2015/09/19 - 2015/09/24
16位(同エリア156件中)
尖椒土豆絲さん
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- 旅行記30冊
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今年2015年の秋の大型連休シルバーウイークは、私も家内も休暇が合わず、半ば旅行を諦めていたのですが・・・
お盆過ぎに休暇調整が終了、急遽懲りずに中国旅行を練り上げることになりました。
2009年のシルバーウイークに南京旅行を楽しんだことを思い出し、今回は明太祖朱元璋の故郷の鳳陽へ行こうと決めた時から中国モード全開です。
色々と調べて行くと、鳳陽明中都遺跡・寿県古城等の魅力溢れる史跡群が有るではありませんか!!
様々な人達の旅行記等を参考にして、古城・史跡巡りに突撃、何とか無事に旅行を終えて帰国しました。
魅力たっぷりの安徽省の様々な史跡群、私たちと一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
シルバーウイーク前に何とか購入した日本航空の上海往復チケットを握り締め、東京羽田空港から上海虹橋空港に向かって出発です。
毎度々、待ちこがれた機内食では、やはり我家恒例のプレミアムモルツです。
爆買い中国人や日本のビジネスマンで満席のJL081便は、定刻通りに離陸、様々な人達と一緒に海の向こうの大陸に乗り込みます。 -
上海虹橋空港第1旅客ターミナルに到着後、まずは旅行資金の調達です。
到着フロアーの中国農業銀行のATMを発見、CITIBANKキャッシュカードで中国人民元を引き出し、いざ中国旅行開始です。 -
今日中に高鉄上海虹橋站から高鉄蚌埠南站まで移動し、その後、鳳陽県まで行かなければなりません。
早々に地下鉄2号線に向かいます。
目指すは虹橋火車站です。
地下鉄2号線虹橋火車站の券売機に挑戦!! ニ張と3元のボタンを押して、無事にカード切符を購入、自動改札へ向かいます。 -
虹橋1号航站楼のホームに行き、何気なく行先表示画面を見てみると・・・
-
その画面には、日本の安保法案のニュースが流れていました。
中国政府の関心の高さ?なのか、人民統制への誘導なのか?は分かりません・・・
報道内容が気にはなるのですが、今の私達の関心事は、今日中に鳳陽県まで行けるかどうかです。
さあ、先を急ごう!! -
虹橋火車站到着後、大挙する中国人民の荒波に混じって高鉄上海虹橋站集票処に突撃です。
高鉄蚌埠南站に停車する列車は満席が続き、やむなく空席が残る17:33発のG158(214元)二等硬座切符を購入です。
しかし、これでは蚌埠南站到着が19:47と遅くなってしまい、鳳陽県までの移動手段がタクシーのみになってしまう・・・ん〜困った(+o+)〜 -
ダメ元で改簽窓口に並び、再び空席の有る高鉄列車を探してもらうと・・・奇跡的なのか? 単なる偶然なのか?? 運命のイタズラなのか???・・・14:32発の高鉄G144に変更出来てしまいました・・・理由は分からずじまいだけど、超ラッキー!!!(*´∀`*)
並んだついでに23日に合肥から上海に戻る高鉄列車の事前購入も済ませました。
事前購入した理由ですが、2009年に南京を旅行した際、南京站で上海迄の動車組切符を購入しようとしたら、集票処は大・大・大混雑・・・中秋節前の人民大移動に巻き込まれた苦い思い出があったからです。 -
無事に購入できた蚌埠南站迄の高鉄切符を握り締め・・・いざ発進!!です。
でもでも、本当に何故変更出来たのだろう? -
私達が乗車したG144は、上海虹橋始発で北京南行きの高鉄列車でした。
2009年に南京まで乗車した時の動車組とは違い、高鉄は新軌道を時速300km/時で爆走です。 -
G144は途中、昆山南・蘇州北・常州北・南京南に停車、乗車時間2時間13分で16:45に蚌埠南站に到着です。
まるで空港みたいな巨大な駅舎を出て、鳳陽県行きのバスを探します。 -
鳳陽県は蚌埠市隣の除州市の県級都市です。
駅前ロータリーの市バス乗場では無く、隣の蚌埠総合站からの乗車になります。 -
丁度、17:00発のバスが待っていました。
集票処で鳳陽行きのバスの切符(7元)を購入です。 -
高鉄蚌埠南站を発車したバスは、東海大道を東へ東へと走行です。
鳳陽中心部の東華路および西華路と府北街の交差点近くの鳳陽客運東站周辺の路上で、約半分の乗客が降車、蚌埠南站から乗車約30分で終点の鳳陽汽車站に到着です。
さあ、今夜の宿の鳳陽瑞景暇日酒店を探さなきゃ!!! -
鳳陽瑞景暇日酒店(ツイン168元×2泊・朝食2名分付)に無事にチェックイン。
夜景鑑賞の為に鳳陽鼓楼広場に繰り出してみると・・・全くライトアップは無し(残念)。
近くの食道で我家恒例の尖椒土豆絲で一献( ^^)/▽▽\(^^ )!!
鋭気を養い、明日からの歩き歩き旅行に備えなきゃネ!!
ホテルへ戻り、明日の予定を確認・確認。
静かに旅行初日9月19日の夜は更けていきます(晩上好)。 -
9月20日が始まりました(早上好)。
今回の中国旅行先に選んだここ鳳陽県城は、明朝の太祖 朱元璋の故郷です。
朱元璋は、明初代皇帝で洪武帝と呼ばれていました。
2009年の南京旅行の時、洪武帝の墓陵 明孝陵へ行きましたが、そのスケールの大きさに驚いたものでした。
同様に、ここ鳳陽鼓楼の台基の大きさも半端じゃありません・・・(壮大だなぁ〜)
-
見上げれば、萬世根本と書いてあります。
この鼓楼が言いたいことは何なのでしょうか? -
さあ!鳳陽鼓楼に登ってみましょう。
単票30元を準備して門票口に行くと、鳳陽の主要4箇所の観光が可能な通票が80元で売られていました。
この後に観光予定の明皇陵(単票50元)、龍興寺(単票20元)のことを考えると明らかに通票がお得ですヾ(*´∀`*)ノ -
早速通票を購入し登楼です。
その鼓楼の案内板を何げに見ていると・・・
何と何とΣ(゚д゚lll)日本語表記の案内を発見。
鼓楼についての説明書きです。 -
台基についても説明書きが有ります。
わざわざ鳳陽まで来る物好きな日本人・・・
私達以外にも居るのでしょうか?(^^♪自虐です・・・)。 -
鼓楼から眺めた楼東街です。
予想以上に高さがあり、四方の街の景観が楽しめます。 -
楼閣に入ってみましょう
すると、そこは朱元璋および明中都皇城関連の資料館になっていました。
ニイハオ!!朱元璋さん! -
資料館には鳳陽県城全体が分かる地図が展示されています。
建設途中で放棄された明中都皇城が中心に配置されています。
現在の鳳陽市街は、この明中都皇城の南東部に建設された鼓楼を中心に発達したようです。
地図を見ると、明中都皇城の中軸線(子午線)の左右対称の位置に鐘楼という地名が残っています。
鐘楼は撤去され残っていないのですが、地名だけは残っているのですね。
きっと鼓楼同様に大きな楼閣だったのしょうネ(見れなくて残念!!)。 -
鼓楼から眺めた楼西街です。
この先に明中都皇城遺跡が有ります。 -
鼓楼から南に連なる楼南街です。
通り全てが市場になっています。
鼓楼市場を楽しんだ後、楼西街を明中都皇城遺跡へ向かって歩きます。
途中の十字路を右折して北上すると・・・ -
青空市場を抜け、長安街に出ます。
ここを西へ歩いて行くと、やがて凱悦暇日酒店が建つ交差点に到着します。
明中都皇城の承天門跡です。
北京紫禁城でいえば天安門前にあたります。
考えてみれば、故宮紫禁城天安門前の東西に連なる通りの名は長安街ですよネ。
ここ明中都皇城と同じじゃないですか!! -
承天門跡で長安街から右折し、午門に向かう中軸線を歩いていくと、遺跡発掘調査が行われていました。
“注意安全”??? 日本語的には意味不明。(´▽`)。 -
お〜お〜っと〜!!! 発掘現場には土に埋もれた石畳の中軸線が見えています。
600年前に敷かれたのでしょうか? 歴史の重さを実感できます(感動だぁ〜)。
しかし、誰でも気軽に発掘調査場所に入れるあたりが中国なのだなぁと感じ入ってしまいました(笑)(*^^*)。 -
更に中軸線を北上、やがて明中都皇城の南門 午門に到着です。
入口の案内板に説明書きが有りました。
どうやら明中都皇城遺跡を公園化する計画が有るようです。 -
朽ちかけた午門・・・シビレます。
そして城壁散歩が出来るかと思うと・・・ワクワクします。 -
ここ明中都皇故城は、別称で東方バビロンと呼ばれているらしいのです。
といってもメソポタミア地方のバビロンを勉強しておらず、私達の理解は出来ていませんけど・・・
この明中都皇故城、今のところ入場料は不要です(免費です)。 -
午門を潜って城内に入り、振り返って仰ぎ見ると・・・
そこには綺麗に修復・お化粧直しされた午門が鎮座していました〜!!
ん〜?? ちょっと綺麗過ぎるのでは・・・(>_<) -
午門には東側城内から登れるようになっていました。
城門上から皇城内の中軸線を眺めます。
そこに有るのは広大な畑ばかり・・・何とも清閑・静寂な雰囲気が漂っています。
ここは本当に都だったのか?
600年という過ぎ去った時間の長さを感じずにはいられません。 -
そして、今日は西華門まで城壁散歩をする予定なのですが・・・???
アレレ!!! 城壁が綺麗に修復されている・・・
嫌な予感が的中〜〜〜、城壁は工事中で入れないし歩けない・・・ガ〜ン(`Δ´)!
そんな・・・ 聞いてないよ・・・(´;ω;`) -
護城河に沿って西に延びる城壁です。
修復工事中で鉄柵に遮られて近づくことが出来ません。
ん〜やられました・・・゚(゚´Д`゚)゚
城壁散歩は諦めて\(●o○;)ノ 仕方なく予定変更だぁ〜!!!
午門から中軸線を北上し、皇城内を歩いて西華門へ行くことにしました。 -
巨大な午門台基を皇城内の西華路から畑越しに遠望です。
天安門のような大きな楼閣が建設されるはずだったのでしょうか・・・?
今となっては全て夢幻です。 -
お〜っと〜!!! 西華路でも発掘調査が行われていました。
ここでも土に埋もれた石畳が見えています。
中軸線同様に、皇城内東華門と西華門を東西に繋ぐ華路にも、凝った石畳が作られていたようですね。 -
皇城内から眺めた巨大な西華門の台基と、そこから北に連なる城壁です。
城壁散歩したいなぁ〜!!! -
西華門を潜り抜けます。
城門内外ともに城壁への登り口を捜したのですが結局見つからず・・・(焦り汗り)。 -
西華門から皇城外に出て、護城河越しに城壁を眺めます。
いいなぁ〜護城河を伴う古城遺跡って!!! -
皇城外にポツリ・ポツリと民家が建っています。
中秋節の頃と言えば、収穫の秋真っ最中です。
民家の庭先には、天日干し中のトウモロコシ(玉米)が拡げられていました。
食用かな? 飼料用かな? -
どうしても諦めきれずに、再度城壁への登り口を捜索!!
し・か・し・・・やはり見つからず・・・(悔しいよ〜)。
城壁散歩の楽しみは、明後日の寿県古城まで残しておこうっと!!
遺跡観光に後ろ髪を引かれながら・・・ -
さあ、次の観光地に移動しなきゃ!!
先程通った承天門跡近くの凱悦暇日酒店が建つ交差点・・・そのバス停璽園で路線をチェック。
昨日、蚌埠からのバスを降車した鳳陽汽車站まで行けば、次の目的地の明皇陵への移動手段が分かると判断したのですが、ここ璽園を通る5路および102路の路線バスは鳳陽汽車站へは行かないようで・・・
迷って・ 困って・ 悩んでいたら、偶然にも1台のタクシーが通りかかり、地元民とタクシーの争奪戦です。
地元民を制止し、運転席側のドアの前で仁王立ちの我が家内、早速運賃交渉開始です。
20元と言うと、地元民が参戦して来て・・・25元で手を打って、タクシー後部座席に流れ込み、移動手段を確保!一路、明皇陵へ向かいます。 -
承天門を発車したタクシーは、中軸線の南端で左折・・・この左折点が外城郭の洪武門跡のようです。
北京紫禁城で言えば正陽門(前門)にあたるのかな? それとも永定門にあたるのかな??
走行途中、運転手さんに“◎▽●×◎◆◇”と言われ理解不能・・・???
多分、明皇陵観光後の復路のことを考え、“チャーターしないか?”と言いたかったのでは?・・・あくまで推測ですけどネ( ^ω^)
皆さんに分かり易いように、明中都皇故城の城門が分かる衛星地図を載せますね(´▽`) -
タクシーに揺られること約20分、次の目的地の明皇陵に到着です。
ここも通票で入場です。
先に食事をしようと思ったのですが・・・食事処は皆無です!! (トホホ)
お土産屋さんしか有りません。
皆さん、食事は鳳陽県城内で済ませて下さいネ。 -
ここで明皇陵について触れておきましょう。
鳳陽県城から南西約7kmの所に造成された明皇陵は、明太祖 朱元璋の父母の陵墓です。
他の墓陵同様に、神道には左右対称の沢山の動物像が、奥へ奥へと進めば武官・文官像が並びます。 -
既に600年以上の歳月を重ねています。
皇陵内の向かって右側(西側)の建物には皇陵碑が建ち、朱元璋の自筆が刻まれています。
反対の左側(東側)の建物には・・・ -
無字碑が建っています。
朱元璋の父母の功績を刻んで残そうとしたけれども、実際、農民出身の朱一族である父母は歴史に残す偉業は無い訳で、何も刻めなかったらしいのです。
だから無字碑と言われています。 -
更に奥へ歩きます。
鼎や位牌が有り・・・ -
その最も奥に、直径238m土壇の円丘が佇んでいます。
未だ発掘されておらず、内部の公開はされていません。
朱元璋の父母は安眠中のようです。
起こさないで下さいネ (*^ω^*)スヤスヤ。 -
明皇陵観光を終え、道端で待っていると、大廟鎮から鳳陽県城に向かう路線バスが通りかかり、手を上げて乗車です。
満員御礼・すし詰め状態で走り続けること約25分、鳳陽環状路の明陵路にある鳳陽西客運站(写真の場所)に到着です(2元)。
ここ鳳陽西客運站は、先程、明皇陵往路の時に悩んだ承天門跡近くのバス停璽園を通る5路と102路が走っています。
公共交通機関で明皇陵へ自力で行こうと考えている方は、ここ鳳陽西客運站から大廟鎮行きの路線バスに乗って下さいネ!!! -
鳳陽西客運站から鼓楼に向かって歩きます。
楼西街で食べ損ねていた遅めの昼食をとり、鳳陽最後の観光地 龍興寺に向かいます。 -
街中の文昌街で気になったバイク・・・これは日除け? 雨傘?
このような屋根付きバイク、鳳陽では沢山見かけました。
文昌街歩行街を通り過ぎ北端まで歩くと・・・龍興寺です。 -
この龍興寺、昨日バスを降車した鳳陽汽車站の正面に有ります。
やはり通票で観光です。
ここで龍興寺について触れておきましょう。
龍興寺の前身は朱元璋が出家していた於皇寺といい、明中都皇城建設中止後、その建物資材を再利用して、明朝の王室菩提寺として建立されたお寺だそうです。 -
参道を進んでみると天王殿が見えて来ました。
何処でも同じですが、建物の中には四天王が鎮座しています。 -
更に進むと大雄宝殿が見えて来ました。
龍興寺って結構広いなぁ〜。 -
七佛宝塔は更に敷地の奥に建っています。
え〜あそこまで登るのか〜マジか〜(>_<)と思いつつも・・・
私達、まだまだ歩けます!!! -
塔の最上段に登り龍興寺を見下ろすと、先程立ち寄った大雄宝殿が見えます。
宝塔からの大展望を満喫しながら、深呼吸“ふぅ〜”何とか鳳陽県城を観光し終えました。
購入した通票に載っている当年農家 (鳳陽県東郊外に有る農家や農機具を保存したテーマパークらしい) には行く予定は無〜し!!
イヤイヤ、鳳陽県城、なかなか良い場所でした( ^ω^)!! -
ホテルに戻り暫く休憩後、鳳陽最後の夜を楽しむ為に、文昌街と東環路の間にある屋台等が軒を連ねる中都小吃飲食街に潜入して来ました。
鳳陽の地図を眺めると、鼓楼を中心に防墻のような円状の古い区画が残っています。
西側は堀、北側は市場、北東側は中都小吃飲食街となっています。
これぞアジア、これぞ中国といったデープでノスタルジーな空間が広がり、屋台に集まった現地の方々と筆談・筆談でコミュニケーションです。
やはり日本人は珍しいのでしょう・・・!! -
屋台に並んでいる食材を選び・・・私たちは馬刀貝 いわゆるマテ貝を選択です。
辣か? 否か? と聞かれ、目の前で熱鍋で一気に調理!!!これで20元。
ん〜辛いぞ! 辣いぞ!! 口から火を吹くぞ〜!!! 爆発だぁ〜!!!!
でもでも、勿論同時に尖椒土豆絲も頼みました。 -
その作りたての辣料理に舌鼓し、雪華ビールで乾杯( ^^)/▽▽\(^^ )!!
バタバタだった旅行2日目の9月20日が終わろうとしています(晩上好)。 -
9月21日が始まりました(早上好)。
文昌街を歩き、鳳陽汽車站に到着、蚌埠栖岩寺への行き方を筆談にて調査開始です。
どうやら服務員の方々が言うには(書くには)、高鉄蚌埠南站行きの路線バスは、栖岩寺の前を通るので、そこで降車しろとのことだ・・・多分そう言っている。
改札口の服務員が路線バスの運転手に何やら“▽●×◎◆◇”と伝えている。
会話内容を予測すると・・・ -
「2人組の外国人が蚌埠栖岩寺に行こうとしているから、途中降車させてあげて!!」ってな具合だろうか?? 多分・おそらく・きっと・・・・
19日の往路と同じ7元を支払って、いざ出発です!!
バスに揺られること約20分、運転手さんから“▽●×◎◆◇”と言われ理解不能・・・
でも結局そこは栖岩寺の参道入口でした。
途中降車に協力して頂いた服務員・運転手さん、有り難うございますm(_)m。 -
参道を歩き切り、さあ、栖岩寺観光の始まりです。
ここで栖岩寺について触れておきましょう。
建立は古く2000年前の漢の時代で、その後の唐代には“栖岩寺”、清代康熙年間には“ 千仏寺”と呼ばれていました。
近年では属龍子湖風景区に属し、修復と再建に多額の予算を投入し、2011年から免費で一般公開されています。 -
左右に鐘楼と鼓楼を従えた天王殿を通ると・・・
-
やはり大雄宝殿が現れました。
丁度、お経をあげていて、暫く耳を傾けて・・・
その大雄宝殿を通ると・・・ -
あらあら・・・まだまだ工事中の栖岩寺でした。
-
次に向かうは湯和王墓陵です。
栖岩寺前の路線バス停を眺めてみると、何と何と!!(`Δ´)! 路線バス132路は、1日に12本しか運行されていない・・・
時計を確認すると10:40・・・あちゃ〜10分前に行ったばっかりジャン!!
いや〜困ったなあ(+o+)〜次のバスまで1時間も待つの??? -
困り果てていると蚌埠222路という路線バスが突然やって来て停車!!!
バス停には載っていない路線だけど・・・どう言うこと???
でもでも助けに舟です。
とにかく乗ってみると・・・
どうやら・・・湯和墓古跡園站に停るらしい・・・やったネ! ツイてるネ!! ラッキー!!! -
湯和墓古跡園站で降車し(2元)南下、曹山路に面した変電所脇の北側の細い路地入口に湯和墓古跡園の看板を発見!!!
こんな分かりにくい処に墓陵が有るんだあ・・・少々驚きです(゚д゚lll)
その路地を100mほど入っていくと・・・ -
湯和墓古跡園入口が有ります。
しかし・・・門が施錠されている・・・(・□・;) どうした、何が起こった!!!
今日は月曜日なので公共資料館や博物館は休館日なのか??
イヤイヤ、ここは日本じゃ無いし〜中国だし〜年中無休のハズだし〜
私達は、湯和王に会えないのか? -
門票は10元と表示されてはいますが、施錠状態では意味が無いし・・・
-
時計を確認すると只今11:45。
事前の情報収集が悪く、開放時間外に来てしまったようです。
失敗したゼ〜!!! -
先程、222路を降車した湯和墓古跡園站周辺は大規模再開発中。
やがて、立退きを迫られ取り壊しされるであろう2軒の食堂がバス停前に有り、ちょっと早目の昼食です。
湯和墓古跡園が開く予定の14:00迄はノンビリゆったりです。 -
昼食処に選んだ玉龍飯店で、毎度毎度の尖椒土豆絲を注文です。
炒飯と麻辣豆腐も一緒に食し、山城ビールで乾杯( ^^)/▽▽\(^^ )です。 -
さあ、仕切り直して再度14:00に湯和墓古跡園に行ってみると・・・門番の服務員のオジサマが来てはいたけど・・・“◎●□△◎×○”と言われ理解不能・・・
紙に“身分証”と書いた為、日本国のパスポートを渡すと・・・無事に開門です。
ところが何故か免費・・・準備していた10元は不要・・・入口の門票表示は一体何なの(@_@;)??
墓陵内に入り、少々歩くと神秘的な神道が現れました!!! -
ここで湯和王について触れておきましょう。
湯和は、元末期から明王朝初期にかけて、朱元璋の片腕として活躍した鳳陽出身の武将です。
同じ時期に活躍した武将に徐達が居ます。
晩年は海上警備の為に山東や浙東西沿海に城を築き、倭寇からの沿岸防御に当たっています。
この湯和墓陵、1973年に発見され、整備後、一般公開されているそうです。 -
では湯和墓を散策しましょう。
神道を歩いた先に享堂が有り、そこから地下の墓室を見学することが出来ます。 -
享堂内の階段を下り、奥へ進むと・・・厚いガラスの向こうに安置された墓室内の柩が見えてきます。
-
享堂の奥には、やはり円丘が有りました。
先程の墓室は、この円丘の地下に位置します。 -
神道脇の湯和王像です。
入口近くに建設された変電所からの送電線が景観を損なっています。
湯和王も都市開発の波には抗えませんネ(・∀・)
こんなに素晴らしい観光地点が免費(本当かな?)だなんて・・・ありがたや〜!
さあ、気を取り直して次の目的地 寿県に向かって移動開始です。 -
先程の昼食を頂いた玉龍飯店前のバス停です。
ここで蚌埠中心部へ行く路線バスを待ちます。 -
キタ━(゚∀゚)━! やって来た路線バスは、エアコン無しの115路(1元)。
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約15分ほどバスに揺られて蚌埠火車站で降車です。
初日に降車した高鉄蚌埠南站とは全く違い、蚌埠市の中心部に位置します。
日本で言うところの新幹線に対する在来線ですね。 -
そこから東へ500mほど歩くと蚌埠長途汽車站が見えて来ます。
-
蚌埠長途汽車站から寿県までバスで移動です。
バスは頻繁に出ており20分毎と非常に便利です。
乗車後、全員にシートベルトを装着するように促されました。
まさに“注意安全”なのでしょうか? -
寿県まで約90kmの道のりです。
一般道利用かな? 高速道路利用かな?
28元という安価を考えれば・・・やはり一般道経由かな???
シートベルト着用を促された訳だから・・・やはり高速道路経由かな??? -
16:00に蚌埠長途汽車站を出発した後、途中の蚌埠汽車客運南站で乗客を詰め込み、満席状態で再び出発進行〜!!
京台高速のインターチェンジを通り過ぎ・・・・・・え〜っ!! 通り過ぎちゃったよ〜(つд⊂)・・・やはり一般道経由だあ!!!(´-д-`)
同乗していた車掌さんに、今夜の宿泊予定先の寿県寿州国際酒店と書いた紙を見せると“△○◎◇■○◆”と言われ理解不能・・・でもでも・・・
18:30頃、寿県寿州国際酒店の前でバスが停車、“◎◇■△○◆”と降車を促され・・・ありがとう!! 優しい運転手さん!! 車掌さん!! -
寿県寿州国際酒店(ツイン328元・朝食付き)にチェックイン後、古城の夜景鑑賞に出発です。
-
寿県古城と言えば、寡兵で多勢を打ち負かした肥水の戦いが有名ですネ。
ホテルから徒歩約10分で寿県古城南門(通肥門)に到着です。
綺麗にライトアップされています。
やはり城門・城壁はイイなぁ〜 -
城壁に登り、東側から南門(通肥門)を眺めてみます。
幻想的で、シビれます。 -
南門(通肥門)を潜り、城内に入って古城散策です。
写真は、明日の観光予定 寿県孔廟前の三坊です。 -
1箇所、開戸されていました。
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孔廟近くの回族の方が経営する麺屋で夕食です。
八公山や寿県が発祥地の豆腐を使った地元料理にも舌鼓です。
明日の城壁散歩を楽しみに、旅行3日目の9月21日は津々と更けて行きます(晩上好)。 -
9月22日が始まりました(早上好)。
待ちに待った寿県古城観光です。
護城河越しに南門(通肥門)が見えて来ました。
いいなぁ〜護城河を伴う古城って!!! -
現在は南門(通肥門)の瓮城は撤去され、城門のみが残っています。
昨夜は綺麗にライトアップされていましたが、昼と夜それぞれの良さが有りますね。 -
城壁が連なっているのを見ると、思わず歩きたくて、ムズムズしてしまいます。
そう! 私達は城壁フェチなのです( ^ω^)。 -
寿県古城墻の石碑を眺めながら、東側の外階段にて城壁に登ります。
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まずは南門(通肥門)楼閣に登ってみましょう!
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登楼には5元が必要です。
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南門(通肥門)楼閣から眺めた古城外南側の寿春路と・・・
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古城内北側の南大街です。
平遥や広府鎮のようなレトロな街並が残っている訳では有りませんでした。
寿県って、結構近代的街並の県級都市だったのですね(*^^*) -
楼閣内は史料館になっており、寿県古城の模型が有ります。
模型には4ツ全ての城門に瓮城が有るのが分かります。 -
さあ、待ちに待った城壁散歩の開始です。
右回り(時計回り)で歩きます。
ここ寿県古城は、他の古城壁と違い、外側は石垣で固められているのですが、内側はノリ面の傾斜地になっています。
宋代城壁の様子が分かりますネ。 -
城壁を1/4周ほど歩いて、西門(定湖門)に到着しましたが・・・アララ!工事中です(´;ω;`)。
-
瓮城も含めて再現構築しています。
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瓮城内部は工事終了でした。
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更に進むと城外の護城河がよく見えて来ます。
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古城内には水涵といわれる排水施設が2箇所残っています。
洪水時に威力を発揮するサイフォン式構造らしいです。 -
中を覗いてみると???
仕組みは、よく分かりません。 -
更に歩くと・・・北門(靖准門)に到着です。
これで古城を半周したことになります。
瓮城を伴った堅固な城門です。 -
城門の石畳を通り・・・
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城外へ出てみると、城壁に黒い横筋の線が書き込まれています。
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1991年の大洪水時の水位は、記念プレートの位置まで水に浸かったようです。
この時、人々は城内に避難して、この城郭都市に助けられたのです。 -
城外に出て北門(靖准門)を振り返ります。
見るからに堅固な城壁です。 -
登楼には10元が必要です。
瓮城の中では、幾度となく戦が繰り広げられたことでしょう!
さあ、城壁散歩を再開しましょう。 -
古城癖を散歩していると・・・
もう1箇所の水涵が出現しました。
更に・・・歩いて歩いて・・・ -
東門(賓陽門)に辿り着きました。
寿県古城を3/4周してたことになります。
城内から城門を見上げます。 -
東門(賓陽門・5元)に登ってみると、肥水の戦いの石碑が有りました。
-
肥水の戦いとは、前秦と東晋の軍勢が交戦し、わずか8万人の東晋軍が80万人の前秦軍を破ったという、寡兵で多勢を打ち負かした例として中国の戦史では有名な戦いなんだそうです。
当然、計略が用いられているのですが、そもそも前秦軍の南征では各部族の統率がとれておらず、東晋軍は緒戦で勝利し八公山も手中に収めていて、戦士の士気に大きな差があったらしいのです。
計略とは士気の差を使った神経戦だったのですね・・・油断大敵です!! -
いやあ〜楽しかったなぁ〜城壁散歩!!
-
さあ、城壁散歩を終え、今度は古城内散策です。
まずは、報恩寺を訪ねました。
この報恩寺、場所が分かりにくく迷って・迷って辿り着きました〜。
東門(賓陽門)から東大街を西へ歩き、北梁家拐巷を右折し北へ向かいます。
500m程で大寺巷と交差します。
ここを右折し東進すると報恩寺が見えてきます。
探し歩いた報恩寺は、唐代の玄奘というお坊さんが建立した伝承のあるお寺らしいのです。 -
東大街を更に西へ進みます。
旧寿州州署門が見えて来ました。
現在では、この奥に六合市公路局寿県分局・寿県公安局・寿県法院が建っています。
残念ながら寿州州署門には入れません!!登れません!! -
昼食後、今度は昨夜夜景鑑賞で訪れた西大街エリアの観光です。
寿県孔廟正面の三坊です。
この向こうには寿県博物館が建っています。
以前は報恩寺内に有ったらしいのですが、近年、こちらに移転して来たようです。 -
三坊から寿県孔廟(免費)を見ます。
必ず何処の孔廟にもある儒星門を潜ります。 -
寿県孔廟は人民の憩いの広場といった趣の場所でした。
戟門に設置されていた石碑の周りでは、トランプや将棋に夢中な沢山の老年の方々が集まっていました。
それにしても、皆さん、熱心ですネ〜(呆(;_;)呆) -
孔廟東側傍に建つ魁星楼です。
平面六角形で高さが20m程あります。
中はお土産屋さんになっており、登楼は出来ません。 -
さあ、寿県古城の観光を終え、今日は合肥へ移動です。
写真は4ツの城門を結ぶ東・西・南・北大街の交差点です。
寿県古城は鼓楼・鐘楼が残っていません。
交差点脇に建つショッピングセンターが、その楼のイメージで建てられています。 -
そのショッピングセンター前の華聯超市站から新客站(寿県汽車客運站)へ移動です。
-
2路の路線バス(1元)がやって来ました。
-
約20分で寿県汽車客運站に到着です。
寿県古城の南方約5kmに建設された新しいバスターミナルです。 -
合肥まで約130kmで37元、20分毎に出ています。
今日も高速道路ではなく一般道を走ったら・・・どうしよう( 」´0`)」 ハラハラドキドキです。
昨日とは違い、旧長途汽車站が有った古城南門(通肥門)近く(つまりは寿県寿州国際酒店近く)は通りません。
新しく移転した寿県汽車客運中心へ行かないと、長途バスには乗れない可能性が有るのです。
それでも、寿県汽車客運中心からの運行ルートを知っている人は、途中乗車して来ましたけどネ!! -
長途バスは寿県と准南の間にある高速道路インター入口で、他のバスやタクシーで乗り付けた客を乗せ、満席状態で再出発です(高速道路経由で助かった〜)。
合肥西JCTで濾蓉高速に乗り継いで直ぐ高速道路を降りると・・・合肥市内に向かう国道206号線の舗装状態が最悪で・・・揺れるは! 止まるは!! 最悪だあ!!!
寿県から約2時かけて合肥の街に入って来ましたが、北二環路から阜陽路に入った途端に大渋滞・・・疲れる〜(`・ω・´) -
この長途バスの終着は、どのバスターミナルなのかな? やはり合肥站なのかな?
と考えながら車窓を眺めていると・・・阜陽路を走る4路バスを発見。
今夜宿泊予定の合肥華都賓館と紙に書いて運転手に見せるも・・・“△○◎×■○◆”と言われ理解不能・・・どうやらホテルの近くは通らないらしい・・・多分そう言っている(と思う)!!
そして長途バスは、臨泉路で左折レーンに入りました・・・ということは、やはり中心部には向かわずに合肥站に向かうんだ〜。 -
路線バス4路は、明日、合肥中心部から合肥南站まで乗る予定の市中心部を南北に貫く基幹バスのハズ!!!
急遽左折レーンで停車中のバスを降車したまでは良かったのですが、信号が青になり、車が流れ始め・・・車線上に取り残され・・・あ〜怖かった〜!!!
落ち着いて近くを見渡すと・・・そこは一里井站というバス停の近くでした。
今夜、宿泊予定の合肥華都賓館は、市府広場近くの好立地です。
4路と5路が、ホテル近くの市府広場站を通ることが判明、ヤッタネv(=^0^=)v -
一里井站で待つこと5分、先に到着した路線バスは5路でした。
終点の市府広場站まで乗車(1元)です。
わざわざ、市中心部から東に位置する合肥站まで行かなくて済み、良かった・助かった・時短になったは最高です!!(-^〇^-) -
合肥華都賓館(ツイン262元・朝食2名付き)チェックイン後、夜の合肥に繰り出しました。
准河路歩行街の一本北側筋の北油坊巷の屋台で晩酌です。
地方都市ならではの、このような屋台は北京や上海では見られませんよネ(・∀・)
着座後、懲りずに尖椒土豆絲を頼みました〜。
ん〜やっぱり美味しいな〜 (^^♪
歩き尽くめだった旅行4日目の9月22日が終わろうとしています(晩上好)。 -
9月23日が始まりました(早上好)。
安徽省政府前の合肥華都賓館をチェックアウトし、長江中路を西へ歩きます。
現在、地下鉄工事の真っ最中の長江中路から飛鳳街へ右折し北上すると・・・
アレレ・・・合肥庶民の台所 城隍廟市場が工事中で入れない (`Δ´)!
ここも工事中かぁ〜(`・ω・´)
地方の市場ほど興味深いものは無いのに・・・残念です。 -
やむを得ず東側の黄山巷へ迂回して城隍廟(免費)へ到着です。
ここ濾州府城隍廟は合肥旧城の守り神が祭られてるところです。 -
合肥は昔、濾州と呼ばれていました。
-
お〜っと、ちょっと待った〜!!
湯和墓同様に開放時間に制限が有るようです。
濾州府城隍廟に行く方は、時間に注意して下さいネ!! -
中に入ってみると、演劇や音楽が上演される舞台が備わっていました。
-
城隍廟展覧館の脇を抜けると・・・
-
娘娘殿です。
道教系の神様が祭られています。 -
思恵楼です。
濾州府城隍廟のシンボル的塔です。 -
城隍廟観光を終え東へと進みます。
それにしても日本と違って、何もかも規模が大きいなあ!!
歩いてきた准河路歩行街を振り返ります。 -
准河路歩行街を東へ進むと、清朝時代の軍政大臣“李鴻章”の故居が有ります。
-
ここで李鴻章について触れておきましょう。
日本史の教科書では、日清戦争(中国では甲午の役)の講和条約:下関条約の清朝側全権大使として覚えましたね。
1823年、安徽省盧州府合肥に生まれ、様々な役職を歴任後、直隷総督兼北洋通商大臣になっています。 -
李鴻章故居の門票(20元)です。
故居に入ると“李鴻章生涯紹介展”が有り、写真等で華々しい生涯が示されています。
また“中国近代化展”では、清末期、李鴻章の指導下で、軍事近代化・国防強化を推進、その貢献・実績を見ることが出来ます。 -
元々、李鴻章の邸宅は2000平方メートルもあり、現在残されている故居はその一部分だとのことです。
現在の邸宅は、西には墓地、中央に享堂、東に倉庫が建っています。
その享堂は、門庁・前堂・寝室の3ツに分かれています。
結構、広そうだなぁ〜!!!
それでも、現在の邸宅は当初の規模の12分の1に過ぎないらしいのです。
さっすが〜直隷総督!!! -
さてさて、次の目的地の明教寺へ行ってみると・・・・・・・・・・・・・・・・・
無言゚(゚´Д`゚)゚・・・沈黙・・・涙ポロリ Σ(゚д゚lll)
え〜〜〜またかぁ〜〜〜いわゆる工事中ということか〜??
聞いてないよ〜と憂いてみても何も変わらず・・・
信じられない〜と叫んでみても状況は同じで・・・
運の無さを嘆いてみても工事中は事実であり・・・ -
こっそり工事中の扉から中に侵入してはみるものの・・・
作業員から“△○◎◇■○◆”と言われ理解不能・・・
まあ、“入っちゃダメだ〜出て行け〜”とでも言っているのだろう・・・多分・きっと。
諦めて工事現場の写真だけ撮影です。
あ〜教弩台の上に立ちたかったなぁ〜 (´ω`) -
気を取り直して逍遥津公園(免費)へ向かいます。
-
そう、ここは三国志の時代の古戦場です。
寡兵で多勢を打ち負かした史実が伝えられています。
その史実とは、西暦215年、張遼率いる7,000人の魏軍が、孫権率いる10万人の呉軍を打破し合肥城を死守した合肥の戦いのことで、その活躍ぶりを称え、張遼像が建っているのです。 -
張遼像とご対面!!!
合肥と言ったら張遼、泣く子も黙る張遼です。 -
飛騎橋です。
この橋の由来は、張遼に破れた孫権が退却する際に、魏兵の追撃でこの橋まで辿り着いた時に橋が崩れていて、部下の谷利が孫権の馬の尻を鞭で叩き、馬が大きく跳んで対岸に渡り、そのまま逃げ延びた場所なのです。 -
逍遙津公園の中の楼閣で、逍遙閣と名付けられています。
登楼には10元が必要です。
展望を楽しみたい方は是非どうぞ!!
私達は辞退致しました・・・ -
今度は旧城南側の護城河を利用した包公園に向かいます。
しかし、その前に昼食にしましょう。
旧城内の無為路の食事処で昼食です。
単菜(メニュー)を見ると、空芯菜が載っており、迷わず尖椒土豆絲と一緒に注文です。
私達が日本人と分かると、お客さんも巻き込んで筆談・筆談で大騒ぎになりました。 -
昼食後の観光は包河景区の包公園から開始です。
この公園は合肥旧城の南側の護城河(お堀沿い)に作られており、北宋時代の政治家 包拯という人を祀っています。
ここで包拯について触れておきましょう。
包拯は賄賂を一切受け取らず、重役や高役職な人達に対しても容赦なく取り締まった清廉潔白な政治家なのです。
中国のテレビドラマや京劇の題材にもなっている国民的人気者で、日本で言えば水戸黄門・大岡越前や桜吹雪の遠山の金さんといったイメージでしょうか。 -
通票を50元で購入し、公園散策の開始です。
-
通票で最初に浮荘に入ります。
合肥の名庭園として名高いらしいです。
浮荘は、もともと包公書院があった場所に造られた庭園で、池の中に浮いているように見えるので“浮荘”の名が付けられたらしいのです。 -
浮荘の庭園です。
大都市内の静寂な空間です。 -
次に包孝粛公墓園に向かいます。
ここも通票で入場です。
包公祠の照壁を右側から迂回し・・・ -
奥へ歩いて行くと、なんと神道が作られています。
皇族・王族のような立派な墓陵です。 -
神道の奥の享堂を潜ると・・・
円丘包公墓が有ります。
傍らには、包拯の妻や親族の墓もあります。
発掘もされており、墓室の様子も見ることが出来ますよヽ〔゚Д゚〕丿 -
次に清風閣に登りましょう。
ここだけは単票が有りません・・・何でかな\(◎o◎)/!???
まあ、通票で入場する私達には無関係な話ですが・・・
新しく再建された清風閣は、エレベーター完備!!
一気に7階まで上がります。 -
そこで待っていたものは・・・
清風閣からの合肥旧城の護城河の壮大な眺めです。
先程行った浮庄が眼下に見えています。 -
包公祠(包孝粛祠)も通票で入場です。
-
包公祠は名前の通り包拯を祀った祠です。
中には金色の包拯と馬漢、張龍、趙の像が祀られていました。
さあ、合肥観光は、これで終了です。 -
今日は上海まで戻らなければなりません。
包公園西隣の徽州大道の大鐘楼站まで歩きます。
ここから合肥南站まで行く路線バス4路を確認です。 -
合肥南站行きの路線バス4路(1元)が到着しました。
あっ! この4路バス、昨日、寿県から合肥へ移動する長途バスから見えていましたネ〜(安心・安心・一安心)。 -
合肥南站に到着です。
ここも空港の様な巨大な駅舎が完成していました(地下鉄は工事中で未通)。
合肥南站は、その名の通り、合肥市の中心部から南へ約8km離れた郊外に新たに敷かれた新線の新ターミナルです。
渋滞に巻き込まれたこともあり、高鉄発車時刻まで25分程しか有りません。
イヤイヤ、初日19日に上海虹橋站で往路の切符(196元)を買っておいて大正解でした。 -
巨大な駅舎内を歩き、上海虹橋站行きのG578が発車するホームを探します。
-
G578は合肥南站を17:23に出発、途中、全椒・南京南・無錫東・蘇州北・昆山南に停車、所要時間2時間45分で20:08に上海虹橋站に到着する高鉄です。
実際の始発站は長沙南站で、全行程を6時間38分かけて走行しています。
さてさて、今夜は上海市内とは言え、明日の観光を考え、中心部から離れた浦東新区のホテルを予約しています。
さあ!!上海を横断だぁ〜!! -
虹橋火車站から地下鉄2号線で龍陽路站まで行き、地下鉄16号線に乗り換えて、航頭東站まで約80分かけて大移動しました(7元)。
地下鉄だけで80分・・・何と上海は広大なのだろう!! -
航頭東站からは路線バス1067路で航頭路濾南公路站まで移動(1元)です。
事前に外国人宿泊可能ホテル掲載サイトでネット予約済の快捷格林豪泰酒店に到着。
予約済バウチャーを提示したら“○×▼◎●▽”と言われ理解不能・・・????
筆談によると外国人の宿泊受入は出来ないとのこと・・・嘘!嘘!!絶対に嘘!!!・・・
何度お願いしても、服務員のお姉さんは首を横に振るばかり・・・
し・か・し・・・!!! 本当に宿泊出来ないんだぁ〜゚(゚´Д`゚)゚
既に時計は22:00過ぎ・・・焦って・戸惑って・パニクってる私達を見かねた優しい服務員のお兄さんに事務所に連れて行かれ・・・
パソコンのbaidu画面に“▽◆●?○◎▲△”と何やら入力して翻訳ボタンを押すと・・・
“私が外国人宿泊が可能な近くのホテルまで車で送ります”と日本語に変換(驚)!!! 何て親切なのだろう(TдT) -
タクシー(12元)で下沙近くにある錦江之星上海浦東航頭店(ツイン199元・朝食無し)へ連れて行って頂き、無事にチェックイン出来るまで一緒にフロントで待機。
立替えててもらったままのタクシー代金の受取を断った笑顔の絶えない優しい服務員のお兄さんは、再びタクシーに乗り込み、戻って行きました・・・(謝々)。
毎晩放送されている国営CCTVの反日的姿勢とは全く相反する庶民の方々の日本人への親切な対応・・・大きなギャップを感じざるを得ません (-.-;)。 -
時計は既に23:30を過ぎています。
しかし・・・中国旅行最後の夜です。
尖椒土豆絲を食べに行かなければ・・・
ホテルから徒歩10分程の川沙の街には、この時間でも営業している食事処が何軒も有りました。
ふぅ〜助かった〜 (*´∀`*) -
遅い時間にも関わらず、多くのお客さんで賑わっている食事処を選んで入店、定番の尖椒土豆絲を頼みました〜 (*≧∀≦*)。
やめられないなぁ〜尖椒土豆絲と中国旅行!!!!
今夜も雪華ビールで乾杯( ^^)/▽▽\(^^ )!!だぁ〜!!
ハラハラ・ドキドキになった旅行5日目の9月23日が終わろうとしています(晩上好)。 -
最終日9月24日が始まりました(早上好)。
中国旅行最終日は上海古鎮の新場散策です。
この新場古鎮は浦東十八古鎮の一ツで、かなり保存状態が良いらしいのです。
バス停 航頭衛生中心站で上海濾南線と上海塘南専線を待ちます。 -
上海濾南線が先にやって来ました。
早速、乗り込みます。
新場まで9区間で2元です。
本当は昨夜、この新場古鎮で泊まりたかったのですが、外国人を受け入れるホテルを事前に見つけられなくて・・・
仕方なく諦めて、隣町の航頭鎮のホテルを予約していたのです。
その結果が昨夜のドタバタ劇になったのでした。
終わってしまえば後の祭りですネ (^O^) -
新場站から古鎮まで歩きます。
錦江之星酒店は朝食付きでは無かった為、早速新場古鎮で早点です。
麺屋に入り、店内の看板を指差ししながら、3ツ注文しました。
何が出てくるのか??
饂飩(雲呑)は予想通りでしたが、後の2ツの麺は、1ツは汁無麺、1ツは湯麺・・・
何が違うのか???分からずじまいです。 -
新場古鎮は、明・清朝時代は製塩都市として栄え、その頃の建物が多く残っています。
最近では、映画“ラストコーション(色戒)”のロケ地として利用されています。
重要な様々なシーンの多くを、この新場で撮影しているのです。 -
牌楼路と新場大街(新奉公路)の交差点に石坊と案内板が立っています。
ここから北側を洪橋景区と呼ぶようです。
その石坊:三世二品坊の有る洪橋景区から散策です。 -
北大街を北上して行くと・・・
-
新場歴史文化陳列館です。
中を覗いてみると神道が有ります。
新場の歴史が分かるようですが、時間が無く私達は入館しませんでした。
興味の有る方!!入場料は10元ですよ。 -
残念ながら日本語の解説は有りません(没有)。
-
洪福橋から見た北大街です。
レトロな雰囲気・・・シビレます。 -
洪福橋から見た西側の水郷です。
こちらの景色にもシビレます。 -
西塘・嘉興・朱家角・周荘・蘇州・七宝などの様々な水郷の街を見に行きましたが、上海市内にも、こんなに保存状態の良い街並が残っていたなんて・・・
知らなかったしビックリですネ(°д°)!! -
千秋橋です。
洪東街の東の外れに架かっています。
この橋、清代康熙時代に作られたらしく、現在も修復されながらその雄姿を残しています。
古鎮には沢山の牌楼と橋が有ったようですが、その多くが取り壊されてしまっています。
では、渡ってみましょう!!! -
橋を渡り振り返ってみると・・・アララ!! 古鎮には相応しくない洋館が、古鎮の雰囲気を損ねています。
景観保存令や建築規制法とかは無いのでしょうか???
折角、歴史が有る千秋橋なのに・・・勿体ないなぁ〜!!(と思いませんか?) -
新場大街を南下して来ました。
石笋里と刻まれた石坊が立っています。
この石坊の北側を中大街、南側を南大街と呼ぶようです。
私達は更に南大街を南下します(歩・歩)。 -
包家橋の上から見た東側の水郷です。
石駁岸の保存状態がよく、俗化されていない隠れた上海の名所ですね(-^〇^-)
ただ歩くだけなら新場古鎮は免費です。
この寂れ具合、たまりません (^^♪!!!
いいな〜レトロな街散策。 -
新場古鎮の南大街を南端まで歩くと南山古寺が有ります。
元の大徳10年(1306年)の建立で、当初は常寂庵と呼ばれていました。
清の順冶年間に大々的に修復されたようです。 -
奥へ進んでみると、本殿の大雄宝殿が有ります。
中に如来像・釈迦像・観音像等の仏像が安置されています。
尚、ここ南山寺ですが、南山禅寺とも呼ばれているようですネ(´▽`)
さあ、6日間の中国旅行最後の観光も終了です。
新場大街北柵口を経て、さっき降車した新場バス停に戻ります。 -
上海浦東空港へ行く為には、まずは南匯汽車站に行く必要が有ります。
新場站から南匯汽車站まで上海塘南専線で移動です(2元)。 -
南匯汽車站のバスターミナルで上海浦東国際空港行きの機場8号線を探します。
有ったよ〜機場8号線(´▽`)〜これで一安心だぁ〜 -
他の機場線(空港リムジンバス)と違い、機場8号線(7元)は一般道を走って上海浦東国際空港に行くようです。
ん〜所要時間が予測し辛いなあ!! -
11:30にバスは発車、途中、各駅停車状態でゆっくり走ります(緩・緩)。
空港行きのバスですが、乗ってくる人、降りて行く人が入り混じり、通常の地方の路線バスと何ら変わりません・・・。
これじゃあ〜時間がかかる訳だ。 -
南匯汽車站から上海浦東国際空港まで45分も要し、12:15頃に到着。
ふぅ〜間に合った〜 (>_<)焦・焦)。
さあ、日本航空のカウンターへ行かなくちゃ!!
購入済の復路チケットは、14:05発の成田空港行きJL876便です。 -
日本では昨年10月から免税制度が変わったことにより、外国人訪日客が増大し話題になっていますよね。
出国する為の長い行列を乗り越え、飛行機に搭乗するも・・14:55頃の離陸・・・もう50分も経っている(`Δ´)!
大きな上海浦東国際空港も大混雑し、遅延が深刻化しているようです。 -
安徽省史跡巡りの旅・・・如何でしたか?
終わってしまえば、あっという間の6日間でした。
次のシルバーウイークは何年後かな?
機内食も味わったしモルツも白ワインも嗜んだことだし・・・東京成田国際空港までグッスリ眠りま〜す。
またまた中国旅行に行けたらいいなぁ〜・・・いやいや、来年のゴールデンウイークも絶対に行くぞ〜!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
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