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群馬県桐生市・新里町の山上城址公園へロウバイを見に行ってきました。<br />昨日までの強い風がやんで、気温も比較的高めの晴天だったので行ってみましたが、時期としては少し早かったようです。<br />帰ってからネットで「桐生市のロウバイ開花情報」を見たら、1/19現在、五分咲きとのことでした。

山上城跡公園のロウバイは五分咲きだった_2015(桐生市・新里町)

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2015/01/19 - 2015/01/19

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minaMicaze

minaMicazeさん

群馬県桐生市・新里町の山上城址公園へロウバイを見に行ってきました。
昨日までの強い風がやんで、気温も比較的高めの晴天だったので行ってみましたが、時期としては少し早かったようです。
帰ってからネットで「桐生市のロウバイ開花情報」を見たら、1/19現在、五分咲きとのことでした。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
  • 県道78号を北進して、大間々町の手前の「諸町」交差点を左折し、県道3号を西へ進みます。<br /><br />直進すると、大間々町を経て、日光、足尾方面です。<br />群馬昆虫の森、小平鍾乳洞、ながめ公園などへも直進です。

    県道78号を北進して、大間々町の手前の「諸町」交差点を左折し、県道3号を西へ進みます。

    直進すると、大間々町を経て、日光、足尾方面です。
    群馬昆虫の森、小平鍾乳洞、ながめ公園などへも直進です。

  • 諸町交差点から西へ4kmほど進むと「新里支所入口」という交差点があります。ここを直進して、すぐ先の、写真中央に見える交差点を右折します。

    諸町交差点から西へ4kmほど進むと「新里支所入口」という交差点があります。ここを直進して、すぐ先の、写真中央に見える交差点を右折します。

  • ここが「小林」交差点です。ここを右折します。<br /><br />左折すると、上毛電鉄の新里駅で、この駅が山上城址公園の最寄駅です。

    ここが「小林」交差点です。ここを右折します。

    左折すると、上毛電鉄の新里駅で、この駅が山上城址公園の最寄駅です。

  • 小林交差点から2kmほど走ると案内板があります。<br />山上城址公園は、ここを左折します。<br /><br />「山上城址公園」「山上多重塔」「常広字弁財天堂」と書いてあったようですが、薄くなっていて、よく分かりません。

    小林交差点から2kmほど走ると案内板があります。
    山上城址公園は、ここを左折します。

    「山上城址公園」「山上多重塔」「常広字弁財天堂」と書いてあったようですが、薄くなっていて、よく分かりません。

  • 1kmほど走ると、T字路です。<br />正面に「左、山上の多重塔」「右、山上城址公園」の行先表示があります。<br /><br />右に見える「蔵」の形をした看板に「山上城跡」とあります。この右奥が公園の駐車場です。

    1kmほど走ると、T字路です。
    正面に「左、山上の多重塔」「右、山上城址公園」の行先表示があります。

    右に見える「蔵」の形をした看板に「山上城跡」とあります。この右奥が公園の駐車場です。

  • 駐車場の入り口です。左側が駐車場、奥の建物は「市立新里郷土文化伝習館」です。<br /><br />植込みに「山上城跡 駐車場、右」の看板があります。左の駐車場に入らずに右奥へ進むと、広い駐車場があります。(未舗装です)

    駐車場の入り口です。左側が駐車場、奥の建物は「市立新里郷土文化伝習館」です。

    植込みに「山上城跡 駐車場、右」の看板があります。左の駐車場に入らずに右奥へ進むと、広い駐車場があります。(未舗装です)

  • 山上城跡公園駐車場です。中央奥に立派な木の橋があります。右に見える小屋はトイレです。

    山上城跡公園駐車場です。中央奥に立派な木の橋があります。右に見える小屋はトイレです。

  • 駐車場の奥に建てられた「新里ガイドマップ」です。こちらもだいぶ薄くなっています。

    駐車場の奥に建てられた「新里ガイドマップ」です。こちらもだいぶ薄くなっています。

  • 木の橋を渡って高台へ上がります。橋といっても下に水が流れているわけではありません。

    木の橋を渡って高台へ上がります。橋といっても下に水が流れているわけではありません。

  • 橋を渡った先は芝生の広場です。ここが城址・三の丸跡です。<br /><br />この芝生の広場の周囲に、ロウバイが植えられています。

    橋を渡った先は芝生の広場です。ここが城址・三の丸跡です。

    この芝生の広場の周囲に、ロウバイが植えられています。

  • 芝生の広場の入り口の石碑に、「山上城由来」が刻まれています。<br /><br />── 山上城は、鎌倉時代から流行した館造りの本丸を中心として、同様の長方形の郭を組み合わせた、南北約650m、東西約220mの細長い形状の丘城である。北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・三の丸と並び、ふたつの堀切りを隔て、高さ約5mの物見台を持つ南郭へ続き、空堀・帯郭・腰郭が渦状にめぐっている。更に、東の蕨沢川、西の山田川浸食による谷地が堀の役目を果たしており、巧妙な手法によって築城されていることがわかる。この城は田原藤太といわれた藤原秀郷の子孫である五郎高綱が山上の姓を名乗り居城とした。高綱の子、太郎高光は源頼朝に仕え、上杉氏が関東管領の頃は、由良氏・薗田氏・桐生氏とともに東上州四家として、重要な役割を果たしていた。北条・武田・上杉氏などの群雄が割拠した戦国動乱のなかで、戦国時代末期の転生18年(1580)廃城となった。(昭和23年11月26日、県指定史跡)──

    芝生の広場の入り口の石碑に、「山上城由来」が刻まれています。

    ── 山上城は、鎌倉時代から流行した館造りの本丸を中心として、同様の長方形の郭を組み合わせた、南北約650m、東西約220mの細長い形状の丘城である。北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・三の丸と並び、ふたつの堀切りを隔て、高さ約5mの物見台を持つ南郭へ続き、空堀・帯郭・腰郭が渦状にめぐっている。更に、東の蕨沢川、西の山田川浸食による谷地が堀の役目を果たしており、巧妙な手法によって築城されていることがわかる。この城は田原藤太といわれた藤原秀郷の子孫である五郎高綱が山上の姓を名乗り居城とした。高綱の子、太郎高光は源頼朝に仕え、上杉氏が関東管領の頃は、由良氏・薗田氏・桐生氏とともに東上州四家として、重要な役割を果たしていた。北条・武田・上杉氏などの群雄が割拠した戦国動乱のなかで、戦国時代末期の転生18年(1580)廃城となった。(昭和23年11月26日、県指定史跡)──

  • 石碑の上面には、公園の3Dマップがあります。<br /><br />その右には、ムカデと蛇が刻まれています。<br />その横には「むかしむかし赤城山の神様の大ムカデと、男体山の神様の大蛇が争いましたとさ」と刻まれています。争った場所は「戦場ヶ原」だったと思うのですが、何故ここに刻んだのでしょうか?

    石碑の上面には、公園の3Dマップがあります。

    その右には、ムカデと蛇が刻まれています。
    その横には「むかしむかし赤城山の神様の大ムカデと、男体山の神様の大蛇が争いましたとさ」と刻まれています。争った場所は「戦場ヶ原」だったと思うのですが、何故ここに刻んだのでしょうか?

  • 芝生の広場の南端に井戸とその説明を刻んだ石碑があります。

    芝生の広場の南端に井戸とその説明を刻んだ石碑があります。

  • 石碑に刻まれた説明は以下のとおりです。<br /><br />── 山上城址第一号井戸:<br />山上城址公園整備の発掘調査により発見された第一号井戸は、地山のロームを直接掘り込んで構築されている。断面形態がラッパ状に上が開く、地山井筒朝顔型をとり、深さ八m、口径四m、底径一mの規模を有する。埋土状況は地山の黄色ロームが多量に混入しており、人為的に埋められているものと推定される。出土遺物に五輪塔や石臼、カワラケ皿等があり、掘削埋土の時期判定の根拠となると考えられる。埋土状況で、水中堆積物と思われる砂質を検出していないが、山上城のほぼ中軸線上に位置し、規模も一般的な井戸に比して大きいことから、重要な役割を果たした可能性もある。(新里村教育委員会) ──

    石碑に刻まれた説明は以下のとおりです。

    ── 山上城址第一号井戸:
    山上城址公園整備の発掘調査により発見された第一号井戸は、地山のロームを直接掘り込んで構築されている。断面形態がラッパ状に上が開く、地山井筒朝顔型をとり、深さ八m、口径四m、底径一mの規模を有する。埋土状況は地山の黄色ロームが多量に混入しており、人為的に埋められているものと推定される。出土遺物に五輪塔や石臼、カワラケ皿等があり、掘削埋土の時期判定の根拠となると考えられる。埋土状況で、水中堆積物と思われる砂質を検出していないが、山上城のほぼ中軸線上に位置し、規模も一般的な井戸に比して大きいことから、重要な役割を果たした可能性もある。(新里村教育委員会) ──

  • 井戸の中を覘いてみました。格子がはめられており、その下には茂った雑草の向こうに暗い穴が開いています。

    井戸の中を覘いてみました。格子がはめられており、その下には茂った雑草の向こうに暗い穴が開いています。

  • 芝生広場の南東の端から、広場を見ています。

    芝生広場の南東の端から、広場を見ています。

  • 芝生の広場の西縁です。右側が広場です。広場の隅にはサイがいます。

    芝生の広場の西縁です。右側が広場です。広場の隅にはサイがいます。

  • ロウバイは、まだ蕾もあります。

    ロウバイは、まだ蕾もあります。

  • 椿の花が、まだ残っています。

    椿の花が、まだ残っています。

  • 広場の西端から見ています。

    広場の西端から見ています。

  • ここも蕾の方が多いですね。

    ここも蕾の方が多いですね。

  • 咲いている花に寄ってみました。

    咲いている花に寄ってみました。

  • 広場の西縁のロウバイ達です。

    広場の西縁のロウバイ達です。

  • このくらいが五分咲きでしょうか?

    このくらいが五分咲きでしょうか?

  • 咲いている花は綺麗です。

    咲いている花は綺麗です。

  • 広場の北縁です。

    広場の北縁です。

  • 北縁のロウバイを、西縁から東向きに撮りました。

    北縁のロウバイを、西縁から東向きに撮りました。

  • 北西の隅から東向きです。右側が広場です。

    北西の隅から東向きです。右側が広場です。

  • 北西の隅から、南向きに、西縁のロウバイを見ています。

    北西の隅から、南向きに、西縁のロウバイを見ています。

  • 北縁のロウバイも、咲ききってはいません。

    北縁のロウバイも、咲ききってはいません。

  • 同じ場所にあっても、樹によって咲き具合が違います。

    同じ場所にあっても、樹によって咲き具合が違います。

  • 北東の隅から西方向を見ています。左側が広場です。

    北東の隅から西方向を見ています。左側が広場です。

  • 広場の東縁から、広場を見ています。

    広場の東縁から、広場を見ています。

  • 広場の東縁には牛がいます。

    広場の東縁には牛がいます。

  • 芝生広場から北方向をパノラマで撮ってみました。<br /><br />中央の高くなっているところが、二の丸跡です。

    芝生広場から北方向をパノラマで撮ってみました。

    中央の高くなっているところが、二の丸跡です。

  • 三の丸跡(左側)と、二の丸跡(右側)の間の堀切です。

    三の丸跡(左側)と、二の丸跡(右側)の間の堀切です。

  • 三の丸跡(手前)から、二の丸跡(向こう側)への通路(踏み分け道?)です。<br />堀切りを横切ります。

    三の丸跡(手前)から、二の丸跡(向こう側)への通路(踏み分け道?)です。
    堀切りを横切ります。

  • この上が二の丸跡です。

    この上が二の丸跡です。

  • 二の丸跡です。奥の高くなっているところが本丸跡です。

    二の丸跡です。奥の高くなっているところが本丸跡です。

  • 二の丸跡の西側の遊歩道です。

    二の丸跡の西側の遊歩道です。

  • 本丸跡です。

    本丸跡です。

  • 本丸跡の西側です。

    本丸跡の西側です。

  • 本丸跡の北縁に、山上城跡の石碑があります。

    本丸跡の北縁に、山上城跡の石碑があります。

  • 石碑の隣に三角点があります。

    石碑の隣に三角点があります。

  • 本丸跡から見下ろした北郭です。

    本丸跡から見下ろした北郭です。

  • 同じく北郭の西側です。

    同じく北郭の西側です。

  • 本丸跡の西側の遊歩道です。

    本丸跡の西側の遊歩道です。

  • 二の丸跡の東側です。左の高台が本丸跡です。

    二の丸跡の東側です。左の高台が本丸跡です。

  • 三の丸跡(左側)と、二の丸跡(右側)の間の掘切りです。

    三の丸跡(左側)と、二の丸跡(右側)の間の掘切りです。

  • 三の丸跡(芝生広場)の東側です。奥の高台の上が芝生広場です。

    三の丸跡(芝生広場)の東側です。奥の高台の上が芝生広場です。

  • 東側から山上城址へ上がる道です。手前の両側が駐車場です。正面の奥が三の丸跡と二の丸跡の間の堀切りです。

    東側から山上城址へ上がる道です。手前の両側が駐車場です。正面の奥が三の丸跡と二の丸跡の間の堀切りです。

  • 山上城址公園の東の川の辺に、「元町橋の供養塔」がありました。

    山上城址公園の東の川の辺に、「元町橋の供養塔」がありました。

  • 元町橋を東へ渡ると、北に赤城山が見えます。

    元町橋を東へ渡ると、北に赤城山が見えます。

  • 「元町橋の供養塔」の相向かいに天生十五年と刻まれた道祖神がありました。

    「元町橋の供養塔」の相向かいに天生十五年と刻まれた道祖神がありました。

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