2015/06/14 - 2015/06/14
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Kオジサンさん
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長野県の南部。阿智村に満蒙開拓平和記念館が有ります。南信に満蒙開拓平和記念館が有る事をネットか何かで知ったのです。前々から行きたいと思っていました。それに、行ってみたいと思っていたのが木曽路の道の駅。木曽路の道の駅の朴葉巻きを買いに行きたかったのです。
初夏の時期になり、新緑です。朴葉の繋る時期と成り、朴葉巻きが店頭に並ぶ時期になりました。
満蒙開拓平和記念館へ
満州開拓に全国から人々が向かっていますが、この長野県が37,000人余りと全国で一番多い人数です。そして、長野県の中でも下伊那、飯田地方がダントツに多い数となっています。
国策として渡満が奨励され、敗戦を迎えて逃避行と収容所生活。苦しみ連続でした。
館に入ると職員の人が説明して廻り始めているときでした。
満州とは、今の中国東北部で、遼寧省、吉林省、黒龍江省、そして河北省の一部が旧満州です。長さ的には本州ほどの長さでスッポリと入ってしまう大きさです。戦前は拓務省と言う官庁があり、渡満を奨励していて、村へ補助金を出していました。
満州開拓に行くのに青少年がターゲットと成り、村から何人出せという締め付けも有ったそうです。小学校が6年でその後高等科が2年。そして16歳から19歳の若者が渡ったのだそうです。
800余りの開拓団が組織されました。満州では、6割が中国人が耕作していた土地だったそうです。そんな土地を安い金で買取入植しました。先に居た人を追い出してそこで営農を始めた。終戦後ソ連兵に攻め込まれ、言葉に出来ない苦労をして来ましたが、土地を占拠した加害者的な面も残ります。これも、全て、国の方針だったのでしょう。
色々と説明してもらえました。
こんな、満蒙開拓平和記念館を見学して来ました。
北海道へ行った時、納沙布岬で北方4島の返還運動の取り組みを見ました。
今回の記念館と言い、何故もつと早く降伏しなかったのかと思います。ドイツが敗戦と成り、ヨーロッパ戦線のソ連兵が東に廻ってきました。3月に東京大空襲が有りました。戦艦大和の特攻。そして廣島と長崎の原爆。もっと早く降伏していればこのような悲劇は無かったと思います。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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まず最初に向かったのが、阿智村の満蒙開拓平和記念館です
満蒙開拓平和記念館の駐車場に来ました。 -
これから満蒙開拓平和記念館へ向かいます。
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これから満蒙開拓平和記念館へ向かいます。
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満蒙開拓平和記念館に入ります。
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満蒙開拓平和記念館の正面入口です。
この先は撮影禁止と成っていましたので、撮影を控えました。 -
満蒙開拓平和記念館のパンフレットです。
2006年に飯田日中友好協会の記念館事業として採択と有ります。それまでも地道な活動が有ったのでしよう。一歩一歩の積み重ねで、2012年に建設に着手して2013年4月25日に開館の運びとなりました。そして、この4月19日には6万人の来館者に達したと有ります。
農業移民として27人もの人が「満州国」へ渡っていきました。開拓団を組織して行ったのですが、終戦の直前にソ連が参戦し荒野を逃げ惑う結果となりました。命からガラの逃避行。止むに止まれず子供たちを残してきました。その人たちが残留孤児です。終戦後、直ぐには帰国する事が出来ず、苦しい収容所生活を送りました。
このような歴史を後世に伝えるために記念館が設けられました。 -
満蒙開拓平和記念館のパンフレットで、館内の平面図を紹介しています。
当時の、時代背景。そして現地へ。敗戦と逃避行。引き上げと再出発と言う順序で説明しています。 -
映画。「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」
山本慈昭さんを中心にして満蒙開拓団を取り上げた作品です。左側は館の入口のガラスに貼られていました。右は館に有ったパンフです。 -
館内の様子。
撮影禁止でしたが、許しを得て撮影させてもらいました。個人からお借りした写真などがあり、著作権の関係から撮影を禁止にしているのだと説明してくれました。 -
この部屋は体験した人が語るビデオが流れていました。
右に貼られているのは、来館者の感想です。来館した中国人が書いたのでしょう。安倍首相が来て見よと中国語のメッセージが貼られていました。
戦中戦後の歴史。このように史実が有ったことを、もっと子供たちに教えて欲しいと思います。
満蒙開拓平和記念館
長野県下伊那郡阿智村駒場711番地10
0265-43-5580
http://www.manmoukinenkan.com/
是非、満蒙開拓平和記念館へ行かれる事をお勧めします。 -
十割そば
十割そばと言う暖簾が下がっていますが、店の名は「まみあな」狸穴と言うようです。
店内はスナックか喫茶店のような店構えでした。 -
これから中に入ります。
しっかりした木製のドアです。 -
左は私が注文した「地獄そば」カミさんは「ざるそばに五平餅」の付いたセットです。
紅葉オロシが乗っていて、地獄と言うだけ有って、辛いそばでした。
どちらのそばも普通より少し多めで量的に満足できました。
五平餅を少しかじらせて貰いましたが、香ばしいタレで美味しかったです。 -
この店に火野正平が訪れていました。
あの、自転車で来たのでしょうかね。 -
国道256号線
阿智村から次の目的地。大桑村を目指します。 -
国道256号線のロードサインが見えます。
坂道を登り高度が高くなってきました。
もうすぐ、清内路トンネルです。
国道を走っていて、何台かのバスとすれ違いました。
妻籠宿へ寄った帰りか、木曽谷から伊那谷に向かうルートと成っているのでしょう。 -
道の駅 大桑
道の駅 大桑の表には「朴葉祭り」の幟旗が立っています。 -
こちらが道の駅 大桑です。
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木挽きの里へ向かいます。
裏向きになっていますが、「ほうば巻き」の旗が立っています。 -
木挽きの里の店内です。
朴葉巻き
道の駅大桑の木挽きの里で朴葉巻を買いました。朴葉巻きは、つぶ餡やこし餡を米の粉をこねた皮で包み蒸し揚げた木曽地方独特の菓子です。木曽では端午の節句が月遅れ祝わわれ、柏餅の代わりとなる物のようです。味は柏餅に似ているのですが、甘すぎず、美味しくいただきました。
店の人によると、朴葉巻が店先に並ぶのは今頃の時期、1ヶ月間だけだそうです。時期を過ぎると葉がエグくなると言ってました。
6月になると、木曽地方の各地では朴葉まつりが開かれ、朴葉巻や朴葉寿司が顔を見せます。 -
郵パックのダンボール。
石川の孫宛に郵パックで朴葉巻きを送ります。 -
国道19号線を走ります。
上りの特急しなのが追い越していきます。 -
ちこり村へ
中津川市のちこり村へ来ました。 -
ちこり村に入ります。
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店内ではちこりの試食をさせていました。
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こちらのコーナーでは、自分で手に取って試食できました。
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ちこりのショーケース。
1本180円と200円。小ぶりの5本入は400円でした。 -
ピリカラ麴。
ちこりの試食で着けて食べるようになっていました。
それで、買って来てしまいましたが、このサイズで500円は高い。
普通、スーパーに並んでいて500円だと躊躇してしまいますが、土産としての500円。財布のヒモが緩くなります。値段は高いのですが、チョッピリ、ピリッとしていて、ちこりに良く合いました。 -
ちこりの焼酎を醸造しています。
場内を見学できるようになっています。 -
焼酎のカメが並んでいます。
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外に出てきました。
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観光バスが4台も並んでいます。
時間的にはこれから自宅方面へ帰る時です。
バスが最後に立ち寄る場所かも知れません。
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