2014/03/13 - 2014/03/13
630位(同エリア2581件中)
クッキーさん
定期観光バスに乗り、古宇利島経由で今帰仁城跡を訪れました。
途中、小雨が降ったりもしましたが、晴れ女の本領を発揮して、今帰仁城跡の散策も無事終えることができました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝のゆいレール。
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那覇バスターミナル 定期観光バス乗り場です。
ホテルから歩いて数分のところ。 -
受付を済ませたら順にバスに乗って待ちます。
「古宇利島・今帰仁・美ら海水族館コース」を選びました。
美ら海水族館にたっぷり3時間滞在!が決め手。もちろん今帰仁城跡が決定打ですが。 -
那覇を8:30に出発し、9:20頃トイレ休憩。
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この日も怪しい雲行きです。
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車窓から。
ダム湖でしょうか。 -
車窓から。
やんばるの森林地帯? -
車窓から。
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ガイドのお姉さんは、とても説明が上手です。
三線を弾きながら沖縄の歌を披露してくれました。こちらも上手い。 -
おそらく羽地奥武橋を渡って、
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屋我地大橋から。
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屋我地島を走っているはず。
サトウキビ畑。 -
古宇利大橋を渡っています。
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曇り空の下でもこれだけの海の色。
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古宇利島。
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古宇利島・橋のたもとにある休憩スポットから。
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波打ち際まで。
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古宇利大橋をさまざまな角度から。
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古宇利大橋の全景。
やっぱり橋は外側から見るのが一番みたいです。 -
観光バスと古宇利大橋。
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砂浜にはサンゴのかけらがいっぱい。
たくさん拾って帰りました。 -
公園。
わずか30分あまりの滞在でしたが、春先のこの時期、これで十分。 -
バスの乗車時間直前にアイスクリームを買って、バスの中でゆっくりといただきました。
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羽地内海、でいいのかな。
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内海。
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ここにもキノコ岩。
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ワルミ大橋。
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ここではバスは最徐行。
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深いエメラルドグリーンの内海。
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晴天の下での海の色も見てみたいものです。
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穏やかな内海です。
右は今帰仁村で、左が屋我地島。 -
古宇利島から20分あまりで今帰仁(なきじん)城跡に到着。
チケットの購入もガイドさんにお任せ。というより、チケット付きなのですが。 -
今帰仁城は、本島北部の本部半島北側の標高100mの古生期石灰岩の上に、築かれたグスクです。
その歴史は古く、13世紀頃から城が作られていたようです。
14世紀の琉球三山(さんざん)時代には北山(ほくざん)の中心として栄え、その勢力は奄美諸島を支配し、中国とも貿易をしていました。
北山の勢力は1416年に中山の勢力によって滅ぼされ、その後中山王の王子が北山監守としてこの城の主となります。 1609年の薩摩による琉球侵攻で城は炎上し、歴史の幕を閉じました。
以後は拝所とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れています。 -
グスクは、6つの郭からできていますが、外郭を含めると7つの郭から構成されており、その面積は首里城とほぼ同規模というから驚きです。
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平郎門。正門です。
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ちょっと引き返して、大隅(ウーシミ)の城壁を。
ガイドさんの説明も聞かず列を離れてウロウロしていると、娘からきついお叱りの声が・・・
20年前は逆だったのになあ。 -
かすかな記憶をたどると・・・
平郎門から続く真っ直ぐな階段を登りきると大庭(ウーミヤ)に着きます。
大庭には、神ハサギ跡以外にも祭祀にまつわる史跡や御嶽があります。
ソイツギ(城内下之御嶽)。 -
五穀豊穣等を祈願したところだそうです。
説明がなければ、ただの石積みにしか見えませんが。
ここでガイドさんから説明があり、その後は大まかな順路を示し、後は自由にお回りくださいとのこと。
説明の内容は全く記憶にありません。 -
そこから更に一段高い所に御内原(うーちばる)があります。
御内原は今帰仁城に仕える女官たちが生活していた場所です。
御内原には多くの拝所があり、神事は女性が担当していたことがうかがえます。
などと言いしながら、肝心のその全景が全くカメラに残っていないのです。
その訳は・・・ここから望めるこの城壁。 -
御内原は北側の高台にあり、眼下に見えているのは大隅(ウーシミ)の城壁(城内側)。
その向こうには本部半島北端から東シナ海に向かう眺望。
左端の赤い屋根の建物は今帰仁村歴史文化センターです。 -
ここは城内で最も広い郭で、兵馬の訓練場だった所です。
でこぼこした傾斜が多く、覆い茂った雑草の隙間からゴツゴツした岩が見えます。 -
周囲は城壁に囲まれており、広場中央はかなりくぼんでいます。くぼみの底には洞窟があり、城外に通じていると言われていますが、発掘調査がまだなので立ち入ることはできないそうです。
今帰仁城跡の城壁に用いる石材は、今から約2億3000万年前の堆積層・本部石灰岩。
硬い灰色の岩塊を手頃な大きさに割り、それを野面に平積み(野面積み)で6〜10mの高さに積み上げ、城壁の厚さは2〜3m、さらにその上に90cmの胸壁が設けられています。
その総延長は1.5kmに達するそうです。 -
百曲がりと称えられる、大隈の石垣。
城壁の曲線美が本当に美しく惚れ惚れ。
大隈の南東側は断崖地形となっており、切り立った志慶真川の峡谷が見えます。
これが天然の要害となっています。
石垣上部に見られる胸壁は、武者走りで防御する兵士の楯とするためのもの。 -
城壁の造りや、石垣上部に見られる胸壁の模式図です。
これらの石材は今帰仁城跡の立地する土地やその周辺の地層から採石されたものが使われたと考えられています。 -
大庭(うーみゃ)?
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野面積みの特徴がよくわかる城壁。
その左下に見えているのは志慶真門(しげまじょう)郭の城壁です。
こちらでの地名には全てにフリガナが必要ですね。
昨日の観光タクシーの中で、「いまきにじょう」と発言してドライバーさんに訂正されました。 -
ここが主郭です。
この右手奥の道を下って行くと志慶真門郭に出るそうです。
そこを下りていく人を誰も見かけなかったので気が付きもしませんでした。
志慶真門郭から見上げる主郭の城壁を見上げることができなかったのは、返す返す残念。 -
城壁の上部。
積み上げたというより、ただ並べただけみたいに見えますよ。
これだと城壁の上を歩くというわけにはいかないようです。 -
たぶん主郭に出てきたんだろうと思うのですが、まず城壁。
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石垣の下には志慶真門郭の全貌が広がっています。
ここは今帰仁城の裏門にあたり、戦略上重要な所であったと思われています。
志慶真門(しげまじょう)はシジマジョウと呼ばれ、今帰仁城跡の東南端に位置する、谷に面した郭(約1,700?)で、主郭よりかなり低い位置にあります。
志慶真門郭はこの昭和55年〜57年にかけて発掘調査が行われ、その結果傾斜地を利用して5段の段丘(テラス)に造成されていることや、段丘に掘立柱の建物が4棟あったことが判りました。
また、各段丘と志慶真門から大庭へと続く石敷道や石段なども検出されています。出土遺物に陶磁器、武具類、装飾品、子供用遊具、炭化米、炭化麦などがあるそうです。
これらのことから郭の中では「家族単位」の生活が営まれていたのではないかと考えられているそうです。なお、瓦が出土していないことから、建物の屋根は茅ぶきか板葺きと考えられています。
複雑な曲線を描く石積みはほぼ原形をとどめているそうです。 -
中山軍が北山をなかなか攻め落とせなかったのは、グスクの周りに流れる志慶真川沿いに城壁がそびえ立っていたこと。またその城壁は、蛇のようにくねくねと曲がっていて防御機能に優れていたからだと考えられています。
では、どのようにして中山は北山を攻略したのかというと、ハード面が難しいならソフト面から、ということで、北山王の側近を賄賂で寝返らせ、今帰仁城の志慶真門跡(裏門)から侵入して攻める作戦で陥落させたのです。
戦いというのはいつの時代も同じなんですね。 -
主郭(しゅかく)
大庭の奥から一段高くなっている広いスペースです。
樹木が覆うように茂っていた(らしい)大庭に比べると、ここはとても開放感があります。
整然と礎石が並んでいますが、ここが正殿跡だそうです。 -
主郭には多くの遺構があり、今も発掘調査が続いているそうです。
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奥には火の神を祭った祠。
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その傍らに石碑があります。これは『山北今帰仁監守来歴碑記』で、北山滅亡以来、中山(後の琉球統一王朝)から派遣された歴代の監守の名前が記されています。
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今帰仁城跡の変遷と多くの出土品。
さかんな中国交易の証拠ともいわれる中国製の陶磁器が、完全な形で数多く出土しています。
北山王は明国と進貢貿易をしていますが。その時の港は運天港だと見られています。ワルミ大橋の近くの港です。
「今帰仁グスクの麓は親泊があるが、進貢船規模の大型船の出入りできるクチがない。大型船は運天港に着き、そこから小舟で親泊まで荷物を運搬したのであろう。」
「1609年の薩摩藩(島津軍)の琉球侵攻の時、こほり(古宇利島)と運天港は船元になった場所である。70,80隻の船が古宇利島から運天港あたりに帆を下ろし休息をした。一部は羽地内海の奥まで散策したようである。一部は今帰仁グスクを攻め入り焼き討ちにしている。薩摩軍は、南下し首里城に攻め入り琉球国は征伐された。時の王は尚寧である。薩摩軍に捕虜として薩摩へ連れて行かれる途中、再び運天港を経由して薩摩へ向かった。
その後、運天港は薩摩へ運ぶ米(仕上世米)を積み出す港の一つとなる。」 -
いずれかの郭の端の方で見かけた城壁?
自然の石灰岩の崖とも石積みの城壁とも見てとれますが・・・
きれいに積まれた城壁もいいけれど、こんな石垣みたいなのも好き。 -
旧道の案内。
「石畳の階段の右側にもう一本の道があります。もともと大庭に通じていた旧道で、今も石畳の道を通ることができます。」との説明に反して、この時には立ち入り禁止の表示がありました。
1980年の発掘調査によって石敷きの小道が発見されています。旧道は、大きな岩盤の谷間を利用して道幅を狭く造り、敵兵が攻め入っても大勢の兵隊が上の郭まで一気に入れないように工夫された作りになっています。 -
石畳のまっすぐな道。これが、七五三の階段とよばれる参道です。
七五三とは、階段が7段、5段、3段の繰り返しになっていて、設計者の提唱によるものだそうです。
1959年、当時の琉球政府文化財保護委員会が新設したもの。
1月中旬から2月上旬の桜の季節には、緋寒桜の並木道になるそうです。 -
階段を下りてくる途中の左手の風景。
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右側に見える、樹木の間に現われている崖の岩肌には直線的な切れ目が多数見れ石切場のようにも見えます。
カーザフといわれる谷間です。
カーザフとは「水のある谷」を意味します。昔は水があったのかもしれません。
左上の高い石積みは、物見台かなにか?ここも城の郭の一部のようです。
今帰仁城には堀はありませんが、このカーザフを天然の堀としたのかも。
自然の険しい谷間をも城の一部として、城壁を廻らせたのでしょうか。
岩盤は層状になっていて、今帰仁層と呼ばれるものです。岩盤を割るとき、平らで四角い石が採れるので、城壁を積むのに具合がよいそうです。 -
崖っぷちを歩いている人の姿が見えています。
築かれた石垣の上ですよ。 -
階段の途中に「大隅(うーしみ)」を示す表示。
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大隅。
大隅から馬の骨や歯が大量に発見されたので、大隅は馬場か馬の飼育場所として使われたところだと考えられています。 -
階段の途中から。
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階段石畳。
グスク時代のものではないとわかると、ちょっと味気ない気も・・・ -
内側から見た正門。
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左右には狭間(はざま)があり、門番が外を見張るためののぞき窓になっています。
門の厚さは相当なものです。
石垣と石垣に挟まれた上に大きな1枚岩が載っている門で、座喜味城跡や中城城跡に見られるアーチ門に比べて特徴的です。
布積みというよりも野面積みのようです。 -
1900年代初め頃には、既に門は大きく崩落していたことが分かっています。1961年12月から翌年4月頃に現在の門の形に修理が行われました。
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平郎門は完全に崩れていて、見当たりません。平郎門は設計図に基づき復元した門なのです。
修復技術ってすごいですね。
でも・・・造っては壊し、壊しておいてはまた造る・・・ -
大隅の城壁を外側から。
この構図の城跡を見て以来、絶対訪れたいと思っていたのです。 -
デジカメなので、どうしたって全景が上手く撮れません。
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今帰仁城跡の石垣は 野面積という積み方で 石材を綺麗に加工するのではなく 自然石をそのまま使いながら屏風型に美しい曲線を描くように積上げてある点に大きな特色があります。
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同時期の鎌倉時代、戦いの際には、優勢な敵を迎え討つ時は、要害の地である山に立て籠り、簡単な柵や堀切を設け、それを指して「城」と呼んだそうですから、13世紀末の沖縄に 既にそれだけの土木築城技術があったことに感心する一方、北山国王の権力の大きさを窺い知る事が出来ます。
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大隅のさらに外側の郭の城壁や石垣。
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大隅の城壁全景。
これだけ離れても、ここまでしか入り切りません。
ただの広場に見えますが、ここもかつての郭です。 -
城壁とその内側に見える石垣。
この外郭の向こうにハンタ道と呼ばれる古道が続いているそうです。 -
今帰仁城跡の城壁は、なだらかな斜面地を利用して幾重にも連鎖的に連なっています。城壁の外側に一定の間隔をあけて突出部を築くことで、城壁にせまる敵を横、あるいは斜めから攻撃できるように工夫された造りになっています。
中央に見える赤い印が現在地。
歩いてきた郭はこの模型の右の方3分の1くらいでしょうか。
現在見えている部分よりもさらに一回り大きな城壁が埋もれているそうです。 -
今帰仁村歴史文化センターには今帰仁城跡との共通チケットで入場できるということなので、入ってみました。
那覇の博物館に行っていたので、特に目新しいものは無く、これなら城跡をもっと歩き回れば良かったかも。
同行者がいる上に、限られた時間内の行動なので、なかなか思い通りにはいきません。 -
建物外部の展示物。
発掘物か何かの修復をされている人々の姿が印象的でした。
わずか40分ほどの観光で、しっかり見て廻るというわけにはいきませんでしたが、城壁の美しさは十分に堪能できました。 -
定期観光バスチケット。
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