1961/06/29 - 1961/06/29
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ソフィさん
1961年フランスは行きたしされど遠かりし4 − 九竜の不夜城に心が躍る
国鉄は世界一の東海道新幹線建設をめぐり、1964年東京オリンピックまでの開業を目指して、総力を挙げていた。
方や私が一生に一度のチャンスととらえ、難関に挑戦して得たフランス政府招待社会人留学生。
二つの問題が競合する中、フランス政府からの具体的スケジュールが、待てど暮らせど届かない。
このまま待っていたのでは新幹線の工事が本格化し、私の訪欧チャンスが失われる。
そこで考えたのは、この年7月パリで行われる、国際土質・基礎学会への参加だった。
折よく日本土質工学会の役員を務めていた私は、学会の推薦を受け、日本代表の資格でパスポートを得、フランス政府にも了解をもらった。
パスポート、ビザ、航空券と、慣れない手続きを楽しみ、出発当日羽田にやって来て、またもや障害に出会う。
前日の台風で、羽田発パリ行きのフランス航空機が羽田に着陸できず、八戸まで行ってしまっていた。
当日朝9時発の予定が、夕方の5時発と、8時間遅れである。
これを羽田で知った私は、自宅に戻らずに、飛行場で待つこととした。
高田馬場の自宅から羽田までの、道の混み具合を考えると、とても帰る気はしなかったのだった。
ところが午後になって「岩手県の国鉄横黒線現場で、従事員十数名が事故死した」との、驚くべき情報が報道された。
この現場は、私が新幹線の計画に携わる前に、設計し着工した。
ダムの湛水湖を通過するため、難工事が多く、日本一ないしは日本初のものが、いくつも含まれている。
私は病気療養の後期からこの工事の発注にかけ、一年あまりの間に、たくさんの勉強ができた。
アメリカ、フランス、ドイツの専門月刊誌4誌に目を通し、東京の本社に工事伺いの説明に行くときには、本社の人たちを論破することが楽しみ。
盛岡から一緒に付いてくる人たちも、これまでの指導される側が指導する側に立場が代わり、留飲を下げていた。
設計を決めるにあたり、日本初経験のため本社が躊躇する部分もあり、私が若さの勇気で、それを押し切ったこともある。
今日の事故が若しそのような事柄に関わっているならば、すぐに岩手の現場に飛んでゆく必要があるのでは・・・?
しかし事故の詳報が得られないまま出発時間を迎え、私は思い切って香港に向け飛び立つ。
パリ行きフランス航空便ボーイング707型機には一人の日本人客もおらず、はなはだ心もとない。
世界のジェット旅客機は、まだ飛び始めたばかり、羽田には故郷金沢からの見送りも来ていた。
8時間遅れで到着した香港啓徳空港では、ようやくホテルの出迎えを見つけたが、ガタ車ぶに屈強の男が二人で、私は一瞬「拉致されるのでは」と疑った。
しかし勇を鼓して、そのガタ車に命を懸けた。
初めて踏む国外の地、夜半近いのに店の賑わい。不夜城の趣きが心を躍らせる。
2015.1.18片瀬貴文記
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