2016/04/02 - 2016/04/02
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Samansa1126さん
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今年はどこへ花見へ行こうか。
色々考えた結果、熊本へ♪
ずっと行こうと思っていた熊本城。
せっかく行くなら最高の季節の時に!
桜が満開の熊本城へ行ってきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
-
混雑は覚悟の上。
なるべく早く行こうと家を出発したのは7時半。
9時過ぎには到着し、
ピークになる前になんとか到着。 -
一番便利そうな二の丸駐車場に駐車して、
頬当御門から入場。 -
頬当御門を通過してまず最初にお目見えするのが
首掛石。
怪力伝説が残る横手五郎は、数人がかりでも動かない
凹型の石を首に掛け、2?の距離を楽々と運んだそうです。
しかし、父の木山弾正がかつて清正と一騎打ちをして戦死を
遂げた武将で、五郎は父の敵として清正の命を秘かに
狙っていたそうです。
それが明るみに出て、五郎を仕事を石運びから井戸掘りに
替えられ、井戸の中に入っている時に生き埋めにされたそうです。 -
頬当御門から見上げると見えるのがこの宇土櫓。
西南戦争後にも焼け残った唯一の多層櫓。
3層5階、地下1階からなり、第3の天守閣とも
言われていそうです。
場内に残る唯一、1596〜1614の建物です。
このくらいの大きさのお城は沢山見て来たけど、
これで櫓というのだから熊本城の規模の凄さが分かります。 -
宇土櫓から見える頬当御門。
-
石落とし。
場内の櫓の壁麺はすべて下見板張りで、外側の角は例外なく
石落としが設けられていました。 -
宇土櫓から見る天守閣
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宇土櫓から南向きの眺め。
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天守閣の西側から見上げた様子
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天守閣の石垣。
加藤清正が近江の国から率いてきた石工集団「穴太衆」が持つ
特殊技術を駆使して作られたといわれていて、
下は30度ほどで緩やかですが、
上に向かうにしたがって角度を高め、天端では75度の絶壁 -
さぁさぁ、天守に向かいましょ。
暗がり御門に入る前に振返るとまぁ絶景!!
桜にはさまれた大天守閣。 -
闇り通路。
本丸御殿は2つの石垣をまたぐように建てられていたため、
地下通路がある特殊な構造となっていました。
今は照明がついて明るく見やすいですが、
照明がついていないときには本当に真っ暗で
敵の侵入の際には柱に隠れて不意を衝いて攻撃をしていたそうです。 -
闇り通路を抜けてドドーーーン。
54万石の城下町、熊本のシンボルであり、
日本三名城の一つと数えられる熊本城。
加藤清正は7年かけて熊本城を築城。
城郭の周囲は5.3?、面積98万?。
大天守閣と小天守閣、49の櫓、18の櫓門、29の城門を備えた
堂々たるつくり。
明治10年の西南戦争の際には天守閣などが焼失したものの、
52日間の籠城に耐え、
難攻不落の堅固な造りを天下にしらしめました。
昭和35年に大・小天守閣を復元。
平成20年に本丸御殿が復元されました。 -
天守閣は内部がつながっていて、
小天守閣から入って、大天守閣から出てくる一方通行になっています。 -
小天守閣から見た隠し通路。
小天守閣の方から東の方へ抜けれるようになっているそうです -
小天守閣から大天守閣の眺め
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小天守閣から宇土櫓の眺め
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天守閣の屋根の上にいる鯱鉾が内部に展示されていました。
鯱とは、頭が獣、体が魚という想像上の動物で、
火災除けの力があるといわれていそうです。 -
小天守閣から見た本丸御殿。
本丸御殿の地下が闇り通路。 -
本丸御殿の中に入りました。
平成20年に復元されたばかりなので大変綺麗。
どこもピカピカ。
加藤清正によって創建され、行政の場、会見の場として
使われてきた本丸御殿。
本丸御殿大広間の下に設けられた闇り通路は
日本で他に例を見ない地下通路です。
大御台所。
本丸御殿大広間の完成後に増築されたのではないかと
考えられています。 -
天井は吹き抜けになっていました。
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「大広間」
玄関口にある60畳の鶴の間、
35畳の梅の間、28畳の櫻の間24畳の桐の間が連なる大広間。 -
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若松の間の奥には「昭君の間」。
床・棚・付書院と帳台構えを備え、障壁画は中国の故事「王昭君」の
物語が描かれています。
部屋の各所には漆塗りや飾り金具が配され、
各部屋を圧倒する荘厳な雰囲気が漂っています。 -
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昭君の間の奥には数寄屋造りの茶室。
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本丸広場からの眺め。
桜が満開で、沢山の人が大・小天守閣を眺められるところから
ゆっくりと眺めていました。
桜とお城。
THE日本という感じでしょうか。 -
西側の頬当御門から入りましたが、
南側の櫨方門へ出ようと石垣の間を
何度も何度も曲がります。
敵が侵入した時に、何度曲がっても本丸にたどり着けなくて
きっとうんざりしたことでしょう -
天守閣の右側に見える「二様の石垣」。
右側(手前)は加藤清正時代の緩やかな石垣。
左側(奥)は細川時代の急こう配の石垣。 -
竹の丸からみた天守閣。
ここから見るといくつもの石垣の間を抜けないと
天守閣にたどり着けないのがよくわかります。
このように天守閣から見て、南側の守りはかなり固くなっていました。
それは薩摩の島津を意識してのこと。
加藤清正はかなり慎重なタイプだったように思えました。 -
櫨方門を出て行幸橋を渡ったところに加藤清正公の銅像がありました。
背後には御花見客向けの屋台が出ています・・・。
屋台がなければ背後は桜と長塀。 -
清正公の銅像は桜に囲まれていました。
きっとこの時期には清正も花見をされていたことでしょう。
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