2015/10/23 - 2015/10/23
83位(同エリア167件中)
ミールさん
この日は泊まったホテルの前の道が旧甲州街道だったため、玄関を出た瞬間からスタートできました。しかしそんな順調なスタートとは裏腹に、途中で足の痛みがピークに達してしまい、15キロくらい歩いて帰ることにしました。
足を復活させてパワーアップして戻ってくるぞ!と、のどかな景色が広がる中で一人誓い、信玄餅を買ってとぼとぼと帰ってきました。
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上宿の水神塔と水神宮碑。明治31年に起きた風水害で、この一帯は濁流にのまれて大きな被害を受けたそうです。
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武田信玄がこの辺りの村を水害から守るために治水工事を行い、その時に堤防に並べられた巨大な石が十六石だそうです。
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こちらは昭和34年に襲った台風の水難供養塔。この通りの石碑の数々を見ていると、近くを流れる釜無川の暴れっぷりがよくわかります。
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国道からそれて旧道を歩いているときに見つけた神明宮。
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祖母石の赤地蔵。実際には地蔵ではありませんが、地元では赤地蔵と呼んで信仰しているそうです。
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たくさんの神様が祀られていますが、これらもやっぱり水害のためなんでしょうか。
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てくてくと農道を歩きます。ちなみに上のほうには国道20号が走っています。
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農道らしいのどかな風景。
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これが暴れん坊の釜無川。
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こういう家がちらほらあると、旧甲州街道を歩いている実感があります。
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小武川にかかる小武川橋を渡ります。
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北杜市武川町に入りました。
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一里塚跡(甲府からは六里(約23.4キロ))。
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大武川にかかる大武川橋を渡ります。ダンプカーが通ると揺れますが、さすがに小武川橋よりも見た目が立派です。
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国道を歩きましたが、周りはこんな感じ。
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古道入口とありますが道らしきものが見当たらなかったため、そのまま国道を歩くことに。
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工場の壁のおかげで、台ケ原宿に入ったことがわかりました。
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台ケ原宿にはちらほらと観光客がいて、久しぶりに宿場町らしい宿場町でした。
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台ケ原宿本陣跡。
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本陣跡の横にあった常夜灯。
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日本橋でお馴染みの日本の道100選のマークがここにもありました。
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1749年頃に移住してきた北原家が営む七賢酒造。明治時代には北原銀行という銀行まで営業していたとか。
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北原家は本陣ではありませんでしたが、明治天皇は北原家に泊まっていたようです。よほど居心地が良かったのでしょうか。
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信玄餅を販売している金精軒。先ほど、でかでかと『此処より台ケ原宿』と壁に書いてあったのは、なんとこの金精軒の工場でした。
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こちらが金精軒の信玄餅。ちなみに、『最初に信玄餅を売り出したのが桔梗屋、商標を取得して売っているのが金精軒』だそうです。厳密に言うと、桔梗屋が販売しているのは桔梗信玄餅で、金精軒が販売しているのが信玄餅。
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甲州街道を通って宇治茶を江戸へ運ぶ一行が宿泊していた田中神社。
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白州町(現在の北杜市白州町)のマンホール。
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日本橋から43番目の台ケ原の一里塚跡。
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足の疲れがピークに達したために旧道から国道に戻り、道の駅はくしゅうの前のバス停から帰りました。
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こちらが道の駅はくしゅう。次回はここからスタートです。
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