2015/11/15 - 2015/11/15
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montsaintmichelさん
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<前編>は、かやぶきの里の観光スポットとして知井八幡宮や美山民族資料館を中心にしたレポをお届けいたしました。<後編>は、美山に魅せられて移り住まれた世界的な藍染作家 新道弘之氏の自宅兼藍染工房+ギャラリー「ちいさな藍美術館」を中心に、集落の氏神様である北村三苗社巡りの様子をレポいたします。
ちいさな藍美術館では、絞り染めをひとりでこなせるようにした新道氏考案の装置やそれを用いて藍染めされた作品、世界中から蒐集された珍しいコレクションの一部を堪能してまいりました。その中で、こうした藍染のひとつの伝統技法が後継者不在によって空前の灯火である現状を知り、複雑な心境にさせられました。恐らく新道氏も他人事と割り切れず、なんとか伝承してもらいたい一心でこうした展示をされているのだと思いました。
北村三苗社は、先祖代々受け継がれてきた鄙びた小さな神社群ですが、集落の方々が大切に守り続けておられることが窺えました。時間に余裕があれば、是非参拝していただきたいスポットです。
観光マップです。かやぶきの里。
http://www.miyamanavi.net/wp/wp-content/uploads/KAYABUKIMAP2015.pdf
http://www.rakuten.ne.jp/gold/nisijin-ya/image/saijiki/miyama_map1.jpg
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
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かやぶきの里 ちいさな藍美術館
2005年にオープンした、世界中で活躍されている藍染作家 新道弘之氏の自宅兼藍染工房+ギャラリーです。氏の作品は、シカゴ美術館、アムステルダム市立美術館、イスラエル国立美術館など多くの美術館に収蔵されています。ここ美山に製作にかかせない雑木の灰と良質の井戸水を求めて京都市内から移り住まれたそうです。
工房では昔ながらの藍染が見学でき、屋根裏は氏のコレクションを展示するギャラリーになっています。工房から生まれた作品やアジア、アフリカ、ヨーロッパ、中米など世界中から蒐集された珍しい藍染コレクション約350点の内、 常時30数点が展示されています。白熱電球が温もりのある独特のスペースを創りだしています。
ちいさな美術館のHPです。
http://shindo-shindigo.com/ -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館
入口にある建屋の中では藍種の乾燥が行われています。
日本の藍染でよく用いられるタデ科の蓼藍は、ベトナムや中国が起源と言われています。奈良時代に渡来し、栽培を繰り返すことで日本の風土に馴染んだ小千本や小上粉という固定種が生れまたそうです。今や遺伝子組換えの種子が全盛の時代に、1000年以上も自家採取が続けられてきた藍の種子は貴重な存在と言えます。
こうしたものを後世にも伝承していきたいものです。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館
この集落の中で最も古く、最も大きかった庄屋を改装したのが「ちいさな藍美術館」です。
飛石の先にある玄関の脇には藍甕が並べられ、藍工房の雰囲気を醸しています。
右脇にある手水鉢の所では、美味しい「愛染井戸水」を飲むこともできます。
左端にあるすっかり葉を落とした木が、名物「枝垂れ桜」です。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 北工房
北工房と呼ぶ土間には、藍染や染料の入った藍甕が埋め込んであり目を惹き付けます。藍甕は全部で16個埋められているそうです。化学薬品を一切使用せず、原料である天然藍の葉を灰汁、ふすま、酒などを利用して常温で自然発酵させたもので染色されています。そして使用済みの液体は、畑に堆肥として還元しているそうです。
工房には新藤氏が開発された絞り染めのロール型の道具が置かれています。西陣織の機道具からヒントを得て考案された技法で、糸を使わずに折り目やしわ目を付けて絞り柄が付けられる新兵器です。
北工房では、新道氏の息子さんも時々仕事をされておられるようです。後継者がおられるようでホッといたしました。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 北工房
ロールには藍染めされた糸が巻かれているように思われるかもしれませんが、れっきとした布です。その表面の一部だけが藍色に染まっています。
上の写真の装置を使って布を少しづつロールに巻き取りながら、手作業で細かい襞を作り、それを寄せて固定していきます。ロールに巻いた状態で染め上げると表面の筋だけが染まり、広げてみると白地の多い染め上がりになります。
実際にこの方法で染めた作品が展示されています。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 北工房 藍錠(あいじょう)
藍錠とは、蓼藍の生葉で作られた藍染め用の染料のことで、いわゆる泥藍のことです。
薄い藍の色ほど、染色が難しいのだそうです。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 ギャラリー
工房の向かいの部屋に新道弘之氏の作品が展示されています。
昔の嵐絞りから、発展させた「shindigo shibori(シンディゴ・シボリ)」と言います。新装置による絞りは、新道氏のインディゴだから「シンディゴ」と呼ばれているそうです。縫い絞りなどの伝統的な絞り技法とは一味違った、布の表情やリズムが創生されています。
手前にあるのは、絞りのグラデーションが美しい「Indigo Ball」です。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー フランスの藍染
この断片は南フランスで染められた亜麻布です。ウヲード(Woad)ではなく、インドから輸入された藍錠(Indigofera)を使って18世紀後半に染められたものと推測されています。
藍染は日本独自の文化だと思っていましたが、実は太古の時代から世界各地で独自の発展をしてきたそうです。その訳は、藍を染めるための原料が1種類ではなかったからです。印度藍や琉球藍、蓼藍、大青などの植物が生息する全ての地域で藍染めの歴史があるそうです。遠く離れた異国の地で、偶然にも藍色素を含有する植物の葉から発酵により藍色を抽出して糸や布を染めていたなんて、太古のロマンを感じずにはいられません。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー ドイツの藍染
60年代に東ドイツの古都エルフルト市の「Sigritt WeiB工房」で染められたものです。Blue Print (藍染)は、民族衣裳や室内装飾布として好まれ、ドイツらしい重厚なデザインです。木版に真鍮の釘を無数に打ち込みドットを加えて表現しているのが特徴だそうです。使用染料はBASFのインディゴピュアーです。
因みに、ジーンズは1829年ドイツ生まれで米国に渡ったリーバイ・シュトラウス(Levi Strauss)がフランス産ニーム製の生地で作り、さらに1870年代に鋲打ちの製品を販売したことで広まりました。その後労働者の作業着がインジゴで染められたことで労働者階級をブルーカラーと呼ぶようになりました。60年代以降には、反体制の象徴として若者が着用して世界中に広まりましたが、色落ちがし易いという欠点を持っていました。しかし、こうした欠点を持つインジゴが今なお大量に使われているのは、とても興味深いものです。色褪せ感も個性的を表現するファッション要素なのです。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー メキシコの藍染
直感的にメキシコ風と判ります。
キツネノマゴ科の多年草の藍は、メキシコ・インディオが染色用に使っていました。
右下にあるのは、17世紀にメキシコから本国へ向かったスペイン船がホンデュラス沖で難破し、その沈没船から引き揚げられた藍染料を使って英国藍研究家の手によって再現された色サンプルです。300年以上もカリブ海の深海に眠り続けた幻の藍色が現代に蘇ったというのは奇跡としか言いようがありません。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー
印花布 中国寝台飾布(貴州省 年代不詳)
これは、版木という型を使って染められた寝台の飾り布です。中国では、清の時代から寝台飾布は嫁入り道具として欠かせないものだったそうです。新郎新婦が円満な家庭を築き、子宝に恵まれるように、願いを込めて吉祥模様が染められています。
2枚の版木を四方にひっくり返してシンメトリックな龍と鳳凰の吉祥柄を染め上げています。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー
藍夾纈版木 中国浙江省
上の写真のような寝台飾布を染めるために使われていた版木です。傷みが激しく、かなり年季が入っていることが窺えますが、版木自体もアートそのものです。
シンメトリックな柄を両面に彫り、16の模様(布団一枚分)を一度に浸染したそうです。各版木には藍液が繋がるように通路が設けられ、藍液が浸潤する仕組みになっているそうです。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー
ベルベル人のショール
こちらは、ウールの厚布を木綿糸で括り、数種の植物染料(ヘナ)で染めた花嫁さん向けのベールです。何となくデニム・ジーンズを彷彿とさせる質感です。北アフリカでこのようなカラフルな絞りは珍しく、模様は凸凹に色別に両面から絞られた手の込んだクラフトだそうです。
経糸を巧みに始末したボンボンがとっても可愛らしく、華やかさを添えています。嫁いで行く娘さんへの深い家族愛が滲み出ているような感慨深い藍染です。藍染ひとつにもドラマがあり、その情景を思い浮かべることができます。
ベルベル人とは、北アフリカのマグリブ地方に住むアフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称です。ムーア人やモーロ人とも呼ばれます。山岳地帯や南の砂漠地帯では遊牧民たちが今も伝統的な暮らしをしており、その中でもよく日本の旅番組などで紹介されるのがトゥアレグ族の人たちです。男性は、藍染めの青いゆったりとした衣服を身に着け、頭と顔にターバンをぐるぐる巻きにしている勇壮な姿が特徴です。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー 嵐絞り
こちらが、幻の嵐絞り(斜網模様)です。とても繊細で美しく染まっています。
嵐絞りとは、有松絞りの技法の一種で、棒絞りや棒巻き絞りとも言われています。棒に布を斜めに巻き、その上に綿糸や縄を螺旋状に巻き付けては、棒の一方に布ごと片寄せる作業を繰り返し、そのままの状態で、染液の中に浸して染めます。乾燥させてから綿糸や縄を解くと嵐の時の雨のように細い斜めの絞り模様が現れることからこの名があります。主に浴衣地に用いられたそうですが、もはや幻の技法と化し、嵐絞りができる職人さんは一人も存在しないそうです。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー 有松絞り(嵐絞り)
平たい2次元的なディスプレイより、襞のように3次元的になっている下部の方が色彩の濃淡が加味された分、味わい深いものがあります。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー
有松絞り(嵐絞り)の別バージョン
襞による濃淡が美しさを倍増しています。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー 菊の花弁
こちらは、新道氏の好敵手 正藍型染師 田中昭夫氏の作品「菊の花弁」の帯地です。失敬ながら、間近で見るとフグ刺しの「てっさ」を彷彿とさせるデザインです。
田中氏は知る人ぞ知る、根っからの江戸長板中形の藍職人で、40年間に亘ってタデ科の蓼藍(阿波藍)で型染めをされてこられた方です。昨年、惜しまれながら引退されましたが、御年80歳だそうです。
誰が言い出したのか、藍染めの世界では「東の田中昭夫、西の新道弘之」と言われて久しくなっています。因みに、新道氏は田中氏の隠れファンだとか…。
しかし、哀しいかな、田中氏が営まれていた川口市にある「紺屋」には後継者が見つかっていないそうです。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー 糸巻きと梅の花
こちらも田中氏の作品です。
白地に藍の模様がくっきりと大らかに描かれています。
藍に関しては全くの門外漢ですのでどれほど評価の高いものかは判りませんが、人を喜ばせるために果敢に未知なる世界へチャレンジした職人さんの血と汗と涙の結晶のように輝きを放っていました。 -
かやぶきの里 ちいさな藍美術館 屋根裏ギャラリー 夜着(明治・大正時代)
昔の方は、なんと素敵な夜着を着ていたのでしょう。
こうしたものは、夜なべ仕事でこしらえたそうです。
とても温かそうな夜着です。これなら寒さも凌げたのではないでしょうか?
「もの」だけでなく「人」までもが「使い捨て時代」という風潮に浸りきった茹でガエル状態の現在の日本…。何時の間にか見失ってしまった大切なものに気付かせていただけた、そんな藍一色の空間でした。 -
かやぶきの里 鎌倉神社
藍染を堪能した後は、趣向を変えて北村三苗社(氏神)巡りに繰り出します。
まず向かったのは、知井八幡宮の西側に佇む鎌倉神社です。
北村三苗社(鎌倉神社、北稲荷神社、津本社)のひとつであり、創建は1250(建長2)年と伝わります。 勝山氏の先祖 源末友を勝山大神として祀る祖霊社のようです。元々は南村にあって勝山神社と言ったそうですが、それが遷移されて社名も変えられたものと考えられています。 -
かやぶきの里 鎌倉神社
鄙びた神社ですが、綺麗に整備されていて大切に守っておられることが窺えます。 -
かやぶきの里 鎌倉神社
集落の奥まった高台にあるため、このように集落を見下ろすように眺めることができる絶好のビューポイントにもなっています。
実はネット情報では西側の山麓に展望処があるということでしたので、ここではこの一枚しか写真を撮りませんでした(マップにも載っています)。しかし、散策道にある展望処へ行くには鹿よけ柵を越えねばならず、しかも3箇所とも大きな南京錠が掛けられていました。この時期は、散策道が開放されていないようですので注意なさってください。
貴重な一枚になりました。 -
かやぶきの里 異月山普明寺
次に向かったのは、北村三苗社ではないのですが、かやぶきの里の最奥部の山麓に佇む集落唯一のお寺「異月山普明寺」です。
手前には、小さな地蔵堂が佇み、参拝者を優しく出迎えます。 -
かやぶきの里 異月山普明寺
本堂と庫裏が一体になった小さなお寺で、平安時代後期の1130年に大原良忍によって開創されたと伝えられています。
元々は光厳院が当地一帯の荘園を嵯峨天龍寺に寄進したために天龍寺派臨済宗に属していましたが、南北朝時代に後円融天皇の進めもあり智覚普明国師(春屋妙葩)が再興し、これを契機に曹洞宗に改宗しています。その後も幾度も火災に遭い、1944年には茅葺本堂が焼失し、戦後間もなく現在のトタン葺の本堂が再建されています。 -
かやぶきの里 異月山普明寺
本尊は、桓武天皇の勅願で制作されたと伝わる聖観音菩薩像です。門法寺の仏像の1躯とされており、度重なる火災にも本尊だけは守られてきたそうです。今でも「子安観音」として篤い信仰の対象にされています。
因みに、村中がこのお寺の檀家さんだそうです。 -
かやぶきの里 異月山普明寺
傍らには6角形の石に彫られた6躯の地蔵尊が安置されています。
どなたも優しいお顔をなされています。 -
かやぶきの里
手前にある白い花は、山独活(やまうど)の花穂です。
こちらの茅葺屋根は、よく見ると千木の上の雪割りが一部欠損しています。
これから豪雪の季節が到来しますので、早めに修理なさってください。
雪深い時には、1mほど積もるそうです。 -
かやぶきの里 北稲荷神社
北西にある奥まった山麓に、小さくも雰囲気のある稲荷神社が鎮座しています。北地区にあるため、北稲荷神社と呼ばれ、北村三苗社のひとつとなっています。
この集落では、「中野」姓が60%を占め、屋号でお互いの家を区別しているそうですが、その「中野」一族の氏神が北稲荷神社です。
ご存知のように稲荷神社は日本最多の社数を誇ってます。延喜式祝詞の中に「是れ稲の霊なり」とあり、稲荷神社の社名は「稲生り(いねなり)」から「いなり」に変わったと言われています。稲荷神社の神使をキツネとする民間信仰は、この神が別名「御饌神(みけつかみ)」と呼ばれ、キツネの古名ケツから「みけつかみ」に「三狐神」の字を充てたと伝わっています。 -
かやぶきの里 北稲荷神社
見ての通り、本殿と呼ぶには小ぶりな祠のような社ですが、結構な年季が入っています。
創建年代は不詳ですが、北村三苗社、知井村十苗十社(鎌倉神社、北稲荷神社、津本社、稲荷神社など)のひとつとして古来より崇敬されてきました。
北稲荷神社の祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)です。稲の精霊が神格化されたものだそうですので、五穀豊穣を司る神と思われます。『日本書紀』ではイザナギノミコトとイザナミノミコトの子と記され、『古事記』ではスサノオノミコトとカムオオイチヒメの子と記しています。 -
かやぶきの里 北稲荷神社
神社よりも有名な推定樹齢400年以上とされる、樹高25m、幹周510cmの巨大なトチノキが、社殿の前に聳えています。注連縄が巻かれているところからご神木のようで、南丹市から天然記念物の指定を受けています。トチノキの周囲は、木の保護のためロープで立入が禁じられています。過去の埋め立てや観光客数の増加による踏圧被害が現れ、将来を見越して苦肉の策に踏み切ったようです。思わぬ所で観光被害が見られるものです。
根の擬態のようになっていて判り難いのですが、トチノキの傍らには蹲踞のようなものが置かれています。かつては、手水鉢として用いていたのかもしれません。 -
かやぶきの里 民宿 またべ
一番手前にあるのが「またべ」、その奥がカフェギャラリー「彩花」です。
「またべ」では、地元で採れた素材を使った田舎料理や地鶏のすき焼がいただけます。古民家自体は、旅館にするために他の地から移築されたものだそうです。
宿泊された方のブログには、天井には空調が嵌め込まれて快適だったと書かれています。また、トイレは水洗だそうです。和室3室で収容人員15名のようです。
「おやど帳」には、「日本の原風景を見る思い」や「忙しい毎日を忘れさせてくれる場所」などの言葉が並ぶそうです。素朴で温かいおもてなしに感激される方も多く、初めて訪れる方の多くがリピーターになられるようです。 -
かやぶきの里
一般民家のはずですが、板壁には糸車や足踏式脱穀機などの古道具が並べられています。
茅葺古民家には、妻面上部の三角形の破風にある懸魚の箇所に家紋の意匠が凝らされ、その家の伝統の重みと矜持が感じられます。
元々は丸い穴が開けられただけのものだったそうですが、この地に茅葺民家が建ちはじめた200年程前から破風に装飾をするようになり、家紋を透かし彫りしたり、魚の形をした懸魚を付けたりするようになったそうです。因みに、この集落には8種類程の家紋が確認されているそうです。
破風は構造美だけでなく、機能的にも優れています。穴が開いた所が排気口となっており、土間から上がる煙をここから外部へ排出しています。 -
かやぶきの里
ほぼ集落の西端に近い場所で、漸くススキと茅葺屋根の競演に巡り会えました。
ほのぼのとした山里の秋の情景を湛えています。
これぞ思い描いていたイメージ通りの山里の風情です。 -
かやぶきの里
津本社の手前から集落を眺めるとこんな表情をしています。 -
かやぶきの里 津本社(諏訪社)
北村の西端の山腹に鎮座し、祭神は建御名方命です。創建年代は不詳です。
元は諏訪社と呼ばれ、さらに遡ると津本氏が氏神として藍婆御前を祀っていたと伝えられています。藍婆とは鬼子母神と共に仏法を守護する十羅刹女の一神です。藍婆御前から諏訪信仰(建御名方命)へと変遷した由来は不明だそうです。 -
かやぶきの里 津本社
知井地区には知井十苗と呼ばれる10軒の家があり、それぞれ社や祖霊社を祀っており、十苗十社と言われています。
茅葺古民家と同じように、先祖から受け継いだものを大切に守る哲学がここにも見られるように思えます。 -
かやぶきの里
北山杉の見事な森林を抱えた美しい山々を借景に点在する茅葺民家…。
その手前に広がる刈り入れを終えた田圃…。
鉄道もなく、広い道路もないため、一見不便な山里に思われますが、「美山ブランド」という言葉があるほど、名水や美山平飼卵、美山牛乳などの特産物の質の良さで知られています。集落の西端には養鶏場もあります。 -
かやぶきの里
先人の智慧には、いつもながら深い感銘と刺激を受け、頭が下がります。茅葺古民家も例外ではありません。自然と共生する昔ながらの生き方には、日本人の琴線に触れる何かが潜んでいるような気がします。
茅場から茅を調達し、それを屋根の材料として活用し、やがて古茅や灰になったものを田畑の肥やしとして還元していく、資源循環型社会のお手本となるものです。こうした先人の智慧が受け継がれ、今日の日本文化が築かれていることを誇りに思いたいものです。だからこそ、それを後世へ受け継いでいきたいものです。 -
かやぶきの里
よく見ると茅葺屋根にも色々な表情があり、それぞれに異なる趣きを湛えています。
この美山に住まうドイツ人尺八演奏家をご存知でしょうか?
ウベ・ワルタ(Uwe Walter)氏は、35年前に虚無僧の笛の音を聞いて衝撃を受け、ドイツのチューリンゲンから来日し、現在は国内外で活躍している尺八演奏家です。邦楽だけでなく、ジャズを尺八で演奏する新しいスタイルは、日本人からすると目から鱗です。京都で能や尺八の修行をした後、美山へ移り住み、現在は半自給自足の生活を送られています。赤米を栽培したり、ヤギの乳からチーズを作り、山菜採りの名人でもあるそうです。
因みに、尺八は都山流 井津清司氏に、能仕舞、謡、能面は金剛流 宇高通成氏に師事されたそうです。 森や川辺で尺八を鳴らす時、美山の自然が尺八を通して「音」を表現するのだそうです。山の谷間に木霊する尺八を吹き続けている伝説の仙人です。そして、その音色を一度でも耳にした人々は仙人の虜に…。
ウベ・ワルタ氏のHPです。
http://uwestory.com/ -
かやぶきの里 お土産処「かやの里」
ぐるりと集落を一周して駐車場まで戻ってきました。
駐車場近くの府道沿いには、情緒満点の茅葺屋根のお土産屋と食事処が併設されています。ここで地元産の食材を味わうも良し、お土産として持ち帰るも良し、ぜひ立ち寄ってみたいポイントです。 -
かやぶきの里 お食事処「きたむら」
北村地区には、食事処がここ一軒しかありませんので予想通り混みあっています。
この店の名物と言えば、歴史的背景が盛られた「鯖そば」です。細めで喉越し抜群の蕎麦に、山菜とおろし、そして甘じょっぱく炊かれた鯖が載せられています。そこに冷たい汁をかけていただくのが絶品だそうです。
美山町は、京都と日本海の若狭 小浜との中間に位置し、古来から京都へ日本海側の産物を運んだ「西の鯖街道」と呼ばれた「周山街道」が集落を貫いています。 -
かやぶきの里 長除大橋(ながよけおおはし)
清流 由良川(美山川)に架けられた長除大橋です。その色から、通称「赤橋」とも呼ばれています。
この橋を渡った所に茅場があるため車両も通るのでしょうが、恐らく橋の幅一杯になるのではないでしょうか?それくらい幅の狭い橋です。 -
かやぶきの里 長除橋
集落から由良川を挟んだ川原には茅場と呼ばれるススキ畑があり、屋根の葺き替えの材料を集落に供給しています。
運がよければ、茅場で希少動物カヤネズミと出会えるかも? -
かやぶきの里 由良川
たおやかに流れる由良川の護岸には、色鮮やかな紅葉が秋の風情を湛えています。 -
かやぶきの里
橋の袂にある少し小高い所から集落をぐるりと眺めてみます。
気になるものを発見したので、そこまで行ってみることにします。 -
かやぶきの里
パン屋さんのレトロな看板が哀愁を帯びています。
かやぶきの里に向かう太い道路の右側にあるお店です。現在はパンなどの取扱はせず、「鮎のおとり」の販売店のようです。
旧い看板に愛着があり、お客さんの目印にもなるためなかなか取り外せないそうです。 -
かやぶきの里
「西湖堂パン」とは、かつて京都にあった老舗パンメーカです。京都の老舗パン屋と言えば進々堂と西湖堂が双璧でした。西湖堂はバードチェーンという店舗を66ヶ所も展開しましたが、倒産という憂き目に遭いました。工場で生地を成形し、それをチェーン店の釜で焼き、焼きたてのバンを提供するというビジネスモデルでした。
昭和時代の食の文化や歴史が忘却の彼方になろうとしている昨今、京都にも素晴らしいパン屋さんがあったこと、そしてそのパンが全国に広がり、現在でも西湖堂が名付けたパン「ニューバード」が全国津々浦々で売られていることを忘れないため、この看板が歴史の生き証人として遺されているのかもしれません。 -
かやぶきの里
美山の集落は、見せ掛けだけのテーマパークではなく、昔からあった菩提寺や先祖代々の墓、鎮守の森、八幡宮、茅の茂る茅場、生活の糧となる田畑などと寄り添いながら今でも日々の暮らしを営んでいます。ですから古民家の軒先には洗濯物やホオズキ、熟れた柿が吊るされ、生活している人たちの息遣いをここかしこに感じることができます。観光地化された所とは違い、生活の匂いと山村の風情が溶け合った癒しの空間が広がっています。周りの田畑や山野から四季の恵みをいただいて生活する、そんな日本人の原風景が広がっていました。
村興しと引き換えとはいえ、美山でのひっそりとしたかつての静かな山里の暮らしを我々観光客が乱しているのを申し訳なく思いながら、この山里を後にしました。 -
かやぶきの里
「かやの里」の脇にあった、小紫とドウダンツツジの競演です。
小紫と紫式部の違いは、紫式部は葉の全体にギザギザがあるのに対し、小紫は葉の上半分にしかありません。 -
大石酒造 美山路・酒の館
2014年の秋にできたばかりの大石酒造の美山工場にある「大石酒造美山蔵」です。大石酒造は、創業の元禄年間から丹波の美しく豊かな自然の中でお酒を造っています。美山の清涼な水と酒造りに適した冬季の環境、それに熟練された杜氏の技と製法に拘りを持ち、ここでは工場周辺で生産される酒米「五百万石」と美山の源流水を使っています。
酒の館の中は、酒蔵&ショップと言ったスタイルで、日本酒の直売コーナー&日本酒作りの道具の展示コーナーがあります。直売コーナーには、蔵元ならではの「丹波の利き酒」を味わえるスペースもあります。 -
大石酒造 美山路・酒の館
美山産の地酒「てんごり」は、甘口で香りも芳醇です。日本酒らしからぬ後味でゴクゴク飲めてしまいそうな危険なお酒です。
代表銘柄「「翁鶴」は、辛口ですが、伝統の生酛(きもと)造りという製法に拘り、口当たりがとてもまろやかでさほど辛みを感じさせません。生酛造りは、水と米と麹といったシンプルな素材から、昔ながらの手作業を丹念に重ねて酵母を育て、酒造りの基になる「酛(酒母)」を完成させる自然の力と人の叡智の共同作業と言えます。
こうした素敵な環境の中でつくられた日本酒は、人の温もりと自然の豊かさを醸し、下戸の当方でも五感で旨みが味わえるものでした。 -
大石酒造 美山路・酒の館
下戸ながら「鬼ころし」と「てんごり」を衝動買いしてしまいました。
「鬼ころし」は、紙管の木版画家 木田安彦氏の鬼の切り絵に魅入られて欲しくなった一品です。
御猪口は、「美山ネイチャー号」特典で2000円以上の買い物でいただけます。 -
大石酒造 美山路・酒の館 酒伝『鬼ころし』
大石酒造は、かの丹波大江山の鬼「酒呑童子」を酔わせた銘酒『鬼ころし』の蔵元です。
『鬼ころし』の語源は、有名な御伽草紙『酒呑童子』の話から生まれた言葉です。元は、「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」という名で登場しますが、難しい言葉なので『鬼ころし』と命名され、鬼が飲めば毒となり、人が飲めば百人力になるお酒です。丹波の酒造好適米「やまびこ」を精白に精白を重ね、練達の杜氏が丹念に仕込んだという地酒です。
嘆かわしいことに、今日は辛口や低アルコール酒、合成酒など「リーズナブルな価格のお酒」の代名詞として幅広く『鬼ころし』の名が流通しています。しかし、『酒呑童子』の話では、鬼でも酔い潰れてしまうほど美味しく度数の高い酒を現す言葉です。特に丹波地方は「大江山の鬼退治(酒呑童子)」の舞台となった地でもあり、まさに『鬼ころし』の発祥の地ですので一線を画すお酒と言えます。
本醸造原酒、精米歩合:70%、アルコール分:19〜20度 -
大石酒造 酒伝『鬼ころし』
木田氏は、京都出身の芸術家です。NHK大河ドラマ「新撰組」のタイトル画やクラシエの入浴剤「旅の宿」のパッケージと言えば思い出される方も多いのでは…。氏を一言で言えば、「五彩を自在に操り、奇想天外な構図で日本の文化や伝統風物を表現する魔術師」です。版画をはじめガラス絵、板絵などの絵画作品からポスター、カレンダーに至るまで幅広いフィールドで京都から世界へ精力的に発信し、「現代の北斎」や「日本のピカソ」とも称されています。哲学者 梅原猛氏も、「木田氏ほど鋭く観音霊場の霊気を捉えながら、この霊場のもつ喜びや悲しみ、苦悩や笑いを表現した人はいない。彼の作品には『祈りの精神』がある」と絶賛されたほどです。
京都生まれの京都育ちの氏は、学生時代、伝統的な京都の町家が無くなっていく現実にいたたまれず、真夏の炎天下に8日間ほど自転車で走り回って町屋をスケッチをされたそうです。このエピソードに氏の創作の原点が垣間見れるように思えます。
氏の最後の版画作品は、三十三の札所を巡る「観音巡礼」の旅を描いた「西国三十三所」です。2004年の着手から制作期間5年にも及んだ全36枚からなる超大作です。そして、40年以上に亘る版画家人生最後の一枚に選んだのが、寺と俗界が漆黒の闇で分けられた16番清水寺でした。
晩年に目を患われ、芸術家としての新たなスタートを切られた矢先の今年8月、悪性リンパ腫のため71年の生涯を閉じられました。お疲れさまでした。どうぞ安らかにお休みください。合掌。 -
蓮如の滝(美山平屋八景)車窓
美山町安掛 内久保地区を流れる由良川の右岸にかかる、白尾山を源流とする落差70m程の曲がりくねった滑り台状の滝です。
室町時代の1475年、浄土真宗の中興の祖 蓮如が61歳の時、越前 吉崎御坊から若狭 小浜を経て摂津へ向かう「丹波越え」の途中で光瑞寺に逗留し、対岸の茶店の石に座して白尾山(標高749m)の中腹から流れ落ちるこの滝を愛でて絶賛したと伝えられたことが「蓮如の滝」の名の由来です。
蓮如が発願して建立した瀧見山光瑞寺には、今でもその時の御座石が祠に安置されています。この地を発った蓮如は、その後山科に赴き、本願寺を建立し、浄土真宗の基礎を固めました。文献『光瑞寺縁起』には往時の様子が詳しく記録されているようです。 -
蓮如の滝 車窓
かつては、道路から滝を見るのは難しかったようですが、この滝が「平屋八景」に選定されたのを機に、滝の姿を遮っていた樹木などを伐採し、道路からも望めるようになっています。看板も道沿いに立てられています。
雨上がりながら写真のように水量は少な目で瀑布とは程遠い印象ですが、急斜面を曲がりくねって飛沫を上げて流れ落ちる様は白糸を引くようで優美です。 -
道の駅「美山ふれあい広場」ふらっと美山
国道162号線に面した美山町安掛にあります。京都縦貫自動車道園部インターから府道19号線を北東に約30?に位置し、道の駅周辺は通称「平屋富士(標高570m)」と呼ばれる山をはじめとする緑の山々に囲まれた風光明媚な山里です。 -
道の駅「美山ふれあい広場」ふらっと美山
特産品販売施設「ふらっと美山」には、地元農家さんが作った採れたて新鮮野菜や平飼卵、美山牛乳、農産加工品が並んでいます。
16時過ぎですので売り切れ品も続出です。 -
道の駅「美山ふれあい広場」ふらっと美山 「もみじたまご」
残り2個しかなかった外田養鶏所産の「もみじたまご」をなんとかゲットできました。
外田養鶏場は、大手では真似のできない本物の平飼卵、つまり無添加飼料で育てた鶏においしく健康的な卵を産ませています。親子三代、養鶏一筋50年だそうで、採卵鶏を3500羽、京地どりを5000羽飼育しています。
因みに、「もみじたまご」は、紅葉の季節限定品ではなく、鶏の品種が赤玉鶏「ゴトウもみじ(国産鶏)」ということから命名されています。紅葉狩りのお土産にはピッタリですが…。 -
平屋大橋(美山平屋八景)
深見トンネルの手前にある清流 由良川に1957年に架けられた赤いワーレントラス橋です。
都市との交流ゾーンに当たり、四季を問わず行楽客で賑わい、橋の辺りでは鮎の友釣りが人気だそうです。
中央分水嶺を越えているため、この由良川は日本海の若狭湾に注ぐ河川となっています。京都府内第3位の標高の三国岳(959m)が滋賀県と京都府の境にあり、その西斜面の芦生が由良川の源流になります。 -
平屋大橋
橋の袂には鮎のモニュメントが置かれています。古来、京の都に住まう天皇へ捧げる鮎の漁をした場所に因んだものです。
美山と言えば「鮎」と言われるほど、芦生の森を源に流れる由良川の清流が育んだ鮎の味は絶品で、全国津々浦々から鮎釣り客が訪れるそうです。 -
平屋大橋
美山は、伝統の京野菜「大内かぶら」の発祥の地でもあります。大内かぶらとは、蓮如が、現在の美山町大内地区に伝えたとされる、糖度が8と高く、硬く煮崩れしにくいかぶのことです。元来は、浄土真宗の信者の集まりである「報恩講」の前日に「お講汁」として振舞われたものだそうです。しかし、戦後になり、いつの間にかこの見栄えが悪く髭根も多い硬いかぶらは地域の人々から忘れ去られ、誰も栽培する人がいなくなったそうです。現在は、このかぶらの復興の最中だそうです。 -
道の駅「美山ふれあい広場」
道の駅のお土産のイチオシは、こちらのショップで売られている「美山のおやき」です。京湯葉のおからを生地に練り込み、独特の食感に仕上げています。中の具材も地元の新鮮野菜や果物などを使っています。「あずき」「切干大根」「おから」「ひじき」など種類も多彩です。季節限定品もあり、お土産用には冷凍品もあります。
ツーリングライダーさんたちの憩いの場にもなっているようです。 -
道の駅「美山ふれあい広場」美山牛乳
敷地内には美山牛乳の工場があります。
牛乳工場の横には、美山牛乳を使ったソフトクリーム・ジェラートの販売店「美山のめぐみ牛乳工房」もあります。美山牛乳の美味しさには定評があり、その理由が低温殺菌です。通常、牛乳の殺菌は120〜130℃の高温で2秒程度殺菌するのですが、美山牛乳は生乳そのものの風味と甘みを損なわないように85℃で15分間というバスチャライズ製法で殺菌しています。飲めばその違いがすぐに判ります。
もうひとつカレーパンも吃驚です。カレー餡はなんとホワイト!カレーと牛乳のまろやかさが相俟って絶妙な味になっています。 -
道の駅「美山ふれあい広場」
「平屋ふれあいサポーター」さんが毎年創作して設置される、ユニークな案山子たちです。特にファッションセンスが素晴らしい、お洒落な案山子たちです。フォトジェニックを選ぶのも一苦労です。という訳で、全員に収まっていただきました。
天候には恵まれませんでしたが、その分、色鮮やかにお化粧した秋景色を堪能することができました。美山も観光地化が進むのは時代の潮流です。もし訪ねてみたいなと思われるのでしたら、できるだけ早い時期に来られることをお勧めいたします。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。
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