2015/06/03 - 2015/06/03
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captainfutureさん
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2015年6月3日(水)
ポイエニレ・イゼイ村6日目。 早朝バスを逃し、夕方のバスは今日は無いという。 もう一泊することになりポイエニ村最後の一日をのんびり過ごす。 1L≒\30
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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今回の宿泊ルート:
2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田
上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。 -
朝6時に目が覚めると、外からパカパカパカと馬車の蹄の音。 カメラだけ持ってサンダルのまま追いかけてみる。 畑仕事に向かうよう。
一緒に村の中心地に下りてみると、集乳所になっている家の前へ。 -
「ラプテ(牛乳)、ラトゥーラ」と説明してくれながら、ちょうど同じイザ川流域のドラゴミレシュティ村から回収中との事。 これも みやこうせいさんの本の通り。
また同じ本によると、村の朝は早く、5時には農機具を積んで畑に向かう馬車が行き交うという。 その頃毎日ぐっすり寝ていて蹄の音に気付かなかった。 -
前日分の売り上げは100レイ札が10枚で、約3万円。
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今は多くの家庭に自家用車があるが、22年前はシゲットに繋がる遠い幹線道路に出るのに一日一往復のバス以外に馬車しか無く、この牛乳回収車も村人にとって貴重な足だった。
当時私の場合は一日一往復の朝4:30のバスはなぜかもう行ってしまっていて、またなぜかバイア・マーレ行きバスが5:30発にあると言われ(荷台にベンチが付いて、幌で覆われたトラック改造バス)、それで Vadu Izei村まで行き、乗り継いでシゲットへ辿り着いた。 -
宿に戻る途中で、また畑仕事に向かう馬車。
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06:35、お願いしてみると、快く乗せてもらえることに。 荷台には色々な農機具。
(52秒)https://youtu.be/gHIcN5N78Vo -
(上)どんどん中心地から離れて行く。 (下)このお宅には後ほど伺うことに。
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こんな朝早くからもう牧草刈。 このおじさんとは後で再会。
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隣のボティザ村まで5キロの標識の先へ。 ここからは未舗装。
本当は前日、丘の上での宗教行事が無ければ、ピクニックを兼ねこの隣村へ行く予定だった。 -
06:50、これ以上行くと戻れなくなりそうで、お礼を言い、ここで降ろしてもらう。
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てくてく、もと来た道へ。 サンダルのままだったので足元が少し寒い。
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(上)さっきの男性に再会。 村の挨拶「神に祈りましょう (ラウダンパ・イエソース)」と声を掛けると、「そうしましょう (ブノベチ・アーミン)」。 握手しにわざわざここまでやって来てくれた。
(下)日本人だと知ると、オレもコウセイ・ミヤに撮ってもらったぜ、と手振り。 -
07:10、その隣にはさっき馬車で前を通った、古いいい感じの伝統家屋。 お邪魔してみる。 ここでも村の挨拶。
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(上)階段を上ると朝日に輝くヴァラテク山。 (下)さっきの男性は草を荷台に積み始めた。
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(上)ポーチではおばさんが編み物中。
(下)中を案内してもらえることに。 ここのご夫婦からもコウセイ・ミヤの名前を聞く。
この村でも、大抵まず「ジャポネ?」と聞かれ、「ダー(そうです。)」、「ミヤ、ミヤ・・・」と続く。 -
薪を使うレンジに沢山の鍋。 今では見かけなくなったリングラ(木のスプーン)も。
このお宅は蛇口は無く、井戸から汲み上げているよう。 22年前に泊まった神父宅を思い出す。 -
その向かいにあったベッドとテーブル。 壁上には額縁に入った神様が並ぶ。 窓は、冬はかなり冷えるのであろう二重窓。
奥の部屋には昔の娘さんの写真。 フルモース(素晴らしい、美しい)と連呼していると、ちょうど畑仕事から帰って来たご本人が。 恥ずかしがって写真は固辞されてしまった。 -
壁には沢山の写真。 息子さんだろうか、共産政権時代の星印が入った軍服姿。 結婚式の写真には1990年に事故で亡くなった先代のイリエシュ神父も。
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(上)やはりこの地方の伝統的な麦わら帽子はいいなあ。 軍役でトウモロコシ畑の刈入れもやっていたよう。
(下)お礼を言って外へ。 別れの挨拶「サナターテ!(ご健康に!)」と声を掛けてくれた。 再度振り返って見る板葺きの伝統家屋。
宿のある中心地へ歩いて行こうとすると、ちょうどさっきの男性も同じ方向へ帰るよう。 お〜い、待てよと声を掛けてくれた。 -
(上)お願いして乗せてもらえることに。 車は1895年創業のチェコのメーカー、シュコダ。
(下)07:40、村の中心地到着。 奥の大きな門は神父宅。 -
農具を担いで行き交う人々。
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08:20、宿で朝食。 おじさんとおばさんがやって来て、シゲット行バスはもう行ってしまったよ、と心配して手振り。
昨日、16:00頃にシゲット行バスが停まっていたので、今日はそれに乗ろうと思っていたが、今日は本来の一日一往復の07:15発しか無いらしい。 英語ができるアニーとコンスタンチンがいないと、こういう時は少し辛い。 今晩アニーは明日この村で授業をするのでシゲットから戻るらしい。
もう一泊、この村に滞在することに。 -
09:40、再び中心地へ。 これから棚に牧草を掛け、干しに行くよう。
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教会と学校が見えて来た。 運動場ベンチ前には宿のダーリュース君。
昨日で聖霊降臨祭(ルーマニア語でルサーリ)の休日が他の村より一日遅れで終わり、今日から学校も再開。 近くの酒場も静か。 -
(上)ちょうど休憩中のダーリュース君3歳(右)。 道にいる私を直ぐに見つけ、手を引いて校庭に連れて来てくれた。 ここは幼稚園、小中学校が同じ校舎。
(下)先生が厚意で教室を見せてくれた。 壁に掛かった写真によると、行事日には民族衣装を着て、村の伝統を受け継ぐ授業もやっているよう。 -
その後は宿のテラスで日記(上)。 11:00頃、横の坂道には一か月かけてルーマニアをテントとヒッチで旅をしている昨日のニコラ君。
おおっと、声を掛けると、昨日教えてくれたオクナ・シュガタク村での動物市に行く為、これから幹線道路に出てシゲットまでヒッチという。 私に、バスに乗り損ねたらヒッチすればいいのに、という。
明日、オクナ・シュガタク村での動物市で会いましょうと再会を約束。 -
15:30、ダーリュース君も幼稚園から帰宅。 マリアおばさんが一緒に牧草干し場に行かないかと誘ってくれるので行ってみることに。
宿の裏手では76歳ユアナお婆さんがイチゴ畑で農作業中。 -
(上)先日、コンスタンチンと来た草刈り場。 今度は柵に掛けて干す作業。 フォークで持ち上げる度、風で細かい藁が全身に掛かってくる。 向かい側にはヴァラテク山。
(下)さっきのユアナお婆さんが機織りした自作袋から哺乳瓶。 3歳のダーリュース君も奇声を上げて走り回り、とても元気。 -
この後はマリアおばさんに、村のツイカ酒醸造小屋の場所を手振りで教えてもらい、行ってみることに。 シエウ村方面へ中心地から500m、クローチェ(十字架)前にあるという。
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(上)先日雨宿りしたベンチ。 この路地先に見える大コアスタ丘へ少し寄り道。
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細い路地を通り、
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この材木の橋を渡って、向こう側へ。
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大コアスタ丘に到着。 背丈程もある藪の人ひとり通れる道を上って行くと、視界がぱっと開けた。
この村とも明朝でお別れ。 目に焼け付けておく。 -
遠くで家族で農作業。
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(上)再び通りに出てシエウ村方面へ。
(下)17:00、だいぶ村の中心地から離れた道沿いに、マリアおばさんに言われた通りクローチェ(十字架)発見。 -
その向かい側に、今まで村のあちこちで振舞ってもらったツイカ酒(プラムのブランデー)醸造小屋。 地酒作りが盛んなこの国では、どの村にも一つはあるという。 辺りは、材料の発酵させたプルーンの甘い香りが強烈。
みやこうせい著『羊とモミの木の歌』(1988年)にある場所とは、移設したのか、全然違う場所。 本には所有者の校長先生の人間模様も書かれていて面白かった。
(下): 22年前は各家庭で何度も修理、大切に使っていた巨大な桶。 今は寂しく放置され、役目はプラスチック容器に取って変わったよう。 -
お邪魔すると、今日はこの御夫婦が借りている様子。
ほとんどの家で10本や20本のプラムの木を持っていて、9月の収穫後、3〜4ヶ月寝かせて発酵。 2月半ば頃から各家庭が交代でこの小屋を借り、1年間分の30〜40リットルの自宅分のツイカ(プラム酒)を作るという。 -
『発酵したプラムを布でこして蒸留釜に入れ、一昼夜煮たてる。 蒸留は二度行われる。プラムの持ち主の一家の者はここに寝泊まりして交代で火の番をすることになっているし、そこにふらりと立ち寄る人は絶えない。 醸造小屋にはいつも村人がたむろしている。』(みやこうせい著1988年『羊とモミの木の歌』P.78)
薪をどんどんくべて、常に火の勢いを最高に保っている様。 緑色ホースで裏の小川から冷水。 -
3器並んだ一番奥の樽からは、冷水で冷やされた出来立てが。
一杯ご馳走して頂くと、まだ少し濁りはあるが、今まで飲んできた中で一番香りが良い。 芳醇な香りが口一杯に広がり、とてもフルーティー。
『ポイエニ、いやマラムレシュの人間にとってツイカは切っても切れない関係にある。 プラムは太陽と土の産物でツイカを飲むのは神の恵みにあずかり祝福されている事だと人々はいい、悲しいにつけ嬉しいにつけ、良く飲む』(同)
『度数は低くて40〜45度、一番強いのは65〜70度といい、豚の脂身やケーキをつまみにして少量を一気に飲む。』(同) -
お礼を言って、再び村の中心地へ。
このお宅入口への橋には、ここで事故があったのか「1925-1985 7月27日」と刻まれた十字架。
他にも道中、いたるところに、小さな十字架。 村では通り過ぎる車からは、ほとんど互いに手を振り合っていた。 -
18:45、昨日、十字架の儀式があった教会近くのオプレジャ丘へ再び来てみた。
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(上)その正面にあったお宅。 (下) 屋根には「1981」建築の文字。
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男性がちょうど野菜やパンを刻んで豚のエサ作り。 お礼を言って再び表へ。
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更にこの坂道で丘を登ってみると(上)、村が一望(下)。 正面にはヴァラテク山。 いい風が吹く。
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(上)まだ坂道に続きがあったが、ここまでにする。
後で みや本によると、この先には第二次世界大戦まで住んでいたユダヤ人の墓地があったようだ。(今はこの村はルーマニア人のみ。) -
(上)19:15、村へ下りる途中で見かけた、農作業帰りの女性。
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宿でも見かけた野菜の酢漬け等、保存食を作っておく大量のビン。
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なんだかいい感じの古い家屋。
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(上)村の挨拶「ラウダンパ・イエソース(神に祈りましょう)」と大声で声を掛けてみると、ご夫婦が出て来てくれた。
(下)足元は伝統的な一枚皮のオピンチ。 オピンチの下は、これまた伝統にこだわった羊毛を巻き付けた靴下。 -
お爺さんは足が悪いらしく、座り込んでしまった。
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向かいの家畜小屋
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日常の生活でもネックレス、伝統的なオピンチ姿の素敵な女性。 最後、見送って頂いた。 いつまでもお元気で。
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(上)木造教会を見納めに再訪。 (下)しばらくこの椅子に座り、この22年間を振り返る。
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夫婦で健在でも、お墓だけ用意している様。
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19:50、教会前のこの橋を渡って、中心地(チェントラル)へ。
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お婆さんが手を振ってくれた。
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昨日のムンティーン君(緑色Tシャツ)ら中学生が集まっている。
手にはルーマニアの黒海に注ぐドナウ川河口の宿題プリント。 宿泊先の嫁、アニーの地理の授業だろうか。 -
公民館隣宅のすっかり懐いたワンちゃんにもお別れ。
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20:10、宿に無事戻り、この村最後の夕食。
肉と野菜のチョルバ・スープ、ジャガイモ等野菜と肉の煮物、青唐辛子の酢漬け、デザートにケーキと羊肉のパイ。
明日木曜日はこの村で授業なので、地理の先生で嫁のアニーが帰って来ていた。
ツイカ酒ホリンカ(プラムのブランデー)も頂いたが、これもさっき私が訪れた醸造小屋で造ったものだという。
グリゴーレおじさんからは、この村のいくつかある宿の中でここを選んでくれて有難うの言葉。 又、ブカレストだけでなく、シゲットやクルージュでも盗難には気を付けろ、路上での両替は特に、と話してくれる。
明日は07:40のシゲット行バスで6泊したこの村を離れ、オクナ・シュガタク村の動物市へ。 -
最後に、ここからは1993年に撮った教会行事以外のこの村の様子。
(一部、掲載済みのものもあり)。 -
1993年
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当時25歳のユワンヌ神父
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左はラグ・ロード(人口滝)。 ここに織り上げたベッドカバー等を水に投げ込み、攪拌して目を詰めるという。 もう既に使われている形跡は無かった。
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(左)村の中心地(チェントラル)
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村の中心地(チェントラル)
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村の中心地(チェントラル)
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村の中心地(チェントラル)
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酒場。 日曜日には民謡レコードをボリューム一杯にして、所狭しと座って皆飲んだくれていた。
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果実蒸留酒ツイカ(ホリンカ)の下ごしらえだろうか、プルーンを砕いていた。
小中学校の隣にあり、現在は更地。 手前の男性の甥だという若い男性に会い、写真を手渡した。 -
あと1時間早ければ、その手前の自分のおじさんに会えたのにと。 聖霊降臨祭で、わざわざバイア・マーレから来ていたという。
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1993年
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1993年
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1993年
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1993年
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1993年
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1993年
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ラクレイさん宅。 この女性もお元気だった。
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ラクレイさん宅。 全員元気とのこと。
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ラクレイさん宅
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お婆さんが健在。 娘はアメリカに嫁いで独りぼっちで暮らしているようだった。
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1993年
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(左)偶然泊まった宿に嫁いでいたアニー(左)とその妹
(右)右端がこの写真のお宅ムンティーンさん宅の娘さん -
そのムンティーンさん宅にあった、ポイエニレ・イゼイ村入口の看板。
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村から離れたところで会った粋な羊飼い
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皆、伝統の麦わら帽子に花を挿した洒落た姿だった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- こまちゃんさん 2016/02/29 15:13:18
- いい人多くて良いですね!
- テレビのドキュメンタリーより深っ!
それにしても、みんな良い人ばかりで、気持ちが安らぎますね。
同じ場所での過去と現在の対比が、更に見応えをアップさせてる感じ。
素敵です!!!
こま
- captainfutureさん からの返信 2016/03/01 15:14:09
- RE: いい人多くて良いですね!
- こまさん、
同じような写真がずらずら〜〜と並んだ単調な旅行記なのに、お付き合い頂きありがとうございます<(_ _)>
こんなヘンな外人にも、みんな優しかったですよ。
自分は歳とっていないつもりでも、こう並べてしまうと否応なく現実を突きつけられた感じがしてしまいました(^^;
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