2014/12/04 - 2014/12/05
78位(同エリア177件中)
ソフィさん
私の先祖は、1183年倶利伽羅の戦いで傷を負い、現在の本籍地富山県小矢部市八講田に住み着く。
JR北陸本線、金沢から三つ目の駅津端で七尾線と別れ、富山に向かって次の駅が倶利伽羅である。
以前北陸本線が単線だった時代、この駅を挟む津端・石動間は急こう配で、貨物列車には日本では珍しい動輪が五つのE型蒸気機関車が走ったことがある。
その倶梨伽羅が、我が祖先が北陸に定住するきっかけとなった土地だ。
我が家の口伝えによれば、先祖は相模の国片瀬に住んでいたという。
それが私の姓の、よって来たみなもとと考えられている。
先祖は木曽における源義仲の挙兵に応じ、相模から馳せ参じた。
そして1183年6月2日、越中と加賀の境にある倶利伽羅峠で、京都から迎え討ちにやってきた平維盛の大軍との、大合戦に参加する。
戦の結果は、劣勢と見られていた義仲の策が功を奏し、維盛軍は多くの犠牲を生んで崩壊する。
我がふるさと八講田に流れる「膿川(うみがわ)」。
大量の死体が腐敗、膿となって流れたと伝えられている川だ。
しかし、犠牲者は平家側だけではなかった。
数こそ少ないが、我が先祖もその中に含まれていた。
瀕死の状態で命からがら倶利伽羅峠を下り、たどり着いたのは、我が本籍地八講田だった。
爾来父茂久が村を離れるまで約800年の間、先祖はこの地に定着し、村の真ん中にある本叡寺に、墳墓を残している。
墳墓は戸室石らしい褐色のもので、石に刻まれた文字は判読できず、建立日時は不明のままだ。
しかし、私もいずれはこの中に眠りたいと思っている。
周辺の墓々は最近白い花崗岩に生まれ変わり、我が家の先祖代々の墓はその古さが目立っている。
墓を取り巻いて、本叡寺現住職の宮内さんが植えた十本を超える枝垂れ桜は立派に育ちつつあり、来年は花時に訪ねたいと考えている。
本叡寺の庭には、元市長松本さんの勧めで、私が市に寄付した「八講田の碑」も建っている。
村の入口の沿道には、村人が祖父の金沢短絡道路の建設寄贈を讃えた「奮起開道の碑」も建っており、100年近くになるが、いまでも掃除が行き届いている。
北陸自動車道、小矢部インターから10分ほど。
北陸旅行の折には、古戦場のあとにお立ち寄りください。
落ち着いた雰囲気のイタリア料理店「フィレンツェ」もお勧めです。
2014.11.30片瀬貴文記
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
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