2014/11/30 - 2014/11/30
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ハンクさん
紅葉狩りとしては最後のチャンスとなった11月最後の週末、滋賀県大津市の三井寺を訪れた。この日は朝から竜王アウトレットでショッピングをして過ごした後、滋賀県一の紅葉の名所に行こう、ということになって、永源寺、彦根城、延暦寺などの中で迷ったが、紅葉の規模と、名神高速道路に近いことから、三井寺を選んだ。
三井寺は正式には園城寺と称し、天台宗の総本山であり、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。名神高速道路の大津インターから琵琶湖沿いに少し走ってほんの10分ほど、まず迷うことはない。広大な境内には桜と楓の木が多く植えられており、春、秋いずれも楽しみがある。「後世に遊興の場になる」という理由で桜は伐採され、楓の木が植えられた東福寺とは対照的である。三井寺の紅葉は盛りは若干過ぎた感はあるものの、真っ赤や橙色、黄色に染まった日本の秋の風景を楽しむことができた。また、小高い丘の上からは琵琶湖を一望することができ、秋の風情に彩りを添えている。
寺の起源は、大津京を造営した天智天皇が、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしたことに始まる。その子の大友皇子は壬申の乱のため、25歳の若さで没し、皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。天武天皇は、686年この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。その後、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(三井)の寺と言われるようになった。
三井寺は、平安時代には朝廷や貴族の尊崇を集め、中でも藤原道長、白河上皇らが深く帰依、中世以降は源氏など武家の信仰も集めた。源氏は源頼義が三井寺に戦勝祈願、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。続く南北朝時代にも北朝・足利氏を支持したことから、室町幕府の保護を受けた。
興味深いのは豊臣秀吉である。1595年、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、廃寺を命じられた。理由は諸説あって定かではないと言うが、1591年の利休切腹、1592年に始まる朝鮮出兵などの暴挙の後である。何が起こっても不思議はない。しかし、1598年秀吉は祟りを恐れたのか、自らの死の直前に三井寺の再興を許可、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められ、ほぼ現在の三井寺の姿に整備された。
三井寺では、金堂、新羅善神堂、勧学院客殿、光浄院客殿の4つの建築、絹本著色不動明王像、木造智証大師坐像、木造智証大師坐像、木造新羅明神坐像の仏像、五部心観2巻、智証大師関係文書典籍が国宝に指定されている。重要文化財も数多いが、なかでも弁慶の引き摺り鐘と言われる梵鐘が名高い。藤原秀郷がムカデ退治のお礼に琵琶湖の竜神から授かった鐘だと言われる。その後比叡山と三井寺が争い、かの弁慶がこれを奪って比叡山に引き摺り上げたが、鐘が関西弁で「イノー」「帰りたいよう」と鳴ったので、弁慶が怒って谷底へ捨てたという。現在の鐘の表面に見られる擦り傷やひびはその時のものと言われる。俄かには信じがたい話だとしても、義経と出会う前の弁慶の乱行ぶりが目に浮かぶようだ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
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