国分寺・小金井旅行記(ブログ) 一覧に戻る
好天が続いた今年のシルバーウィーク・・・9月21日の敬老の日に、孫を連れて久し振りに小金井公園に出かけました。<br />息子たちが小学生の頃、家から自転車に乗ってお弁当を持って遊びに来たことを思い出しますが、そこにまた孫と一緒に来られるなんて、元気でいて良かったなと思えるひと時でした。<br />昭和29年に開園した「花と緑のひろびろ空間」小金井公園は26,500本の木があり、広さも都立公園の中で最大・・・子供にとっては最高のあそび場ですが、何しろ広いので歩くだけで大変。<br />でも、「江戸東京たてもの園」など見所もあり、家族連れで一日楽しめる公園です。<br />帰りは、小平の「ふれあい下水道館」に寄ってみました。<br />この施設に来ると、生活に欠かせない下水道のことがよく分かり、本物の下水道まで見学できるなど、子供の社会科見学にはピッタリのスポット・・・孫にとっては充実した一日になったようでした。<br />写真は、江戸東京たてもの園にある「デ・ラランデ邸」。

小金井公園・江戸東京たてもの園と小平・ふれあい下水道館

9いいね!

2015/09/21 - 2015/09/21

210位(同エリア475件中)

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87

ペコちゃん

ペコちゃんさん

好天が続いた今年のシルバーウィーク・・・9月21日の敬老の日に、孫を連れて久し振りに小金井公園に出かけました。
息子たちが小学生の頃、家から自転車に乗ってお弁当を持って遊びに来たことを思い出しますが、そこにまた孫と一緒に来られるなんて、元気でいて良かったなと思えるひと時でした。
昭和29年に開園した「花と緑のひろびろ空間」小金井公園は26,500本の木があり、広さも都立公園の中で最大・・・子供にとっては最高のあそび場ですが、何しろ広いので歩くだけで大変。
でも、「江戸東京たてもの園」など見所もあり、家族連れで一日楽しめる公園です。
帰りは、小平の「ふれあい下水道館」に寄ってみました。
この施設に来ると、生活に欠かせない下水道のことがよく分かり、本物の下水道まで見学できるなど、子供の社会科見学にはピッタリのスポット・・・孫にとっては充実した一日になったようでした。
写真は、江戸東京たてもの園にある「デ・ラランデ邸」。

旅行の満足度
4.5
同行者
家族旅行
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩

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  • 小金井公園には1200台が駐車できる広い駐車場がありますが、休日なので早目に車で出発し、9時に着きました。<br />公園西側に小金井街道、南側には五日市街道と玉川上水が走り、小金井街道を挟んだ<br />公園の北側には名門ゴルフ場の「小金井カントリー倶楽部」があり、とにかく広い。

    小金井公園には1200台が駐車できる広い駐車場がありますが、休日なので早目に車で出発し、9時に着きました。
    公園西側に小金井街道、南側には五日市街道と玉川上水が走り、小金井街道を挟んだ
    公園の北側には名門ゴルフ場の「小金井カントリー倶楽部」があり、とにかく広い。

  • 「江戸東京たてもの園」のオープンは9時半からなので「SL展示場」に行ってみました。<br />SL展示場は昭和50年に公開されましたが、部品の盗難などがあったため現在は3月~11月の土・日・祝日、都民の日に公開日が限定されているとのこと・・・見ることが出来てラッキーでした。

    「江戸東京たてもの園」のオープンは9時半からなので「SL展示場」に行ってみました。
    SL展示場は昭和50年に公開されましたが、部品の盗難などがあったため現在は3月~11月の土・日・祝日、都民の日に公開日が限定されているとのこと・・・見ることが出来てラッキーでした。

  • 「貴婦人」の愛称でSLファンに親しまれてきたC57形蒸気機関車の堂々とした勇姿・・・この機関車は、かつて北海道の旭川機関区で使われていたC57186、客車はかつて中央線を走っていたスハフ32ー2146で、良好な状態に整備されています。<br />眼の前で見る機関車の迫力に、孫も圧倒されています。

    「貴婦人」の愛称でSLファンに親しまれてきたC57形蒸気機関車の堂々とした勇姿・・・この機関車は、かつて北海道の旭川機関区で使われていたC57186、客車はかつて中央線を走っていたスハフ32ー2146で、良好な状態に整備されています。
    眼の前で見る機関車の迫力に、孫も圧倒されています。

  • 運転席の中はこんな感じ・・・石炭を焚くと、今にも走り出しそうな迫力です。

    運転席の中はこんな感じ・・・石炭を焚くと、今にも走り出しそうな迫力です。

  • 小金井公園の大半は、子どもの広場・わんぱく広場など芝生の広場になっていますが、SL展示場のある西側は桜の名所になっており、この時期はキバナコスモスが咲き揃っています。

    小金井公園の大半は、子どもの広場・わんぱく広場など芝生の広場になっていますが、SL展示場のある西側は桜の名所になっており、この時期はキバナコスモスが咲き揃っています。

  • 今は緑のコキアも、秋が深まると鮮やかな紅葉に変身するでしょう。

    今は緑のコキアも、秋が深まると鮮やかな紅葉に変身するでしょう。

  • 9時半になったので「江戸東京たてもの園」に向かいます。<br />江戸東京たてもの園は、現地保存が困難な文化的価値の高い歴史的建造物30棟(江戸時代から昭和期前半まで)を移築・復元した野外博物館。<br />もともと昭和29年に開園した武蔵野郷土館があった場所を拡充し、墨田区にある東京都江戸東京博物館の分館として平成5年に開園しました。

    9時半になったので「江戸東京たてもの園」に向かいます。
    江戸東京たてもの園は、現地保存が困難な文化的価値の高い歴史的建造物30棟(江戸時代から昭和期前半まで)を移築・復元した野外博物館。
    もともと昭和29年に開園した武蔵野郷土館があった場所を拡充し、墨田区にある東京都江戸東京博物館の分館として平成5年に開園しました。

  • <1>正面入口のビジターセンター「旧光華殿」は、昭和15年に皇居前広場で行われた紀元二千六百年記念式典のために造られた式殿です。<br />翌年の昭和16年に当地へ移築されて光華殿と命名され、江戸東京たてもの園の開園の際にビジターセンターとして改修されました。<br />館内には、展示コーナーやミュージアムショップなどがあります。

    <1>正面入口のビジターセンター「旧光華殿」は、昭和15年に皇居前広場で行われた紀元二千六百年記念式典のために造られた式殿です。
    翌年の昭和16年に当地へ移築されて光華殿と命名され、江戸東京たてもの園の開園の際にビジターセンターとして改修されました。
    館内には、展示コーナーやミュージアムショップなどがあります。

  • ” 本日は敬老の日のため、65歳以上の方の入園料は無料です ” ・・・またまたラッキー!<br />孫は小学生なので、これまた無料。

    ” 本日は敬老の日のため、65歳以上の方の入園料は無料です ” ・・・またまたラッキー!
    孫は小学生なので、これまた無料。

  • ビジターセンターを出た所に植えられた、赤い実をつけたゴンズイの大きな木・・・<br />よく見かける木ですが、初めて名前を知りました。

    ビジターセンターを出た所に植えられた、赤い実をつけたゴンズイの大きな木・・・
    よく見かける木ですが、初めて名前を知りました。

  • 西ゾーンから歩きます。<br /><2>「常盤台写真場」は、昭和12年に郊外住宅地常盤台に建てられた写真館・・・1階部分は住居、2階がスタジオになっています。<br />靴を脱いで入りますが、何故か孫は「ただいま―、お邪魔します!」と言って、お宅訪問です。

    西ゾーンから歩きます。
    <2>「常盤台写真場」は、昭和12年に郊外住宅地常盤台に建てられた写真館・・・1階部分は住居、2階がスタジオになっています。
    靴を脱いで入りますが、何故か孫は「ただいま―、お邪魔します!」と言って、お宅訪問です。

  • 懐かしい黒電話・・・

    懐かしい黒電話・・・

  • そして檜風呂。

    そして檜風呂。

  • 当時は照明設備が現在のように発達していなかったため、2階写場は北側から間接光が入るように設計されています。<br />月に一度、実際にここで写真を撮ってもらえるイベントも開催しているそうです。

    当時は照明設備が現在のように発達していなかったため、2階写場は北側から間接光が入るように設計されています。
    月に一度、実際にここで写真を撮ってもらえるイベントも開催しているそうです。

  • 写真館の横にあるボンネットバス・いすゞTSD43・・・昭和43年式の車両は、元は航空自衛隊の使用車両・・・休日などに園内を遊覧運行していましたが、老朽化のため現在は運転していません。

    写真館の横にあるボンネットバス・いすゞTSD43・・・昭和43年式の車両は、元は航空自衛隊の使用車両・・・休日などに園内を遊覧運行していましたが、老朽化のため現在は運転していません。

  • <3>昭和27年に西麻布に建てられた「三井八郎右衞門邸」・・・明治39年から住んでいた邸宅が戦火で焼失したため、三井家に関連する施設から建築部材や石材を集めて建てたそうです。<br />

    <3>昭和27年に西麻布に建てられた「三井八郎右衞門邸」・・・明治39年から住んでいた邸宅が戦火で焼失したため、三井家に関連する施設から建築部材や石材を集めて建てたそうです。

  • 財閥・三井本家の和風邸宅で、玄関にも格式が感じられます。

    財閥・三井本家の和風邸宅で、玄関にも格式が感じられます。

  • 桐の衣装箱や漆の長持など、庶民とはレベルが違います。

    桐の衣装箱や漆の長持など、庶民とはレベルが違います。

  • 客間と食堂部分は、明治30年頃京都で建てられていたものを、戦後の再建築の際に移築しました・・・襖や額の絵も見事です。

    客間と食堂部分は、明治30年頃京都で建てられていたものを、戦後の再建築の際に移築しました・・・襖や額の絵も見事です。

  • 戸障子に描かれた絵も素晴らしい。

    戸障子に描かれた絵も素晴らしい。

  • 庭園を眺めていると、心が和みます。

    庭園を眺めていると、心が和みます。

  • <4>「デ・ラランデ邸」・・・最初は平屋建ての洋館でしたが、明治43年頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより大規模に増築され、3階建になりました。

    <4>「デ・ラランデ邸」・・・最初は平屋建ての洋館でしたが、明治43年頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより大規模に増築され、3階建になりました。

  • この邸宅は、江戸東京たてもの園の最後の建物として、開園20周年(平成25年)に移築復元されました。<br />1階では、喫茶・武蔵野茶房が営業しています。

    この邸宅は、江戸東京たてもの園の最後の建物として、開園20周年(平成25年)に移築復元されました。
    1階では、喫茶・武蔵野茶房が営業しています。

  • 玄関を入った右手にある寝室。

    玄関を入った右手にある寝室。

  • ゆったりとしたリビング。

    ゆったりとしたリビング。

  • 温かみを感じる暖炉。

    温かみを感じる暖炉。

  • <5>「小出邸」は、日本でのモダニズム運動を主導した建築家・堀口捨己がヨーロッパから帰国した直後の大正14年に設計した住宅・・・四角錐のヨーロッパ的な大屋根と日本の伝統的な造形を折衷した造りです。

    <5>「小出邸」は、日本でのモダニズム運動を主導した建築家・堀口捨己がヨーロッパから帰国した直後の大正14年に設計した住宅・・・四角錐のヨーロッパ的な大屋根と日本の伝統的な造形を折衷した造りです。

  • 大屋根の下の脇は物置のようになっています。<br />平成8年まで、小石川で家族の方が住んでいたそうです。

    大屋根の下の脇は物置のようになっています。
    平成8年まで、小石川で家族の方が住んでいたそうです。

  • <6>「前川國男邸」・・・戦後の日本建築界をリードした前川國男の自邸として、昭和17年に建てられた住宅。<br />前川國男は東京帝大卒業後、昭和3年から2年間パリで過ごし、近代建築の巨匠、ル・コルビュジェに学び、モダニズム建築家として日本の近代建築の発展に貢献した建築家で、東京文化会館、東京都美術館をはじめ多くの建物を設計しています。<br />東大を卒業した丹下健三も、前川國男の事務所で働いていた時期がありました。

    <6>「前川國男邸」・・・戦後の日本建築界をリードした前川國男の自邸として、昭和17年に建てられた住宅。
    前川國男は東京帝大卒業後、昭和3年から2年間パリで過ごし、近代建築の巨匠、ル・コルビュジェに学び、モダニズム建築家として日本の近代建築の発展に貢献した建築家で、東京文化会館、東京都美術館をはじめ多くの建物を設計しています。
    東大を卒業した丹下健三も、前川國男の事務所で働いていた時期がありました。

  • 戦時体制下、建築資材の使用が制限され、また、延床面積100平方m以上の住宅が法律で禁止されるなど、非常に困難な状況下で建てられたものです。<br />建築面積は小さく抑えながらも、内部は吹き抜けの居間を中心にロフト風の2階や書斎・寝室を配した シンプルな間取りになっています。<br />ボランティアの方が熱心に説明して下さいました。

    戦時体制下、建築資材の使用が制限され、また、延床面積100平方m以上の住宅が法律で禁止されるなど、非常に困難な状況下で建てられたものです。
    建築面積は小さく抑えながらも、内部は吹き抜けの居間を中心にロフト風の2階や書斎・寝室を配した シンプルな間取りになっています。
    ボランティアの方が熱心に説明して下さいました。

  • 機能的なキッチンや・・・

    機能的なキッチンや・・・

  • バス・トイレは現在でも通用します。

    バス・トイレは現在でも通用します。

  • <7>大正14年に建てられた「田園調布の家(大川邸)」・・・従来の日本の家は、床の間付きの広い座敷など接客中心の間取りでしたが、この家は家族本位の考え方で設計され、建物面積も約100平方mとそれほど広くなく、また、当時としては珍しく全室洋間となっています。<br />パリの凱旋門の周辺を参考にして渋沢栄一によって開発された田園調布は、大正12年から分譲を開始しました。<br />居間

    <7>大正14年に建てられた「田園調布の家(大川邸)」・・・従来の日本の家は、床の間付きの広い座敷など接客中心の間取りでしたが、この家は家族本位の考え方で設計され、建物面積も約100平方mとそれほど広くなく、また、当時としては珍しく全室洋間となっています。
    パリの凱旋門の周辺を参考にして渋沢栄一によって開発された田園調布は、大正12年から分譲を開始しました。
    居間

  • 内部は、居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。<br />それほど広くない応接室ですが、採光にも優れた美しい窓と、気品のある調度品のレイアウト・・・ ” ああ、こんな家に住んでみたいなぁ ”

    内部は、居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。
    それほど広くない応接室ですが、採光にも優れた美しい窓と、気品のある調度品のレイアウト・・・ ” ああ、こんな家に住んでみたいなぁ ”

  • ダイニングからハッチ越しにキッチンがあります。<br />孫はここから何度も「ご飯出来ましたよ~」と、ダイニングに向かって叫んでいました。

    ダイニングからハッチ越しにキッチンがあります。
    孫はここから何度も「ご飯出来ましたよ~」と、ダイニングに向かって叫んでいました。

  • <8>西ゾーンからセンターゾーンに移動すると「旧自証院霊屋」が目に飛び込んできます。<br />これは、江戸初期の慶安5年(1652年)に、三代将軍徳川家光の側室室・自証院(通称:お振の方、石田三成の曾孫)を供養するために市ヶ谷の円融寺自証院に建立した霊屋(おたまや)・・・家光の関係か、色合いや彫刻が日光東照宮に似ていますね。

    <8>西ゾーンからセンターゾーンに移動すると「旧自証院霊屋」が目に飛び込んできます。
    これは、江戸初期の慶安5年(1652年)に、三代将軍徳川家光の側室室・自証院(通称:お振の方、石田三成の曾孫)を供養するために市ヶ谷の円融寺自証院に建立した霊屋(おたまや)・・・家光の関係か、色合いや彫刻が日光東照宮に似ていますね。

  • 徳川家の菩提寺である寛永寺に、八代将軍・徳川吉宗の没後、1751年に献上された寛永寺灯籠。

    徳川家の菩提寺である寛永寺に、八代将軍・徳川吉宗の没後、1751年に献上された寛永寺灯籠。

  • <9>「高橋是清邸」は、二・二六事件で暗殺された政治家・高橋是清の邸宅・・・明治35年に建てられた家は総栂(つが)普請で、当時としては珍しく和風邸宅に窓ガラスを使っています。

    <9>「高橋是清邸」は、二・二六事件で暗殺された政治家・高橋是清の邸宅・・・明治35年に建てられた家は総栂(つが)普請で、当時としては珍しく和風邸宅に窓ガラスを使っています。

  • 2階は是清の書斎や寝室として使われていましたが、昭和11年2月26日の早朝5時5分に青年将校により襲撃され、ここが『二・二六事件』の現場になったわけです。<br />この太い横木は電柱を使っています。

    2階は是清の書斎や寝室として使われていましたが、昭和11年2月26日の早朝5時5分に青年将校により襲撃され、ここが『二・二六事件』の現場になったわけです。
    この太い横木は電柱を使っています。

  • 欄間には松竹梅が彫られています。<br />13才から2年間アメリカで過ごした高橋是清は、英語の教師からスタートし、日銀総裁、大蔵大臣や内閣総理大臣(第20代・大正11年11月~大正12年6月)などを歴任しました。<br />そして5回目の大蔵大臣の時に、二・二六事件が起きました。

    欄間には松竹梅が彫られています。
    13才から2年間アメリカで過ごした高橋是清は、英語の教師からスタートし、日銀総裁、大蔵大臣や内閣総理大臣(第20代・大正11年11月~大正12年6月)などを歴任しました。
    そして5回目の大蔵大臣の時に、二・二六事件が起きました。

  • 皇居正門石橋飾電燈は、皇居正門石橋(二重橋の手前側)の欄干に設置されていた6基の飾電燈の一つ・・・明治20年頃の製造で、現在の石橋には昭和61年に製作したものが設置されています。<br />飾電灯の台座は展示の際に復元したものですが、獅子の顔や脚の造りが精巧です。<br />

    皇居正門石橋飾電燈は、皇居正門石橋(二重橋の手前側)の欄干に設置されていた6基の飾電燈の一つ・・・明治20年頃の製造で、現在の石橋には昭和61年に製作したものが設置されています。
    飾電灯の台座は展示の際に復元したものですが、獅子の顔や脚の造りが精巧です。

  • <10>千代田区神田須田町一丁目にあった「万世橋交番」・・・江戸東京たてもの園で唯一のレンガ造りの建物で、万世橋交番の前身の須田町派出所に、明治45年に設置されました。<br />木造建築のように部材ごと分解することができないため、そのままクレーン車で釣り上げ、トレーラーに乗せて神田から江戸東京たてもの園まで運んだとのことです。<br />左側のポストは、昭和25年頃の「郵便差出箱(1号丸型)」。

    <10>千代田区神田須田町一丁目にあった「万世橋交番」・・・江戸東京たてもの園で唯一のレンガ造りの建物で、万世橋交番の前身の須田町派出所に、明治45年に設置されました。
    木造建築のように部材ごと分解することができないため、そのままクレーン車で釣り上げ、トレーラーに乗せて神田から江戸東京たてもの園まで運んだとのことです。
    左側のポストは、昭和25年頃の「郵便差出箱(1号丸型)」。

  • 「上野消防署(旧・下谷消防署)望楼上部」・・・大正14年から昭和45年まで使用され、昭和52年に解体された望楼(火の見櫓)の上部7mを移設したものです。<br />望楼は三脚四層式外廊型で、当時の全体の高さは約24m。

    「上野消防署(旧・下谷消防署)望楼上部」・・・大正14年から昭和45年まで使用され、昭和52年に解体された望楼(火の見櫓)の上部7mを移設したものです。
    望楼は三脚四層式外廊型で、当時の全体の高さは約24m。

  • 東ゾーンは、江戸・東京の下町に実在していた建物が復元されて立ち並び、建物の中には、当時の暮らしや商売の道具・商品などを展示しています。<br /><11>これは、昭和初期に神田神保町に建てられた丸二商店(荒物屋)・・・小さな銅版片を巧みに組み合わせて模様を形作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。<br />丸二商店の裏には、創建時から隣接していた長屋が復元されています。

    東ゾーンは、江戸・東京の下町に実在していた建物が復元されて立ち並び、建物の中には、当時の暮らしや商売の道具・商品などを展示しています。
    <11>これは、昭和初期に神田神保町に建てられた丸二商店(荒物屋)・・・小さな銅版片を巧みに組み合わせて模様を形作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。
    丸二商店の裏には、創建時から隣接していた長屋が復元されています。

  • 昭和20年中頃まで営業していた荒物屋は、鍋・釜・ざる・ほうき・七輪などの日用品を扱い、新しく所帯を持つ人が必要なものは何でも揃っていました。<br />店内は、商売が最も盛んであった昭和10年代の店先の様子を再現しており、懐かしくなります。

    昭和20年中頃まで営業していた荒物屋は、鍋・釜・ざる・ほうき・七輪などの日用品を扱い、新しく所帯を持つ人が必要なものは何でも揃っていました。
    店内は、商売が最も盛んであった昭和10年代の店先の様子を再現しており、懐かしくなります。

  • <12>「植村邸」・・・昭和2年に新富町に建てられた銅板張りの看板建築で、正面を覆う銅板は装飾的に仕上げられ、特に2階の窓の上にあるアーチ部分は凝っています。<br />前面の銅板に、戦時中の焼夷弾の痕が数多く見られますが、建物は無事残りました。

    <12>「植村邸」・・・昭和2年に新富町に建てられた銅板張りの看板建築で、正面を覆う銅板は装飾的に仕上げられ、特に2階の窓の上にあるアーチ部分は凝っています。
    前面の銅板に、戦時中の焼夷弾の痕が数多く見られますが、建物は無事残りました。

  • <13>港区白金台に昭和3年に建てられた木造3階建ての「大和屋本店(乾物屋)」。<br />

    <13>港区白金台に昭和3年に建てられた木造3階建ての「大和屋本店(乾物屋)」。

  • 昆布・スルメなど、戦前の乾物屋の様子を再現しています。

    昆布・スルメなど、戦前の乾物屋の様子を再現しています。

  • 懐かしい昔のタバコも並んでいます。

    懐かしい昔のタバコも並んでいます。

  • <14>中央は神田須田町一丁目にあった文房具屋の「武居三省堂」。<br /><15>右側は神田淡路町一丁目にあった花市生花店・・・2階窓下の4枚のレリーフには四季の花が描かれています。<br />隣り合って建っていた訳ではありませんが、どちらも昭和2年に建てられたもの。

    <14>中央は神田須田町一丁目にあった文房具屋の「武居三省堂」。
    <15>右側は神田淡路町一丁目にあった花市生花店・・・2階窓下の4枚のレリーフには四季の花が描かれています。
    隣り合って建っていた訳ではありませんが、どちらも昭和2年に建てられたもの。

  • 武居三省堂は明治初期に創業した文具店です。

    武居三省堂は明治初期に創業した文具店です。

  • <16>大正15年に建てられた和傘問屋の「川野商店」・・・重厚な屋根の造りや江戸以来の町屋の特質を継承する格子戸などの造りが建物の特徴です。

    <16>大正15年に建てられた和傘問屋の「川野商店」・・・重厚な屋根の造りや江戸以来の町屋の特質を継承する格子戸などの造りが建物の特徴です。

  • 内部は昭和5年頃の和傘問屋の店先の様子を再現しています。

    内部は昭和5年頃の和傘問屋の店先の様子を再現しています。

  • <17>江戸時代末期~明治時代初期に建てられた「万徳旅館」・・・青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館です。

    <17>江戸時代末期~明治時代初期に建てられた「万徳旅館」・・・青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館です。

  • 建物は創建当初に近い姿に、室内は旅館として営業していた昭和25年頃の様子を復元しています。

    建物は創建当初に近い姿に、室内は旅館として営業していた昭和25年頃の様子を復元しています。

  • <18>明治12年に建てられた「仕立屋」・・・町屋建築の雰囲気を色濃く残しています。

    <18>明治12年に建てられた「仕立屋」・・・町屋建築の雰囲気を色濃く残しています。

  • 内部は大正期の仕立て屋の様子を再現しています。<br />仕立屋は自宅を仕事場としており、親方のもとに弟子が住み込みで働くのが普通でした。<br />ここでは親方と弟子4人の仕事場を再現しているそうです。<br />1階は3部屋あり、そのうち2部屋が仕事場。

    内部は大正期の仕立て屋の様子を再現しています。
    仕立屋は自宅を仕事場としており、親方のもとに弟子が住み込みで働くのが普通でした。
    ここでは親方と弟子4人の仕事場を再現しているそうです。
    1階は3部屋あり、そのうち2部屋が仕事場。

  • <19>昭和4年建築の「子宝湯」・・・足立区千住にあった銭湯で、神社仏閣を思わせる大型の唐破風が目を引きます。<br />宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになった子宝湯は、昭和63年まで現役のお風呂屋さんでした。

    <19>昭和4年建築の「子宝湯」・・・足立区千住にあった銭湯で、神社仏閣を思わせる大型の唐破風が目を引きます。
    宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになった子宝湯は、昭和63年まで現役のお風呂屋さんでした。

  • 玄関から入ると、左右の上部のガラス欄間に「男湯」「女湯」の区分が示されています。<br />昔懐かしい番台や・・・

    玄関から入ると、左右の上部のガラス欄間に「男湯」「女湯」の区分が示されています。
    昔懐かしい番台や・・・

  • 更衣室も、昭和そのもの・・・まさに銭湯のイメージですね・・・昔のテレビのホームドラマ『時間ですよ』を思い出します。

    更衣室も、昭和そのもの・・・まさに銭湯のイメージですね・・・昔のテレビのホームドラマ『時間ですよ』を思い出します。

  • 銭湯の経営者は、北陸、特に石川県出身者が多いそうで、子宝湯も石川県七尾市出身の小林さんが建てたものです。<br />プロレス黄金時代の力道山とフレッド・ブラッシーのポスターも貼られています。

    銭湯の経営者は、北陸、特に石川県出身者が多いそうで、子宝湯も石川県七尾市出身の小林さんが建てたものです。
    プロレス黄金時代の力道山とフレッド・ブラッシーのポスターも貼られています。

  • 銭湯の9割は富士山を画題にしているそうで、湯船の背景には富士山から箱根までの景色がタイル画で描かれています・・・男湯・女湯を仕切る壁がそんなに高くないので、両方の絵が一つとなって気分をリラックスさせてくれます。

    銭湯の9割は富士山を画題にしているそうで、湯船の背景には富士山から箱根までの景色がタイル画で描かれています・・・男湯・女湯を仕切る壁がそんなに高くないので、両方の絵が一つとなって気分をリラックスさせてくれます。

  • <20>1856年(安政3年)に建てられた「鍵屋(居酒屋)」・・・震災・戦災を免れた鍵屋は、台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。<br />

    <20>1856年(安政3年)に建てられた「鍵屋(居酒屋)」・・・震災・戦災を免れた鍵屋は、台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。

  • 店内は昭和45年頃の姿に復元しています。<br />ポスターのカブトビールは、愛知県半田市で明治31年から昭和18年まで製造されていたビール。

    店内は昭和45年頃の姿に復元しています。
    ポスターのカブトビールは、愛知県半田市で明治31年から昭和18年まで製造されていたビール。

  • いまでも十分楽しめそうなカウンターですね。

    いまでも十分楽しめそうなカウンターですね。

  • <21>昭和8年に建てられた「小寺醤油店」・・・庇の下の腕木とその上の桁が特徴の出桁造り(だしげたづくり)が特徴の建物で、港区白金で味噌や醤油、酒類を売っていました。<br /><br />まるで昭和初期の東京にタイムスリップしたかのような雰囲気の東ゾーンでした。

    <21>昭和8年に建てられた「小寺醤油店」・・・庇の下の腕木とその上の桁が特徴の出桁造り(だしげたづくり)が特徴の建物で、港区白金で味噌や醤油、酒類を売っていました。

    まるで昭和初期の東京にタイムスリップしたかのような雰囲気の東ゾーンでした。

  • 「江戸東京たてもの園」を見た後は、子供の遊び場が一杯ある公園の東側に行きます。<br />「子供の広場」の周りにはサイクリングコースが整備され、多くの子供がサイクリングを楽しんでいます。<br />休日なので広場の周りは大勢の人がテントを張って休日を過ごしています。

    「江戸東京たてもの園」を見た後は、子供の遊び場が一杯ある公園の東側に行きます。
    「子供の広場」の周りにはサイクリングコースが整備され、多くの子供がサイクリングを楽しんでいます。
    休日なので広場の周りは大勢の人がテントを張って休日を過ごしています。

  • わんぱく広場には、いくつかの遊戯施設があります。<br />これは、子供が喜ぶ「ソリゲレンデ」・・・ソリゲレンデは人工芝を敷き詰めた50mほどのソリ専用のゲレンデで、ソリの貸し出しもありますが、多くの子供はソリを持ち込んで何回も滑っています。

    わんぱく広場には、いくつかの遊戯施設があります。
    これは、子供が喜ぶ「ソリゲレンデ」・・・ソリゲレンデは人工芝を敷き詰めた50mほどのソリ専用のゲレンデで、ソリの貸し出しもありますが、多くの子供はソリを持ち込んで何回も滑っています。

  • ターザンロープも面白かった!

    ターザンロープも面白かった!

  • わんぱく広場のメインは「わんぱく山」・・・あちこちに階段があり、登った後下りるのはこの広い滑り台。

    わんぱく広場のメインは「わんぱく山」・・・あちこちに階段があり、登った後下りるのはこの広い滑り台。

  • 最後はローラー滑り台。

    最後はローラー滑り台。

  • わんぱく山から駐車場に向かう途中に人だかりが出来ています。<br />笛を吹きながらクイズを出したり、子供達を楽しませてくれるパフォーマー・・・手作りのミッキーマウスの帽子も見事です。

    わんぱく山から駐車場に向かう途中に人だかりが出来ています。
    笛を吹きながらクイズを出したり、子供達を楽しませてくれるパフォーマー・・・手作りのミッキーマウスの帽子も見事です。

  • 小金井公園を後にして、府中街道沿いの「ふれあい下水道館」に行ってみました。<br />小平市の下水道普及率100%達成を記念して平成2年に造られた施設で、下水道の役割や水環境について学ぶほか、地下25mに埋められている下水道管の中に入り、本物の下水の色やにおいなどを体感できる、全国でも初めての施設です。(入場料は無料)<br />

    小金井公園を後にして、府中街道沿いの「ふれあい下水道館」に行ってみました。
    小平市の下水道普及率100%達成を記念して平成2年に造られた施設で、下水道の役割や水環境について学ぶほか、地下25mに埋められている下水道管の中に入り、本物の下水の色やにおいなどを体感できる、全国でも初めての施設です。(入場料は無料)

  • 建物は地上2階・地下5階になっていますが、1階から階段でどんどん地下に降りていくという珍しい構造。<br />地下1階~4階では下水道の歴史やシステムなどを学べます。

    建物は地上2階・地下5階になっていますが、1階から階段でどんどん地下に降りていくという珍しい構造。
    地下1階~4階では下水道の歴史やシステムなどを学べます。

  • 1階・エントランスホールのテーマは ” 水の風景 ” で、清流をイメージした空間・・・清流の音と映像により、訪れた方の心を和ませてくれます。<br />正面は渓流にすむ魚が泳いでいる大型水槽、右側には涼やかな音が聞こえる水琴窟があります。

    1階・エントランスホールのテーマは ” 水の風景 ” で、清流をイメージした空間・・・清流の音と映像により、訪れた方の心を和ませてくれます。
    正面は渓流にすむ魚が泳いでいる大型水槽、右側には涼やかな音が聞こえる水琴窟があります。

  • 地下1階は講座室・・・下水道アニメ「モンタの冒険」を見たり、顕微鏡で微生物の観察ができます。<br />下水に溶けている有機物を汚泥の中の細菌が食べ、その細菌を餌にしているのが微生物たちです。

    地下1階は講座室・・・下水道アニメ「モンタの冒険」を見たり、顕微鏡で微生物の観察ができます。
    下水に溶けている有機物を汚泥の中の細菌が食べ、その細菌を餌にしているのが微生物たちです。

  • 下水道館のキャラクターは、微生物・ヒルガタワムシのヒルガタワムちゃん。

    下水道館のキャラクターは、微生物・ヒルガタワムシのヒルガタワムちゃん。

  • 地下2階は「くらしと下水道の展示室」・・・毎日使っていても目にすることのない下水道について、展示や模型、映像を使ってわかりやすく説明しています。<br />また、明治・大正・昭和・現在と移り変わる水道事情の説明もあります。

    地下2階は「くらしと下水道の展示室」・・・毎日使っていても目にすることのない下水道について、展示や模型、映像を使ってわかりやすく説明しています。
    また、明治・大正・昭和・現在と移り変わる水道事情の説明もあります。

  • また、ここにはマジックビジョンが3カ所あり、「江戸の水事情」「明治の神田下水」「現在の分流式下水道」をそれぞれ動画で解説しています・・・こういう展示は、子供が興味を持って見ますね。<br />これは江戸時代のマジックビジョン・・・江戸の街の下水道は江戸時代初期からあったそうで、もちろん下水処理施設はなく川へ垂れ流しですが、自然の浄化作用で十分綺麗になったとか。

    また、ここにはマジックビジョンが3カ所あり、「江戸の水事情」「明治の神田下水」「現在の分流式下水道」をそれぞれ動画で解説しています・・・こういう展示は、子供が興味を持って見ますね。
    これは江戸時代のマジックビジョン・・・江戸の街の下水道は江戸時代初期からあったそうで、もちろん下水処理施設はなく川へ垂れ流しですが、自然の浄化作用で十分綺麗になったとか。

  • 江戸の街は汲み取り屋さんがいて、田畑に撒いていたので、ヨーロッパの街のように道が汚物だらけにならず清潔な街でした。<br />下段の展示は、トイレットペーパー代わりの「箒木(ちゅうぎ)」・・・これでお尻をこすっていたなんてーーーーー

    江戸の街は汲み取り屋さんがいて、田畑に撒いていたので、ヨーロッパの街のように道が汚物だらけにならず清潔な街でした。
    下段の展示は、トイレットペーパー代わりの「箒木(ちゅうぎ)」・・・これでお尻をこすっていたなんてーーーーー

  • 地下3階は、小平の水環境についての展示室。<br />まいまいず井戸の模型や、昔の井戸用具の実物や懐かしい写真を展示しています。<br />全国各地のマンホール蓋の写真も飾られています。

    地下3階は、小平の水環境についての展示室。
    まいまいず井戸の模型や、昔の井戸用具の実物や懐かしい写真を展示しています。
    全国各地のマンホール蓋の写真も飾られています。

  • 小平市のマンホールの蓋。

    小平市のマンホールの蓋。

  • まいまいず井戸の模型。<br />昔は、水の少ない武蔵野台地で生活するために、スリバチ形の井戸が掘られていました。<br />「まいまい」とはカタツムリのことで、狭い穴では深く掘れなかったためにカタツムリの殻のような井戸を作りました。

    まいまいず井戸の模型。
    昔は、水の少ない武蔵野台地で生活するために、スリバチ形の井戸が掘られていました。
    「まいまい」とはカタツムリのことで、狭い穴では深く掘れなかったためにカタツムリの殻のような井戸を作りました。

  • 地下4階は、水と環境を主としたイベントを行う多目的空間。<br />地下5階は、下水道の実物にふれることができる「ふれあい体験室」です。<br />フロアでは下水道で使われている管やマンホールの実物を展示しています。

    地下4階は、水と環境を主としたイベントを行う多目的空間。
    地下5階は、下水道の実物にふれることができる「ふれあい体験室」です。
    フロアでは下水道で使われている管やマンホールの実物を展示しています。

  • いよいよ左手奥にある下水管を見に行きます。<br />下水管へと繋がる通路の手前にある扉は、潜水艦の扉と同じもので、厳重な防臭扉になっており、大量の下水が館内に流れ込むことを防ぎます。

    いよいよ左手奥にある下水管を見に行きます。
    下水管へと繋がる通路の手前にある扉は、潜水艦の扉と同じもので、厳重な防臭扉になっており、大量の下水が館内に流れ込むことを防ぎます。

  • 日本全国広しと言えども、ここでしか見られない下水道の内部の様子です。<br />足を踏み入れた途端、仄かに立ち込める異臭・・・小平市民4万4千人分の生活用水(トイレ・風呂・台所などの排水)がここへ集結し、流れています。<br />この地区の下水道の内径は、何と4.5m、下水管内の気温は一年を通して18~23度に保たれています。<br />全国の下水道を繋ぐと、月まで届くそうですが、このような形で下水道を体験できるのは日本ではここだけで、全国から研究者たちが見学に来るとのこと。<br />因みに、この下水は府中市の下水処理施設で処理された後、多摩川に流され、下水処理場で出た汚泥は、セメントの原料や肥料などに利用されて役立っています。<br />私達は数秒の滞在で退散しました。

    日本全国広しと言えども、ここでしか見られない下水道の内部の様子です。
    足を踏み入れた途端、仄かに立ち込める異臭・・・小平市民4万4千人分の生活用水(トイレ・風呂・台所などの排水)がここへ集結し、流れています。
    この地区の下水道の内径は、何と4.5m、下水管内の気温は一年を通して18~23度に保たれています。
    全国の下水道を繋ぐと、月まで届くそうですが、このような形で下水道を体験できるのは日本ではここだけで、全国から研究者たちが見学に来るとのこと。
    因みに、この下水は府中市の下水処理施設で処理された後、多摩川に流され、下水処理場で出た汚泥は、セメントの原料や肥料などに利用されて役立っています。
    私達は数秒の滞在で退散しました。

  • この後は、エレベーターで2階のコミュニティホールへ・・・ここは、水に関する図書やビデオテープを集めたミニ図書館で、壁には来館した芸能人のサイン入り色紙が飾られています。<br /><br />孫と過ごした敬老の日でした。

    この後は、エレベーターで2階のコミュニティホールへ・・・ここは、水に関する図書やビデオテープを集めたミニ図書館で、壁には来館した芸能人のサイン入り色紙が飾られています。

    孫と過ごした敬老の日でした。

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