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2013年9月25日、東京都品川区東五反田にある「薬師寺東京別院」へ、友人を案内して写経に行って来ました。<br /><br />私の写経とのかかわりは、1970(昭和45)年、結婚した時から始まりました。医者でありながら得度して仏教に深く帰依した義父から「写経」について教えてもらいました。<br /><br />時を同じくして、薬師寺の管長であった高田好胤師が、1968(昭和43)年から薬師寺の金堂復興のため「般若心経の100万巻写経勧進」を発願し、テレビや各地での講演など精力的に活躍していました。高田好胤師は管長になる以前、薬師寺を訪れた修学旅行生に「名物僧侶」として、仏教をわかり易く説明していた人で、将来の大人にコツコツと種を播いていました。<br /><br />写経勧進は、最初の苦難の時期を乗り越え、昭和の人々の心をとらえて順調に進み、薬師寺では、1976(昭和51)年に金堂が再建されました。その後も「写経勧進」は広がり、1981(昭和56)年に西塔が再建されました。そして中門、回廊・・・・と再建されて行きました<br /><br />現在では写経は珍しくはなく、薬師寺以外のあちこちのお寺でやっています。<br />しかしその始まりは、薬師寺の高田好胤師からだと思います。高田好胤師は1998(平成10)年に亡くなりましたが、師の100万巻写経勧進の発願の遺志が引き継がれ、今や700万巻を超えているとのことです。<br /><br />写真は、薬師寺東京別院で「般若心経」の写経の手本です。<br /><br /><br />

薬師寺東京別院にて写経、薬師寺元管長高田好胤師の百万巻写経勧進

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2013/09/25 - 2013/09/25

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元カニ族

元カニ族さん

2013年9月25日、東京都品川区東五反田にある「薬師寺東京別院」へ、友人を案内して写経に行って来ました。

私の写経とのかかわりは、1970(昭和45)年、結婚した時から始まりました。医者でありながら得度して仏教に深く帰依した義父から「写経」について教えてもらいました。

時を同じくして、薬師寺の管長であった高田好胤師が、1968(昭和43)年から薬師寺の金堂復興のため「般若心経の100万巻写経勧進」を発願し、テレビや各地での講演など精力的に活躍していました。高田好胤師は管長になる以前、薬師寺を訪れた修学旅行生に「名物僧侶」として、仏教をわかり易く説明していた人で、将来の大人にコツコツと種を播いていました。

写経勧進は、最初の苦難の時期を乗り越え、昭和の人々の心をとらえて順調に進み、薬師寺では、1976(昭和51)年に金堂が再建されました。その後も「写経勧進」は広がり、1981(昭和56)年に西塔が再建されました。そして中門、回廊・・・・と再建されて行きました

現在では写経は珍しくはなく、薬師寺以外のあちこちのお寺でやっています。
しかしその始まりは、薬師寺の高田好胤師からだと思います。高田好胤師は1998(平成10)年に亡くなりましたが、師の100万巻写経勧進の発願の遺志が引き継がれ、今や700万巻を超えているとのことです。

写真は、薬師寺東京別院で「般若心経」の写経の手本です。


同行者
その他
交通手段
新幹線 私鉄 徒歩
  • 薬師寺東京別院は、1300年の歴史を持つ奈良薬師寺の別院です。<br />JR五反田駅より、徒歩で数分の池田山の高台に在る静かな環境で、御家流香道を極めた故山本霞月氏の旧宅を改造したものです。<br />

    薬師寺東京別院は、1300年の歴史を持つ奈良薬師寺の別院です。
    JR五反田駅より、徒歩で数分の池田山の高台に在る静かな環境で、御家流香道を極めた故山本霞月氏の旧宅を改造したものです。

    薬師寺東京別院 寺・神社・教会

    写経道場には、写経用具一式が揃えられていて、いつでも、だれでも写経が出来ます。 by 元カニ族さん
  • 以前に行った時は、木造の家屋でしたが、すっかり様子が変わり、鉄筋コンクリートの三階建ての建物になっていました。

    以前に行った時は、木造の家屋でしたが、すっかり様子が変わり、鉄筋コンクリートの三階建ての建物になっていました。

  • 写経道場も現代風に椅子式になっていました。道場の中は、正面にご本尊がまつられ、机の上には、硯、筆、般若心経の台紙の上に写経用紙、手本など用具一式が置かれていました

    写経道場も現代風に椅子式になっていました。道場の中は、正面にご本尊がまつられ、机の上には、硯、筆、般若心経の台紙の上に写経用紙、手本など用具一式が置かれていました

  • 机の上にある、写経用の手本です。

    机の上にある、写経用の手本です。

  • 写経は上の写真の手本の上に用紙を置いて筆で写します。

    写経は上の写真の手本の上に用紙を置いて筆で写します。

  • 写経は写真のような袈裟をかけて行います。<br />袈裟には「願百万巻写経勧進」、「願奈良薬師寺復興」と刺繍されています。

    写経は写真のような袈裟をかけて行います。
    袈裟には「願百万巻写経勧進」、「願奈良薬師寺復興」と刺繍されています。

  • 書上げた写経です。<br />薬師寺東京別院の公式サイトには、写経のすすめとして「古来より、お経は文字を見るだけででも功徳があり、声を出して読誦するとなお大きな功徳がある。さらに一文字一文字を書写したならば、より大きな功徳があるといわれています。」と書かれています。<br />

    書上げた写経です。
    薬師寺東京別院の公式サイトには、写経のすすめとして「古来より、お経は文字を見るだけででも功徳があり、声を出して読誦するとなお大きな功徳がある。さらに一文字一文字を書写したならば、より大きな功徳があるといわれています。」と書かれています。

  • 書き終えた写経は、本尊脇の机の上に奉納します。この写経は奈良の薬師寺に送られて奉納されます。<br />

    書き終えた写経は、本尊脇の机の上に奉納します。この写経は奈良の薬師寺に送られて奉納されます。

  • 写経を終え、奉納すると、「写経勧進納経集印帳」に当日の日付を記入し、印章がもらえるのですが、この日は、コンピュータが故障しているとのことで、「写経勧進納経集印帳」を預けておき、後日郵送してもらいました。<br />

    写経を終え、奉納すると、「写経勧進納経集印帳」に当日の日付を記入し、印章がもらえるのですが、この日は、コンピュータが故障しているとのことで、「写経勧進納経集印帳」を預けておき、後日郵送してもらいました。

  • さて、冒頭に書いたように、義父から「写経」について教えたもらった頃、テレビなどでは、薬師寺の管長であった高田好胤師の薬師寺金堂復興のための「般若心経100万巻写経勧進」が報じられていました。<br />私は1970年秋に薬師寺を訪れ、写経セットを買い求めました。写真はその時のもので脇に抱えているのが購入した写経セットです。<br />猶、写真の背景の建物は「東塔」で、薬師寺に残る唯一の古い建物で、現在は解体修理が行われています。<br />

    さて、冒頭に書いたように、義父から「写経」について教えたもらった頃、テレビなどでは、薬師寺の管長であった高田好胤師の薬師寺金堂復興のための「般若心経100万巻写経勧進」が報じられていました。
    私は1970年秋に薬師寺を訪れ、写経セットを買い求めました。写真はその時のもので脇に抱えているのが購入した写経セットです。
    猶、写真の背景の建物は「東塔」で、薬師寺に残る唯一の古い建物で、現在は解体修理が行われています。

    薬師寺 寺・神社・教会

  • 写真(は、その時持ち帰った写経台紙です。これには「奉為法相宗大本山薬師寺金堂復興」と書かれています。その後、何回も使っているので、現在ではボロボロになっています。<br /><br />これを契機に、般若心経以外の経典の写経も始めました。経典を訳文と対比しながら、一字一字写して行きました。受験時代「書いて覚えよ」と言われましたが、経典の理解も読むだけでなく「書いて覚える」のが近道であることを知りました。

    写真(は、その時持ち帰った写経台紙です。これには「奉為法相宗大本山薬師寺金堂復興」と書かれています。その後、何回も使っているので、現在ではボロボロになっています。

    これを契機に、般若心経以外の経典の写経も始めました。経典を訳文と対比しながら、一字一字写して行きました。受験時代「書いて覚えよ」と言われましたが、経典の理解も読むだけでなく「書いて覚える」のが近道であることを知りました。

  • さて、薬師寺では、1976(昭和51)年に金堂が再建されました。その後も「写経勧進」は広がり、1981(昭和56)年に西塔が再建されました。そして中門、回廊・・・・と再建されて行きました。<br />1995(平成7)年、社内旅行で、奈良を訪れ薬師寺に行きました。写真は再建された金堂の前です。

    さて、薬師寺では、1976(昭和51)年に金堂が再建されました。その後も「写経勧進」は広がり、1981(昭和56)年に西塔が再建されました。そして中門、回廊・・・・と再建されて行きました。
    1995(平成7)年、社内旅行で、奈良を訪れ薬師寺に行きました。写真は再建された金堂の前です。

    薬師寺 寺・神社・教会

  • 続いて再建なった西塔です。

    続いて再建なった西塔です。

  • 中門の前です。中門に向こうには金堂の屋根が見えます。

    中門の前です。中門に向こうには金堂の屋根が見えます。

  • この時、希望者は写経道場に入り写経をしました。写真はその時、写経道場に来られた高田好胤管長です。<br />高田好胤師は1998(平成10)年に亡くなりましたが、師の100万巻写経勧進の発願の遺志が引き継がれ、今や700万巻を超えているとのことです。また薬師寺もほぼ完全に復元され、師の偉大さが偲ばれます。

    この時、希望者は写経道場に入り写経をしました。写真はその時、写経道場に来られた高田好胤管長です。
    高田好胤師は1998(平成10)年に亡くなりましたが、師の100万巻写経勧進の発願の遺志が引き継がれ、今や700万巻を超えているとのことです。また薬師寺もほぼ完全に復元され、師の偉大さが偲ばれます。

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