2016/09/17 - 2016/09/22
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尖椒土豆絲さん
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中国旅行大好き我家では、今年の中秋節に何処の古城・城壁に行こうか・・・悩み勃発!!!
そんなある日、偶然ネットで見つけた護城河に囲まれた“商丘古城”の存在を知り興味津々!!!一体何処に在るのだろう???
搜狗地図で調べてみると、商丘は内陸河南省に位置し行き辛そう・・・
行くか否か悩んでいたところ、2016年9月10日に鄭徐高速鉄道が開業するという記事に遭遇・・・その後は中国モード全開です。
早速チケットを確保しようと日本航空のHPを見てみると、JALエコノミースペシャル42が、何と東京⇔上海往復32,000円という超激安価格ということが判明、これは行くしか無いでしょう。
という訳で、毎度々の古城・史跡巡りに突撃、何とか無事に旅行を終えて帰国しました。
魅力たっぷりの中原の様々な史跡群、私たちと一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
台湾や厦門で猛威を振るった台風14号は、昨日16日、熱帯低気圧に勢力ダウン。
心配していた京滬高鉄や鄭徐高鉄は予定通り運行中と分かり、ホッと一息!
もう一つの悩みの種の台風16号が沖縄近海を北上、帰国予定日の23日に東京で遭遇するのではないか・・・
まあ、心配しても始まらないし、もう旅行は始まったし・・・
という訳で、我家恒例のプレミアムモルツで( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!!
熱帯低気圧が上海に到達、悪天候の中、上海に向かってLet's go!!!!! -
JL081便は定刻通り上海虹橋空港へ到着、到着ロビーのATMで軍資金を調達して、高鉄が待つ虹橋火車站へ地下鉄10号線で移動です(3元)。
因みに9月17日のレートでは、1元 = 15.258円でした! -
出発間近の高鉄の切符が満席で買えないという悩みを解決すべく、今回は知人に教えてもらった“C-Trip”という予約サイトを活用してみました。
出発前に、予め日本でパスポート番号を事前登録し、“C-Trip”のホームページで予約。
返信メールに載っていた予約番号とパスポートを一緒に切符売場の窓口に出せば、簡単に切符を手に入れることが出来ます。
但し、1枚につき40元の手数料と、中国内で発行されたクレジットカード以外は、更に3%の手数料が加算されます。 -
日本からネット予約済の往路 上海虹橋站14:40発→商丘站18:31到着の G1818 (359.5元+40元+3%)の切符を受け取り安心・安堵。
今度は即座に復路の徐州東站→上海虹橋站も購入、こちらは現地の窓口購入なので、手数料は不要です。
ネット予約の普及と共に、窓口混雑は緩和されて来たようで、助かりますネ!! -
発車20分前になり、検票が始まりました。
予約高鉄G1818は鄭州東站行きのようで、私達は途中の商丘站で降車します。 -
始発ということもあり、先頭車両と御対面!!
今からお世話になります(^▽^)/
安全運行で よ・ろ・し・く・ネ (^^)/ -
運行開始1週間の鄭徐高速鉄道に早々に乗車です。
HPの運行ダイヤだと、G1818号は商丘站到着18:31ですが、何故か途中停車の予定では無かった永城站に停車、結局は商丘站到着は18:40になりました。
乗車時間は4時間ジャストです。
到着した商丘站は在来線と高鉄線が同居しており、駅舎は昔のままです。
ん〜〜〜何だか懐かしい面影だなぁ〜 -
早速、お腹を満たしに商丘站南西側の美食街へ向かいます。
何処の食堂に入ろうか、菜単を見せてもらいながら店から店へ・・・
すると“那里?”の言葉が聞き取れて!!
中国語が全く話せない我家ですが、“那里”だけは耳に入って来るようになったみたいです(^◇^) -
土鍋の写真が貼ってあった食堂に入り、早速注文。
我家の定番メニュー尖椒土豆絲と一緒に、香鶏肉鍋と地元名産の(火偏+会)麺に舌鼓、綿秀中原ビールで( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!!
食後、駅前から南に延びる神火大道を歩くこと約20分、商丘王朝国際酒店(268元・朝食付き)に到着、無事にチェックインです。
フロントには若い中国語しか話せないスタッフしかおらず、スマホの翻訳アプリを使って話しをしてきます・・・便利な時代になったものです。
文明の利器を感じながら部屋に入り、明日の旅游の予習です。
静かに旅行初日9月17日の夜は更けていきます(晩上好)。 -
9月18日が始まりました(早上好)。
流石に4ツ星★★★★ホテル、雲呑や湯麺・目玉焼きを目の前で調理してくれます。
朝から食欲旺盛な我家は、お腹を十二分に満たして御満悦です。 -
部屋に戻り、CCTV新聞13CHを見ていると、満州事変(中国呼称:九一八事変)に関する報道がされていました。
中国出身で仕事を通じて知り合った●●さんからは、9月18日は要注意だと予め忠告を受けていました。
実際、今までの旅游で、反日に出会ったことは有りませんが、注意に越したことは有りません。
気を引き締めて出発です。 -
ホテルから凱旋路の染園市場バス停まで歩き、古城へ向かう1路バス(2元)に乗車です。
-
1路の終着の北門口バス停で降車、いよいよ古城旅游の始まりです。
目の前に商丘古城北城門(洪辰門)が鎮座、高ぶる気持ちを抑えて・抑えて・・・ -
帰徳府城墻の石碑です。
北宋時代の商丘古城は帰徳府城とも呼ばれています。
明時代の1511年に建設が始まり、城郭・護城河・内城が今の形に整備され、既に500年の歴史を経て現在に至っています。
また、古くは周〜春秋戦国時代には宋国の都が置かれた街でもあります。 -
北門前の広場は、かつての瓮城跡です。
瓮城は残念ながら残っていません。
観光名所の写真付き案内板を見ながら、旅游地点の確認を行います。
古城の外堀は丸く、内堀は四角の銅銭の形をしています。
城壁1周の長さは約3600mです。
城内は亀の背中の地形を呈し、碁盤の目のように道路が走っています。 -
城内に入り、北城門を仰ぎ見ます。
ん〜ワクワクするなぁ〜!!! -
商丘古城の主要旅游ポイント11箇所を抑えた通票(100元)です。
当日限り有効ですが、1日あれば大丈夫でしょう。 -
歴史をかみしめながら北城門に登城、楼門を前に感動だぁ〜!!!!!!
-
北城門から眺めた城内(南側)です。
古城を意識した外装の建物が連なります。 -
同じく城外(北側)です。
瓮城跡がロータリーとして活用されています。 -
この商丘古城ですが、城外から眺めると完全な形で城壁が修復残されています。
まずは城壁と護城河の間の散策路を、北城門から西城門まで歩くことにしました。
写真は北側に出っ張った箭楼・馬面です。 -
北西角の城壁を仰ぎ見ます。
ここ商丘古城の城壁には厚みが無く、城壁上の散歩は出来ません(T . T)
という事前情報を様々な方のブログで得ていました。
しかし、城壁散歩を諦めていた我家に、この後、サプライズが待っていました〜(^^) -
西城門(垤澤門)です。
楼閣は残っていません(再建されていません)。
ここ商丘古城は、黄河の幾多の氾濫で水没を繰り返し、明の弘治15年(1502年)に遂に崩落してしまいました。
9年後に再建されたのですが、明朝末期の戦乱で城楼が消失し、清の康煕26年(1687年)に修復されています。 -
西城門外から北方向の護城河と連なる城壁を振り返ります。
さあ、ここから燧皇陵まで路線バス28路で移動するはずだったのですが・・・
西城門前で路線バスを待とうにも、バス停が有りません。
近くの人に、紙に28路と書いて見せると“有没“”との返事。
どうやら事前に調べていた西関站から火神台站まで乗車予定だった28路の路線バスが行程変更され、西城門前にはバスは来ないようです・・・困ったなあ〜 -
偶然そこを通りかかった三輪タクシーおじさんに、“去燧皇陵多少銭”と紙に書いて話しかける家内に対し、おじさんは“▼◆◇▽●◎”と返答して来たけど理解不能。
紙と筆を渡すと20元と書かれ、家内が10元と書き直し・・・
結局12元で交渉成立、Let`s go 燧皇陵!!
気のイイ三輪タクシーおじさんと記念撮影です。 -
燧皇陵に到着、通票で入場します。
ここは木から火を起こした“火祖”燧人氏の陵墓だそうです。 -
石坊を潜ると神道が現れます。
左右に並ぶ石像の中から麒麟像をカメラでパチリ!!! -
神道の先には燧人氏の像が佇んでいます。
燧人氏は中国で初めて木片等に摩擦熱で点火し、獣肉等の生肉を焼いたり炙ったりして食べる習慣を作ったとされています。
燧という文字は火を起こす器具のことを指しています。
それは烽燧台や烽火台といった言葉として今日まで使われて来ています。
商丘が“聖火の源”と言われる所以です。 -
燧人氏の陵墓の墓丘が見えて来ました。
手を合わしたら移動手段が気になり出しました。
そうだ、先程通った燧皇陵出入口は、公共バスの駐車場のようで、路線バス90路が何台も停車中でした。
何処に行くバス路線なのだろう??
しかし構わずに、さあ、次の旅游先まで散歩・散歩です。 -
徒歩約20分で商祖祠南側正門に到着、通票で入場します。
最近、華商始祖である王亥を記念して、閼伯台(えんはくだい)前の空地に建設・整備されたようです。 -
商丘市は実在が確認されている中国最古の王朝“商(日本では‘殷’)”に由来すると言われています。
かつての時代に、売買を生業とする集団が発足・発達し、それが商人という語源となっているそうです。
足元には、様々な字体の“商”が彫られた石板が敷き詰められていました。
ん〜〜〜文字は奥が深いなあ〜 -
更に奥に歩くと王亥像に遭遇です。
王亥は夏朝諸侯国のひとつである商国第7代諸侯王で商王朝の御先祖様です。
斬新な政治改革手腕により、商民族を強大化させたことから商民族の始祖とも称されています。 -
商祖祠の奥には閼伯台という、4,000年以上前の天文台跡が残っています。
閼伯台は火神台・火星台とも呼ばれており、閼伯が祀られて廟になっています。
その閼伯は商代王族の子孫です。
実際に、ここで天体観測の研究をして、農業の指導に役立てようとしたらしいのです。
そして古代の天文学、特に火星の運行について研究していたようです。 -
閼伯の封号は商であり、彼の墓を商丘といったのが地名の起源だと言われているそうです。
その商丘ですが、中国の“聖火の源”とも言われています。
現在でも中国全国運動会(国体)等の大規模な大会が行われる時には、ここ閼伯台で“華夏文明の火”と称される採火式が盛大に催され、聖火リレーが全国を巡回し、大会のメイン会場に運ばれているのです。
北京オリンピックでも話題になったようです。 -
閼伯台を降りる時、沢山の赤い糸ならぬ赤い布が木々に縛られていました。
何故か赤い布・・・その理由は・・・ -
ここ閼伯台隣の月老祠で月下老人と遭遇・・・
-
この月下老人、日頃から人々の運命の相手を捜してあげていたようです。
“千里姻縁一線牽”という逸話はここから生まれたらしいのです。
写真では分かりにくいのですが、月下老人の右手の小指には“赤い糸”が巻かれています。
“千里の縁も引き寄せる”と言われ、若いカップルが沢山訪れていました。
運命の赤い糸の聖地、皆さんも行ってみては如何ですか??(^◇^)LOVE -
さて、次の旅游先へ急ぎましょう。
商祖祠前の華商大路で路線バスが通らないかと待っていると、先程の燧皇陵入口に停まっていた路線バス90路(2元)がやって来ました。
運転手さんに“張巡祠”と書いた紙を見せると、“◎◇■△○◆”と言われ理解不能。
しかし、どうやら乗車しろと言ってる・・・多分・おそらく・・きっと・・・
今度は途中の道端で降車を促され、張巡祠の方角を指す運転手さんに謝々!!<m(__)m> -
商丘古城の中央線にあたる省道207号線は大規模工事中。
その横の側道を、張巡祠方面に歩くこと約20分、八関斎(斎⇒文+而)が建つ環城南路に飛び出しました。
この中秋節の頃は、何処でも至る所でトウモロコシが天日干しされています。
何だか穏やかな気持ちで散歩が出来て楽しいのです。 -
八関斎(斎⇒文+而)に到着、通票で入場します。
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唐の玄宗皇帝時代に起きた安史の乱(安禄山と史思明の反乱)で、反乱軍を鎮圧した田神功の功績を讃える催しの時、その催しに参加していた有名書法家である顔真卿の筆を、石柱に記念として彫って残しました。
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六角形の石柱は、既に彫られてから1250年以上もの年月が経っています。
間近で見てみると、達筆な文字が所狭しと刻まれているのが分かります。
石で出来た遺跡や史跡は後世に残しやすいですよね((´∀`)) -
南関街入口の碑坊です。
このまま南関街を真っすぐ進めば南城門に繋がっています。 -
張巡祠に到着、通票で入場します。
同じく安史の乱の時、当時の商丘を護って殉死した張巡を祀る記念祠です。
とても大きな建物ですが、1990年に再建されています。 -
中国史の中でも張巡は屈指の籠城の名将と言われています。
名声を妬まれ援軍を断られるなどの問題も発生し、壮絶な最期を迎えました。 -
張巡の陵慕の墓丘です。
丘を一周後、次の旅游先まで散歩・散歩です。 -
応天書院に到着、通票で入場します。
何だか・・・ここも最近の再建のような趣です。 -
応天書院は嵩陽書院・岳麓書院・白鹿洞書院と共に中国4大書院に数えられています。
北宋時代の大中祥符2年(1009年)に、真宗皇帝より応天府書院の院額を賜り、応天書院と呼ばれるようになりました。
その後、慶暦3年(1043年)に応天書院は国子監に昇格します。
4大書院筆頭と称えられるようになったのは、唯一、応天書院だけが国子監に昇格したからです。 -
商丘古城の城内旅游再開に向け、散歩は続きます。
応天書院北側に隣接する遊園地&動物園の南湖楽園を通り抜け、南関街に戻ります。 -
商丘古城の南城門(拱陽門)が、護城河越しに遠望出来ます。
考古学的に実在したことが確認されている中国最古の王朝である商朝(日本では殷)は、商丘を都としています。
紀元前の春秋戦国時代の宋国・前後漢の梁国・北宋・南宋も都を置いています。
このことから商丘は六朝の古都とも称されています。 -
古城でもあり古都でもある商丘・・・
南湖に架かるこの五孔石供橋を渡れば、いよいよ城内散歩の再開です。 -
南城門を潜り・・・
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振り返って城内から見上げます。
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通票で城内西側から登城、北城門同様に城外に向けて大砲が備え付けられていました。
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城楼内には商丘古城の俯瞰模型が飾られています。
本当に銅銭形です。 -
南城門から城内(北側)を俯瞰します。
何だか至る所から工事音が響いてきます。 -
南城門から東側を俯瞰してみると・・・
観光地整備の為の大工事が進行中でした。
ん・ん・ん??? サプライズかぁ〜???
城壁上が散歩出来るようになっています (^◇^)。
今回は城壁散歩は諦めていたのですが、我家城壁フェチの夢が叶うかの如し・・・
早速、造成中の城壁を散歩してみましょう!!!! -
城壁散歩をしながら南城門楼を振り返ります。
最近、造成したばかりの城壁と分かっていても、古城の魅惑に・・・シビれます。
やったね!! サ・プ・ラ・イ・ズ!! -
やがて古城の南東角が見えて来ました。
ここで東城門に向かって城壁は直角に北に曲がります。
古城の東側城壁は整備が終わっているようですが、途中の工事現場が立入禁止です。
止むを得ずUターンです (一一")。
ん〜残念 (/ω\) -
それでも超満足・御満悦の我家は、城壁上で嬉しさのあまり“大”の字で喜びを表現、記念撮影です(*^。^*)
-
南城門西側の城壁です。
全く城壁の幅が無く、散歩なんて不可能です。
但し・・・城内の立ち退きが終了していました。
近い将来、城壁造成工事が始まり、何れは城壁一周散歩が可能になるのでしょう!!! -
城内散歩前に中山街道沿いの食堂で昼食です。
地元名産の(火偏+会)麺と我家定番メニュー尖椒土豆絲を紙に書いて女将さんに見せたところ、暫く間が有った後に笑顔で“有”との回答。
しかし・・・
何故か“土鍋饂飩”が運ばれて来ました???
これの何処が土豆(ジャガイモ)料理なのか??? (≧▽≦)(答えは徐州で判明)。
まあいいや!!!
取り敢えず、清爽ビールで( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!! -
城内の南東側1/4のエリアは大規模開発が始まるようで、青いトタンで仕切られています。
将来どんな新しい街並みが御目見えするのでしょうか?? -
途中、商丘天主堂に寄ってみると・・・
-
敷地内には複数の洋式教会が建てられていました。
-
穆氏四合院に到着、通票で入場します。
-
清朝時代の富豪商家穆炳壇一族の家で、31部屋もある大邸宅です。
続いて・・・ -
文廟に到着、通票で入場します。
ここ帰徳府文廟は、学問の神様孔子を祀っている場所なのです。 -
文廟の次は東城門に向かいましたが・・・
東城門前の城内は大工事中。
後方に見える城壁は散歩可能な幅に造成されていましたが、現在は立入禁止でした。
先程の南城門まで繋がっていくのでしょう。
城壁散歩の開放日は近いかも・・・(*^。^*) -
東城門(賓陽門)です。
城外から城墻の台座を仰ぎ見ます。
今のところ、台座上の楼閣は再建されていませんでした。 -
護城河に沿って北側に連なる城壁です。
ん〜シビれます・・・ -
城内に戻り、何気に足元を眺めてみると・・・
マンホールの蓋に“帰徳府城”の文字入れで鋳造されていました。
観光都市の粋な計らいですね((´∀`)) -
中山大街と小隈首街の交差点です。
城内で最も賑わっているエリアでしょうか!!! -
三輪タクシーから声掛けが有っても、我家の旅游スタイルでは原則“歩き”です。
ぶらり商丘の旅は、引き続き“歩き歩き”で楽しみます。 -
市場というか商城入口の門です。
瓦が剥げ落ちています。
雨の日は大変でしょう。
時間に追われ、大好きな市場散歩はパス!!! -
侯方域故居に到着、通票で入場します。
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ここは明朝末期から清朝初期に活動していた詩人の候方域の邸宅です。
書房壮悔堂と翡翠楼が邸宅の前にあります。
宰相・尚書・侍郎・兵士・文人等が多数派遣されており、官府や官宅が多いのも特徴です。 -
四合院の建物内では、侯方域とその妻の李香君との悲しい愛の物語や彼の作品を紹介しています。
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さて、ぶらり商丘の旅も終え、北門口から路線バス1路(2元)で商丘中心汽車站に向かいます。
-
事前調査では、商丘から亳州行きの長距離バスは、ここ商丘站前の中心汽車站が発着ターミナルと判明していました。
商丘には古城北門近くの商丘古城汽車站や、凱旋路沿いの商丘汽車総站、商丘南火車站前の商丘汽車南站といった複数のバスターミナルが有りますが、発着情報がよく掴めません。 -
商丘から亳州行きの長距離バスの最終は18:00で、1時間に3本、20分毎に運行されています。
-
亳州までの24元の切符です。
この値段なら高速道路は使わないのだろうなあと予想。
多分・おそらく・・きっと・・・ -
待っていたのは小型バスでした。
定刻17:20に出発した亳州行きバスは、商丘市内の中州路を南下、北海路で西へ進み、直ぐの帰徳南路を左折し、亳州に向かって再び南下、国道105号線の一般道を走行です。
やはり高速道路は使わないんだ・・・( ;∀;) -
発車後、商丘市内に何箇所も有るバスターミナルには全く立ち寄りません。
商丘中心汽車站に行かないと、亳州へはバス移動が出来ないということになります。
運行路線コースを知っている人民の方々のみが、道端の道端で手を挙げて、途中乗車してきました。
しかも人民だけでなく荷物だけ持ち込むケースも・・・
車内の通路は荷物で満載です(◎_◎;) -
途中、バスの運転手さんに、今日宿泊予定の亳州古井君菜酒店と紙に書いて見せるも、“◎◇■△○◆”と言われ理解不能。
今度は紙に“亜珠加油轉1路”と書いて渡されました。
どうやら亜珠加油バス停で降りて、1路に乗り換えろと言っているようです。
やがて・・・商丘発から90分位が経った頃、“○◆◎◇■△”と暗闇の中、急にバス降車を促され、運転手さんが指す方向に歩いていると・・・1路バス(1元)が通り、慌てて乗車です。 -
翌日に判明したことですが、1路バスは商丘等から到着する新しく郊外に完成したバスターミナルの亳州西站と、街中の亳州火車站を結ぶ主要路線だったのです。
最終も22:00まで運行していて非常に便利な路線です。
車内で落ち着いて路線表を眺め、幸福橋広場バス停で1路を降車、目の前の亳州古井君菜酒店(249元朝食付き×2泊)に無事にチェックインです。 -
さあ、お腹を満たすべく城内の利辛路を散歩していると、店の前にテーブルと椅子を出した露天食堂が3軒連なっていました。
まだまだ残暑が残る時期です。
我家大好き露天飲食を体験出来ます。
ワイルドだぜ〜(^^♪ -
砂鍋粉糸、花椰菜(カリフラワー)干鍋、青椒茄子炒を頼んで晩餐会の準備が整いました〜
ではでは、地元清爽ビールで( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!!
遂に実現した念願の商丘古城散歩の話に花が咲き、露天宴会は続きます。
食堂の子供達も寄って来て、“◎◇○◆◎◇■△”と言って来るも理解不能・・・
言葉は分かり合えなくとも、何だか楽しい時間が過ぎて行きました。 -
ホテルに戻り、TVのスイッチを入れると・・・CCTV新聞13CHが日本の防衛費や軍事関連のニュースを流していました。
そうです、今日は9月18日です。
今日一日、何も反日的な要素は感じなかった終日旅游でしたが、ふと両国にとっての特別な日であることを思い出しました。 -
稲田防衛大臣を日本的“女安倍”という表現で紹介・報道していました。
日本の軍事費増大を憂慮しているのでしょうか?
改めて、9月18日に感じ入った体験でした。
そうこうしている内に、夜は更けていきます。
城壁に感動した旅行2日目の9月18日が終わろうとしています(晩上好)。 -
9月19日が始まりました(早上好)。
昨夜と打って変わって中国CCTV新聞は、平和の祭典リオパラリンピック閉会式を生放送。
次回開催地“東京”の演出、最高でしたよね (^▽^)/
軍事関連の報道ばかりでなくホッと一息です。
さあ、いよいよ三国志魏国曹操の町 亳州旅游の日がやって来ました。
そう、亳州は三国志で有名な曹操の出身地なのです。
また、亳州は名医として名高い華陀の出身地でもあり漢方薬産業が盛んです。 -
ホテル近くの工会大道バス停で、昨夜同様の路線バス1路を待ちます。
昨夜お世話になった路線バス1路(1元)がやって来ました。 -
花戯楼バス停で降車、綺麗に整備された花戯楼街の散歩開始です。
石坊を潜ると・・・ -
殷を興した湯王が雨乞いをしています。
自らを戒め、6つの不徳を責めている間に大雨が降り出したという“十八史略”に基づく話のようです。 -
更に歩いて行くと、華佗五離戯像が踊っています。
虎・熊・鹿・猿・鶴の5動作を表しているそうです。
身体を強くする為の体操のようなものらしく、中国武術の始祖的な存在になっているそうです。 -
花戯楼景区案内図には日本語表記が有ります。
こちらは花戯楼は、大関帝廟・張飛廟・岳飛廟・朱公書院・火神廟からなります。 -
亳州旅遊には150元の通票を購入です。
9箇所の観光地点に入場可能です。
有効期間も当日のみではなく、1週間と長めの設定です。
今日と明日の2日間で亳州旅遊を予定している我家にとって、とても有難い仕組みになっています。
しかし購入した通票で旅游出来る古井酒文化博覧園と陳博廟は郊外に位置し、時間的に行くことは叶いません。
ん〜〜〜残念!!!! -
花戯楼山門の大関帝廟は山陝会館とも称され、350年以上前の清朝の順治13年に、山西省と陝西省の薬商・豪商達が資金を出し合って創建されました。
-
山門の彫刻です。
何と重厚かつ繊細なのだろう・・・
中国の何処へ行っても、商人・豪商絡みの歴史的建築物には感嘆・感動させられます。 -
山門を潜ると、そこは演劇などの舞台です。
内部には三国志演義の18の場面が、精密に彫刻されています。
正面中央の彫刻は、趙雲が敵軍の中を一騎で駆け抜けて参上、劉備の息子・劉禅(阿斗)を救出する長坂坡の戦いの有名シーンになっています。
彫刻中央の白馬に乗っている武者が趙雲です。
分かりますか??? -
更に奥へ大関帝廟へと進むと・・・
-
関帝廟関羽像です。
中国の何処に行っても関羽は崇められています。
そして何処でも勇猛な武者姿です。
我家もお参りしておこうっと!!!
“お金が儲かりますように”・・・な〜んてネ ((´∀`)) -
その隣は岳飛廟です。
岳飛は中華民族の英雄で、南宋時代に女真族の金の侵攻に徹底抗戦した武将です。
三国志の関羽同様に、亡くなってから神様になりました。
その岳飛像の前に縛られて跪いているのが・・・ -
中国で売国奴の烙印を押されている秦檜・王氏夫妻の半裸像です。
秦檜・王氏夫妻とは、女真族の金と和睦する為に、岳飛を謀殺した人物です。
後世の民衆が岳飛の無念を思いこの像を作りました。
昔、鉄柵が無かった頃は、旅游客に痰を吐きかけられてたそうです。 -
花戯楼の東出口から数分、南京巷銭庄に到着です。
ここも通票で入場です。
南京巷銭庄は清朝期の道光5年(1825年)に建てられ最も保存状態の良い古銭庄で、つまりは現在の銀行のような金融機関のことをいいます。 -
老街を散策。
古風なデザインの建物が連なっていて、いい感じです。
このまま真っすぐ南下すれば北城門に出るはずです。 -
北城門前の和平路で華佗像に遭遇。
-
亳州古城の北城門です。
再建された・・・かなり微妙な北城門が構えています。 -
北城門を潜り振り返ります。
やはり微妙です。
折角なら精巧に再建すればいいのにと思うのは我家だけでしょうか? -
城内の老祖殿街を道徳中宮に向かって歩いていくと張虚谷宅が有ります。
今のところ開放されていません。 -
道徳中宮です。
入場料を支払おうとしていたら通票で入場可能と判明。
通票には道徳中宮は載っていなかっただけに、超ラッキー lucky 得々モード全開です (^_-)-☆ -
春秋時代の思想家・老子を祭っています。
別名を老子殿・老子廟・老子祠とも言われています。 -
続いて華佗庵に到着、通票で入場します。
華佗庵は別称華祖庵・華佗廟とも呼ばれ、名医華佗を祀った廟です。
我家では恥ずかしながら、日頃から華佗膏という軟膏剤を愛用、大変お世話になっています。 -
現在の華佗庵は、華佗故居・中医薬文化博物館・碑園・古薬園が一体化した華佗何でも館のようです。
-
華佗中医薬文化博物館に入館します。
-
名医華佗は、若くして医学に長け、魏武帝曹操の頭痛を針治療する等、その医術は高く評価されていました。
後年、曹操は華佗を侍医に採用しようとしましたが、華佗は妻の病気を理由に帰郷してしまい、結果、曹操の逆鱗に触れて処刑されてしまいました。
何てことを・・・(≧◇≦) -
漢方生薬が並んでいます。
ここ亳州が、中国4大生薬市場になり得た背景には、名医華佗の影響が大いに有りそうですね。 -
ここでも華佗五離戯像が舞っています。
ちょっと不気味です・・・ -
三国演義で、関羽の腕を治療中の華佗画です。
さあ、亳州といえば、もう1人の主役曹操に会いに行かなくちゃ!!! -
曹操運兵道に到着、通票で入場します。
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その曹操運兵道の上に復元された焦望楼は、元々曹操が建設した楼閣で、展望台および博物館になっています。
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曹操の旗が三国志ファンを歓喜させます。
我家も魏国・蜀国・呉国モード全開です。 -
魏国・蜀国・呉国の三国勢力図が有りました。
毎回毎回、北方謙三著の三国志を読み直さなきゃと思い続けて、もう何年経っているのかなぁ〜(◎_◎;) -
簡単に曹操をおさらい!!!
曹操は、武将であり政治家であり、そして詩人でもありました。
三国時代の武将で魏国の始祖、字(あざな)は孟徳(もうとく)。
後漢末期、黄巾の乱の鎮圧を機に勢力を伸ばし、中国北部を統一。
南下を試みたが、赤壁の戦いに敗れ、呉の孫権、蜀の劉備とともに天下を三分した。
魏王となり、死後、武帝と追尊された。 -
曹操運兵道の公開は一部だけですが、実際は亳州古城の西門から東門まで未公開の複線の地下道で繋がっています。
そして北門から南門まで南北にも同様の地下道が存在しているようです。 -
蔡文姫像が有りました。
後漢の政治家・儒家・書家の蔡邑の娘です。
彼女は“悲憤詩”や“胡笳十八拍”といった名作を残しています。
曹操の命令で、失われた父蔡邑の蔵書400編余りを文字一句の相違なく完璧に復元した才能の持ち主と語り継がれています。 -
博物館観覧を終え、地下の運兵道散歩に向かおうとすると・・・
あれれ!!! タイムマシーンの入口みた〜い!!!
何だかなぁ〜<(`^´)> -
言い伝えでは曹操が軍事目的で使用した地下道とされてきましたが、実は宋代末期の遺跡だそうです。
とても狭い地下道が、東西南北の十字型で全長約2Kmに渡って張り巡らされています。
精工な煉瓦の積み方、実に素晴らしいものがあります。 -
人が1人通れる程の幅しか有りません。
閉所恐怖症・暗所恐怖症の方には厳しい環境です。
さあ、光の届く地上に脱出だぁ〜!!! -
曹家関連の陵慕巡り開始です。
張園漢墓に到着、ここも通票で入場です。 -
ここ張園漢墓は曹氏族人の方の陵慕ということです。
墓丘には雑草が伸びています。
服務員の皆さん、早々(曹操)に手入れしてあげて下さいネ((´∀`)) -
陵慕の墓丘に降りてみました。
常に響き渡る車のクラクションは聞こえず、静寂な空間が広がっています。
ここの発掘品・埋蔵品は亳州博物館にて公開されているようです。 -
曹騰墓に到着、ここも通票で入場です。
曹騰は曹操の祖父にあたる人物だそうです。 -
重厚な石段を墓室へ下りて行くと・・・
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重厚な石扉から潜入・・・
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偏主室を通り過ぎると・・・
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銀縷玉衣と御対面!!!
しかし、この銀縷玉衣はレプリカです。
発掘された本物の銀縷玉衣は、服務員さんによると亳州博物館に展示されているようです。 -
曹騰墓丘を一周し、次の旅游地点まで歩きます。
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薛閣塔周辺では、観音山漢墓を含めた辺り一体の大規模な公園化事業が進んでいるようです。
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薛閣塔を仰ぎ見ます。
この塔は八角七層で高さ34mあります。
清乾隆中期に建築され、元々は文筆塔と呼ばれていました。
明武宗時代、地元の薛閤挌という知名人が、この場所に住まいを構えたことから薛閣塔と呼ばれるようになったらしいのです。 -
散歩は続きます(>_<)
亳州古城の城壁は撤去されて残っていませんが、護城河は埋め立てられずに残っている箇所が多々有ります。
写真は亳州古城南東角の護城河です。
一体どんな歴史を見て来たのでしょうかネ・・・ -
護城河を渡り、古城内の衣料市場を散策していると・・・
アディダスならぬアディサ・・・(つд⊂)
踵の模様はコンバース・・・(´-д-`) -
ナイキならぬアイキ・・・( ^ω^)
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こちらはナイキならぬネキ・・・(呆(;_;)呆)
何だかなぁ〜( 」´0`) -
一度、部屋に戻って寛いでいると・・・西側の空からの景色に釘付けです。
亳州古城南側の護城河を赤く染めながら、夕日が最後の輝きを放っています。
明日も太陽が顔を出しますように!!! -
暫くの休息後、古城内の中心部で中原エリアの名物料理“地鍋鶏”に舌鼓です。
地鍋鶏専門店が何軒も連らなっています。
路上の席を確保して、雪花ビールで( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!!
歩き尽くめだった旅行3日目の9月19日が終わろうとしています(晩上好)。 -
9月20日が始まりました(早上好)。
ホテル近くに寺院が有るとの情報を得て、急遽“白衣律院”を訪れることになりました。 -
白衣律院は白衣庵とも呼ばれ、中国4大律院のひとつです。
清朝の順治6年(1649年)に、僧侶尽休により創建されました。
同乾隆25年(1760年)に豪商の董氏の資金拠出により整備・拡張され、中華民国時代の戦乱により寺院は荒廃して現在に至っています。
無理やり線香を押し付けてくる観光地とは全く違い、地元民と一緒に厳かな参拝が叶いました(^▽^)/ -
3回目のお世話になる路線バス1路です。
ホテル近くの幸福橋広場バス停から乗車後、車内の案内表示を眺めていて気付きました。 -
亳州の公共バスは、季節によって乗車料金が変わるようです。
今日は9月21日なので、運賃は1元です。
暖房も冷房も使わない安価な閑散期とでも言えばいいのでしょうか???
面白いシステムですね((´∀`)) -
路線バス1路(1元)終着の亳州火車站です。
在来線のみで高鉄は走っていません。 -
亳州火車站前の曹操の石像です。
ん〜?? これが曹操??
何だか少し恰幅が良過ぎるとは感じませんか(^0_0^)??? -
亳州火車站前から西に伸びる通り名は、“芍花路”と呼ばれています。
ここ亳州は中国4大生薬市場に数えられ、その取扱高は中国の20%を占めるそうです。
芍薬(シャクヤク:女性の血の道症の漢方薬材)といった生薬も取り扱われていることでしょう。 -
中国中薬材交易市場を覗いてみましょう( ^)o(^ )
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様々な薬草・生薬・薬材が売られています。
辺り一面に独特な香りが漂っています。
小売もしているようですが、批発(卸売)が中心のようです。 -
我家の就寝前の愛用薬“龍角散”の原料生薬:桔梗・杏仁・甘草・美遠志(セネガ)は何処に並んでいるのかな???
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動物系生薬・・・
ゲ!ゲゲゲ!!トカゲ(蜥蜴)かな???
他にも亀・蠍・蛇などなど・・・
生々しい光景も中国ならではですかね!!! -
薬材市場を後に、芍花路を西へ西へと散歩して行くと・・・曹操公園へ到着です。
公園自体は無料(免費)です。 -
入口の曹操公園案内図です。
三国志魏国の曹操ファンの聖地ですが、残念ながら日本語表記は有りません。 -
魏武祠(曹操紀念館)前に鎮座する曹操像。
亳州火車站前の曹操像に比べ、こちらの像の方が、私達日本人の脳裏に浮かぶイメージに近いと思いませんか〜??? -
昨日購入した通票で魏武祠(曹操紀念館)に入館です。
曹操とその両脇に曹丕と曹植と携えた像いわゆる三曹が出迎えてくれます。 -
亳州古城の古地図が有りました。
蒸しケーキ型あるいはキノコの傘型の外図墻と呼ばれる城壁が、四角い城壁の北側に連なっていたようです。
残念ながら城壁や城門は撤去され、残されていません。
ん〜城壁フェアチの我家としては非常に残念でなりません。 -
曹操記念館を後にして曹四孤堆に向かいます。
公園内には、曹氏一族の陵墓が4其残っていますが、曹家の誰の陵墓なのか??? 明確になっていないようなのです。 -
昨日の張園漢墓と違い、雑草が刈られ、綺麗に整備されています。
但し、綺麗過ぎて、皆が墓丘に登っている道筋跡が見てとれます。
なるほど、自由に登丘・散歩出来るんだ・・・ -
墓丘に登り、反対側に降りてみると・・・
“保護文化財につき登攀厳禁!!”
民衆は展望台と認識しているのか??誰も守りません。
曹家の皆さん、ごめんなさい・謝々。 -
さあ、同じ曹操公園に建つ亳州博物館へ向かいます。
パスポートを提示、無料(免費)で入館です。 -
ここでも三曹と御対面です。
あれれ? 先程の魏武祠(曹操紀念館)とは違い、曹操の両脇の曹丕と曹植の位置が左右反対になっています。
何故だろう・・・ -
曹家の陵慕から発掘された銀縷玉衣です。
こちらはレプリカではなく本物です。
これは流石に感動ものです -
さて、これで亳州旅游は終了です。
亳州博物館近くの市政府北門バス停から、路線バス2路(1元)で客運東站まで移動です。 -
途中、人民大橋脇の湯王陵公園(工事中)を右手に眺めながら、長途汽車站である客運東站に無事に到着です。
-
亳州汽車東站で徐州行きの切符を購入です。
紙に“去徐州汽車高速路使用?”と書いて見せると“有没”!!
“所要到達時間”と書けば、“3小時間”と回答。
徐州行きバスは、1時間に1本の割合で運行されていました。 -
亳州発徐州行き15:30発の切符(57元)です。
発車まで80分ほど有り、さあ、昼餐だあ〜! -
站前に並ぶ家常菜食堂に入り、早速注文です。
西蘭蒜炒・揚州炒飯・尖椒土豆絲に舌鼓し、雪花ビールで( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!!
やはり食事中に聞いて来ました“那里?”
“リーベン”と言い返すものの、発音が悪いらしく伝わりません。
結局は紙に“日本人”と書いて見せて理解です。 -
徐州行きの長途汽車いわゆる長距離バスで、3時間半程の所要時間だそうです。
定刻の15:30に出発、高速道路は走らず、永城市・蕭県を経由します。
今回は途中乗換も無く、スムーズに走行です。 -
徐州市内に入り、今夜宿泊するホテル名“徐州花園飯店”と紙に書いて運転手さんに見せると、“◆◇▼▽●◎”と言います。
どうやら私達が途中降車したいという意志が伝わったみたいです(^◇^)
実際、徐州花園飯店手前の准海西路の供銷大厦バス停で停車し、歩くべき方向を指してくれました。
前扉から降車の際、僕の背中を“ポンポン”と2回叩き、“◆◇◎▼▽●”と言っています。
“気を付けて旅行しろよ!!”とか何とか伝えたかったのでしょうか?
有難う!優しい親切な運転手さん!(^_-)-☆ -
今夜宿泊予定の徐州花園飯店(268元・朝食付)にチェックイン後、夜の徐州站に繰り出します。
先程、親切な運転手さんに降車させてもらった供銷大厦バス停から、徐州公共路線バス1路(2元)で終点徐州站まで乗車です。
この路線バス1路は最終24:00まで運行されています。
帰路も安心ですね。 -
在来線用の徐州站です。
高鉄が走る徐州東站とは、現在工事中の地鉄で結ばれることになります。
それにしても、中国地方都市の主要站の建物の大きさには圧倒されますよね(^^♪ -
偶然立ち寄ったスーパーマーケットで、写真のような製品に遭遇・・・
土豆粉と書かれた麺です(◎_◎;)
どう見ても饂飩(うどん)なのですが、土豆(じゃがいも)から作った麺が存在していたのですね・・・
18日の商丘古城の昼食で食べた土鍋饂飩に入っていた麺の正体なのかも・・・
いやいやビックリ!! 我家にとっては大発見です(*^。^*) -
さて晩餐です。
站前の食堂で、丸子土鍋・白菜干鍋・水餃を注文、淬口柔ビールで( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!!
やはり、ここでも食事中に聞かれました“那里?”
食事後、同じ路線バス1路(2元)でホテルに戻りました。
明日は劉邦・項羽交戦の地 徐州を感じる日です。
バタバタ移動だった旅行4日目 9月20日の夜は更けていきます(晩上好)。 -
9月21日が始まりました(早上好)。
宿泊した花園飯店の歴史は古く、1916年の開業です。
だからなのか、久しぶりに欧米人の宿泊客とも遭遇しました。
実際、朝食会場には、サンドイッチやコーヒーが並んでいました(^^)/ -
さあ、徐州旅游の始まりです。
かつての彭城徐州古城は、ちょっと変わった形をしていて、おにぎり型の城壁に囲まれた城墻でした。
宿泊した花園飯店は、その中心部に位置し、近くには鐘鼓楼があります。
但し、鐘鼓楼ですが、中華民国時代の再建された時計塔といった趣です。
昔ながらの鐘鼓楼は残っていません。 -
その鐘鼓楼は、日中戦争(中国呼称:抗日戦争)時代は、防空警報が響き渡っていたようです。
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古城内を南下すると、快哉亭公園内に彭城徐州古城の城壁が残されていました。
徐州城の歴史は春秋戦国時代から始まったようですが、今残っている城壁は清朝時代の嘉慶年間の築城だそうです。 -
快哉亭公園は、おにぎり型をした彭城徐州古城の南東角に位置します。
城壁は、この公園の南側を包むように連なっています。 -
快哉亭公園内から城壁に上がってみると・・・
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城楼が見えています。
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城楼に上がって東側を望みます。
写真左側が快哉亭公園で城内、右側の骨董品街が城外ということになります。 -
城外側から眺めた、おにぎり型の彭城徐州古城の南東角の城壁です。
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快哉亭公園を含めた辺り一帯を、回龍窟街区美観地区として整備する計画が有るようです。
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さてさて、快哉亭公園から南方へ徒歩10分、丘陵に続く階段を上がって行くと・・・
戸部山古民家群の劉家大院が見えて来ました。
まあ、言ってみれば、徐州の昔の山の手高級住宅街といった場所でしょうか!!
現在は魏家園・余家大院・習家大院・鄭家大院・劉家大院の5箇所の修復が終わっています。 -
ところが・・・
今月のみ修復作業の為、各大院とも閉鎖中・・・(◎_◎;)
や・ら・れ・た・・・残念・無念・・何でやねん・・・! -
漢僅碑坊の門も閉じられ・・・(≧▽≦)
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徐州民族博物館(余家大院)も閉鎖・・・(●´ω`●)
まあ、旅すれば、こんな時も有り得ます!
と言い聞かせ、気を取り直して次の旅游ポイント戯馬台へ移動です。 -
その戯馬台は、項羽が軍事訓練を見学した場所で徐州民族博物館の隣です。
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門票30元です。
項羽ファンの聖地です。 -
日本人旅遊客が多いのか?
日本語の案内表示も準備されています。 -
さてさて奥に進んで楚室生春院を抜けると正面に項羽像がお出迎えです。
六国を征服した秦国は、課した過酷な法制度に諸国が反発、僅か3代で滅亡してしまいます。
その後、一時的に中国全土を征服したのが楚国の項羽で、彼は西楚の覇王を名乗り、都を彭城(現在の徐州)と定めました。
劉邦との楚漢戦争で敗北するまで、ここ徐州が中華の中心だったのです。 -
戸部山から眺める古民家の甍の波と現代ビル群の波。
明清時代や民国時代の古民家を見下ろします。 -
風雲閣です。
戸部山の最も高い所に建っています。
中には戯馬台の石碑が収められています。 -
雄風殿の蟠龍石柱です。
とぐろを巻いた龍のことを言います。
保護の為に強化ガラスで覆われています。 -
中国秦末の楚王項羽の寵姫である虞美人ですが、ここでは別姫と表記されていました。
紀元前202年、項羽は徐州北西部の垓下の戦いで劉邦軍の斉王韓信に包囲され敗戦を悟ると、“虞や虞や汝を如何にせん”と辞世の詩を歌ったと言われています。
そして夜が更け、四方を取り囲んだ漢軍は楚国の歌を響き聞かせ、兵士たちに故郷を思い出させるという戦意喪失策を施します。
これは中国では誰もが知る歴史物語で、項羽と劉邦の決戦は“垓下の戦い”と呼ばれ、“四面楚歌”・“覇王別姫”などの四字熟語の由来となっています。
日本では特に四面楚歌という言葉は余りにも有名ですよネ((´∀`)) -
垓下の戦いで死期を悟った虞美人:別姫は、項羽の刀で舞い、そしてその刀で自害したと言い伝えられています。
遥か昔から劇や舞台等でよく取り上げられる人気のシーンです。
その後、虞美人の亡骸を埋めたその土の上には、まるで彼女の様な可憐な花が咲いたそうです・・・
ひなげしの花 別名“虞美人草”と呼ばれる花のことです。 -
“鴻門の宴”が意味する諺は、ここから始まりました。
項羽は咸陽郊外の鴻門に宴席を設け、そこで劉邦を殺そうと画策しました。
しかし、宴席途中で危機を逃れ覇上に戻った劉邦は、そこから項羽と5年に及ぶ戦いを繰り広げることになったのです。
こうして“鴻門宴(鴻門の会)”という言葉は、下心・野心を隠し持った宴会を意味して使われるようになったようです。 -
酒席についた劉邦を“今こそ刺すべし”としきりに促す范増。
項羽の従弟項荘に剣を舞わせ、その最中に刺させようという計略であった。
写真のように髭を撫でることが、その暗殺のサインだったようだ。 -
項荘が剣を舞っているふりをして劉邦を殺害しようとしたが、異変に気付いた項伯が共に舞ってこれを制した。
劉邦と同席していた樊会が激高、項羽に対峙している間に張良の機転で劉邦を逃がした。
鴻門の会という言葉は今でも残っていますが、こんな逸話が有ったのですね。 -
戸部山古民家群の西側の散歩開始です。
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河川の氾濫が頻発し、徐州が水害に見舞われていた頃、戸部山の高台はその地勢的要因から注目を集めていったようです。
やがて権勢を誇る役人・大商人・有力者が次々と移住し、戸部山は金持ちが争って邸宅を構える高台エリアになっていったらしいのです。
その後も戸部山で暮らすということは、地位・名誉・富裕の象徴で有り続けているようです。 -
崔寿故居です。
普通に人が暮らしていて、観光施設では有りません。 -
徐州博物館です。
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パスポートを提示、無料(免費)で入館です。
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おにぎり型した彭城徐州古城の古地図が有りました。
中国各地の四角型や円形型の城壁は知っていましたが、こんな変わった形の城も有ったのですね。
東西南北の各城門には瓮城構造が確認出来ます。
南城門外には戸部山・戯馬台という文字も確認出来ます。
徐州も城壁は撤去されており、城壁を現在まで完璧に残した街は少ないのが今の中国の実情なのですね。 -
東漢彭城王墓(俗称:土山漢墓)の遺跡発掘現場が公開されています。
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長い年月の間に、遺跡は傷んでしまったのでしょう。
大規模な修復作業が行わていました。
このような現場を間近で見られるなんて、我家的にはポイントの高い旅游点です。 -
楚王の漆塗り棺王の棺です。
今日この後、楚王陵を訪れる予定です。
この陵墓から運び出された埋蔵品です。 -
銀縷玉衣です。
温度・湿度の管理が行き届いた博物館内の環境こそが、これからも埋蔵品や重要文化財の劣化を防ぎ、未来へと残し続けて行けることでしょう。 -
楚王陵埋蔵品が並べられています。
埴輪が踊っています(*^。^*)
ユニークな俑たちです。
何だか歌声も聴こえてきそうです。
(^^♪♪♪(^^♪♪♪♪ -
博物館から10分ほど歩いた解放路の和平路バス停から、路線バス65路(2元)で楚王陵まで移動です。
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65路に乗車です。
楚王陵バス停到着後、昼餐会を催すべく、近くの世茂広場で食堂探しです。 -
我家にとっては、2007年、西安の秦始皇帝陵墓以来の兵馬俑観光です。
高揚する気持ちをパワーアップさせるべく、豚白菜鍋・揚州炒飯・尖椒土豆絲と一緒に労山ビールで乾杯( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!!乾杯!!
食後、食堂の女将さんが寄って来て・・・
やはり同じいつもの質問が有りました〜 ( ^)o(^ )!!
“那里地方?”
紙に書いて見せます・・・“我是日本人”
店員もお客さんもビックリ(◎_◎;)で大騒ぎ。
個人旅行の日本人が来るなんてことは無いのでしょうネ━(^-^)━! -
さて、午後旅游の再開です。
写真は徐州漢文化景区通票90元です。
獅子山楚王陵・漢兵馬俑博物館・漢画長廊・竹林寺の4箇所を旅游出来る通票です。
門票売場には、この4箇所観光には約2時間半が必要と記されていました。
時計は15:00を指しています。
予約済の徐州東站発の京滬高鉄G19号は18:47発です。
移動時間等も考慮しながら旅游しなくちゃ!! -
漢文化景区の地図が有りました。
残念ながら、案内は中国簡体語・英語・ハングルの3種類で、日本語表記は“有没”です(#^^#)。 -
我家は正面入口の南門から入場し、北門から退場するという計画を立てています。
やはり、かなりの時間を費やしそうです。
特に北門に抜ける為に越えなければならない竹林寺観音閣が建つ丘(山かも?)が鬼門です。
ビールという燃料をお腹に入れたことだし・・・さあ!頑張るぞ!! -
最初に我家を出迎えてくれるのは、墓の主人公で楚王を模した巨大な銅像です。
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楚王陵は小高い丘の中腹の畑から発掘された陵墓・遺跡で、深さは約30mも有るそうです。
一方通行の階段を下って・・・ -
奥へ奥へと進んで行くと・・・
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陵慕は左右に沢山の小部屋を擁しています。
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覗いてみると、各部屋には沢山の土器が並んでいます。
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棺から出土した遺骨から再現された最奥にある曽王の胸像です。
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この後、楚王陵を離れ、漢文化景区内を散歩です。
漢王朝時代の陵慕・遺跡は、ここの他にも徐州市郊外の九里山でも見つかっています。
今回は時間の関係で旅游出来なかったのですが、この九里山は歴史の証人であり、前漢盛衰の縮図となっている場所です。
いつの日かの徐州旅游で行けるかな?? -
さあ、待ちに待った漢兵馬俑博物館に入館します。
1984年に、地元の農家が煉瓦を作る為に掘って偶然発見したそうです。 -
広大な漢文化景区には有償(1回10元)の移動手段も完備。
しかし、我家の基本は常に歩き歩きです。 -
西安の兵馬俑が秦の始皇帝の陵慕の副葬品であったように、ここ楚王陵も副葬品が少し離れた場所に埋葬されていたという点では同じなのですが・・・
ん〜ん〜かなり小型の兵馬俑です。
小型の埴輪という表現のほうが分かりやすいかと思います。
現在は1・2号抗が発掘され、写真のようなガラス越しに見ることが出来るようになっています。 -
秦の始皇帝同様に楚王朝の絶大なる力が垣間見えます。
よくよく観察してみると、兵は皆、普通の服を着ているようです。
西安の秦の始皇帝陵墓というと、重々しい甲冑姿の兵馬俑が思い出されます。
大きさだけではなく、装飾に関しても随分と違いが有るようです。 -
秦始皇帝陵墓の兵馬俑との大きさの違いは歴然です。
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4・5号抗は池の中にあり水下兵馬俑と呼ばれています。
後方の山に竹林寺と楼閣が見えています。
・・・登らなきゃあ帰れません・・・\(◎o◎)/! -
水中下の展示場に降りて行くと、先程より大きめの兵馬俑が並んでいました。
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漢画長廊の像石です。
いわゆる石に彫ったレリーフで、拓本を採ると図柄を分かりやすく見ることが出来ます。 -
龍が石柱を巻き込んでいます。
四霊柱出蟠龍柱と書かれています。
戯馬台の雄風殿の蟠龍石柱と同じような遺跡なのでしょうか? -
竹林寺に行く手前で、劉氏宗祠へ寄道です。
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やっと劉邦さんに会えました。
垓下の戦いで項羽との決着をつけた後、劉邦は軍功第一の韓信を謀殺し功臣の粛清を推し進めていきます。
項羽は冷酷無慈悲な支配者で、秦の始皇帝と同じように武力によって世を支配しようとし、その結果、人心が離れて孤立したという史実を忘れてはいけません。
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竹林寺です。
照壁から始まる急階段を疲体に鞭を打って登ります。
竹林寺は徐州八徳大寺の1つで、永和年間に東部郊外の獅子山に建てられ、既に1,600年余りの歴史を誇っています。 -
写真は階段を登りつめた先の大雄宝殿です。
その隣に気になる石碑が有りました。
ここ徐州は、日中戦争時の徐州会戦の場所でもあります。
竹林寺の仏像の片腕だけが旧日本兵に持ち出され、戦後、その子孫の方が返還をしたと彫られていました。
戦争の傷跡は今でも垣間見ることが出来るのですね。 -
徐州最後の旅游ポイント 竹林寺の楼閣は工事中で閉鎖、登楼出来ません。
最後に山頂の楼閣からの大展望・大パノラマを期待していただけに、非常に残念無念です(/ω\) -
北門口に下山、時計は17:20を示しています。
徐州漢文化景区4箇所を見て廻るのに、約2時間20分かかったことになります。
さて、和平路を東向きに歩きます。
公共バス停を探さなきゃ!!
辿り着いた金獅小区站バス停から徐州東站までの路線を確認・確認。 -
予定通り、路線バス32路(2元)に乗車です。
今から1時間20分後に予約済の高鉄列車に乗らなければなりません。 -
バスに揺られること約35分、高鉄徐州東站に無事到着です。
結構時間を費やしました〜あと40分しか余裕が有りません。
地鉄の完成が待たれますね(^◇^) -
初日の9月17日に上海虹橋站で購入済の徐州東⇒上海虹橋の高鉄切符(279元)です。
予約したG19高鉄は、停車站が少ない為か人気が有り、今日21日では既に無座ですら入手不可な状態でした。
あ〜事前購入しておいて、良かった!!((´∀`)) -
13分前になると検票が始まります。
ボードには様々な高鉄列車が表示されています。
北京・西安・杭州等、何処にでも気軽に旅遊出来る時代になりましたね。 -
徐州東站は、京滬高鉄と鄭徐高鉄の合流・分岐站です。
その為なのか、かなりホーム数の多い構造になっているようです。
目まぐるしく、多くの高鉄列車が発着して行きます。 -
高鉄に乗ること2時間27分で終点の上海虹橋站に到着です。
途中の停車站は南京南站のみです。
2009年に南京旅行を楽しんだ時は、まだ高鉄は建設中で開業しておらず、在来線の動車組で、上海から南京まで約2時間かけて訪れたものでした。
さあ、上海虹橋站から地鉄10号で老西門站まで移動(5元)です。
今夜の宿は、楽天トラベルHPで予約済みの上海華美国際酒店(4,793円 朝食付き)です。
至って簡単・無事にチェックインです。 -
時計は既に22:30を指しています。
早速、ホテル横の会稽路の食堂に入店です。
悩んで困って、空芯菜蒜炒・火腿腐竹鍋・麻婆豆腐・白飯を注文、各料理に舌鼓しながら三得利ビールで( ^^)/▽▽\(^^ )乾杯!!です。
大移動だった旅行5日目の9月21日が終わろうとしています(晩上好)。 -
最終日9月22日が始まりました(早上好)。
14階のホテルの部屋は全面ガラス張りで超眺望です。
今日も天気に恵まれ、最後まで晴れ男・晴れ女の本領発揮です。
さあ!今日も歩くぞ〜!!! -
ホテルの南隣に万商花鳥市場が有ります。
市場の奥から、何やら虫の音が響いて来ます。
気になって立ち寄ってみると・・・
竹筒に入ったコオロギを売買していました。
何を話しているのか? どのような価値が有るのか?
ライトを当てて真剣に売買交渉をしている人達の群れ・・・興味深い市場体験でした。 -
さてさて上海閔行区浦江鎮旅游の始まりです。
まずは老西門站から地鉄8号で、終点の沈社公路まで移動します(5元)。 -
この地鉄8号線は、右側通行でした。
昨日、乗車した地鉄10号線は左側通行でした。
こんな違いは日本では有り得ません( 一一)
何故、路線によって、運行側が違うのか???
誰か教えて下さい。 -
地鉄終点の沈社航路站で降車、近くの沈社公路浦星公路バス停に向かいます。
閔行10路バス(2路)を待つこと約10分、召稼楼古鎮へ Let`s Go !!! -
乗車時間約30分で召稼楼古鎮に到着です。
乗客の大半が降車し、少々驚き(◎_◎;)です。 -
沈社公路に面した正面入口の召稼楼古鎮碑坊です。
ここは上海市内に整備された新しい古鎮として売出中の観光地です・・・ -
800年ほど前から存在する古鎮ですが、昨今の古鎮ブームを見越して再開発中です。
2010年5月に整備が終了し一般開放されたようです。 -
今日9月22日は中国では普通の平日のはずです(≧▽≦)
しかしながら、古鎮には大勢の旅遊客が押し寄せていました。
上海市内という好立地だからでしょうか?
それとも今日9月22日は中国では何か特別な日なのでしょうか??? -
昨年のシルバーウィークに訪れた上海新場古鎮とは違い、ここ召稼楼古鎮には凄い数の中国人旅遊客が来訪、とても賑わっています。
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古鎮を散歩していると・・・
鼻を騒がす (≧▽≦) 臭豆腐の匂い(臭い)が漂って来ました〜
臭豆腐の美味しさは何度も体験しましたが、この匂い(臭い)だけは、どうしても慣れません(/ω\) -
散歩しながら、もう一度よくよく考えてみると・・・
明らかに矛盾な言葉なのですが、“古鎮”自体は歴史の長い古い町を意味します。
でもでも、新しい古鎮とは何のことでしょうかネ((´∀`))
ん〜矛盾・矛盾、でもまあいいか〜!!!! -
かつて、古鎮を旅游したくて、わざわざ西塘・嘉興・周荘・蘇州などに赴きました。
上海市内のこんな近場に、こんな見事な古鎮が存在していたなんて・・・
他にも有るかな? 調べてみよっと!!! -
召稼楼古鎮の最奥まで散歩、気が付けば召稼楼礼園景点です。
古鎮内は免費で自由に散歩できますが、ここ禮園だけは有償です。 -
門票20元です。
今回の中国旅游6日間の旅の最後の観光施設です。
いよいよ中国ぶらり旅も終わりかぁ〜(●´ω`●) -
禮園内では地元浦江が生んだ2人の偉人の叶宗行・泰裕伯が祀ってあります。
ここ召稼楼は、上海豫園・城隍廟の秦裕伯の出身地として有名だそうです。 -
東屋からの眺め。
先程の古鎮の人混みとは無縁の空間です。 -
資訓堂遺址です。
過去、火事になり、現存するのはこの石門だけだそうです。 -
召稼楼古鎮バス停に戻ると、大勢の白タクが群がって来ました。
これら白タクと値段交渉中に、偶然にも流しの正規タクシーが通りかかり・・・
我家内が道路に飛び出て“STOP”!!!
上海浦東国際空港まで、メーター稼働で移動です。
途中、上海ディズニー側を疾走、召稼楼古鎮から乗ること約45分、空港到着時のメーターは139元を示していました。
わざわざ降車してくれた優しい運転手さんと家内を一緒に記念撮影、“パシャ”とシャッタ−をON、謝々です(^▽^)/ -
日本航空カウンターでチェックインをしていたところ、今日9月22日に初就航したドラエモンジェットに搭乗出来ることが判明、ビックリ(◎_◎;)です。
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“どこでもドアー”を潜り抜け、出国審査に向かいます。
但し、行先はリオではなく東京です。
やがて、空港内から見えてたドラエモンジェットJL086便は16:05離陸予定です。
何だかワクワクして来ます。 -
ボーディングの途中、日本航空の方々から、「記念撮影は如何ですか?」との呼びかけに、年甲斐もなく準備されたボードを持って、“ハイポーズ”何だか照れました・・・
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竹コプターで日本まで連れて行って〜ドラエモン (^◇^)!!!
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今日限りのドラエモンジェット記念搭乗券とボールペンを頂きました。
凄く特した気分・・・プレミアムが付くかな??? -
コーヒーやお茶用の紙コップにもドラエモンが描かれるなど、ドラエモン好きにはたまらない演出です。
僕 ドラエモン (^0_0^) -
河南・安徽・淅江省史跡巡りの旅・・・如何でしたか?
終わってしまえば、あっという間の中秋節6日間の旅でした。
機内食も味わったしプレミアムモルツも白ワインも嗜んだことだし・・・東京羽田国際空港までグッスリ眠りま〜すと思いましたが、悪天候で大揺れ((+_+))
でもでも懲りずに再び中国旅行に行けたらいいなぁ〜・・・いやいや、絶対に行くぞ〜!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
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この旅行記へのコメント (2)
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- madoさん 2024/06/23 15:40:18
- 商丘古城のデータを探して
- 商丘古城のデータを探してここに行き着いた。適宜必要なデータが押さえられていて、写真・コメントも的確で感謝
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- きみちゃんさん 2019/02/17 11:27:24
- 中原の旅
- 素晴らしい旅游記録。
小生、74歳の老三国志放浪者です。ここ10年くらい、あちこち三国志遺跡を廻っていて、今秋は三国志以外のところも含まれますが、開封・亳州・淮安・杭州10日間での計画を作成中です。特に亳州からの移動は模索中ですが長途バスでの移動の情報はとても役に立ちました。かの国の年々の変化は激しいでしょうが、その辺は勘案して計画を立てます。ありがとうございました。
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