2015/09/21 - 2015/09/21
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Wind99さん
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シルバーウイークに都内を散歩してきた。
1.上野
東京国立博物館
東京都美術館
2.浅草
たぬき通り、六区通り、ひさご通り
浅草寺
花やしき
3.大手町
常盤橋
将門塚
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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東京国立博物館
クレオパトラとエジプトの王妃展に行く。
開館20分前で約100名の行列で、難なく見ることが出来た。 -
アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝
この特別展も見てみた。中はエジプト展より混んでいた。 -
東京国立博物館内にある旧因州池田屋敷表門(重文)
江戸時代末期の大名屋敷表門で、数々の移転があった。 -
トーハク内でも、屋台販売があった。
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東京都美術館のモネ展
会場を移動する。こちらは40分待ちの激混みで、諦める人が多かった。
自分も次の機会に来よう。 -
上野公園では全国大陶器市を開催中。
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最も混んでいたのは、上野動物園。
上野駅からまっすぐ来る人の波と行列がすごかった。 -
浅草へ移動。
浅草1−1−1の住所にある、神谷バー。
明治13年創業の日本最初のバーで電気ブランで有名だ。
空いていると思ったら、店内に行列ができていた。 -
浅草雷門前にある観光案内所、浅草文化観光センター。
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人波にもまれ、雷門に到着。
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雷門をくぐると、人波がさらに激しく、わき道へ入る。
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わき道は、たぬき通り商店街。
道々にたぬきの置物があった。 -
飲食店は、もんじゃ焼きが多く、月島より多いのかなと思った。
調べると月島と浅草は、2大もんじゃ焼き聖地のようだ。 -
来て見たかった六区ブロードウェイ商店街。
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浅草六区通りは、浅草園芸ホールに代表される。
見に来た人が話していて、もう、すべて売切れですと言われていた。 -
この辺りの通りの案内図が助かる。
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路上パフォーマンスも3つ位行われていた。
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ウインズ浅草の敷地に、浅草公園史跡の案内。
明治17年、この辺りに大池(瓢箪池)を掘り、その土で六区を造成した。池の中央に中の島があり、橋が掛かっていて藤棚や茶店で憩いの場であった。
明治23年、12階建ての凌雲閣が出来た。八角形の塔で、日本初の昇降装置があった。関東大震災で崩壊した。 -
花やしきのチケット売り場の行列。
日中でも行列ができるのかとびっくりした。
これは逆に入りたくなった。 -
手前のひさご通りに入ると、はとバスツアー客も並んでいた店があった。
調べてみると、明治時代より続いている牛鍋屋の米久本店(よねきゅうほんてん)であった。 -
さらに歩いていくと、変わった建物があり、先の凌雲閣のイメージがした。
助六の宿と書いてあり、時鐘亭の入り口だ。江戸前の遊びや宴会、宿泊が可能だ。 -
六区通りに戻ってきた。六芸人の小さな像があった。
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そして演神(えんじがみ)
役を演じる役者達を見守ってきた神様とある。 -
凌雲閣記念碑を見つけた!うーん、やはりあったか。
確か江戸東京博物館で大きな模型を見た。保存会がこの記念碑を作った。 -
浅草寺近くから、花やしきに入場する。
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花やしきの中は行列の人波で、くつろぐ場所は無し。
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以外に過激な乗り物がある。
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浅草寺の五重塔
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浅草寺本堂とスカイツリー
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浅草寺、本堂の東側、二天門(重文)
「二天門」額は、明治16年、太政大臣 三条実美筆 -
浅草から、三越前へメトロで移動した。
日銀の前を通る。この建物は旧館だ。 -
日銀前の外堀通りを渡ると、常盤橋がある。
その角の渋沢栄一の銅像があった。 -
常盤橋は明治10年に改築した都内唯一の貴重な洋式石橋。
平成19(2007)年に千代田区景観まちづくり重要物件に指定された。
現在は東日本大震災のダメージで、解体・復旧修復工事中であった。 -
写真は明治4年の常盤橋を撮影したもの。
江戸城の歴史を感じる。 -
そこから江戸城方面へ歩く。東京駅横のJRをくぐり、大手町へ進むと千代田区コミュニティサイクル事業実証実験<ちよくる>というのがあった。
世界各国で普及してきたレンタサイクルで、どこのサイクルポートでも返却可能だ。30分単位と1日1500円がある。皇居周辺は約50近くサイクルポートがある。 -
読売新聞本社前では、箱根駅伝の出発場所に、歴代優勝校のパネルがあった。
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一度だけ正月の新橋に、箱根駅伝復路のレースを見に行ったことがある。
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さらに進むと、将門塚がある。東京都指定の旧跡。
大手町のビルに囲まれた場所。 -
奥に進むと、将門伝説の首塚の碑があった。様々な都市伝説がある。
写真左下のカエルの置物。将門の首が京から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」にひっかけた願掛けだとか。 -
敷地内にはもう1つの説明看板があった。
この地は、江戸時代寛文年間、酒井雅楽頭の上屋敷の中庭であり、山本周五郎の歴史小説「樅の木は残った」の原田甲斐の殺害されたところ。
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