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<前編>では、常照皇寺の方丈までを駆け足で紹介いたしました。<br /><後編>は、開山堂の内部にある仏像のレポを中心に、東山魁夷画伯が『京洛四季 小画集』で絵筆を執り「門」として描いた勅使門など、桜や紅葉以外ではあまり知られていないレアな部分にスポットを当ててこのお寺の更なる魅力を引き出していきたいと思います。<br />光厳院お手植えの枝垂桜「九重桜」は国の天然記念物に指定されていますが、開山堂に祀られている「阿弥陀三尊来迎坐像及び両脇侍坐像」は国の重要文化財に指定されています。また、両脇侍仏は「大和坐り」と称されるポーズをとる希少な仏像として知られています。しかも、手に取るように間近で鑑賞できる寛容さもこのお寺の魅力のひとつです。<br />勅使門の透かし彫りは、東山魁夷画伯の心を動かした巧妙な細工で訪れた人たちを魅了してやみません。また、紅葉の季節にしか見ることのできない山国陵への参道の絶景なども紹介していきます。<br />正直なところ、1時間でよくここまで細部に拘って回れたなと我ながら感心するほど濃い内容になっています。<br />前口上が長くなりましたが、それでは境内へご案内いたします。<br />常照皇寺のマップです。<br />http://www.pref.kyoto.jp/shizen-kankyo/hozen10.html<br />http://town.zaq.ne.jp/p/s3aahuwe8hgagssgag2z-4265b3a4.jpg

情緒纏綿 美山紀行②常照皇寺<後編>

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2015/11/15 - 2015/11/15

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

<前編>では、常照皇寺の方丈までを駆け足で紹介いたしました。
<後編>は、開山堂の内部にある仏像のレポを中心に、東山魁夷画伯が『京洛四季 小画集』で絵筆を執り「門」として描いた勅使門など、桜や紅葉以外ではあまり知られていないレアな部分にスポットを当ててこのお寺の更なる魅力を引き出していきたいと思います。
光厳院お手植えの枝垂桜「九重桜」は国の天然記念物に指定されていますが、開山堂に祀られている「阿弥陀三尊来迎坐像及び両脇侍坐像」は国の重要文化財に指定されています。また、両脇侍仏は「大和坐り」と称されるポーズをとる希少な仏像として知られています。しかも、手に取るように間近で鑑賞できる寛容さもこのお寺の魅力のひとつです。
勅使門の透かし彫りは、東山魁夷画伯の心を動かした巧妙な細工で訪れた人たちを魅了してやみません。また、紅葉の季節にしか見ることのできない山国陵への参道の絶景なども紹介していきます。
正直なところ、1時間でよくここまで細部に拘って回れたなと我ながら感心するほど濃い内容になっています。
前口上が長くなりましたが、それでは境内へご案内いたします。
常照皇寺のマップです。
http://www.pref.kyoto.jp/shizen-kankyo/hozen10.html
http://town.zaq.ne.jp/p/s3aahuwe8hgagssgag2z-4265b3a4.jpg

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス 私鉄

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  • 常照皇寺 開山堂<br />禅定池の畔には、目が覚めるような朱に染まった大きな楓の葉が心地よさそうに風に揺らいでいます。<br />借景は舎利殿です。

    常照皇寺 開山堂
    禅定池の畔には、目が覚めるような朱に染まった大きな楓の葉が心地よさそうに風に揺らいでいます。
    借景は舎利殿です。

  • 常照皇寺 開山堂<br />開山堂 怡雲庵(いうんあん)に繋がる渡り廊下の上には白木造の素朴な燈篭が吊り下げられ、よいアクセントになっています。<br />

    常照皇寺 開山堂
    開山堂 怡雲庵(いうんあん)に繋がる渡り廊下の上には白木造の素朴な燈篭が吊り下げられ、よいアクセントになっています。

  • 常照皇寺 怡雲庵 外陣<br />怡雲庵は、開放的で大らかな印象の方丈とは対照的に、薄暗く厳粛な雰囲気が漂う静謐な異空間が広がる仏殿です。<br />入口正面の外陣右側には、昭和天皇を始めとする歴代天皇や入牌家の位牌が整然と安置されています。その上には、方丈と同じ思想の下、本尊や脇侍仏、十六羅漢像などが安置され、高見のギャラリーから参拝者を見下ろす趣向となっています。

    常照皇寺 怡雲庵 外陣
    怡雲庵は、開放的で大らかな印象の方丈とは対照的に、薄暗く厳粛な雰囲気が漂う静謐な異空間が広がる仏殿です。
    入口正面の外陣右側には、昭和天皇を始めとする歴代天皇や入牌家の位牌が整然と安置されています。その上には、方丈と同じ思想の下、本尊や脇侍仏、十六羅漢像などが安置され、高見のギャラリーから参拝者を見下ろす趣向となっています。

  • 常照皇寺 怡雲庵 外陣<br />床には青黒色の瓦が全面に隙間なく敷き詰められ(甎:せん)、歩を進める度に静寂な堂内に「カランカラン」とどこか心地よい響きが渡り、静寂さを強調するかのようです。足元からは、ひんやりとした冷たさが伝わってきます。

    常照皇寺 怡雲庵 外陣
    床には青黒色の瓦が全面に隙間なく敷き詰められ(甎:せん)、歩を進める度に静寂な堂内に「カランカラン」とどこか心地よい響きが渡り、静寂さを強調するかのようです。足元からは、ひんやりとした冷たさが伝わってきます。

  • 常照皇寺 怡雲庵<br />外陣左側には雲乗の来迎形式の阿弥陀三尊来迎坐像および両脇侍坐像(共に重文)を安置し、両脇の天井下に勾欄を配して十六羅漢像を並べた様は圧巻です。<br />三尊とも檜材の木割矧造で、表面は錆下地漆箔仕上げになっており、脇侍仏は美しい雲坐に乗り、美しく若々しいお顔をなされています。<br />平安時代後期には浄土教進行の盛行もあり、臨終行儀では阿弥陀如来迎の場面は不可欠だったそうですが、その多くは阿弥陀聖衆来迎図に見られるように絵画で行うのが主流でした。<br />阿弥陀如来坐像は定印を結んで蓮華座上に結跏趺坐し、両脇侍仏は立膝をして少し前屈みになっています。観音菩薩は蓮台(欠失)を持ち、勢至菩薩は合掌する来迎形をなし、それぞれ雲座に乗っています。三千院の三尊仏に似ているのは、天台梶井門跡の名残だそうです。<br />このように臨終行儀の阿弥陀如来迎の切迫感を彫刻によって立体的かつリアルに表現した例は希少だそうで、平安時代後期(12世紀)としては類のない作例、また先駆的な作品として美術史だけでなく文化史的にも有意義な彫刻像と言われています。<br />国重要文化財ながら写真撮影はフリーです。(常識的に、フラッシュや一・三脚は使用禁止です。)

    常照皇寺 怡雲庵
    外陣左側には雲乗の来迎形式の阿弥陀三尊来迎坐像および両脇侍坐像(共に重文)を安置し、両脇の天井下に勾欄を配して十六羅漢像を並べた様は圧巻です。
    三尊とも檜材の木割矧造で、表面は錆下地漆箔仕上げになっており、脇侍仏は美しい雲坐に乗り、美しく若々しいお顔をなされています。
    平安時代後期には浄土教進行の盛行もあり、臨終行儀では阿弥陀如来迎の場面は不可欠だったそうですが、その多くは阿弥陀聖衆来迎図に見られるように絵画で行うのが主流でした。
    阿弥陀如来坐像は定印を結んで蓮華座上に結跏趺坐し、両脇侍仏は立膝をして少し前屈みになっています。観音菩薩は蓮台(欠失)を持ち、勢至菩薩は合掌する来迎形をなし、それぞれ雲座に乗っています。三千院の三尊仏に似ているのは、天台梶井門跡の名残だそうです。
    このように臨終行儀の阿弥陀如来迎の切迫感を彫刻によって立体的かつリアルに表現した例は希少だそうで、平安時代後期(12世紀)としては類のない作例、また先駆的な作品として美術史だけでなく文化史的にも有意義な彫刻像と言われています。
    国重要文化財ながら写真撮影はフリーです。(常識的に、フラッシュや一・三脚は使用禁止です。)

  • 常照皇寺 怡雲庵 阿弥陀如来三尊像<br />阿弥陀如来の脇侍仏は、観無量寿経で説くように、向かって左側が勢至菩薩像、右側が観音菩薩です。元々菩薩は、釈迦の修行時代を表現したものだったそうです。しかし、大乗仏教の時代になると悟りを求める心を得たものは全て菩薩と称され、如来に次ぐ地位で衆生救済の手伝いをすると考えるようになりました。モデルは釈迦が出家する前の王子時代の姿ですので、宝冠や瓔珞(ようらく)、天衣(てんね)などの装飾を付け、一部を除けば女性的な温和で慈悲深いお顔をされています。<br />ここの脇侍仏はいずれも立ち上がろうと身を乗り出した刹那を彫り込んだ姿が特徴で、立て膝で前屈みのポーズをとった動勢表現は、臨場感とスピード感に溢れた秀作です。「今すぐに救済に向かうよ!」との意思表示がストレートに伝わってきます。

    常照皇寺 怡雲庵 阿弥陀如来三尊像
    阿弥陀如来の脇侍仏は、観無量寿経で説くように、向かって左側が勢至菩薩像、右側が観音菩薩です。元々菩薩は、釈迦の修行時代を表現したものだったそうです。しかし、大乗仏教の時代になると悟りを求める心を得たものは全て菩薩と称され、如来に次ぐ地位で衆生救済の手伝いをすると考えるようになりました。モデルは釈迦が出家する前の王子時代の姿ですので、宝冠や瓔珞(ようらく)、天衣(てんね)などの装飾を付け、一部を除けば女性的な温和で慈悲深いお顔をされています。
    ここの脇侍仏はいずれも立ち上がろうと身を乗り出した刹那を彫り込んだ姿が特徴で、立て膝で前屈みのポーズをとった動勢表現は、臨場感とスピード感に溢れた秀作です。「今すぐに救済に向かうよ!」との意思表示がストレートに伝わってきます。

  • 常照皇寺 怡雲庵 阿弥陀如来坐像<br />阿弥陀如来坐像は、お腹の前で第一、第二指を捻って定印を結び、そして左足を外上にして胡坐をかいたような結跏趺坐をされています。この像は、寺の創建より古い平安時代後期の作とされ、光厳院の持仏だったと言われています。<br /><br />阿弥陀如来は、無限の寿命を持つことから「無量寿如来」とも言われます。限りない智慧と限りない命で人々を救い続ける西方極楽浄土の教主です。48願という誓いを立て、その中の18番目は「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くと誓っており、広く民衆から信仰されています。

    常照皇寺 怡雲庵 阿弥陀如来坐像
    阿弥陀如来坐像は、お腹の前で第一、第二指を捻って定印を結び、そして左足を外上にして胡坐をかいたような結跏趺坐をされています。この像は、寺の創建より古い平安時代後期の作とされ、光厳院の持仏だったと言われています。

    阿弥陀如来は、無限の寿命を持つことから「無量寿如来」とも言われます。限りない智慧と限りない命で人々を救い続ける西方極楽浄土の教主です。48願という誓いを立て、その中の18番目は「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くと誓っており、広く民衆から信仰されています。

  • 常照皇寺 怡雲庵 観音菩薩像<br />観音菩薩像は、地髪毛筋彫りで、頭の上に天冠台を載せています。<br />上体を勢至菩薩像以上に前傾させ、両手をお腹の前に差し出して蓮台(欠失)を捧げ、右膝を立てて両足を大きく左右に広げて坐っています。正座して片膝を付き、ほんの少し中腰になったような形です。これを「大和坐りの観音」と呼び、この坐り方をしている仏像は珍しいものだそうです。<br />観世音菩薩や観自在菩薩とも言われ、衆生の救いを求める声を観じ、自在にこれを救う菩薩です。

    常照皇寺 怡雲庵 観音菩薩像
    観音菩薩像は、地髪毛筋彫りで、頭の上に天冠台を載せています。
    上体を勢至菩薩像以上に前傾させ、両手をお腹の前に差し出して蓮台(欠失)を捧げ、右膝を立てて両足を大きく左右に広げて坐っています。正座して片膝を付き、ほんの少し中腰になったような形です。これを「大和坐りの観音」と呼び、この坐り方をしている仏像は珍しいものだそうです。
    観世音菩薩や観自在菩薩とも言われ、衆生の救いを求める声を観じ、自在にこれを救う菩薩です。

  • 常照皇寺 怡雲庵 勢至菩薩(せいしぼさつ)像<br />勢至菩薩像も、同様に地髪毛筋彫りで、頭の上に天冠台を載せています。<br />上体を前傾させて体前で合掌されています。両足は軽く左右に開いて跪座され、左膝をわずかに浮かされ、こちらも「大和坐り」です。<br />像の前方から後方へたなびく雲の表現が臨場感を湛えています。<br />観音の偉大な慈悲の力を得て智慧の光で一切を照らし、衆生に悟りを得ようとする心を起こさせることに尽力する菩薩です。

    常照皇寺 怡雲庵 勢至菩薩(せいしぼさつ)像
    勢至菩薩像も、同様に地髪毛筋彫りで、頭の上に天冠台を載せています。
    上体を前傾させて体前で合掌されています。両足は軽く左右に開いて跪座され、左膝をわずかに浮かされ、こちらも「大和坐り」です。
    像の前方から後方へたなびく雲の表現が臨場感を湛えています。
    観音の偉大な慈悲の力を得て智慧の光で一切を照らし、衆生に悟りを得ようとする心を起こさせることに尽力する菩薩です。

  • 常照皇寺 怡雲庵 釈迦如来三尊像<br />臨済宗のお寺では、釈迦如来像の脇侍仏には、左隣に大迦葉尊者、右隣に阿難尊者を配することが多いそうですが、臨済宗に改宗する前からあった三尊像なのか、獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普賢菩薩、更にその外側に地蔵菩薩を配しています。両側には十六羅漢像を随従させる様は、知らない人から見ると怖いほどです。

    常照皇寺 怡雲庵 釈迦如来三尊像
    臨済宗のお寺では、釈迦如来像の脇侍仏には、左隣に大迦葉尊者、右隣に阿難尊者を配することが多いそうですが、臨済宗に改宗する前からあった三尊像なのか、獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普賢菩薩、更にその外側に地蔵菩薩を配しています。両側には十六羅漢像を随従させる様は、知らない人から見ると怖いほどです。

  • 常照皇寺 怡雲庵 内陣<br />正面奥にある壁龕には、袈裟を着た落飾後の思慮に耽る開祖 光厳院と思しき坐像が霊気を帯びて鎮座され、本尊として祀られています。扁額には「光厳」とあります。<br />目線を落したリアルな姿は、今にも動き出しそうな雰囲気に満ち、言葉を失うほどです。波乱万丈の人生を送られた方にしては、達観した穏やかな表情をなされており、ホッとします。地元の伝承では、この地に逃れるために上皇が歩いた道々では、追っ手を恐れて御付の者がすぐに足跡を消したと伝えられていますが、その面影は見られません。

    常照皇寺 怡雲庵 内陣
    正面奥にある壁龕には、袈裟を着た落飾後の思慮に耽る開祖 光厳院と思しき坐像が霊気を帯びて鎮座され、本尊として祀られています。扁額には「光厳」とあります。
    目線を落したリアルな姿は、今にも動き出しそうな雰囲気に満ち、言葉を失うほどです。波乱万丈の人生を送られた方にしては、達観した穏やかな表情をなされており、ホッとします。地元の伝承では、この地に逃れるために上皇が歩いた道々では、追っ手を恐れて御付の者がすぐに足跡を消したと伝えられていますが、その面影は見られません。

  • 常照皇寺 怡雲庵 光厳院坐像<br />この像は光厳院の念じ仏との説もあるそうですが、禅宗は仏像を崇拝しませんから、このお寺が天台宗「成就寺」だった頃に造られたという説の方が信憑性がありそうです。

    常照皇寺 怡雲庵 光厳院坐像
    この像は光厳院の念じ仏との説もあるそうですが、禅宗は仏像を崇拝しませんから、このお寺が天台宗「成就寺」だった頃に造られたという説の方が信憑性がありそうです。

  • 常照皇寺 怡雲庵 順覚像<br />実際には暗くて写真のようには見え難いのですが、左手前には付き人の順覚さんの像も安置されています。光厳院が南北朝の諍いで犠牲になった者たちの霊を弔うために諸国遍歴された時、ただ一人お供した方です。<br />紀ノ川の橋を渡る際、光厳院の身分を知らぬ荒くれ武士らに橋から突き落される羽目にも遭ったそうです。この時の武士が後に光厳院の正体を知って後悔し、光厳院のもとにやって来て「弟子にしてください」と懇願したそうですが、「私のような者に弟子はいりませんよ」とやさしく諭されたそうです。

    常照皇寺 怡雲庵 順覚像
    実際には暗くて写真のようには見え難いのですが、左手前には付き人の順覚さんの像も安置されています。光厳院が南北朝の諍いで犠牲になった者たちの霊を弔うために諸国遍歴された時、ただ一人お供した方です。
    紀ノ川の橋を渡る際、光厳院の身分を知らぬ荒くれ武士らに橋から突き落される羽目にも遭ったそうです。この時の武士が後に光厳院の正体を知って後悔し、光厳院のもとにやって来て「弟子にしてください」と懇願したそうですが、「私のような者に弟子はいりませんよ」とやさしく諭されたそうです。

  • 常照皇寺 怡雲庵 内陣<br />花頭窓(かとうまど)が禅寺を象徴しています。<br />窓枠の頭部を火炎を思わせる火炎形(火灯曲線)または花形(花頭曲線)状に造られた特殊な形をした窓の総称です。元々は火頭窓と書いていたそうですが、火災を連想させる「火」の文字を嫌って「花」を当てるようになったようです。紫式部が源氏物語』を執筆した石山寺の部屋「源氏の間」にもこの形の窓があり、通称「源氏窓」とも呼ばれています。<br />さて、花頭窓のルーツですが、一説には「サラセン建築」由来と言われています。今で言うイスラム建築のことを指し、それが中国に伝来し、変形して鎌倉時代に禅宗と一緒に日本に伝来したとされています。<br />「サラセン花頭窓」と呼ばれる窓を有する本願寺伝道院は、次のサイトを参照してください。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39761957

    常照皇寺 怡雲庵 内陣
    花頭窓(かとうまど)が禅寺を象徴しています。
    窓枠の頭部を火炎を思わせる火炎形(火灯曲線)または花形(花頭曲線)状に造られた特殊な形をした窓の総称です。元々は火頭窓と書いていたそうですが、火災を連想させる「火」の文字を嫌って「花」を当てるようになったようです。紫式部が源氏物語』を執筆した石山寺の部屋「源氏の間」にもこの形の窓があり、通称「源氏窓」とも呼ばれています。
    さて、花頭窓のルーツですが、一説には「サラセン建築」由来と言われています。今で言うイスラム建築のことを指し、それが中国に伝来し、変形して鎌倉時代に禅宗と一緒に日本に伝来したとされています。
    「サラセン花頭窓」と呼ばれる窓を有する本願寺伝道院は、次のサイトを参照してください。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39761957

  • 常照皇寺 怡雲庵 出入口<br />禅寺ならでは花頭窓と紅葉の競演です。

    常照皇寺 怡雲庵 出入口
    禅寺ならでは花頭窓と紅葉の競演です。

  • 常照皇寺 書院<br />庫裏玄関の左脇(入口とは反対側)にある戸口から庭園へ出ることができます。<br />書院は3間続きの簡素な造りですが、書院玄関の飾り幕には菊の御紋が染め抜かれ、高貴さを感じさせます。<br />

    常照皇寺 書院
    庫裏玄関の左脇(入口とは反対側)にある戸口から庭園へ出ることができます。
    書院は3間続きの簡素な造りですが、書院玄関の飾り幕には菊の御紋が染め抜かれ、高貴さを感じさせます。

  • 常照皇寺 書院玄関<br />妻先の懸魚の彫刻は菊です。<br />

    常照皇寺 書院玄関
    妻先の懸魚の彫刻は菊です。

  • 常照皇寺 書院玄関<br />欄間に彫られた鶴は繊細で端正な面持ちをし、今にも飛び立ちそうです。

    常照皇寺 書院玄関
    欄間に彫られた鶴は繊細で端正な面持ちをし、今にも飛び立ちそうです。

  • 常照皇寺 庫裏<br />こうして庫裏を横から眺めてみると「むくり屋根」になっていることがよく判ります。

    常照皇寺 庫裏
    こうして庫裏を横から眺めてみると「むくり屋根」になっていることがよく判ります。

  • 常照皇寺 <br />庭園への出入口となる中門の傍らには、菊の紋章らしきものを有する鬼瓦が置かれています。<br />花弁の部分は銅板製でしょうか?

    常照皇寺
    庭園への出入口となる中門の傍らには、菊の紋章らしきものを有する鬼瓦が置かれています。
    花弁の部分は銅板製でしょうか?

  • 常照皇寺 方丈<br />方丈は、茅葺農家の趣を湛え、素朴な佇まいを見せています。背後から迫る山肌にしっくりと馴染み、寺院建築という穿った印象を感じさせないのが不思議です。千木の馬乗りの数は7本あり、方丈の大きさと品格の高さを窺わせます。<br /><br />方丈の格式とは対照的に、手前の軒下では古びた燈篭の中に裸電球を吊り下げています。このように古いものを大切に使い続ける哲学が、常照皇寺が持つ独特の空気を支えているのかもしれません。

    常照皇寺 方丈
    方丈は、茅葺農家の趣を湛え、素朴な佇まいを見せています。背後から迫る山肌にしっくりと馴染み、寺院建築という穿った印象を感じさせないのが不思議です。千木の馬乗りの数は7本あり、方丈の大きさと品格の高さを窺わせます。

    方丈の格式とは対照的に、手前の軒下では古びた燈篭の中に裸電球を吊り下げています。このように古いものを大切に使い続ける哲学が、常照皇寺が持つ独特の空気を支えているのかもしれません。

  • 常照皇寺 方丈<br />扁額「方丈」の瑠璃色と言うかコバルトブルーは、白木造の中にあって目が覚めるほど鮮やかでインパクト大です。<br />「方丈」には禅寺では住職の居室という意味があります。方丈の周囲には勾欄を巡らし、開山堂とは渡り廊下で結んでいます。

    常照皇寺 方丈
    扁額「方丈」の瑠璃色と言うかコバルトブルーは、白木造の中にあって目が覚めるほど鮮やかでインパクト大です。
    「方丈」には禅寺では住職の居室という意味があります。方丈の周囲には勾欄を巡らし、開山堂とは渡り廊下で結んでいます。

  • 常照皇寺 方丈<br />扁額「大乗善根界 (だいじょうぜんこんかい)」が掲げられています。<br />「大乗」とは大きな乗り物の意味であり、ブッダの教えに従って出家し悟りを開くことは、自分ひとりのためではなく、広く人々を救済するためのものであるという思想です。<br />「善根」とは、善を樹木の根に例えたもので、根が花や果実を付ける元であるのと同様、善は良い果報をもたらす元とのことから作られた言葉です。

    常照皇寺 方丈
    扁額「大乗善根界 (だいじょうぜんこんかい)」が掲げられています。
    「大乗」とは大きな乗り物の意味であり、ブッダの教えに従って出家し悟りを開くことは、自分ひとりのためではなく、広く人々を救済するためのものであるという思想です。
    「善根」とは、善を樹木の根に例えたもので、根が花や果実を付ける元であるのと同様、善は良い果報をもたらす元とのことから作られた言葉です。

  • 常照皇寺 方丈<br />「納豆だけは口にしない」とのたまう関西人は多いようですが、納豆のルーツは関西という説もあります。この京北エリアでは、冬に茹でた大豆を藁で包んで発酵させる「わらつと納豆」を作る習慣があります。また、お正月には、餅に納豆を包んだ「納豆もち」を食べるそうです。<br />納豆を京北発祥とする逸話を2つ紹介いたします。<br />質素な生活を送りながら、厳しい修行に励む光厳院の姿を目にした里人は、煮た大豆を藁に包んで献上しました。ところが、少しずつ大切に食べていたところ、豆が糸を引くようになりました。里人からの志の品を粗末にできず、それに塩をかけたところ大変美味しくなり、里人に振るまったことで広まったそうです。<br />実際、この常照皇寺には「山国納豆」の木版や、光厳院の生涯を描いた絵巻に檀家へ納豆を振舞う姿が描かれており、古来よりこの地で納豆を作っていたことの証となっています。<br />もうひとつは、平安時代後期の武将 源義家、別名「八幡太郎」の武勇談です。奥州攻めの折、馬の餌に煮豆を俵に詰めて移動中、偶然発酵して納豆ができたと伝えられています。糸を引いた大豆を食べた八幡太郎の勇気には脱帽です。水戸や会津、仙台、横手など義家が奥州攻めの際に通ったルートで納豆食が盛んなのは、「京北から納豆文化が広められた証拠」とも言われています。<br />では、発祥が関西なのに何故これほど嫌われ者なのでしょうか?<br />関東では冬の保存食として納豆が日常食になったが、比較的温暖な関西では重視されず根付かなかったためと考えられているようです。

    常照皇寺 方丈
    「納豆だけは口にしない」とのたまう関西人は多いようですが、納豆のルーツは関西という説もあります。この京北エリアでは、冬に茹でた大豆を藁で包んで発酵させる「わらつと納豆」を作る習慣があります。また、お正月には、餅に納豆を包んだ「納豆もち」を食べるそうです。
    納豆を京北発祥とする逸話を2つ紹介いたします。
    質素な生活を送りながら、厳しい修行に励む光厳院の姿を目にした里人は、煮た大豆を藁に包んで献上しました。ところが、少しずつ大切に食べていたところ、豆が糸を引くようになりました。里人からの志の品を粗末にできず、それに塩をかけたところ大変美味しくなり、里人に振るまったことで広まったそうです。
    実際、この常照皇寺には「山国納豆」の木版や、光厳院の生涯を描いた絵巻に檀家へ納豆を振舞う姿が描かれており、古来よりこの地で納豆を作っていたことの証となっています。
    もうひとつは、平安時代後期の武将 源義家、別名「八幡太郎」の武勇談です。奥州攻めの折、馬の餌に煮豆を俵に詰めて移動中、偶然発酵して納豆ができたと伝えられています。糸を引いた大豆を食べた八幡太郎の勇気には脱帽です。水戸や会津、仙台、横手など義家が奥州攻めの際に通ったルートで納豆食が盛んなのは、「京北から納豆文化が広められた証拠」とも言われています。
    では、発祥が関西なのに何故これほど嫌われ者なのでしょうか?
    関東では冬の保存食として納豆が日常食になったが、比較的温暖な関西では重視されず根付かなかったためと考えられているようです。

  • 常照皇寺 開山堂<br />破風屋根を載せているのが開山堂です。<br />こうして見ると結構大きな堂宇です。

    常照皇寺 開山堂
    破風屋根を載せているのが開山堂です。
    こうして見ると結構大きな堂宇です。

  • 常照皇寺 渡り廊下<br />方丈と開山堂を結ぶ白木造の渡り廊下です。<br />手前の真紅の紅葉と白木の回廊、その先にある黄葉紅葉のコントラストが絶妙です。

    常照皇寺 渡り廊下
    方丈と開山堂を結ぶ白木造の渡り廊下です。
    手前の真紅の紅葉と白木の回廊、その先にある黄葉紅葉のコントラストが絶妙です。

  • 常照皇寺 渡り廊下<br />渡り廊下には明りが灯され、よく見ると蟇股には菊の紋章が彫られています。

    常照皇寺 渡り廊下
    渡り廊下には明りが灯され、よく見ると蟇股には菊の紋章が彫られています。

  • 常照皇寺 怡雲庵<br />開山堂は別名「怡雲庵」とも呼ばれ、扁額にはその名を書いたものが掲げられています。<br />怡には喜ぶという意味があります。雲が沸き立つようなイメージでしょうか?<br />扉の木目に注目してください。左右対称に配され、あたかも雲が遊んでいるような趣を湛えています。また、繊細な彫刻も見応えがあります。<br />

    常照皇寺 怡雲庵
    開山堂は別名「怡雲庵」とも呼ばれ、扁額にはその名を書いたものが掲げられています。
    怡には喜ぶという意味があります。雲が沸き立つようなイメージでしょうか?
    扉の木目に注目してください。左右対称に配され、あたかも雲が遊んでいるような趣を湛えています。また、繊細な彫刻も見応えがあります。

  • 常照皇寺 石塔<br />開山堂の右手奥には、累々とした石塔(供養塔)群が安置されています。<br />日本には、古代から今日まで2種類のお墓があります。中国起源の「墓」とインド起源の「塔」です。お墓を意味する「塔」は、古代インド語「ストゥーパ」が起源です。ストゥーパは釈迦の遺骨「仏舎利」を納めた墓であり、供養と礼拝をする大切な場所でした。中国では「卒塔婆」などの字が宛てられ、略して「塔婆」や「塔」と呼ばれました。<br />「石塔」は石の卒塔婆の略です。石で造られた釈迦の仏舎利を納めた墓、つまり石の「仏塔」です。年月を経て「亡くなった人は皆仏様になる」という「成仏」の教えが広まるにつれ、卒塔婆が「人々の骨を納める墓」へと変わたのが石塔や供養塔だそうです。

    常照皇寺 石塔
    開山堂の右手奥には、累々とした石塔(供養塔)群が安置されています。
    日本には、古代から今日まで2種類のお墓があります。中国起源の「墓」とインド起源の「塔」です。お墓を意味する「塔」は、古代インド語「ストゥーパ」が起源です。ストゥーパは釈迦の遺骨「仏舎利」を納めた墓であり、供養と礼拝をする大切な場所でした。中国では「卒塔婆」などの字が宛てられ、略して「塔婆」や「塔」と呼ばれました。
    「石塔」は石の卒塔婆の略です。石で造られた釈迦の仏舎利を納めた墓、つまり石の「仏塔」です。年月を経て「亡くなった人は皆仏様になる」という「成仏」の教えが広まるにつれ、卒塔婆が「人々の骨を納める墓」へと変わたのが石塔や供養塔だそうです。

  • 常照皇寺 小塔<br />かつては、この場所に光厳院が南北朝時代の戦乱で犠牲になった者たちの慰霊のために建立して冥福を祈った小塔があったそうです。現在は、同じ場所に新しい小塔が建てられています。<br />光厳院の故事に倣い、第2次世界大戦中に山国や黒田、広河原地区から215人の戦死者が出たため、1994年にその遺族の方々が冥福を祈念して建てられたものだそうです。合掌。

    常照皇寺 小塔
    かつては、この場所に光厳院が南北朝時代の戦乱で犠牲になった者たちの慰霊のために建立して冥福を祈った小塔があったそうです。現在は、同じ場所に新しい小塔が建てられています。
    光厳院の故事に倣い、第2次世界大戦中に山国や黒田、広河原地区から215人の戦死者が出たため、1994年にその遺族の方々が冥福を祈念して建てられたものだそうです。合掌。

  • 常照皇寺 <br />舎利殿からは、五重石塔がひっそりと佇む池泉回遊式庭園を俯瞰することができます。<br />

    常照皇寺
    舎利殿からは、五重石塔がひっそりと佇む池泉回遊式庭園を俯瞰することができます。

  • 常照皇寺 九重桜<br />開山堂前にあるのが、2代目「九重桜」です。その脇にある2本が3代目です。2代目は数年前の大雪で幹が折れ、見るも無惨な寂しい姿に身を窶していますが、気丈にも一部はまだ花を咲かせるらしく、これがまた「もののあはれ」を誘うそうです。しかし、3代目のクローン桜がすくすくと育っており、こちらは春が来るのが愉しみといった感じです。<br />こうして見ると、どことなく「ゴジラ」を彷彿とさせるフォルムです。また、痛々しい空洞は、「ハートの形」に見えませんか???シャッハロールテストのように、想像力を掻き立てる老桜です。<br />因みに、この桜の名前「九重」は、光厳院のお后の名前だと言われています。しかし諸説あり、中世中国の城郭が幾重にも囲われていたことから、宮中を表現したものとの説もあります。

    常照皇寺 九重桜
    開山堂前にあるのが、2代目「九重桜」です。その脇にある2本が3代目です。2代目は数年前の大雪で幹が折れ、見るも無惨な寂しい姿に身を窶していますが、気丈にも一部はまだ花を咲かせるらしく、これがまた「もののあはれ」を誘うそうです。しかし、3代目のクローン桜がすくすくと育っており、こちらは春が来るのが愉しみといった感じです。
    こうして見ると、どことなく「ゴジラ」を彷彿とさせるフォルムです。また、痛々しい空洞は、「ハートの形」に見えませんか???シャッハロールテストのように、想像力を掻き立てる老桜です。
    因みに、この桜の名前「九重」は、光厳院のお后の名前だと言われています。しかし諸説あり、中世中国の城郭が幾重にも囲われていたことから、宮中を表現したものとの説もあります。

  • 常照皇寺 勅使門<br />どこを切り取っても実に絵になるお寺ですので、東山魁夷画伯も絵筆を執られています。画伯は、この勅使門に心惹かれて『京洛四季 東山魁夷小画集』の中で「門」と題しています。川端康成から「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」と勧められて描いた連作のひとつです。<br />絵を見た時、透かしから覗く木々の緑の美しさに感動して絵筆を執られたのだと思いましたが、実際にこうして間近で門を見てみると、透かし自体が手の込んだ模様細工であることに気付かされます。まるで木を捻って細工した工芸品を彷彿とさせます。それ自体精巧なアートなのですが、さらにその透かしの先に輝く若葉の萌黄色にも固唾を呑んだのでしょう。<br />京洛四季の「門」はこちらのサイトを参照ください。<br />http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/41/N000/000/002/138958870061924968226_img005.jpg

    常照皇寺 勅使門
    どこを切り取っても実に絵になるお寺ですので、東山魁夷画伯も絵筆を執られています。画伯は、この勅使門に心惹かれて『京洛四季 東山魁夷小画集』の中で「門」と題しています。川端康成から「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」と勧められて描いた連作のひとつです。
    絵を見た時、透かしから覗く木々の緑の美しさに感動して絵筆を執られたのだと思いましたが、実際にこうして間近で門を見てみると、透かし自体が手の込んだ模様細工であることに気付かされます。まるで木を捻って細工した工芸品を彷彿とさせます。それ自体精巧なアートなのですが、さらにその透かしの先に輝く若葉の萌黄色にも固唾を呑んだのでしょう。
    京洛四季の「門」はこちらのサイトを参照ください。
    http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/41/N000/000/002/138958870061924968226_img005.jpg

  • 常照皇寺 勅使門<br />門扉には透かし七宝を彷彿とさせる精巧な細工が施され、その先にある錦繍に彩られた紅葉と絶妙なハーモニーを奏でています。<br />

    常照皇寺 勅使門
    門扉には透かし七宝を彷彿とさせる精巧な細工が施され、その先にある錦繍に彩られた紅葉と絶妙なハーモニーを奏でています。

  • 常照皇寺 勅使門<br />光と影が織りなすトリックでしょうか?<br />彫刻とは思えないほどの巧妙な細工に目を瞠ります。<br />改めて東山魁夷画伯の心眼に脱帽です。

    常照皇寺 勅使門
    光と影が織りなすトリックでしょうか?
    彫刻とは思えないほどの巧妙な細工に目を瞠ります。
    改めて東山魁夷画伯の心眼に脱帽です。

  • 常照皇寺 勅使門<br />楓の葉が邪魔して見難いのですが、妻飾りの懸魚には確かに亀が彫られています。<br />表裏で「鶴亀」のペアになっています。

    常照皇寺 勅使門
    楓の葉が邪魔して見難いのですが、妻飾りの懸魚には確かに亀が彫られています。
    表裏で「鶴亀」のペアになっています。

  • 常照皇寺 御車返しの桜<br />方丈前の「御車返しの桜」は、かつて後水尾天皇がその美しさから何度も車を返し別れを惜しんだという事からこの名前が付いたと言われています。一重と八重が一枝に咲く珍しい桜だそうです。<br />

    常照皇寺 御車返しの桜
    方丈前の「御車返しの桜」は、かつて後水尾天皇がその美しさから何度も車を返し別れを惜しんだという事からこの名前が付いたと言われています。一重と八重が一枝に咲く珍しい桜だそうです。

  • 常照皇寺 <br />苔生した切り株に生えたキノコです。表面の色は青黒色や灰色、黄褐色などの微毛が交互に同心円状に密生し、切り株の年輪を彷彿とさせる独特の模様には息を呑みます。また、縁取りはウェーブしたような形をしています。<br />図鑑で調べた結果、サルノコシカケ科カワラタケではないかと思われます。<br />苦味が強いため食用には向かないようですが、抗癌剤に使われたり漢方薬になるとあります。癌の薬として開発されたクレスチンという物質は、このカワラタケから抽出されたものとされています。

    常照皇寺
    苔生した切り株に生えたキノコです。表面の色は青黒色や灰色、黄褐色などの微毛が交互に同心円状に密生し、切り株の年輪を彷彿とさせる独特の模様には息を呑みます。また、縁取りはウェーブしたような形をしています。
    図鑑で調べた結果、サルノコシカケ科カワラタケではないかと思われます。
    苦味が強いため食用には向かないようですが、抗癌剤に使われたり漢方薬になるとあります。癌の薬として開発されたクレスチンという物質は、このカワラタケから抽出されたものとされています。

  • 常照皇寺 勅使門 門塀<br />勅使門から繋がる塀の屋根も潤沢な苔を載せています。<br /><br />もっとゆっくり拝観したかったのですが、バスの出発時間が押し迫ってきたため、やむなく下山します。<br />雨上がりは参道の延べ段が滑り易いので足元に要注意です。

    常照皇寺 勅使門 門塀
    勅使門から繋がる塀の屋根も潤沢な苔を載せています。

    もっとゆっくり拝観したかったのですが、バスの出発時間が押し迫ってきたため、やむなく下山します。
    雨上がりは参道の延べ段が滑り易いので足元に要注意です。

  • 常照皇寺 勅額門<br />光厳院が檀家に与した誡(いましえ)の中に、「流行り寺は廃り寺」という言葉があります。「お寺は大きくしなくていい。皆さんそれぞれの務めに励んでください」との意味が込められています。<br />確かに人道としての正気(せいき)が薫ってくるようなお寺でした。<br />これぞ光厳院が後世に遺そうとした精神の高みなのかもしれません。

    常照皇寺 勅額門
    光厳院が檀家に与した誡(いましえ)の中に、「流行り寺は廃り寺」という言葉があります。「お寺は大きくしなくていい。皆さんそれぞれの務めに励んでください」との意味が込められています。
    確かに人道としての正気(せいき)が薫ってくるようなお寺でした。
    これぞ光厳院が後世に遺そうとした精神の高みなのかもしれません。

  • 常照皇寺 勅額門<br />起き上がり小法師の「だるま」さんのモチーフとなった達磨大師は、禅宗の僧侶です。「達磨」はサンスクリット語で「法」を意味するそうです。5〜6世紀頃にインド南部の王国の王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶です。国王が亡くなった後、出家して僧侶になりました。般若多羅という高僧の元で40年程修行の後、インド各地に仏教の教えを広めて歩きました。インドでは数々の神通力を発揮して多くの信者を得てお寺も興しましたが、般若多羅の遺言に従って中国へ布教の旅へ出かけ、神通力を駆使した伝説が数多く残されています。死後、達磨は「偉大なる師」という意味で高僧の敬称として使われる「大師」号を贈られ、禅宗の開祖として人々に敬われ、今に伝わっています。<br />達磨大師は、お寺の裏山の洞窟の岩壁に向かって、9年間も座禅を組んで修行を行ったと言われています。長い間座禅を組んだことで、手足が萎えて腐ってしまったとの伝説があります。そのために、「だるま」には手足がないそうです。しかし、古いだるまには、胡坐をかいた足や胸元で組んだ手が認められるものもあり、法衣の下に隠れた手足が徐々に簡略されて丸くなっていったため、手足がないように見えたと言うことです。<br />一方、達磨大師は150歳まで長生きしたそうです。腑に落ちないのはその死因です。論敵に毒を盛られて坐禅したまま命尽きたとの暗殺説が有力です。こんなに徳を積んだ方でも、こんな死にざまなのは何とも不条理です。命日の10月5日は、達磨忌とされています。<br />因みに、「ざぜんそう」は、座禅を組んだ達磨大師に見立た命名だそうです。

    常照皇寺 勅額門
    起き上がり小法師の「だるま」さんのモチーフとなった達磨大師は、禅宗の僧侶です。「達磨」はサンスクリット語で「法」を意味するそうです。5〜6世紀頃にインド南部の王国の王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶です。国王が亡くなった後、出家して僧侶になりました。般若多羅という高僧の元で40年程修行の後、インド各地に仏教の教えを広めて歩きました。インドでは数々の神通力を発揮して多くの信者を得てお寺も興しましたが、般若多羅の遺言に従って中国へ布教の旅へ出かけ、神通力を駆使した伝説が数多く残されています。死後、達磨は「偉大なる師」という意味で高僧の敬称として使われる「大師」号を贈られ、禅宗の開祖として人々に敬われ、今に伝わっています。
    達磨大師は、お寺の裏山の洞窟の岩壁に向かって、9年間も座禅を組んで修行を行ったと言われています。長い間座禅を組んだことで、手足が萎えて腐ってしまったとの伝説があります。そのために、「だるま」には手足がないそうです。しかし、古いだるまには、胡坐をかいた足や胸元で組んだ手が認められるものもあり、法衣の下に隠れた手足が徐々に簡略されて丸くなっていったため、手足がないように見えたと言うことです。
    一方、達磨大師は150歳まで長生きしたそうです。腑に落ちないのはその死因です。論敵に毒を盛られて坐禅したまま命尽きたとの暗殺説が有力です。こんなに徳を積んだ方でも、こんな死にざまなのは何とも不条理です。命日の10月5日は、達磨忌とされています。
    因みに、「ざぜんそう」は、座禅を組んだ達磨大師に見立た命名だそうです。

  • 常照皇寺 池泉回遊式庭園<br />未練がましく、碧潭池の散策路を門塀に沿って左へ入った所から勅使門を振り返ります。

    常照皇寺 池泉回遊式庭園
    未練がましく、碧潭池の散策路を門塀に沿って左へ入った所から勅使門を振り返ります。

  • 常照皇寺 <br />さらに進むと、光厳院の墓所がある山国陵(やまぐにのみささぎ)へと続く下から登ってくる参道と合流します。山国陵のさらに奥には、後花園天皇の墓所 後山国陵や後土御門天皇の分骨所があります。<br />しっとりと苔生した石段と紅葉や散り紅葉のコントラストが筆舌に尽し難い美しさで迫ってきます。これぞ絶景です!<br />陵墓の管理は宮内庁の管轄のため途中までしか行けませんが、苔生した石段の聖域は足を踏み入れるのが憚られるほどです。このような苔の状態が保たれているのは、きっと同じような気持ちの方が多いためなのでしょう。

    常照皇寺
    さらに進むと、光厳院の墓所がある山国陵(やまぐにのみささぎ)へと続く下から登ってくる参道と合流します。山国陵のさらに奥には、後花園天皇の墓所 後山国陵や後土御門天皇の分骨所があります。
    しっとりと苔生した石段と紅葉や散り紅葉のコントラストが筆舌に尽し難い美しさで迫ってきます。これぞ絶景です!
    陵墓の管理は宮内庁の管轄のため途中までしか行けませんが、苔生した石段の聖域は足を踏み入れるのが憚られるほどです。このような苔の状態が保たれているのは、きっと同じような気持ちの方が多いためなのでしょう。

  • 常照皇寺 勅額門<br />後ろ髪を引かれながら振り返り、これで境内も見納めです。

    常照皇寺 勅額門
    後ろ髪を引かれながら振り返り、これで境内も見納めです。

  • 常照皇寺 参道<br />眼下には情緒ある風景が延々と伸びています。<br />常照皇寺のエピローグとしては申し分ありません。

    常照皇寺 参道
    眼下には情緒ある風景が延々と伸びています。
    常照皇寺のエピローグとしては申し分ありません。

  • 常照皇寺 <br />山門の手前から右に分岐している山国陵への参道がこちらです。<br />こちらも苔生した小径の風情を湛えています。<br />ひとり歩く後ろ姿も映画のワンシーンのようで絵になります。

    常照皇寺
    山門の手前から右に分岐している山国陵への参道がこちらです。
    こちらも苔生した小径の風情を湛えています。
    ひとり歩く後ろ姿も映画のワンシーンのようで絵になります。

  • 常照皇寺<br />バス到着は10:55、出発は11:55でした。<br />散策時間は1時間でしたが、ぜんぜん足りませんでした。しかし、余裕を持って5分前にバスに戻ったら最後でした。皆さんあっさりしすぎのように思います。<br />到着時は駐車場に乗用車が4台駐車しているだけでしたが、出発時にはツアーの大型バスが2台増えていました。桜や紅葉の季節には、開門の9時に訪れるのが賢明のようです。<br />尚、境内に公衆トイレはありません。駐車場に設置されたトイレを利用することになります。

    常照皇寺
    バス到着は10:55、出発は11:55でした。
    散策時間は1時間でしたが、ぜんぜん足りませんでした。しかし、余裕を持って5分前にバスに戻ったら最後でした。皆さんあっさりしすぎのように思います。
    到着時は駐車場に乗用車が4台駐車しているだけでしたが、出発時にはツアーの大型バスが2台増えていました。桜や紅葉の季節には、開門の9時に訪れるのが賢明のようです。
    尚、境内に公衆トイレはありません。駐車場に設置されたトイレを利用することになります。

  • 常照皇寺 <br />蓮の蕾を持たれていますから、観音菩薩(聖観音菩薩)像だと思われます。<br />慈悲の仏です。世の中のあらゆる人々の救いを求める声を聞き届け、あらゆる手段で救済してくれる仏です。千手観音、十一面観音などを変化観音と言い、このような一面二臂の観音は聖(しょう)観音と呼び、正規のものとして区別しているそうです。宝冠に阿弥陀如来の化仏を付け、手に蓮の蕾を持ちます。阿弥陀如来の脇持として、勢至菩薩と共に祀られることが多いようです。怡雲庵の阿弥陀如来三尊像もこの組合せでした。 <br />蓮は、「泥より出でて、泥に染まらず」、俗世にまみれず、悟りを開いた仏を象徴する花です。

    常照皇寺
    蓮の蕾を持たれていますから、観音菩薩(聖観音菩薩)像だと思われます。
    慈悲の仏です。世の中のあらゆる人々の救いを求める声を聞き届け、あらゆる手段で救済してくれる仏です。千手観音、十一面観音などを変化観音と言い、このような一面二臂の観音は聖(しょう)観音と呼び、正規のものとして区別しているそうです。宝冠に阿弥陀如来の化仏を付け、手に蓮の蕾を持ちます。阿弥陀如来の脇持として、勢至菩薩と共に祀られることが多いようです。怡雲庵の阿弥陀如来三尊像もこの組合せでした。
    蓮は、「泥より出でて、泥に染まらず」、俗世にまみれず、悟りを開いた仏を象徴する花です。

  • 今回の旅行のメインディッシュとなる「かやぶきの里」へ向けてバスはゆっくり走り出しました。常照皇寺からは、40分程で到着します。<br />その間にバスの中でランチをいただきます。「ウッディ京北」で調達した鯖寿司とおいなりさんのセット(400円)をほおばります。ランチならこれくらいでお腹一杯になると思います。<br />鯖は肉厚で、臭みもすっぱさもなく、さすが「西の鯖街道!」と唸らせるほど美味しかったです。<br />名物「焼き鯖寿司」もあります。ボリュームがあるので2人で分けると丁度よいかも!<br /><br />この続きは、美山紀行③かやぶきの里<前編>でお届けいたします。

    今回の旅行のメインディッシュとなる「かやぶきの里」へ向けてバスはゆっくり走り出しました。常照皇寺からは、40分程で到着します。
    その間にバスの中でランチをいただきます。「ウッディ京北」で調達した鯖寿司とおいなりさんのセット(400円)をほおばります。ランチならこれくらいでお腹一杯になると思います。
    鯖は肉厚で、臭みもすっぱさもなく、さすが「西の鯖街道!」と唸らせるほど美味しかったです。
    名物「焼き鯖寿司」もあります。ボリュームがあるので2人で分けると丁度よいかも!

    この続きは、美山紀行③かやぶきの里<前編>でお届けいたします。

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