2016/03/06 - 2016/03/06
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Wind99さん
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目黒雅叙園の百段雛まつり 〜みちのく雛紀行〜を見て、北品川へ移動した。
新馬場駅までの旧東海道・品川宿のノスタルジーに触れてみた。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
JR目黒駅から行人坂を下る。その途中に大円寺石仏群を見る。
小さな五百羅漢様がいっぱい。 -
今年は招待券を貰ったので、昨年に続きまた来てみた。
今年は岩手、宮城、福島の東北3県からの集いだった。 -
入り口には盛岡町家のつるし飾りがあった。
昨日の百草園でもつるし雛飾りをやっていて、丁度同じでタイムリーだ。 -
奥にあるレストランでは、庭園の人口の滝が目の前に見える。
ここはいつきても行列待ちだ。 -
奥のレストラン前にも、多くのつるし雛が飾ってあった。
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その奥のレストランから、目黒駅の矢印がある方に向かい、登りのエスカレーターを使うと、アマゾンジャパン本社があった。
その建物(目黒雅叙園アルコタワー アネックス)を抜けると、地上へ戻ることができ、あの行人坂を登る苦労をしないで、駅に行くことができた。 -
北品川へ移動した。
駅からすぐ近い旧東海道へ入る。 -
土蔵相模跡
高杉晋作や桂小五郎を始め、多くの志士達が愛用したという食売旅籠相模屋があった場所。 -
今日は日曜日であるためか、シャッターを下ろした店が多かった。
絵は幕末のペリー艦隊来航の図と見えた。 -
13時頃、日曜日の人通りは少ない。
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金物屋の看板が右から書かれていた。
昭和初期頃の建物かな? -
旧東海道を1本ずれて、八ツ山通りに来た。江戸時代この辺りは海だった場所だ。
道沿いにクジラの像だ。 -
ここは、利田神社脇にある鯨塚だ。
寛政十年(1798)五月 一日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑。
見物客で大いに盛り上がったという。 -
そのすぐ近くには旧台場小学校があり、御殿山下台場砲台跡があり灯台のオブジェがあった。
ペリー来航に衝撃を受けた幕府は、江戸内湾防御のために11基の台場築造を計画した。ここはその1つで、御殿山の土で埋め立て台場にした場所。
小学校の敷地の形が台場の形として良く残っている場所だ。 -
旧東海道に戻る。
旧東海道の左側は海であり、海に下る坂の所に、当時の石垣がわずかに残っている場所がある(旅番組で見て、チェックしておいた)
写真の左の石垣がそれだ。 -
品川宿の石碑がある品海公園
日本橋より2里の距離。 -
北品川駅近くでは海抜5.3mだったが、3.6mに低くなってきた。
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マルダイ食品
江戸野菜、品川蕪はここでしか買えないという。(by アド街ック天国) -
慶応元年から続いている和装の履物屋
丸屋履物屋
ここもTVで紹介されていた。平日に来ないと店の様子がわからん。 -
旧東海道に面して、小さな寺があった。一心寺。
大老井伊直弼により開山された。
今まで見てきた旧道の宿場では、通常道を一本奥に入った所に寺院があるのに、通りに面しているのは珍しい。 -
北品川商店街事務所
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東海道品川宿本陣跡(聖跡公園)
品川宿は江戸四宿の1つで、東海道53次の第一番目の宿駅。
この本陣跡の見取り図とかの案内板も無かったので、東京大空襲や関東大震災で、当時の資料は焼失してしまったのだろうか。 -
明治5年、宿駅制度の廃止で、本陣跡は警視庁病院となり、現在は公園になった。
夏の盆踊りはここで開催される。 -
品川の海で海苔の養殖から始まり、現在の店で四代に至る専門店だという。
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品川宿交流館
中には、昔懐かしい駄菓子屋があった。
座れる場所がある無料休憩所だ。 -
目黒川に品川橋が掛っている。
この川で当時は南北を分けていて、橋を渡ると南品川宿に入る。 -
街道松の広場と呼ばれる一角にあった品川宿の松。
これは東海道の縁で浜松市の個人から贈られた松だそうだ。 -
品川宿の問屋場跡。
今はビルに説明板があるだけだった。 -
道を目黒川まで戻ると、荏原神社がある。
以前この橋の上で、鉄砲隊演武を見たことがある。
(毎年9月に行われるしながわ宿場まつりの行事) -
この荏原神社は、明治天皇が東京行幸の際に立ち寄られた。
また官国幣社にのみ許された皇室紋章の菊花御紋章を用いている。 -
新馬場駅に来て、駅前の品川神社へ来た。
東京十社のひとつで、また東海七福神の1社として、大黒天を祀る。 -
長い階段と、向かって左手は富士塚があった。
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境内入り口にある双龍鳥居。東京三鳥居というらしい。
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富士塚の模様。
都内最大の富士塚で、高さは15mあるという。 -
富士塚に登って、頂上から目の前の第一京浜の道を見ると、富士塚の高さが分かる。
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境内は広く、多くの石碑や説明板があった。
文治3年(1187年)、源頼朝による創建の歴史を持つ。 -
本殿の裏に廻ると、板垣退助の墓があった。
傍らには「板垣死すとも 自由は死せず」の石碑があった。
昨年行った高知城(出生地)に彼の銅像があった。 -
品川神社全景
左手の小山が富士塚。
今回はここまで
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