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[純信曾孫の食堂と純信邸跡]<br />「坊さん かんざし 買うを見た」で全国的に有名なよさこい節。この修行僧である坊さん、慶全の指導にあたっていたのが、現在の牧野植物園内にあった五台山竹林寺南ノ坊の住職・純信。「五台山小町」と言われた17歳のお馬こと、大野馬の母親と同い年の37歳だった。因みに皆、坂本龍馬と同時代の人物。<br /><br />最初、お馬は若い慶全と恋仲になるが、慶全の浮気が発覚し、そのことを慶全の上司にあたる純信に相談しているうち、今度は純信と密通してしまう。<br />慶全はお馬の心を取り戻すため、はりまや橋の橘屋(戦後は酒店となった)でかんざしを買い求めるが、お馬の心は変わらなかった。その腹いせに慶全は、かんざしを買った僧は純信であると、高知城下に触れて回った。<br /><br />そして五台山に居られなくなった純信は安政2年(1855)、お馬と共に脱藩するが、讃岐・金毘羅の高知屋に居た所を捕縛され、土佐に護送される。二人は面縛刑を受けた後、純信は国外追放されるが、翌年、安田町の坂本屋で働いていたお馬の元を訪れたため、二人は再度捕縛され、また追放される。<br /><br />その後、純信は愛媛県四国中央市川之江町に流れてきて、その地の侠客・川村亀吉の世話で寺子屋を開設する。亀吉死去後の消息は不明だが、明治になって土佐に戻り、いの町上八川清水出身の女性と結婚し、松山街道を辿って再び伊予に出て、国境近くの久万高原町東川に落ち着く。そこでは中田与吉と名乗り、一男一女を儲けた。<br />明治21年、純信はお馬との想い出を秘めたまま、この世を去った。69年の波乱に満ちた生涯だった。<br /><br />その純信の曾孫の一人が、四国一の渓谷・面河渓や石鎚スカイラインに通じる国道494号沿いで食堂を経営しているということなので、数年前、会いに行った。80代半ば位の女性だったと思う(顔写真のネット公開は了承済)。彼女の祖父は長州大工で、純信の娘・サダヨと結婚し、養子になっていた。<br />実家である純信邸跡の場所も教えて貰ったが、幕末期からの屋敷は昭和期、火災で全焼したという。<br /><br />食堂は「しずか食堂」で、東川の仕七川小学校のやや北方、国道の東側に大きな看板が出ている。川釣り客らがよく利用するらしい。仕七川上組バス停より南に徒歩2分ほどの場所。<br />純信邸跡は高知県寄りの494号沿い。東川バス停(村上酒店前)の西方、東川橋東袂から北に入り、左手に二軒目の家。その家の南から南東には、純信らが歩いた旧松山街道がごく一部だけ残っており、常夜燈もある。<br /><br />純信の墓所は村上酒店の東方、大宮橋西袂に案内板が出ている。墓は共同墓地内の六地蔵の近くにある。純信の墓の左横には、純信より8ヶ月前に29歳で亡くなったサダヨの墓がある。

よさこい節の純信の曾孫と対面(純信の終焉の地と日本最高水質の渓谷の支流・前編)

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2011/10/02 - 2011/10/02

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マローズ

マローズさん

[純信曾孫の食堂と純信邸跡]
「坊さん かんざし 買うを見た」で全国的に有名なよさこい節。この修行僧である坊さん、慶全の指導にあたっていたのが、現在の牧野植物園内にあった五台山竹林寺南ノ坊の住職・純信。「五台山小町」と言われた17歳のお馬こと、大野馬の母親と同い年の37歳だった。因みに皆、坂本龍馬と同時代の人物。

最初、お馬は若い慶全と恋仲になるが、慶全の浮気が発覚し、そのことを慶全の上司にあたる純信に相談しているうち、今度は純信と密通してしまう。
慶全はお馬の心を取り戻すため、はりまや橋の橘屋(戦後は酒店となった)でかんざしを買い求めるが、お馬の心は変わらなかった。その腹いせに慶全は、かんざしを買った僧は純信であると、高知城下に触れて回った。

そして五台山に居られなくなった純信は安政2年(1855)、お馬と共に脱藩するが、讃岐・金毘羅の高知屋に居た所を捕縛され、土佐に護送される。二人は面縛刑を受けた後、純信は国外追放されるが、翌年、安田町の坂本屋で働いていたお馬の元を訪れたため、二人は再度捕縛され、また追放される。

その後、純信は愛媛県四国中央市川之江町に流れてきて、その地の侠客・川村亀吉の世話で寺子屋を開設する。亀吉死去後の消息は不明だが、明治になって土佐に戻り、いの町上八川清水出身の女性と結婚し、松山街道を辿って再び伊予に出て、国境近くの久万高原町東川に落ち着く。そこでは中田与吉と名乗り、一男一女を儲けた。
明治21年、純信はお馬との想い出を秘めたまま、この世を去った。69年の波乱に満ちた生涯だった。

その純信の曾孫の一人が、四国一の渓谷・面河渓や石鎚スカイラインに通じる国道494号沿いで食堂を経営しているということなので、数年前、会いに行った。80代半ば位の女性だったと思う(顔写真のネット公開は了承済)。彼女の祖父は長州大工で、純信の娘・サダヨと結婚し、養子になっていた。
実家である純信邸跡の場所も教えて貰ったが、幕末期からの屋敷は昭和期、火災で全焼したという。

食堂は「しずか食堂」で、東川の仕七川小学校のやや北方、国道の東側に大きな看板が出ている。川釣り客らがよく利用するらしい。仕七川上組バス停より南に徒歩2分ほどの場所。
純信邸跡は高知県寄りの494号沿い。東川バス停(村上酒店前)の西方、東川橋東袂から北に入り、左手に二軒目の家。その家の南から南東には、純信らが歩いた旧松山街道がごく一部だけ残っており、常夜燈もある。

純信の墓所は村上酒店の東方、大宮橋西袂に案内板が出ている。墓は共同墓地内の六地蔵の近くにある。純信の墓の左横には、純信より8ヶ月前に29歳で亡くなったサダヨの墓がある。

旅行の満足度
5.0
観光
4.0
交通
4.0
交通手段
自家用車

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