2015/07/01 - 2015/07/03
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East of Edenさん
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オスナブルックで用事を済ませ、街を歩く。
オスナブルックは、ドイツらしい、整然としたきれいな街。
戦火を免れた古い建物も残っており、神聖ローマ帝国の名残がある。
そしてついに、ウエストファリア条約の締結の舞台に行く。
オスナブルックから、ミュンヘン行きの急行で南に。コブレンツで乗り換えて、Cochemへ。
Cochemはライン川支流のモセル川沿いにある古い街
ここも、ヨーロッパの美しい城って検索して見つけた街
マドリッドの暑さが、北アフリカからの熱い風シロッコが、ドイツに来た。ここも記録的暑さ
マドリッドは乾燥していたけど、ここは湿度が高いので、さらにきつい
Cochemでは、モセル川クルーズと川沿いのお城めぐり
スペインのアルバラシンよりも観光化しているが、きれいな街 中世の街
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オスナブルックは、運河があって、整然としたドイツらしい町
川の中に、しょんべん兵士の像
これが、橋を渡る人に、しょんべんをかける。
ドイツのこういうセンスがいい。 -
整然とした街並み ごみも落ちていないし
借金はしない、借金したら返そう、っていう国民性が出ているような気がする。 -
家具や電気製品が門に埋め込まれている
パッチワークのようなデザイン -
これじゃ、目が見えない
けど、いいね -
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そして、Rathausへ
ここは、オスナブルックの市庁舎
1648年にウエストファリア条約が調印された場所 近代国際条約のモデルとなった条約。
いつか来たいと思っていたが、ついに実現 -
この部屋が条約の交渉と調印が行われた部屋
ヨーロッパの主要国の国王やローマ法王がここを訪れた
オスナブルックは、30年戦争でプロテスタント側の町
この近くのミュンスターはカトリック側の町で、やはり交渉が行われた。 -
カトリックとプロテスタントの争いから、フランスとハプスブルグ家の覇権争いに発展 ヨーロッパ中が戦火に包まれ 飢饉も起きて
多くの人々が犠牲になり、生き延びた人々にとっても長い悲惨な戦争だったらしい。ドイツの人口の25%から40%減ったっていうんだから、相当なもんだね。
ようやく多国間の和解が条約となり、調印となった。 -
この部屋がそのまま残っている
シャンデリアも
今では、ローマ法王も政治権力は無いが(表向きは)、オーストリアも小国になってしまったが、スペインも経済危機に苦しんでいるが、当時はヨーロッパを支配していたんだな。 -
ここから条約締結を発表したんだろうか
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すぐそばにある、Dom St. Peter
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オスナブルック駅
ここから、Koblenz経由で、Cochemへ向かう -
コブレンツからルクセンブルグ行き
コブレンツでモセル川がライン川に合流する。コブレンツからはモセル川沿いを走る
両側には、ブドウ畑
リースリングワインの産地 -
Cochem駅
ドイツらしい、かわいい駅 -
38度の炎天下の中、ホテルのある旧市街へ向かう
この街を歩いていて気づいたのだが、老人が多い。
観光客だと思うが。 -
モセル川の端のたもとから旧市街へ
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ホテルのあるマーケットを目指して
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途中で
なんかテレビで見たことあるけど、すごい
暑いのによくがんばっているという意味も含めて。 -
横から見た図
ご苦労さまです。 -
マーケット
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にあるホテル
ここも、冷房が無い! 部屋の中が暑い
部屋にいても暑いだけなので、モセル川早速クルーズに出かける。 -
本当は、Trierまでのクルーズ船に乗りたかったが、ちょっと遅いので、Beilstein行きのクルーズ船に。
これはCohemの街 -
クルーズ船の中
ホテルよりは涼しいが、でも汗がにじみ出てくる温度 -
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ブドウ畑の間をくねくね曲がって進んでいく。
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途中で、運河があり
そう、スエズ運河みたいな運河
ゲートが閉じて、だんだん沈んでいく。 -
運河を過ぎて5分くらいで、Beilsteinに到着
小さな街
船は5分後に出発
次の船は1時間半後だったか -
BeilsteinにもきれいなPlazがあり
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どこを歩いても、このPlazに通じるようになっている。
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お城が見えたので、炎天下の中、お城に向かってブドウ畑を登っていく。
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ここのお城は、城壁だけになっている
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が、奥にタワーがある。
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本能で、高いところに登ってみたくなった。
ひんやり涼しい風 -
あんまり涼しいので、ここで30分以上過ごす
13世紀からこの辺の貴族の住居だったそうで。この塔は見張り用。
1689年にフランス軍に破壊されてしまった。ここもか。フランス軍、破壊しまくりだな。
石を積み上げた塔
でもこの石、堆積岩なんで、冬は寒く、夏は暑いんだってことだ。自分にはかなり涼しく感じられたけど。 -
塔をでて、外壁を回って、今度は反対方向から街へ下りる
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ブドウの蔓があちこちに
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小さな実ができ始めている
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Plazに出て
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クルーズ船に乗り、Cochemへ戻る
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このスペースに、ブドウを植えるよりも、自分のワイナリーの宣伝をしたほうがいいということか。
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Cochemが見えてきた
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夕食は、マーケットのそばの、古い感じのレストランへ
この辺は、スーパーが全く無い。レストランで食べるようになっているようだ。観光地だからな。 -
で、スペインで食べられなかった、マス料理を頼む
モセル川のマスではない、といっていたが、
でも、すごく新鮮で、ソースもおいしく、このレストランに来てよかった。 -
まだ明るいので、Cochemのお城に登る
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ブドウ畑の上に、見えてきた。
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ゲート
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今日は、食事会のため、食事の招待客以外は入れないということで
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また明日朝くるということで、
お城から見た、Cochemの町 -
翌朝
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Cochemの街がきれいに見える
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お城ツアーに参加
お城までちょっと階段を上っていく。 -
このお城は、ドイツ王室の城であったが、1688年にフランスのルイ14世の軍に征服され、九年戦争の後破壊されたそうだ。Beilsteinの城と同じだな。フランス軍、破壊ばっかり。
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それを聞いたツアーを一緒にした夫婦が、なぜフランスはあれもこれも破壊するのか?と質問していたが。ちょっとフランスにむかついているようで。
まあ、反体制勢力が拠点としやすいところを、念のため、破壊したんだろうか。当時は、観光業はないから、観光地として残しておこうなんて気持ちはまったくないわけで。
この部屋には、女神像のついたシャンデリアがある。 -
これが女神像
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これが狩猟の間
殺された動物たちの頭が -
1868年にベルギーのRavené氏がこのお城を購入し、修復した。明治元年だな。
Ravené氏の趣味の品がたくさんある。
ルイ14世や、ルイ16世とマリーアントワネットの絵も飾ってあった。
まあ、彼としては歴史については、ニュートラルな立場だったんだろう。 -
当時の兵士は今の人よりもかなり小さかったが、とびぬけて大きい人もいたようだ。
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窓からの景色が気持ちいい
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ちょうどテレビ局の取材が始まり、ここで見学は終わり
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裏からみたお城
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お城を後にして
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ホテルに戻り、
となりは、市庁舎 -
市庁舎の玄関にあったこの絵
羊を押しつぶして、血をとる、たぶん、神へささげるのか、
残虐 -
Cochemを出て、コブレンツ経由で、フランクフルトへ
往きに買ったこの、ひまわりの種のプリッゼルが忘れられず、また買う。 -
フランクフルトのKleinmarkethalleへ
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野菜とかパンとかチーズとかの市場
チーズを買いに来たが ちょっと高いので、 -
Reweに行って買う
チーズ売り場のおばちゃんに、「これ何か知ってるの?」「これ食べたら歯磨かないとくさいよ」と言われたチーズを購入
大根とたまねぎをすりおろしたものが発酵したようなにおい
なかなか美味 -
オスナブルックの前にこのチーズのことを聞いて、食べたことがあるが、
これと同じ
でも、フランスの熟成したChevreに比べて、大したにおいではない。 -
Städel美術館へ
William Hogarth展をやっていたので -
彼がWilliam Hogarthと飼い犬
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彼の版画は、風刺とユーモアにあふれている
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このボティッチェリの絵はこの美術館にあった
あたりまえかもしれんが、上手だ -
歩いてホテルへ戻る
今日も、本当に暑かった
楽しかったドイツ旅行もこれで終わり
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