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地元の友人の開いた整骨院で久しぶりに寄って<br />ウダウダしてから、最近ご無沙汰していた総社近辺を散策しました。<br />今日も天気が悪い。

吉備路

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2015/06/09 - 2015/06/09

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モイスキー

モイスキーさん

地元の友人の開いた整骨院で久しぶりに寄って
ウダウダしてから、最近ご無沙汰していた総社近辺を散策しました。
今日も天気が悪い。

  • 何十年ぶりかの総社宮。<br />平安時代末期、赴任してきた国司が際、巡拝の手間を省く為、国府の近くに備中国内三百二十四社の神社を勧請しお祀りしたのが創建の由緒だそうだ。

    何十年ぶりかの総社宮。
    平安時代末期、赴任してきた国司が際、巡拝の手間を省く為、国府の近くに備中国内三百二十四社の神社を勧請しお祀りしたのが創建の由緒だそうだ。

  • 長廊下。

    長廊下。

  • 南参道から髄神門。

    南参道から髄神門。

  • まちかど郷土館。<br />旧総社警察署。明治43年に建てられた洋風建築。<br />昭和63年に、まちかど郷土館としてオープンしたらしい。<br />

    まちかど郷土館。
    旧総社警察署。明治43年に建てられた洋風建築。
    昭和63年に、まちかど郷土館としてオープンしたらしい。

  • 二階は備中売薬についての展示コーナーになっている。<br />総社はかつて家庭薬の産地であり、薬売りのまちとして栄えていたらしい。<br />全然知らんかった。

    二階は備中売薬についての展示コーナーになっている。
    総社はかつて家庭薬の産地であり、薬売りのまちとして栄えていたらしい。
    全然知らんかった。

  • レトロな薬箱。

    レトロな薬箱。

  • 薬箱になる前はこのような薬差しを柱に吊るしたらしい。

    薬箱になる前はこのような薬差しを柱に吊るしたらしい。

  • こちらの差し袋も薬を入れて吊るしていた。

    こちらの差し袋も薬を入れて吊るしていた。

  • 各種薬。

    各種薬。

  • 二階から眺め。

    二階から眺め。

  • 郷土館の方に頂いた紙風船。<br />薬売りの人が子供に配っていたらしい。<br />

    郷土館の方に頂いた紙風船。
    薬売りの人が子供に配っていたらしい。

  • まちなか郷土館のはす向かいにある、<br />洋画家・実業家の掘和平の生家をカフェに<br />していて中はお客で賑わっていた。

    まちなか郷土館のはす向かいにある、
    洋画家・実業家の掘和平の生家をカフェに
    していて中はお客で賑わっていた。

  • 何の店だったのかね。

    何の店だったのかね。

  • 総社宮の門前町。<br />旧松山往来の宮川筋。

    総社宮の門前町。
    旧松山往来の宮川筋。

  • この辺りは昔屋根のあるアーケード街だった記憶が有る。

    この辺りは昔屋根のあるアーケード街だった記憶が有る。

  • 田園地帯を抜けて備中国分寺へ向かう。<br />前来たのは、7、8年前くらいかな。

    田園地帯を抜けて備中国分寺へ向かう。
    前来たのは、7、8年前くらいかな。

  • 五重塔が見えて来た。

    五重塔が見えて来た。

  • 一本道。

    一本道。

  • 五重塔の周りは、春は桜や桃、菜の花、<br />秋にはれんげが咲いてきれいだそうですが、<br />緑の田園風景もよく似合う。<br /><br />

    五重塔の周りは、春は桜や桃、菜の花、
    秋にはれんげが咲いてきれいだそうですが、
    緑の田園風景もよく似合う。

  • 伽藍配置図。<br />奈良時代創建時は現在の伽藍よりも<br />大きかったようだ。

    伽藍配置図。
    奈良時代創建時は現在の伽藍よりも
    大きかったようだ。

  • 山門。<br />備中国分寺は、聖武天皇が天平13年(741)に仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から人々そして国を守ること (鎮護国家)を目的に建てられた官寺の一つ。<br />建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建されたそう。

    山門。
    備中国分寺は、聖武天皇が天平13年(741)に仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から人々そして国を守ること (鎮護国家)を目的に建てられた官寺の一つ。
    建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建されたそう。

  • 善男善女とは、広く仏教を信仰する人々のこと、また寺院に参詣したり霊場を巡礼したりする人々を指すらしい。

    善男善女とは、広く仏教を信仰する人々のこと、また寺院に参詣したり霊場を巡礼したりする人々を指すらしい。

  • 境内のお土産屋。

    境内のお土産屋。

  • 勅使門。

    勅使門。

  • 大師堂。

    大師堂。

  • 本堂。

    本堂。

  • 重文の五重塔。高さ34.32メートル。<br />南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50メートル。)を焼失したのち、<br />弘化年間(1844年-1847年)に完成したもの。<br />

    重文の五重塔。高さ34.32メートル。
    南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50メートル。)を焼失したのち、
    弘化年間(1844年-1847年)に完成したもの。

  • 奈良時代の礎石。

    奈良時代の礎石。

  • 鐘楼。

    鐘楼。

  • 国分寺を離れ総社駅方面へ。

    国分寺を離れ総社駅方面へ。

  • 浅尾藩陣屋跡へ行ってみる。<br />江戸時代の総社は備中松山藩領、浅尾藩、岡田藩、足守藩、岡山藩支藩の生坂藩、三須知行所、宝福寺領などが混在し、かなり複雑な統治だったらしい。<br />うちの地元は岡田藩領だったようだが。

    浅尾藩陣屋跡へ行ってみる。
    江戸時代の総社は備中松山藩領、浅尾藩、岡田藩、足守藩、岡山藩支藩の生坂藩、三須知行所、宝福寺領などが混在し、かなり複雑な統治だったらしい。
    うちの地元は岡田藩領だったようだが。

  • 総社駅の北側、小高い丘の上に<br />山城のように築かれていた。

    総社駅の北側、小高い丘の上に
    山城のように築かれていた。

  • 見取り図。残存してるのは土堀の一部だけ。<br />蒔田家年表。<br />藩祖・蒔田広定は関ヶ原の戦いで西軍についていたが、後に許されて、慶長8年(1603年)に備中国賀陽・窪屋、河内国大県、山城国久世、摂津国豊島・八部において1万石を与えられ、備中浅尾に陣屋を構え立藩。<br />第2代藩主・定正は弟の長広に3000石を分与して8310石の旗本となる。<br />第3代藩主・定行からは7700石となる。<br />幕末の文久3年(1863年)に11代藩主の広孝の時、江戸市中警備の功績で、1万石に高直しをされて譜代大名となった。<br />

    見取り図。残存してるのは土堀の一部だけ。
    蒔田家年表。
    藩祖・蒔田広定は関ヶ原の戦いで西軍についていたが、後に許されて、慶長8年(1603年)に備中国賀陽・窪屋、河内国大県、山城国久世、摂津国豊島・八部において1万石を与えられ、備中浅尾に陣屋を構え立藩。
    第2代藩主・定正は弟の長広に3000石を分与して8310石の旗本となる。
    第3代藩主・定行からは7700石となる。
    幕末の文久3年(1863年)に11代藩主の広孝の時、江戸市中警備の功績で、1万石に高直しをされて譜代大名となった。

  • 浅尾藩というと幕末の倉敷浅尾騒動。<br />元治元年(1864年)の禁門の変において広孝は京都見廻役として長州藩勢撃退に活躍した。このことが原因なのか、慶応2年(1866年)4月12日、第二奇兵隊を脱走した立石孫一郎ら、長州浪士100余名により、浅尾陣屋は倉敷代官所と共に襲撃された。<br /><br />

    浅尾藩というと幕末の倉敷浅尾騒動。
    元治元年(1864年)の禁門の変において広孝は京都見廻役として長州藩勢撃退に活躍した。このことが原因なのか、慶応2年(1866年)4月12日、第二奇兵隊を脱走した立石孫一郎ら、長州浪士100余名により、浅尾陣屋は倉敷代官所と共に襲撃された。

  • 微妙な高さからの総社の町並み。

    微妙な高さからの総社の町並み。

  • 総社駅。

    総社駅。

  • 吉備線に乗って岡山へ。

    吉備線に乗って岡山へ。

  • 車窓から、山の上に鬼ノ城らしきものが。

    車窓から、山の上に鬼ノ城らしきものが。

  • 昔よく見た岡山駅西口界隈からの夕陽。

    昔よく見た岡山駅西口界隈からの夕陽。

  • 浅月。ここのラーメン屋は美味しいらしい。<br />創業60年だったら来た事有ってもおかしくない。

    浅月。ここのラーメン屋は美味しいらしい。
    創業60年だったら来た事有ってもおかしくない。

  • 中華そばと天むす。<br />スープが独特で美味しく頂きました。

    中華そばと天むす。
    スープが独特で美味しく頂きました。

  • 奉還町商店街は、明治初期に岡山藩の武士が、大政奉還により手にした奉還金を元手に店を興したのが始まりなんだそうだ。

    奉還町商店街は、明治初期に岡山藩の武士が、大政奉還により手にした奉還金を元手に店を興したのが始まりなんだそうだ。

  • 木村屋でバナナロールパン買って、東京へ向かう。

    木村屋でバナナロールパン買って、東京へ向かう。

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