、来源県発の最終は15;30と判明、このバスに乗らなきゃ!!! -
中長距離バスが運行している都市迄の距離と代金が表示されています。
蔚県迄は85km・31元です。
切符を購入して、さあ!来源県散策に出発だぁ〜 -
蔚県行きのバス発車迄は約2時間です。
泰山宮散策と昼食時間の配分を考えながら、服務員の女性に中心部迄の行き方を教えてもらおうとすると“▼◆◇▽●◎”と言われ理解不能。
結局は筆談です!(^^)!
“3路公交車到拒馬源広場”と紙に書かれ、その通り3路バスに乗車(1元)です。
降車した拒馬源広場站の隣が従来の汽車站 = 近郊区間専用バスターミナルです。 -
ターミナル前の沙河大街は、旧城時代の中心部なのか?? 牌坊が建てられています。
周辺は露天店が多数ひしめき合う市場になっています。
何とも言えない魅力的な雑踏ですネ。 -
この沙河大街の市場で昼食を摂ります。
炒麺・酸辣土豆絲・過油肉とビールで乾杯 ( ^^)/▽▽\(^^ )!!
それにしても凄い量・・・大盛りを頼んだ覚えは有りません。
お腹を超いっぱいに満たして・・・ -
さあ、散策再開です。
市民の憩いの広場である拒馬源広場から泰山宮を遠望です。 -
段丘の上に泰山宮です。
道教の寺院で拒馬源広場から8mの高台に有り、階段を上がります。
本殿の左右に鐘楼と鼓楼、そして興文塔を従えています。 -
售票処ならぬ布施処で10元を払って散策です。
従って門票は有りません。 -
隣の興文塔は5階層で21.5mの高さが有ります。
天宝3年(744年)に建てられ、1200年以上の歴史を刻んでいます。
2005年に修復工事を受け、来源のシンボルになっています。
ここも登塔は叶いませんでした〜 (●^o^●) -
さてさて、来源散策終了です。
蔚県行きの長距離バスが発着する先程の郊外の(新)来源県長途汽車站まで戻らなければなりません。
待つこと数分で往路同様の3路バス(1元)が到着です。 -
3路の路線バスは、火車站と長途汽車站と汽車站とを結んでいます。
へえ〜火車站が有るんだ〜でも、蔚県には行けません。
この路線バス、小型で座席数は7座です。
正に乗り合いタクシーの様で、手軽に利用できる公共交通機関ですネ!!! -
蔚県迄の道程は、来源北インターから蔚県南インターまで高速道路を利用し、蔚県汽車客運站へ向かいます。
乗車する時、運転手さんに、今日宿泊予定の蔚県英豪国際賓館と紙に書いて見せるも、“▽◎▼◆◇▽●”と言われ理解不能・・・ (/ω\)
まあ、何とかなるでしょう ((´∀`)) -
高速道路を爆走し、乗車80分程経った頃、蔚県城内の国道418号線と和平路とが交差する辺りで、運転手さんから、“◎◇■△○◆”と言われ理解不能・・・だけど、どうやら降車を促している・・・
運転手さんが指す方向彼方に、今日宿泊する蔚県英豪国際賓館が有るようです。
ありがとう!! 親切で優しい運転手さん!!
そのまま無事に蔚県英豪国際賓館(5月5日295元・5月6日331元 朝食付き)にチェックインです。
夕食は、ホテル近くの泉新街に軒を連ねる美食街の“蔚州小吃街”に出かけました。 -
蔚州小吃街では、あらゆる店舗前の路上で串焼きの煙が上がっています 。o○
何てアジアチックな光景なのだろう・・・
などと思いつつ行き当たりばったりで入った食堂で、今夜も大好き料理に舌鼓です。
夜になり冷え込んできたこともあり、店内で砂鍋・水餃・尖椒土豆絲で一献 乾杯 ( ^^)/▽▽\(^^ )!!
大移動だった旅行4日目の5月5日が終わろうとしています(晩上好)。 -
5月6日が始まりました(早上好)。
蔚県は地理的な関係上、昔から中華と蒙古等の北方異民族が交じり合う土地です。
今日は、その蔚県古城郊外の暖泉鎮散策です。
事前情報によると暖泉鎮行きの路線バスは、古城内の東西南北牌楼街の交差点付近からの発着のようです。
しかし、古城南側ロータリーから各方面への路線バスが発着しており、暖泉鎮行きも有るのでは?? と思い、地元民に聞いてみると、北の方向を指さして“没有 ◎◇■△○◆”と言っている・・・
多分“此処では無いから北の方に行け!!“とでも言っている・・・おそらく・きっと・・・(@_@;) -
地元民が指さした北の方の古城内牌楼街の交差点にて、停車中の暖泉鎮行きの819路路線バス(3元)を発見。
毎時00分と30分と1時間に2本のペースで運行されています。
9:30に発車したバスは約25分かけて中心部の暖泉書院横の広場に到着です。 -
この暖泉鎮は、西古堡・中小堡・北官堡の3古堡からなっています。
明清朝時代に発展して“三堡・六巷・十八庄”と言われたようですね。
街の名前の由来ですが、湧き出る水が一年中温かいことから“暖泉”という名前が付いたようです。
この暖泉に絡むエピソードも有ります。
“土木の変”で、明皇帝 正徳帝が捕虜になったのは、暖泉出身の宦官・王振の判断ミスと言われています。
王振が己の豪邸を皇帝に自慢したがり、退却ルート変更がなされ、結果的に匈奴に攻められてしまったのです。
歴史は面白い・・・(^-^)・・・さあ、西古堡まで歩きましょう!! -
旅行前の事前調査で、ネットで見つけた暖泉の地図です。
3古堡の位置関係が分かります。 -
徒歩約10分、西古堡に到着です。
城壁の保存状態が良さそうで、早くもワクワクします (^-^)
この西古堡、明の嘉靖年間の創建です。 -
門票 120元です。
え〜何て高額なのだろう!!
し・か・し・・・今回の中国旅行で、最も楽しみにしていたのが西古堡です。
景区に入らない訳にはいきませんヾ(@⌒ー⌒@)ノ。 -
門票には事前調査で把握出来なかった施設ばかりが載っています。
分かるのは北瓮城と遼宋博物館だけです。
その他は一体何なの???
この門票に写っている塔は一体何ものなの?・・・後ほど判明します。 -
一緒に渡されたもう一枚の切符・・・
どういう意味なのか分かりません。 -
門票にパンチ穴を入れてもらう箇所が6個も印刷されています。
つまり有償観覧施設が6箇所も有るという事です。
西古堡の地図を眺めて、夫婦で戦略会議を開きます。
事前情報が皆無の古堡外の観光施設が気になります。 -
さあ、古堡内へ入城です。
底光りした石畳に刻まれた轍に歴史を感じます。 -
西古堡を北城門から一気に南城門まで通り抜けます。
先ずは門票に載っている古堡外の観覧施設巡りから始めます。
南城門を潜り抜けて城外から振り返ると・・・修復された城壁が聳えています。
後ろ髪を引かれながら、古堡外へ行くと・・・ -
案内板が有りました。
どうやら古堡外に温泉付きの休暇村を造成するようです(写真参照)。
宿泊施設が完成すれば、暢游客の数が大きく伸びるでしょうね!!!
暖泉古鎮中心部を通らずに、直接、車で乗り付けるように大駐車場も完備されています。
便利になることは助かる話ですが、同時にテーマパーク化する古堡が心配でなりません。 -
門票に写っていた“玻璃塔”ですが・・・
施錠されていて登塔出来ません <(`^´)>
服務員も誰も居ません <`〜´> どうなってるの???
西古堡を高い目線で眺められると思ったのもヌカ喜びってか?!?! -
こちらも門票で入れる“鬼屋”と言われる迷離古堡が作られています。
遊園地によく有る硝子と鏡で作られた迷路が楽しめます・・・私達には、どうでもいい遊技場だけれど・・・
ん〜〜〜こんなのにお金を払ったの???
門票120元の中身って、こんな施設を含んでいるの??? <`〜´>
おまけに停電中で入場不能と来たもんだ!! 使おうとしたトイレも真っ暗!! 黒・黒・黒!
トホホ・・・怒り爆発!!!!!<(`^´)> -
諦めて西古堡へ戻ります。
西古堡南城門の南甕城を東側から遠望です。 -
南城門の南甕城の外には金・金・金の仏像が鎮座・・・
日本人には理解不能・・・ -
人民政府によって暖泉古鎮文化産業発展概要が記されています。
西古堡の修復計画・状況についてのようです。 -
さあ、南城門を潜り直し、南甕城内へ戻りましょう!
-
南甕城の中に地蔵寺は建っています。
寺院の1階は剪紙という切り絵等のお土産屋さんで、その奥から南瓮城壁に上がれます。
高い位置からの古堡の眺めが楽しみなので〜す!!! -
南城門の上から北城門に向かって南北に走るメイン通りを眺めます。
高い建物は殆ど無く、遮るものも無く、爽快!爽快!そうなのかい! -
回り込んで、南甕城壁上から見下ろす地蔵寺です。
-
さあ、古堡内の散策開始です。
先程、一気に通り抜けた南城門から城内へ戻ります。
何とも味わい深い雰囲気の城門です。 -
西古堡内の南西角の城壁です。
煉瓦は無く土塁状の城壁が連なり古堡牆と呼ばれています。
かなり、浸食が進んでいます。
将来は先程の暖泉古鎮文化産業発展概要図に載っていたような、綺麗な古堡に修復されてるのでしょうか? -
古堡内には沢山の路地いわゆる巷が有ります。
土壁が続き、まさにタイムスリップをしたかのような錯覚をしてしまいます。
散策途中で、魔幻童頑館・古蔚州婚俗館・通剣拍撮院落に門票で入館・・・
どれもこれも、全く意味不明の観光施設でした。
何とか見るに耐えたのは・・・遼宋博物館ぐらいですかね。
こんな安易な施設で、古堡の修復費を徴収しようなんて・・・
暢游客の理解が得られるとは到底思えません・・・残念でなりません。 -
南北メイン通りの途中、蔚県名物の剪紙(切り絵)が販売されていてます。
それらの露店を眺めながら歩いて来ると、先程の北城門に戻って来ます。 -
北城門の右側(東側)から登楼出来ます。
辺り一面、ノスタルジックな光景が拡がっています。
実際、古い街並みをそのまま残す暖泉は、時代劇のロケに人気が高いらしいのです。
何だか・・・いい映画が撮れそうな感じが伝わって来ます。 -
北城門の北甕城です。
-
朝、入城の時の集票処や碑坊が見えています。
120元も取りやがって・・・ <`ヘ´>
さあ、西古堡から城外に出ましょう!! -
古堡外では、暖泉鎮名物の豆腐干が至る所で見られます。
この後の昼食で、豆腐料理に舌鼓を打つことになりました。 -
続いて中小堡を散策します。
この中小堡は通票要らずで無料開放されています。
というか普通に人々が暮らしています。
小堡入口の左の赤い壁は観音寺です。
関公(関羽)が祀られているらしいのですが、残念ながら閉まっていて、散策不可です。 -
北城門を潜った所に“福”の文字が描かれてます。
南城門は撤去されて残っていませんでしたが、その場所にも“福”の照壁が有ります。 -
中小堡を後にして、中心部の暖泉書院に向かいます。
元代の尚書・王敏が建てたからでしょうか、またの名を王敏書院と言います。
ここも何故か閉まっていて散策不可です。 -
壁越しに、暖泉書院を眺めます。
んん? 敷地内を歩いている一行様を発見!!
どうやって入場したのだろう??? -
暖泉鎮中心部の食堂で、暖泉豆腐と水餃を楽しんでいると、女性ガイドのような方が店に入って来ました。
近くの暖泉古鎮客桟の女将さんと判明。
“◆◇▽▼▽●◎”と話して来ますが理解不能・・・ (/ω\)
紙に書いてもらうと、何と有力情報をゲット!!!
ここ暖泉鎮には“打樹花”という1300℃の溶解鉄を北官堡の壁にぶちまけ、花火の様に火の粉が鮮やかに舞い散るのを見るという危険で勇敢な奇祭が有りますが、観光用に毎週金・土・日にイベント開催をしているといいます。
そうそう!今日は5月8日の金曜日なのです!! -
奇祭“打樹花”は事前に知っていましたが、何と暖泉鎮の観光イベントとして開催されるようになっていたなんて・・・・
表向きには暖泉鎮には外国人宿泊可能な宿は無いのですが、この女将さん曰く、全く問題無いので泊まれと言います(本当に大丈夫なの??)。
近くのイベント開催専用の樹花広場で、19:00開催で有償観覧代 120元とのことです。
路線バス最終が18:00頃の為、“打樹花”を観覧した場合はタクシーで蔚県城に戻ることになります・・・。
悩んだ挙句、女将さんから、今後のことを考え(今後のことって何?何?・意味不明・・・)ホテルカード(写真参照)を頂きました。
宿泊料金は不明のままです、皆さん、あしからず・・・ <m(__)m> -
“打樹花”は、毎年元宵節旧正月の3日間で開催される奇祭です。
大都市北京から近いこともあり、期間中は暖泉鎮は大混雑になるらしいのです。
本来の“打樹花”を見るには、蔚県城からの移動手段が徒歩しか無くなる程の大渋滞になると言われています。
ここ北官堡の南城門の壁には、黒い垢のようなものがこびり付いています。
溶解鉄をぶっかけた痕跡です。
ん〜激しい祭りだなぁ〜 ( ^)o(^ ) -
“打樹花”で鉄まみれになった南城門を潜り抜けて、登楼口を探すも・・・施錠されています。
残念ながら城門には登楼出来ません。 -
散策再開です。
鍵型に切られた路地を2度曲がって散策していくと、衆妙門が見えて来ます。
衆妙門は北官堡の北城門に相当します。
しかし・・・・・・まるで別世界です。
こんな素朴で古い街が残っていたなんて・・・
周りは土壁の世界が拡がっています。
シビれます・・・ -
北城門を潜り抜けて振り返ると・・・門楼に上がれそうで上がれない!!
ここも施錠されていました・・・ん〜残念!!無念!!悔しい念!! -
丘の上に上がると大パノラマが待っています。
先程、潜り抜けた北官堡の南城門が見えてます。
溶解鉄がぶっかけられるのは反対側の面です。
ここから見えている南城門は北側の面です。
鉄垢も付かず、修復もされており綺麗なものです。 -
北東側を眺めると、黄土高原に護られるように作られた胡同が拡がっています。
-
東側の城壁も見えます。
-
北官堡の西城門付近の城壁です。
かなり浸食が進み、崩れている部分が沢山あります。
西城門は残っていませんが、ここから官堡外に出ると・・・ -
老君観に辿り着きます。
ここも施錠されて観覧不可でした。
んん〜残念!!! -
さて、暖泉鎮中心部に戻り、再び散策です。
華厳寺は修復中で観覧不可なのですが、その向かい側の佛鏡は修復が終わっていました。
しかし、池は枯れて雑草が支配していました。
何かイメージが狂います・・・ -
南北に走る暖泉鎮中心部の百商街です。
お土産屋さんや食事処が多数軒を連ねています。 -
さあ、蔚県城へ戻ることにしましょう。
16:00丁度発の路線バス(3元)は、蔚県城の西関(西城門跡)を通って、約25分かけて朝一番の牌楼街に到着です。
ホテルに戻って暫く休憩です。 -
今夜も蔚州小吃街に繰り出しました。
路上で羊串を焼いている食堂で、今夜も舌鼓です。
醤油炒飯・串各種・干鍋で一献 ( ^^)/▽▽\(^^ ) 乾杯!!
我々との会話が通じないことで、食堂の服務員の方々が不思議がり???
やっぱり質問が来ました〜 “那里?”( ^)o(^ )
頷きながら“我日本人”と紙に書いたところ・・・大騒ぎ〜!!!!!!!!!
私たちの周りは黒山の人だかりです。
日本の通貨が見たいと言うので(紙に書くので)、手持ちの硬貨や紙幣を見せると、またまた皆が大騒ぎ〜!!
人民元と交換して欲しいと言うので(紙に書くので)、人々の願いを叶えることにしました〜!!
謝々! 謝々!! と皆に喜ばれ、何か良いことした〜って感じです。
ご機嫌になった旅行5日目の5月6日が終わろうとしています(晩上好)。 -
5月7日が始まりました(早上好)。
流石に4ツ星★★★★ホテルだけあって、目玉焼きや湯麺をホールで調理してくれます。
しっかりと腹ごしらえです。 -
2泊お世話になった蔚県英豪国際賓館です。
昨日の暖泉古鎮客桟のような例も有りますが、原則的に外国人の宿泊が可能な蔚県のホテルは、ここだけです (笑((´∀`))。
暖泉鎮で宿泊が出来なかった場合は、このホテルを訪ねれば問題無しですネ!! -
昨日、暖泉鎮行きの路線バスを探した南城門城外のロータリーの案内板です。
-
蔚県古城の地図を眺めながら、今日の散策順を模索します。
見所はコンパクトにまとまっています。
2日前、途中降車したが為に行けなかった蔚県汽車客運站の場所を確認です。
新市街東部に有ります。 -
蔚県古城最初の散策地は、古城外の釈迦寺 兼 蔚県博物館からです。
あれれ!! 蔚県古城も通票が用意されたようです。 -
今日が2016年5月7日です。
整備途中ではありながら、蔚県古城景区が盛大開業したのは、先月4月23日となっています。
えっ!!! つい最近、2週間前では有〜りませんか!!! -
蔚県古城の通票(60元)です。
散策しやすいように、古城内のコース図が裏面に付いています。 -
釈迦寺です。
俗称南関大寺や臥佛寺と呼ばれています。
明朝時代の洪武年間に建てられています。
敷地内は、南から順番に天王殿・大雄宝殿(写真)・后殿と連なっています。
左右の建物は博物館になっています。
さあ、城内へ向かいます。 -
南城門の景仙門が見えてきました。
ここ蔚県古城ですが、小型の緑色の路線バスが頻繁に走っています。
今回、時間的な制限で散策を諦めた宋家庄鎮も、この緑色の路線バスで行くことが出来ます。
大抵の場所には、この小型バスで行けそうです (^-^) -
景仙門です。
古城の壮大な南の城門です。
城門上の万山楼を望みます。
明朝時代の洪武14年・西暦1381年に建てられています。
残念ながら登楼出来ません・・・
あれれ〜?? 確か門の左右には蔚県特産の大きな剪紙が貼られていると記憶していたのですが・・・
どうやら剥がしてしまったようです。
まあイイや!!〜さあ、城門を潜ります。 -
南安寺塔です。
八角形の多重塔で高さは32.1m・13階層も有ります。
北魏の時代に創建され、現存する塔は、遼代に再建されたもののようです。
寺院内(無料)やその周辺では剪紙専門店が営業中〜通票は関係有りません。 -
蔚州署です。
通票で入場します。
明朝時代に建てられましたが、現在の蔚州署は、2010年に復建されたものです。
通票で入場できる全ての名所には、私達暢游客が通る改札機のようなゲートが有ります。
必ず服務員の方が、通票を確認して、パンチで穴を開けて、その後、服務員の首から吊るしてあるICカードを改札機にタッチさせて初めてゲートが開きます。
その服務員の方が解説員として場内を同行してくれるようです。
但し、中国語が分からない私達には誰も付いてくれません。 -
入って直ぐの中国蔚県剪紙博物館前で、大音量の音楽と共に沢山の方々が太極拳を楽しんでいます。
-
京劇が演じられています。
毎週末の土・日曜日は、古城内あちらこちらで、様々なイベント・ショーが催され
ています。
これで、北京の夜に京劇を有料鑑賞する必要が無くなりましたネ (^ω^) -
蔚州署内は、大門・里甲房・儀門・戒論房・大堂・衙署など、見所満載です。
解説員無しでの散策です。
詳しいことは分かりません。
今回の盛大開業後は、どの服務員が何回ゲートにICカードをタッチしたか、つまり何回解説を行ったかを管理して行くのでしょう。 -
最も奥の北端に魁星楼が聳えています。
古城の景色を見下ろしたかったのですが、残念ながら扉は施錠され、登楼は出来ませんでした。
さあ、蔚州署散策を終えて、次の目的地に移動です。 -
鼓楼です。
賑やかな鼓楼南大街を北上すると、重厚な3層の楼閣を持った鼓楼がどっしりと構えています。
ここも通票で入場します。
蔚県古城の展望を楽しみにしながら、鼓楼の階段を一歩一歩進みます。
ヨイショ!! ヨイショ!! ドッコラショ!! -
鼓楼から見た南城門の景仙門です。
古城中心部の楼閣から城門を眺める・・・ナイスViewです。
今迄、様々な古城・旧城で眺望体験して来ましたが、いつも感動に包まれています。
これらの楼閣は、一体どんな歴史を見て来たのでしょうか・・・(*_*) -
楼閣内には、民国時代の古城内の鼓楼から景仙門の有る南側を映した写真が飾って有ります。
景仙門の東西に続く城壁が残っていた頃の様子が分かります。
現在は、蔚県古城の城壁は北側と西側の一部を残して、既に撤去されてしまっています。 -
常平倉です。
まだ修復中で無料ですが、工事現場に強引に入り、散策しました。
作業員の方々が“▼◆◇▽●◎”と言うけど理解不能。
紙を出すと、やはり、何処から来たのか?という質問“那里?”と書かれ・・・キタぁ〜 ( ^)o(^ )
今回も“我日本人”と応戦、みなさん笑顔です。
都合よく解釈“勝手に観覧してもいいんだ〜!!” -
その常平倉の奥に倉神廟が有ります。
勝手散策は終了です。 -
霊岩寺です。
俗称、前寺と呼ばれています。
ここも通票で入場です。
金代に建てられ、明朝時代の1441年 正統六年に重建つまり再建されています。
写真の建物は蔚県五谷文化博物館として使われています。 -
修復作業は終了し、南北に過殿・天王殿・大雄宝殿と三殿が連なります。
-
真武廟です。
ここも通票で入場です。
明代に建てられ、清朝時代に再建されています。
服務員がICカードをタッチし、改札入場ゲートを抜け、3mの台基を上がると・・・ -
牌坊・過殿・真武大殿と連なってます。
写真は鼓楼と鐘楼を配した北極殿です。
ここ真武廟は、蔚県寺廟壁画芸術館でもあり、遼・明・清朝時代の重要な壁画を観覧することが出来ます。
そんな古い壁画を、普通に何気なく、惜しみもなく見せてくれます。
さてさて、散策は続きます。 -
玉皇閣です。
ここも通票で入場です。
楽しみにしていたのに・・・工事中です。
聞いてないよ〜・・・
ここ玉皇閣ですが、明代1377年の創建です。
そりゃあ傷みもするでしょうネ〜 ((+_+))〜 残念!!
蔚県は、北方異民族が中華を攻める際に、突破しなければならない関所である居庸関と紫荊関の共通の通過点です。
つまり歴史的に日頃から蹂躙されてきた土地なのです。
それ故に北方異民族を威嚇出来る荘厳・重厚な建造物を建てたのでしょうか。
確かに玉皇閣は城壁の上で北を睨むかの如く建てられています。 -
南城門城外ロータリーの蔚県地図の左下に付いていた県城の古城図が拡大されて設置されています。
城門は3箇所のみで、それぞれ甕城を備えた要塞ですね。
この古地図、通票の裏にも載っています。 -
蔚県古城のミニチュア模型です。
-
玉皇閣に続く城壁が見えています。
近年、修復されたようです。
城壁内側には煉瓦は使わず、土壁の城壁になっています。
黄土高原の蔚県古城にはピッタりです。
早速、城壁散歩に繰り出します。 -
大・大・大好きな城壁散歩です。
今迄も様々な長城・城壁巡りをして来ましたが、毎回々、重厚な城壁を歩く度に、中国の歴史の重みを感じさせられます。
私達が立つ城壁には、一体どんな伝承されない個々の物語が埋まっているのでしょうか?
気になっても知る由も有りません・・・ -
その長城から振り返った玉皇閣です。
王皇閣は別名“靖辺楼”と呼ばれています。
“辺境を靖(やす)らかにする楼”という意味が込められています。
平たく言えば、北方異民族の皆さん、仲良くしてよ〜との思いでしょうか?? -
城壁散歩を続け、散歩可能な城壁東端に到達すると・・・
この先の城壁は、土塊のままです。
修復前の城壁の様子が伺えます。 -
城壁散歩を終え、次は北城門から城外に出てみましょう。
この北城門ですが、元々は存在しなかったようです。
先程の古地図やミニチュア模型でも城門は東西と南の3箇所しか記されていません。
まあ、城外から城壁を眺めることが出来る訳だし・・・気にしない!気にしない!! -
古城壁の外側に出てみると、沢山の煉瓦を追加して、大規模修復した箇所が見受けられます。
分かりますか? 旧煉瓦と追加煉瓦の色合いの違いが!!! -
再び城内に戻り、昼食処を探します。
鼓楼を潜り直して・・・新区の蔚県汽車客運站が有る東方面へ歩いて行くと・・・ -
やがて東関から古城外へ出ます。
かつては、ここに東城門が有りました。
写真は蔚県古城の東関で、北側を眺めた時に見えたお堀です。
お堀の曲がり具合から、かつての甕城の痕跡が見えます。
南城門ロータリー周辺同様に、近郊バスの発着場になっているようで、沢山のバスが停まっています。 -
城外に出て、遅めの昼食です。
毎度々の尖椒土豆絲・過油肉・水餃とビールで一献 ( ^^)/▽▽\(^^ )!! 乾杯。
飽きることなく、いつも同じスタイルです (^0_0^)
昼食後、近くの天弄廟に行ってみると解体工事中・・・
観覧どころでは有りません!! -
天弄廟を後にして東進すると、蔚県汽車客運站に到着です。
ここから北京まで長距離バスに乗車です。 -
售票処窓口に置いてあった名刺サイズの"北京六里橋⇔蔚県"のバス時刻表カードです。
蔚県発の最終バスは18:00ですが、六里橋長途汽車站行きではなく、西客站経由木犀園長途汽車站行きのようです。 -
站内に設置されている里程価格表では蔚県から北京六里橋長途汽車站までは110元になっています。
距離は341kmも有ります。
そうそう、因みにですけれども、来源県行きのバスの時刻も確認出来ます。 -
16:30発六里橋行きの切符を購入です。
しかし、価格は95元・・・何故? 何故? 何故? 15元も安いよ。
110元じゃないの?? 何か嫌な予感・・・まさか16:30発の便は、高速道路を使わないとか・・・!!!
そんなの有る訳ねぇ〜〜〜と思う (+o+) -
北京行きのバスです。
長距離用だけあって豪華です。 -
黄土高原の一般国道109号線を走ります。
先程“まさか16:30発の便は、高速道路を使わないとか・・・!!!”なんて心配していましたが・・・・・・恐れていたことが現実になって来ました (;''∀'')。
高速道路に乗る気配が全く有りません。 -
途中の桃花客運站でトイレ休憩です。
蔚県から山越え谷超えして、国道109号線と康祁公路を乗り継ぎ、約3時間弱走行した後、張家口市懐来県と北京市延慶県の境界に位置する東花園インターで高速道路に入ります。
まさか、こんなに長く一般道を走るなんて・・・
站内に設置されている里程価格表の110元表記よりも15元も安い95元だった理由が分かった気がします。 -
八達嶺長城を越え、蔚県から約4時間30分かけ、初日の5月2日も利用した六里橋長途汽車站に21:00に到着です。
バスを降車すると、制服姿の警備員(服務員)による身分証明書チェックが行われています。
北京に入ってくる長距離バスでも行われるようになったようですね。
私達はパスポートと切符を示して、ゲートを抜けました。
既に時計は21:00を過ぎ、六里橋長途汽車站は閉鎖されています。
長途汽車站から出るには、チェックゲートから地下鉄乗場への移動が唯一のルートのようです。
地下鉄9号線と10号線の六里橋站切符売場を横目に歩き、再び地上へ出た後、直ぐに路線バスに乗るべく、六里橋西站へ向かいます。
しかし・・・辺りは真っ暗 (>_<)、六里橋西站がよく分かりません。
結局、隣の六里橋東站まで歩き、57路バスを待ちます。 -
約10分後、57路バスが来ました〜。
前門大街近くの板章路站まで2元です。
本当に公共交通機関は便利ですね。
まして都会エリアでは運行時間も長くて且つ安価で助かります。
どうせ毎年使うのだから、交通カードを買おうかな〜!!!! -
毎年利用している北京貫通現代酒店(298元 朝食無し)にチェックイン後、直ぐに出発です。
しかし今回は、前門到着が22:00と遅くなってしまい、前門大街夜景観賞に間に合いませんでした。
既に警備員が立ち、前門大街への入場は制限され、出場する人のみ通過可能です。
粮食店街の毎年恒例の食堂 客満堂で炙鶏(ローストチキン)を食べる為、仕方なく散策ルートを迂回です。
頼んだ料理は、醤油炒飯・炙鶏・尖椒土豆絲と燕京ビールで ( ^^)/▽▽\(^^ )!! 乾杯!!
やっぱり庶民的な料理が一番ですね !(^^)!
長距離移動で疲れた旅行6日目の5月7日が終わろうとしています(晩上好)。 -
最終日5月8日が始まりました(早上好)。
北京貫通現代酒店前門店は、1ツ星★ホテルなのですが、朝食会場で焼餃子と目玉焼きを調理してくれます。
熱々出来立てホヤホヤに、何だかリッチな気分です。
朝食代は、昨年から2元値上がりして、1人20元になっていました。 -
前門台湾文化商務区を散策です。
台湾の阿里山森林鉄道の列車が停車しています。
現在も運行している森林鉄道で、阿里山観光にも使われています。
かつての日本統治時代に藤田組が建設し、切り出した木材の運搬に活躍しているようです。 -
前門大街を散策です。
北京オリンピック前年の2007年に老前門大街は閉鎖され、全て取り壊され、テーマパークのような綺麗な前門大街に造り替えられました。
当時は、本当に箱モノで、テナントも入らず寂しい街でしたが、現在は古今東西の暢游客や地元民で大変な賑わいになっています。 -
紫禁城正陽門の箭楼です。
いつ見ても・・・威圧感抜群ですね。 -
堂々たる正陽門です。
遥か昔は、この正陽門と先程の箭楼は瓮城構造で繋がっていました。
今では前門大街が通り、甕城は取り壊されてしまっています。 -
さあ、地下鉄2号線で前門站から雍和宮站まで移動です(4元)。
購入方法は行先の站名の釦を選択し、続けて二張を選択しお金を入れるだけで、至って簡単です。 -
環状地下鉄2号線外回りが入線です。
古い路線ゆえ、ホームからの転落防止用の扉の設置はありません。
乗換無しで雍和宮站まで楽々移動です。 -
地下鉄雍和宮站を降りて地上に出ると、直ぐ地壇公園入口です。
地壇は別名方沢壇とも言われます。
明朝時代の1530年 嘉靖9年に造成され、中華民国時代の1925年に一般市民に開放、今日まで市民公園として親しまれ続けています。 -
公園の入場料は2元ですが、公園内の地壇文物陳列展は料金5元が別途必要です。
祭事に使用された楽器や皇帝の休息座等が展示されています。 -
霊星門です。
真っすぐ北に延びる石畳を進みます。 -
方澤壇の他、皇祗室・宰牲亭・齋宮・神馬殿等(何れも内部非公開)の古代建築が残っています。
ここは歴代の明清皇帝が“地の神”に対して祭祀を行った宗教的な祭壇です。
方澤壇に上がり、360度の開放感を味わいます。
あ〜あ!! 1週間の中国旅行も、いよいよクライマックスかぁ〜!!!!!!! -
神馬殿前の鐘楼です。
児童公園に接しており、将来を担う子供達の楽しそうな歓声が響いています。
この無邪気な子供達もやがて大人になっていきます。
そんな未来に、日本と中国、それぞれの国家・個人の思想や価値観の相違を乗り越えながら、これからも日中友好の歴史を刻み続けて欲しい・・・そう願って止みません。 -
さあ、7日間の中国旅行の最後の訪問地 地壇公園散策が終了です。
北京首都国際空港まで移動します。
先ずは二環に出て、環状線沿いのバス停を探します・・・見〜つけた!!
雍和宮橋東站から路線バスで、東直門へ向かいます。 -
直ぐに18路バス(2元)が到着、早速移動です。
-
18路のバス内の路線表です。
バスには、車掌さんならぬ制服姿の警備員が同乗していました。
誰か国賓でも来るのかな?
たった2区間を乗車、東直門北站で降車し、東直門机場線站まで歩きます。 -
机場線(25元)に乗って、一気に北京首都空際空港へ Let's Go!!
北京首都空港第3旅客ターミナル、つまり国際線ターミナルに到着です。 -
机場線站を見下ろします。
サ・ヨ・ナ・ラ・中国!! -
ターミナル内日本航空カウンターで搭乗手続きを行います。
私達は定刻16:30発の東京羽田便を予約していたのですが・・・ゴールデンウイーク最終日だからなのか、満席以上のオーバーブッキング!!
という訳で・・・私達は昨年に続き、今年もビジネスシートに廻されました〜(超・超・超ラッキー !(^^)!!!!!!) -
楽あれば苦も有った中国旅行が終わろうとしています。
1週間の思い出を胸に、日本航空JL022便は Take Off です。 -
ビジネスシートに座れたとはいえ、機内食はエコノミークラスと同じでした〜!!
あたり前でしょ! -
シェルシートでご満悦の我家内。
呑み過ぎ注意報発令です。
いやいや呑み過ぎ警報発令かもしれません・・・ -
河北省史跡巡りの旅・・・如何でしたか?
終わってしまえば、あっという間の7日間でした。
結果的に雨は初日だけで、2日目以降は晴れ男と晴れ女の本領発揮です。
さてさて機内食も味わったしサントリーモルツも白ワインも嗜んだことだし・・・東京羽田国際空港まで爆睡しま〜す。
またまた中国旅行に行けたらいいなぁ〜・・・いやいや、今年の中秋節も絶対に行くぞ〜!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
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この旅行記へのコメント (2)
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- アルデバランさん 2016/06/23 10:44:04
- てんこ盛りの河北省黄土の旅
- 尖椒土豆絲さん こんにちわ
この旅凄いですね
何がって、その行程と濃密な内容
三国志のタク県から始まり
清西陵、紫荊関長城そして蔚県暖泉古鎮、オマケに北京市内まで
旅行会社の企画ツアーでもこんな濃い旅、ないでしょう
そして効率的な移動
特に易県行きのバスの途中乗車方法や
馬さんとのタクシーシェア
恐れ入りました。
メーター作動によるチャーターてのも…
私は易県から清西陵までバスが来ないのでタクシーに乗りましたが
運ちゃんが値段を携帯でどこかに確認してました(笑
また写真での様子だけでなく丁寧な説明も満喫しているその様子に
思わず引きこまれてしまいます。
それにしても、いろんな所で門票が必要になったんですね。
しかもテーマパーク化しちゃって100元以上
こういうのが受けるんですかね?
今年の中秋節は中国でも南の方ですか?
アルデバラン
- 尖椒土豆絲さん からの返信 2016/07/01 00:10:30
- Re: てんこ盛りの河北省黄土の旅
- こんにちは アルデバランさん
ご無沙汰しています(^。^)
毎回、我家では、中国旅行へ行く前に、沢山の方々の旅行記を読ませて頂いています。
今回、特に易県と蔚県に関しては、アルデバランさんの旅行記『清の陵墓を訪ねるその6〜9』と『真冬の河北省 いろいろあってもメイウエンテイその1〜4』が大変参考になりました。
アルデバランの軌跡を感じながらの旅行とらなりました。
実は、2013年に清東陵へ行った時も、『清の陵墓を訪ねるその1〜4』を参考にさせて頂きました。
これからも、アルデバランの旅行記にお世話になる機会が有りそうですネ。
ん〜中秋節は、三国志史跡の亳州市を狙っているのです。
蜀の武将に会ったことだし、今度は曹操率いる魏の武将に会いたいなぁ〜と思っています。
有給休暇、上手く取れるかな・・・
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