2014/10/25 - 2014/10/27
3位(同エリア10件中)
地中海人さん
コンヤからTKでイスタンブール空港、ダラマン空港経由フェティエに2泊、ヒッタイト帝国崩壊後400年の暗黒の時代を経て歴史に登場したリキア同盟の盟主・クサントスの遺跡、第一次世界大戦後のトルコ独立戦争時、住民交換により廃村となり無人のカヤキョユを巡ります。
*******************交通機関、ホテル、主な日程
ハットゥーシャシュ、ヤズルカヤ、アラジャホユック、チヤタルホユック、クサントス、カラキョユ、アフロディスィアス、サルデス,ヒエラポリスなどの古代遺跡を訪ね、コンヤとイスタンブールの夜を歩く。
【2014年10月20日(月)】
仙台発7.45→成田Ⅰ着8.50 NH3232便
JL413便10.30→ヘルシンキⅡ着14.55
ヘルシンキⅡ発SK3409便 18.25→ISTⅠ着21.50 (TKのコードシェア便)
IST発TK2190便23.50→アンカラ着0.55
ラディソンブルホテル・アンカラまでタクシー70TL 1泊(12,087円)
【10月21日(火)】
午前 アナトリア文明考古学博物館(15TL) アンカラ城散歩
午後 アンカラ・オトガル(までホテル前からドルムシュ)→(バス 3H 25TL)→スングルル・オトガル→タクシー(100TL)→ボアズカレのアーシクオウルホテル 2泊(1泊朝食つき 30EUR)
夕方 ボアズキョイ考古学博物館
【10月22日(水)】
徒歩で八ットーシャ、タクシーでヤジリカヤ、アラジャホユックを巡る(タクシー150TL)
【10月23日(木)】
午前 ボアズカレ→(タクシー50TL)スングルル・オトガル(以下「O」)→(バス25TL 3H)アンカラ・O
午後 アンカラ・O(ランチ後)→(3H バス27TL)→コンヤ・O→(ドルムシュ2.75TL)→メブラーナ近く→(徒歩)→ヒルトン・ガーデン・イン コンヤ2泊(1泊朝食付き7,690円)
夜 コンヤの夜を歩く
【10月24日(金)】
チヤタル・ホユック日帰り(タクシー150TL)
コンヤ考古学博物館 メブラーナ博物館
コンヤの夜を歩く
★【10月25日(土)】
コンヤ空港13.40発→(TK2037 )→IST15.00着
IST発16.45→(TK2558 )→ダラマン空港18.05着
ダラマン空港からハワシュ(15TL)でフェティエまで
ホテルまでタクシー
オルカ ブティックホテル2泊(朝食付き1泊 45EUR)
★【10月26日(日)】
フェティエ博物館→(ドルムシュ 2TL)→フェティエ・O→(バス 9TL)クサントス遺跡
クサントス郊外のチャイハナ で大休憩(チャイ 0.5TL)
【10月27日(月)】
★ ホテル→(ドルムシュ)→フェティエ・O→(バス)→カラキョイ遺跡
フェティエ・O→(32TL バス3H)→デニズリ・O→ パムッカレの
ヴィーナスホテル3泊(1泊朝食付き35EUR 夕食1回合計現金120EUR)
【10月28日(火)】アフロディシアス遺跡日帰り
午前9.30ホテル発 アフロディシアス遺跡へ直行(ツアーバス往復3H 遺跡内3H 30TL ホテル送迎付き) ホテル着PM3.30
【10月29日(水)】サルディス遺跡日帰り
ホテル前からドルムシュで(3.50TL)デニズリ・O→(バス 25TL 3H)→サルト村 徒歩700m サルディス遺跡(8TL)
遺跡前からドルムシュでサリフリ・O→(バス2H 20TL)デニズリ・O→(ドルムシュ 3.50TL)→ホテル前通り
【10月30日(木)】
午前 ヒエラポリス散策
午後4.30 ホテルピックアップデニズリ空港までバス(1H 30TL パムッカレ社扱い )
TK259便 デニズリ発19.40→イスタンブールIST着20.45
ホテリーノ3泊(11,158円 8,781円 11,416円 1,615円)
ISTからシルケジ近くのホテリーノまでメトロ、トラムバイ(イスタンブールカード10TL分購入)を利用。
【10月31日(金)】 イスタンブール街歩き
午前 考古学博物館(15TL)地下宮殿(20TL)
夜街歩き タクスィム広場からガラタ橋まで歩く
【11月 1日(土)】 イスタンブール街歩き
午前 カドキョイ地区からハイダラバシャ駅、
午後 ウシュクダラ地区を歩く
夜 ガラタ橋の北岸を歩く
【11月 2日(日)】
午前6.00 シルケジ駅前からタクシー(40TL)でISTまで。
ISTⅠ発8.40→ヘルシンキⅡ着12.10 SK3409便
ヘルシンキⅡ発17.25 JL414便
【11月 3日(月)】
成田Ⅱ着9.50
成田ⅠからANA便10.55発仙台空港まで
***********************
費用
仙台→成田 ANAから株主優待割引で10,150円 ANApp665
成田←→IST JALから 270,770円プラス35,000マイル
NRT→ヘルシンキ JALFOP4060
(アップグレードはダイナミックパッケージと同じくJALFOPは70%)
ヘルシンキ→IST ANApp675
IST→アンカラ TK2190便 194.00TL ANApp107
TK2027便 コンヤ→IST ANApp 678
TK2558便 IST→ダラマン ANApp 694
2便で 447TL
デニズリ→IST TK2579便 79.00TL
*********
JAL修行 FOP
6月 ダイナミックパッケージ 成田-FRA 4,550×2
8月 ビジネスセーバー 成田-FRA 15,220×2
10月 アップグレード 成田-HEL 4,060×2
JALカード初回搭乗FLYONポイント 5,000
計52,660
(6月に最初にビジネスセーバーでFRA便に乗れば1回でクリスタルになったはずで、その後2回グレードアップ便を探す楽しみがあったかも。)
******
JTB マネーTグローバルカードで引き出し
2014年10月21日 アンカラのPTT
400TL 20,119円(@50.2975円/TL)
10月23日 コンヤ市内のPTTで
400TL 20.124円(@50,31円/TL)
成田空港内千葉銀行で2014年10月20日両替
TL 9,974円 160TL @62,34/1TL
EUR 29,328円 210EUR @139,66/1EUR
三井VISAカード払い
10月17日予約 23日換算日
TL航空 447TL 21,758円(@48.676円/1TL)
::::::::
表紙は クサントス遺跡
以下写真は全てソニーのスマホ・エクスペリア SO-01Fとこれに装着したレンズカメラSQ100。(右下に黒く映っているのはSQ100を装着したままスマホで広角撮影したもの)
ガイドブック 世界歴史の旅 トルコ
山川出版社 大村幸弘 著 2000年8月発行
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- JAL ANA ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
20014年10月25日(土)
コンヤ駅からハワシュ乗り場までFert Pasa通りを雨の中歩き、12.00空港行きに乗る。
写真は、車中から。アラアッディンジャーミーの下、セルチュク朝時代の市壁跡。 -
コンヤ空港
コンヤ空港13.40発→(TK2037 )→IST15.00着
ゲートは発着各一つだけです。
-
イスタンブールIST 国内線ターミナル 出発階
TKのラウンジはなく、この上の階にカードラウンジが二つありました。
IST発16.45→(TK2558 )→ダラマン空港18.05着 -
ダラマン空港
-
ダラマン空港はちょうど、マルマリスとフェティエの中間にあり、ハワシュが並んでいました。右がフェティエ行き(15TL)。
-
オルカブティックホテルは観光船埠頭に面し、ホテル前にはタクシー乗り場、近くにPTT、博物館がある。
-
早速、ホテル近辺の通りを散策。
ここは近代的なリゾート地。アタチュルク通りから南側一帯の路地はレストラン、ロカンタ、土産物屋さんが並んでいました。 -
2014年10月26日(日)
ホテルの部屋から。
目の前から夏は12島めぐりの観光船がでる。 -
朝食後近くのフェティエ考古学博物館で。
-
フェティエ考古学博物館で。
マルマリスからアンタルヤまでの地中海沿岸はリキア地方と呼ばれています。
ヘロドトスによれば、リキア人はクレタ島から渡来したという。
ヒッタイトのボアズキョイ文書に「ルク」「ルカ」として名前が残っているので、リキア地方は、初期青銅器時代からある程度まとまりのある地域ではなかったか言われています。
トロイ戦争にはリキア人が参加したと記録が残る。
(私の妄想
前2000年期のクレタ伝来と思われる土器がアナトリアで見られ、リキア人がその伝播に貢献したかもしれません。) -
フェティエ考古学博物館で。
-
フェティエ考古学博物館で。
-
フェティエ考古学博物館で。
-
フェティエ考古学博物館
-
アタチュルク通りにあるイェニジャーミーからドルムシュに乗り(2TL)、
-
フェティエオトガル
フェティエからクサントス遺跡があるクヌク村までバス(9TL)。 -
クヌクオトガルで。
帰りのバスの確認です。アンタルヤとフェティエ行き2路線のみです。 -
クヌクオトガル前の通りに出て、あたりを見渡し、小高い丘のほうを検討を付け東へ。
-
リキアのアクロポリスの門が半分埋もれています。
この道を登っていくと左側に円形劇場が見える。
暗黒時代(前1200-800)を脱するとギリシャ各地にポリスが出現しましたが、アナトリアでは、各地方ごと、アンカラ近くのゴルディオンを首都とするフリギア王国、サルディスを首都とするリュディア王国、ヴァンを首都とするウラルトゥ王国などが勃興しました。
ここクサントスを盟主としていたリキア同盟軍が前545年ペルシャに対して果敢に戦ったことは、ヘロドトスにより詳細に語られていて有名ですね。
アレキサンダーに対し全く抵抗しないで開城したリュデイア王国のサルディスと対照的。クサントス住民の敢闘精神の基がどこから来たのか? -
今残るは、ローマ時代の円形劇場(ギリシャ式)。
フェンスなどは無いので上の写真の道路から直接入る。 -
前5世紀のリキア人の墓が円形劇場を見下ろす形で残されている。
ちょうど、クラブツーリズムのツアー客の皆さんが。 -
円形劇場
-
前5世紀のリキア人の墓
一見して、砂漠の隊商都市パルミュラの塔墓に似ています。
シルクロードの薔薇・パルミラ2泊、遺跡散歩(2008年4月)
http://4travel.jp/travelogue/10772810 -
丘陵地の西側にリキア時代のアクロポリス、東側にローマ時代のアクロポリスが残る。
-
リキア人の墓
印欧語系の人達との説あり。
ヘロドトスは、もともとクレタ島からやってきた人たちが住んでいたという。 -
道路の左側を一周した後、右へ行ったら駐車場の一段上にチケット売り場、トイレなどがあった。
-
道路の右側にも、AD2あるいは3世紀のローマ時代のアゴラ。
クサントスはペルシャに従属後、地方自治が認められ、世界で初めて共和政が行われたとする説があります。
ペルシャ戦争時にはギリシャ側につき、その後ブルータスによって破壊されるもアントニウスが再興したという。 -
2あるいは3世紀のローマ時代のアゴラ
-
東側から現クヌク村。ほとんど農地はハウス。アナトリアの人達が平地に安全に住むようになるのはアレキサンダーが武力で制圧した後のこと。
この地で前545年壮絶な戦いが行われたという。ペルシャ軍とリキア同盟軍はこのアクロポリス北側の平地で激突。
-
東側から現クヌク村。
将軍ハルパゴス率いるペルシャ軍に対し、クサントスの男達は、婦女子、奴隷、財宝をこの上のアクロポリスに集め火を放った上必死の戦いを挑み、ついには不在だった80人の女を残し、リキア最大の都の男達全員が討ち死にした。
(私の妄想
やはり、クサントス人はクレタ出身者の子孫で、1000年以上その気概を持ち続けたのか?)
-
東側ロ―マ時代のアクロポリス
-
西側のアゴラ
-
クサントス遺跡事務所で、レトゥーン遺跡までのドルムシュはペトロオフィスから出るとのことで、クヌク村はずれまでやってきました。
-
隣のチャイハナで休憩。チャイ(0.50TL)のみを出す。村人は中でトルコ麻雀に熱中。この写真に写っている人たちもメンバーが集まり次第、チャイをすすりながら掛け麻雀である。
ここでのんびり子供を相手にしていたら、近所のご老人、20年トルコに通っているというニューヨーク市民が寄ってきた。 -
ここで待つも、フェティへ行きのみ通る。
チャイハネの主人、子供二人、アメリカ人と取り留めのない話をして、寛いでしまう。
アメリカ人は、プナラ遺跡が好きだ、と言う。 -
レトゥーン遺跡まで4キロなので。
-
あきらめて、クヌク村のオトガルへの途中。 西側リキアのアクロポリス裏側は、エシェン川が流れる断崖。
-
フェティエまでバスで戻り、この「D」の標識のあるところで、
-
ドルムシュに乗り、アタチュルク通りのPTT前まで。ホテルに帰る。
-
フェティエの夜
アーケード街もあります。 これほどリゾート地として人気があるとは。
ギリシャのリゾート地では冬はほとんどのレストラン、ホテルは閉まるが。 -
フェティエの夜
-
フェティエの夜
10月26日、今日は10月の最終日曜日。明日から冬時間に移行するのだが、まだ店は閉めていません。 -
フェティエの夜
-
フェティエの夜
アタチュルク通り -
フェティエの夜
文化センターからヨットハーバーまでの埠頭にはびっしりと観光船と漁船がならんでいます。 -
フェティエの夜
クルーズ船の数からも、夏はかなりの観光客がここを行き交う? -
フェティエの夜
右側にはレストランが並んでいます。 -
フェティエの夜
-
フェティエの夜
-
フェティエの夜
-
フェティエの夜
-
フェティエの夜
-
フェティエの夜
薪で焼く炉があるところで夕食としました。
後ろと左右は皆地元客だったが、8時過ぎになり後ろからフランス語、左から英語が聞こえてきた。
テレビはサッカー、スポルティング対MARITIMIの試合を放映していた。 -
ラムカスロール(29TL)は煮だったまま。マッシュルーム、トマト、チーズ。
取り皿にご飯とポテト。パンを大分残したが皿は完食。すかさず「フィニ?」とウエイターがやってくる。
今度の旅行ではチャイで通しました。 -
フェティエの夜
-
フェティエの夜
-
フェティエの夜
-
フェティエの夜
-
フェティエの夜
この季節、リゾート地では、トリップアドヴァイザーの掲示のないレストランは客が少なくなりますね。 -
フェティエの夜
-
2014年10月27日(月)
オルカブティックホテルの朝食会場は、鉄骨造り三方向ガラス張りテラスレストラン。
客は私を除き全員トルコ語を話していた。 -
ホテル前
クルーズ船が繋留されています。 -
フェティエの岩窟墓 Kaya Mezarlari 前4世紀の墓
ホテルでチェックアウトして荷物を預け、カラキョユへミニバスで行くためドルムシュガラジュまでタクシーに乗り、途中のここでフォトタイムといって停車してもらう。 -
フェティエの岩窟墓 Kaya Mezarlari
前4世紀の墓 -
フェティエの岩窟墓 Kaya Mezarlari 前4世紀の墓
-
フェティエの岩窟墓 Kaya Mezarlari
前4世紀の墓 -
フェティエの岩窟墓 Kaya Mezarlari 前4世紀の墓
ギリシャ神殿風の造りで、イオニア式の石柱のある墓もある。
死出の航海の安全を祈って作られたとあるが、この岸壁は古代は海に近く、通る船にも目印となったに違いありません。 -
フェティエのドルムシュガラジュ
ここで、乗ってきたタクシードライバーが盛んにレトゥーン遺跡までを売り込む。 -
ドルムシュでカラキョユまでやってきました。(9.25発 約30分 5TL)
この右側傾斜地一帯が廃村で、頃合いを見計らい、小道を見つけ登ってみました、 -
山間にギリシャ正教徒の町がそっくり残っていた。
-
住民交換により村民全員が退去し、廃墟の街だ。
一時的にマケドニアから退去したイスラム教徒が住んだことがあるようですが。 -
カヤキョユ
ギリシャ人約130万人、トルコ人約43万人が相互に移り住みこととなった。
ただし、イスタンブル在住のギリシャ人、西トラキア在住のトルコ人は除かれた。 -
カヤキョユ
-
カヤキョユ
-
カヤキョユ
-
カヤキョユ
-
カヤキョユ
右へ行くとオリュデニズのビーチまでのトレッキングコースがあるという。 -
カヤキョユ
-
カヤキョユ
フレスコ画が残るとされるが、立ち入り禁止となっていた。 -
ドルムシュ乗り場まで降りてきました。
-
帰り路。
ここをカヤキョユの村人全員が、何世紀にもわたって住み続けた土地を後にし、ギリシャ本土に移っていった。 -
今トルコ国内には日常的にギリシャ語を話す人たちの集団や村は一掃されたことでしょう。500年前にスペインから来たユダヤ教徒が今イスタンブールに1万人ほど住んでいるとのこと。
中近東やユーラシア大陸では、ディアスポラのユダヤ人など、このようなことが古代から幾度も繰り返されたのでしょうね。
この後、フェティエオトガルからバスでデニズリ(3H)経由パムッカレまで。3泊し、アフロディシアス遺跡、世界で初めて貨幣を鋳造したサルディスを日帰り訪問します。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
82